第2話【今時ナンパする奴なんているんだな】

 俺が光一の息子になったのは10年前。

 7歳の時だった。


 家族と旅行中に大事故に遭遇し、唯一九死に一生を得た俺を助けてくれたのが光一で、それが縁で一緒に暮らしている。


 なのであいつは戸籍上は俺の『養父』ということになる。


 中学までは仕事で家を空ける機会はそこまで多くはなかったのだけれど、ここ数年でそれが一気に増えた。しかも長期間で。


 小さい頃は寂しい思いこそしたが、慣れというのは恐ろしいもので。今では家での気ままな一人の時間を楽しむくらいの余裕を持っている。


 そこへきて、その生活を打ち破る昨日の光一の結婚&嫁襲来宣言......教室から見える青空が、嵐の前の静けさを連想させて不気味に見えた。


幸村ゆきむらくん、私の授業中ずっと外ばかり見てたけど......ひょっとしてつまらなかった?」


 放課後。

 下校しようと下駄箱に向かって廊下を歩いている途中、ポニーテールのスーツを着た幼女に声をかけられた。


「ごめん、そういうわけじゃなくて......昨日、ちょっと親父といろいろあってさ。ゆかりちゃんの授業で退屈する奴なんか誰もいないから安心して」


 目の前で瞳を潤ませている幼女、もとい先生は俺のクラスの担任の『立花たちばなゆかり』先生。


 小学生にしか見えない外見とは裏腹に、大酒呑みでフードファイター級によく食べる。

 学科は地理歴史を担当していて、その愛くるしい容姿から生徒達からは『ゆかりちゃん』呼びされ、クラスのマスコットポジションにも席を置かれている。


「そっかー。それなら安心したー。てっきり「こいつ、いつまで17歳名乗るつもりだよ。いい加減空気読めや」なーんて腹で思われてるのかなーって感じちゃった」


 ゆかりちゃんはひまわりのようにぱっと笑顔になると、表情そのままで一部声のトーンを変えて自虐発言をした。


「思わないですよ、そんなこと」


 俺は愛想笑いを浮かべて敬語で切り返した。

 こういう部分を垣間見るとこの人も一応大人の女性なんだよなぁと実感する。


「ところでゆかりちゃんは以前、異世界のエルフの集落に行ったことあるって言ってたけど、どんな雰囲気だった?」

「えーとねー、とても温厚な方々ばかりで平和に溢れた場所だったよー。ただご飯は物足りなかたったなー。精進料理みたいなのしか出てこなくて最悪でさー」


 ゆかりちゃんは教師になる前は考古学調査の仕事をやっていた関係で、異世界には何度も行っているので普通の人より詳しい。


 話しには聞いたことがあったが、どうやらエルフは草食だというのは事実らしい。


 つまり我が家の食生活が今までより健康的になるということではあるが、果たして育ち盛りの男子高校生が肉無しの生活に耐えられるだろうか? うん、無理だな。

 最悪食事は別々で用意することになりそうだ。


「なんでまたエルフの話なんかを私に?」


 不思議そうな表情で首を傾げてゆかりちゃんは尋ねる。

 

「いや、親父の奴が今エルフの集落で仕事してるんでどんな場所かなと思って」

「そうなんだー。あと私は会ったことないんだけど、ダークエルフは気性が激しいのが多いらしいよ。集落の村長さんがそう言ってたー」


 眉を細めて口元に指を当て、上目遣いで俺に視線を向け。


「エルフもいいけど、同種の若いお姉さん先生にも興味を抱いてくれると嬉しいんだけどな~。それじゃね~」 


 俺は手を振りながら職員室の方へと去っていくゆかりちゃんの後ろ姿を見送った。

 下校途中の小学校低学年の女子を見守る、近所の知り合いのおじさんのような気分で。





 午後4時過ぎ。

 自宅のある最寄り駅に到着。

 若干陽が沈み始めてはいるものの、まだまだ外は明るい。


 本来なら家に帰る前に夕飯の買い出しをする予定だった。しかし光一の結婚相手とやらが夕方の何時頃にやってくるのかわからなかったので、とりあえず寄り道はせずに真っすぐ帰らねばならない。

   

 駅を出て、数十メートル歩いた場所にあるコンビニの前を通ると、いかにも頭の悪そうな風貌と顔つきの男二人が女の人を囲むように立っていた。


 その中心にいる彼女――綺麗な金色の長い髪の隙間からピンと伸びた特徴的な耳......エルフを直で見たのは初めての経験だった。


「――10分だけでいいから、ちょっと俺達とお茶しない? この近くに美味しいコーヒー出すお店があってさ、きっとキミも気に入るよ」

「申し訳ございません。私、これから大事な用件がございまして。それに見知らぬ人間には絶対に着いて行かぬよう言われておりますので」

「そんな固いこと言わずに付き合ってよ。これも俺達と目が合った縁だと思って、用事なんてそのあとでいいじゃない」

「でも......」


 会話の内容からして疑う余地のない完全なナンパ目的。


 この地区は比較的治安は良い方だとは思っていたけど、珍しいエルフの女性を見かけて声をかけたのだろう。さしづめ男たちが光に吸い寄せられたに見える。


 もう既に光一の結婚相手が家に着いている可能性もあり、何より面倒ごとに巻き込まれたくなかったので一度はその場を後にした。


「――見つけた! もう姉さん、勝手に一人で出歩いたら駄目だって言ったじゃないか! 

父さん達も心配してるし早く戻ろう」


 ......が、どうしても気になってしまい、俺は機転を利かせて彼女を蛾の姿をした男達から救出することに。

 彼女は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにこちらの意図を理解してくれたようで。


「あ、ごめんなさい! 面白そうなお店があったのでつい........」


 俺の芝居に乗っかってくれた。


「チッ、なんだ弟連れかよ。行こうぜ」


 背中に龍の刺繍ししゅうが入ったスカジャンを着ている男の方が諦めて去ろうとするも。

  

「おい待て。今、姉さんって言ったよな? このガキの耳――エルフじゃなくて俺達と同じ人間だぞ」


 勢いで誤魔化すつもりでいたが、もう片方の背中に虎の刺繍が入ったスカジャンを着ている男の方が俺の耳に気付いてしまう。


 こうなれば強行突破だ。


「――ごめん! 走って!」

「ふぇ!? あのちょっと!?」


 言うが前に俺は彼女の手を引っ張って、コンビニの向かい側の、信号が赤に変わりかけていた道路を無理矢理渡った。


 意表を突かれた男達は1テンポ遅れて追いかけて来る。


 その1テンポの差が俺達に味方をしてくれたおかげで信号が赤になり、男達を足止めすることに成功した。


 何か叫んでいるようだけど、車の音でよく聴こえない。負け犬の遠吠えなんてそんなものだ。


 俺達はそのまま男達の姿が見えなくなるまで只ひたすらに走った。


「ハァハァ...........急に全力ダッシュなんかさせてごめん。そうでもしないとあの連中を撒けないと思って」


 数分後。

 家の近所の公園までやってきた俺は、そこでようやく彼女の腕を放した。 


 ここまで来ればいくらなんでも追っては来ないはず。もし追ってきたら近くの交番に駆け込むまでだ。


「いえ.........こちらこそ、どこのどなた様か存じ上げませんが、助けて頂きありがとうございます」

「腕、痛くない?」

「大丈夫です。あなた様が私のペースに合わせてくれたので」


 肩を上下に揺らしている彼女の顔は赤くなっていて、額から流れる汗が夕日に照らされて輝く。 


 そして中腰の体勢で俺に上目遣いで微笑むと、こう言った。


「お優しいのですね」


 その聖母のような笑顔に、俺は一発で心を奪われてしまった。


 普通にしていても美人なのに、人間の女性にはない、エルフという種族特有の神秘性みたいなものも漂わせている彼女。


 あの男達が声をかけたくなる気持ちもわからなくはない。 


「この辺でエルフなんて珍しいけど、お姉さんは用事があってこの街に?」


 俺は動揺する気持ちを抑えながら彼女に尋ねた。


「はい。今日からこの街に住むことになりまして。丁度お世話になる家に向かう道中で、まさかあのような事態におちいってしまうとは思ってもいませんでした」

「時間帯にもよるけど、駅前はガラの悪い連中がどうしても集まりやすいからね。ましてやお姉さんはその......目立つし」

「自覚が足りませんでした......以後気をつけます」


 反省の表情を浮かべた彼女のその長い髪が風で舞い、同時に彼女の匂いが俺の元へ香る。


 初めていだ、だけど、どこか懐かしい感じだと脳内に印象付けたいい匂い――これはいったい何なんだ?

 思い出そうにも全く思い出せない。


「ここまで来れば多分アイツらも追って来ないだろうし、俺はそろそろ行くね」


 匂いの正体のことが気にはなっているが、流石にそろそろ家に帰って光一の奥さんを出迎える準備をしないとまずい。

 名残惜しいが、俺はここで彼女と別れようとした......その時。


「――あの! ......ひょっとしてあなた様のお名前は、幸村晴人様ではありませんか?」


 恐る恐る尋ねる彼女は、俺の名前を言い当てた。


「え? そうだけど――どうして俺の名を?」

「やっぱり...........これはきっと、神様の思し召しですね」


 両手で胸元のペンダントを握りしめ、続けて。 


「申し遅れました。今日から晴人様の母親を務めさせていただくセレン・ヘスティアーナと申します。不束者ふつつかものですが、どうぞ末永すえながくよろしくお願い致します」


 夕日を背に、姿勢を正してはにかみながらお辞儀をする彼女。これが俺の継母けいぼ、セレンさんとの出会いだった。

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