第11話 終曲 これもまた新たな平穏

「栄枯盛衰ってなぁまさにこのことだなぁ・・」

「嫡男の婚約解消で、藤堂商会はお先真っ暗だってよ」

「現当主の毒物中毒に、婚外子まで明るみに出ちゃあなぁ・・」

「自分の子供を通り魔扱いするような男なんだから、罰が当たって当然だ」

「確か娘もいたはずだろ?嫁入り先が見つかるのかねぇ・・」





 藤堂子爵家の醜聞が一面で報じられた新聞を手に、コーヒーをすする常連客達が揃って華族様は恐ろしいなぁと口を揃えた。



 通り魔事件の解決報道から一変、滝夜叉姫が飲み込んでいた冬也の生霊が身体に戻った事で、事件は新たな展開を見せた。


 藤堂家の中庭に植えられていたチョウセンアサガオが、家宅捜索で発見されたことにより、女中や、意識を取り戻した冬也の証言から、再捜査が進んだ。

 ここ数日、新聞記事に藤堂子爵の名前を見ない日はない。





「随分前から常飲されてたみたいね・・番頭さんも公孝さんもご存じの上で知らぬ顔をしていたそうだから、同罪よ」



 根や茎に猛毒があるとされる曼荼羅華は、誤飲すれば意識障害や、麻痺、幻覚、幻聴作用が現れる。


 毒素を薄めて長期的に服用することで、幻覚、幻聴が起こり、突発的な興奮状態に陥って攻撃衝動が押さえられなくなっていたのだ。


 早くから関東進出の為に、神戸を離れていた嫡男は、父の異変を知りながら黙認し、番頭もそれに従った。

 一人娘は父親から遠ざける為、全寮制の女学校に入学させられ、面会すらままならないらしい。


 父親の異変に気付いて諫めようとした心優しい息子さえ信用できずに、ナイフを持ち出した藤堂子爵の孤独と闇を思うとなんとも言えない気分になる。


「冬也さんは通り魔じゃないって事が分かったし、絹子さんも無事に黒猫屋への就職が決まって、それだけが救いね・・」


 成伴の家で保護されていた絹子は、美紅から提案された黒猫屋の女給仕事を二つ返事で受け入れた。


 華やかな大阪の繁華街の一等地に新たに出来るカフェの女給!まさに憧れの都会での仕事である。



「兄様は、いまもまだ伊吹に未練があるみたいだけど・・仕方ないわね・・こうなってしまったら」

「ここから離れるわけにも、五月姫を放り出すわけにもいかないもの」



 テーブル席で、伊吹の赤と白の格子柄の着物に檸檬の刺繍帯を合わせた五月姫が、プリンを嬉しそうに頬張っている。


「婚外子・・・?当主に妾がいるのは当然の事でしょ。血筋を残していく為だもの、ごちゃごちゃ言う方が間違ってるわ。伊吹、プリンとアイスクリームおかわり!」

「五月姫、それ三杯目だからね!?帰ったらお夕飯もあるんだから!あと・・昔と今じゃ時代が違うの!普通は奥さんは一人なの!」



 どう見ても十代半ばの娘相手に、時代云々について語るのはおかしいのだが事実なので仕方ない。


「妻が一人でより良い血統になるのかしら?」

「そーゆー問題じゃないのよ・・」

「でもすごいわ、五月姫。この数日ですっかりこちらの生活に慣れてしまったのね」

「アタシの意識は時々は目覚めて外界を見てたもの。それに、妖術修行してた頃に比べたら、漢字や物の名前を覚えるのなんて大したこと無いわ」

「さすが・・丑三つ参りのど根性妖怪・・」

「あんたたちも、死ぬほど呪いたい相手がいるなら言いなさいよ。世話になってるから手ほどきしてあげるわ」

「いや無いよ!」

「まあ・・あの・・そうね・・何かあったら・・ご相談させて貰うわね・・」

麗しい笑顔を引き攣らせて美紅が冷めたコーヒーを飲みほした。

「ねえ、いつになったらアタシにもコーヒーを飲ませてくれるわけ?ミルクばっかり飽きたんだけど」

「コーヒーは、苦いし大人の飲み物なのよ」

「アタシはもう立派な大人よ!」

「あのねぇ、大人はプリンやアイスクリームばっかり食べないのよ」

「頭を使う時には甘いものが必要になるって凪が言ってたわ」

「・・余計なことばっかり覚えるんだから・・ほんっとに・・」



 五月姫の順応性の高さには驚かされるばかりだ。

 今日なんて、店の前で山高帽を被った二人連れの異人に自らハロー?と話しかけていた。

 度胸だけは二人前である。

 これ位逞しくないと、妖術使いにはなれないらしい。



「あ、ねえ。五月姫。あの大きな洋館の住み心地はどうなのかしら?あなたが・・そのよく知る生活様式とは随分違うでしょう?」

「快適よ!寒くないし!食べ物は美味しいし!お風呂は広いし!玉藻前はふわふわだし!寝所・・ベッドのふかふか具合ったらもう!」

「それは分かる・・」

「あんたもそのまま居れば良かったのに」

「そーいうわけにはいかないわよ」



 あくまで倉橋邸は、身柄預かり期間の仮の住まいである。

 玉藻前とふかふかのベッドに埋もれて眠る至福のひと時は、まさに極楽浄土そのものだったけれど。







 冬也の生霊を肉体に戻し、新たな自供を得て事件の真相解明に尽力した芦屋隊長は、念願叶って位を一つ上げた。


 警視となった彼は、上層部からの要望もあり捜査課と村雨隊を兼任することになり、より一層職務に邁進することになった。


 そんな芦屋警視が、辞令発布後最初に行ったのが、五月姫の村雨隊への所属命令である。

 憎悪と悪の権化と化していた滝夜叉姫が、愛と優しさ?を取り戻した事で、彼女は見た目はほぼ完全な人間となった。

 けれど、蝦蟇の師匠から授かった妖術は勿論、がしゃどくろも意のままに操ることができる。



 このまま野放しに出来るわけがない。

 彼女の力を有効活用しつつ、監視する役割も得た成伴は、五月姫を村雨隊に所属させることで隊員不足と能力不足を一気に補うことに決めた。

 伝承を信じるなら恐ろしいばかりの妖怪だが、幸い村雨隊には燈馬がいる。

 誰がどう見ても燈馬にぞっこんな五月姫なので、彼のいうことなら大人しく聞くだろう。

 とはいえ、見た目だけ一般人の五月姫を伊吹の暮らす長屋においておけるはずもない。


 住居は必然的に倉橋邸となった。

 新婚ほやほやの成伴が、五月姫を引き受ける訳がない。

 伊吹もそのまま倉橋邸に残るよう言われたが、一時の居候と決めていた伊吹は元の長屋に一人で戻る事を選んだ。


 三日と開けずに倉橋邸に様子を見に行っているし、五月姫は社会勉強と称して白猫屋に入り浸っている。



 玉藻前の洗礼を受けた美紅は、滝夜叉姫の話をしても倒れる事はなかった。

 伊吹の話を一通り聞いた後、あなたとうとうそっち側の人になっちゃったのね、と寂しそうに零しただけだ。

禍付きの知り合いが増えようが、祖先が凄いお方だろうが、自分は自分だと伊吹自身は思っている。



「五月姫、あたしがいないからって、有匡さんや駿牙くんに我儘ばっかり言ってないでしょうね?玉さまを困らせたりしたら怒るわよ」

「心配無用よ。立派なレディとして振舞ってるわ」

「まあ・・すっかり淑女ね、五月姫」

「美紅が貸してくれた本も読んじゃったわ。ほかの本も貸して頂戴。アリとキリギリスも、うさぎとかめも、北風と太陽も、飽きたわ」

「あら、読む速さが上がってるわね!すごいわ!じゃあ、新しい本を届けるわね」

「え、美紅。あの、乙女文庫は五月姫にはまだ早いわ!」



 彼女の秘蔵図書である栄光の乙女文庫の世界を五月姫が知ってしまえば面倒になる。

 エスとはなんぞや?と聞かれても、上手くこたえられる自信がないし、興味を持たれてはもっと困る。



「大丈夫よ。わたしだってそのあたりは心得てるわ。次は、アンデルセンの翻訳本にするわね」



 安心安全な童話が出てきて、伊吹はほっと胸をなでおろした。

 何だかもう気分は年頃の娘を持った母親である。



「あと、伊吹!新しい着物が欲しいわ。紫陽花の着物と、扇柄の着物、真朱の源氏車に黄緑の鶴と空色の亀甲柄も持ってきて。今の四着だけじゃぜんぜん足りない」

「あのねえ!着物はあたしと共用って言ってるでしょ!扇柄は明日あたしが着るから駄目よっ」

「なによケチ!じゃあいいわ!有匡たちに言って用意させるから」

「なーに我儘言ってんのよ!ただ飯食らいの癖にっ!」

「ちょっと、伊吹、五月姫!」

「眠ってたのを起こしたのはそっちでしょ!がしゃどくろ出すわよ!?」

「馬鹿!そんなことしたら大騒ぎで、あたしたちどこにも住む場所無くなっちゃうわよ!」

「アタシは御師様と良門と離れてからずうっと一人だったもの!どこでだって一人でやってけるわよ!」

「勝手に一人になってんじゃないわよ!!あたしはねぇ、こうなったからには全力であんたの面倒見るつもりなの!放り出すつもりなんか無いんだから!」

「・・・っ!!!な・・何様のつもりよ!」

「家族よっ!!」



 伊吹の放った一言に、五月姫はぽかんと目を丸くした。



「か・・ぞく・・」

「そうよ。あんたはずうっと我が家にあったんだから、もう家族同然なの!家族は簡単には離れないのよ!」

「・・別々に暮らしてるけど・・?」

「そ、それは、あたしの長屋じゃ安全面とかいろいろと問題が・・でも、こうやってほぼ毎日顔合わせてるでしょ!文句ある!?」

「・・・紫陽花の着物と鶴の着物は譲らないから」

「・・分かったわよ・・」



 ふんっと顔をそむけて、一応の決着を迎えると、二人を見守っていた美紅がクスクス笑みを零した。



「禍付きの面倒を見る、なんて正気じゃないと思って心配してたけど、大丈夫みたいね。寂しいけれど、安心したわ。五月姫と伊吹も相性は良いみたいだし。だけど、一番の友の座はわたしのものよ」



 そろそろ行くわね、と席を立った美紅に、伊吹が壁掛け時計で時間を確かめる。


「お稽古に行くには早いんじゃないの?」



 いつもより15分ほど出発が早まっている。

 ラフィアのクロシェットを被った美紅が、プリーツスカートを翻して振り返った。



「いつも通りの時間に移動すると、面倒な人に会うのよ」

「・・・ああ・・なるほど・・」



 永尾家の女中と、兄、誠一を味方につけた緋継は、美紅の予定を完璧に把握しており、あちこちの教室に顔を出しては美紅をデートに連れ出している。


 黒猫屋の開店にも助力した緋継の信用は、永尾家の中でうなぎ上りで、美紅の父親は緋継からの縁談の申し込みを今か今かと待ちかねているらしい。


 美紅のほうも、父親や緋継の思惑に黙って乗るつもりは無いらしく、女中の目を盗んで逃亡したり、移動手段を変えたりと必死に抵抗を試みている。

 伊吹たち外野の意見としては、もう時間の問題だな、というのが総意だ。



「ええっと美紅、余計なお世話かもしれないけど、一度渡辺さんとちゃんとゆっくり話をしてみたらどう?」


 顔を合わせる度に逃亡を図ってばかりいる美紅と、緋継の逢瀬は、おおよそ一般的な男女交際からは程遠い。

 四星ソーダファウンテンで、ソーダ水を出してもらうなり一気飲みして、むせながらそのまま店から逃げ出した元町通のマドンナの話は伝説だ。

 緋継の方も、美紅の反応を面白がっている節があるので、この際きちんと膝を突き合わせるべきではないかと思う。



「他人の色恋に首を突っ込む奴は、馬に蹴られて死んじまえっていうでしょ」

「なーまーいーきー!!!」


 ふくふくの桃色のほっぺたをぐりぐりしてやりながら伊吹が眉間に皺を寄せた。


「話す事なんて何もないもの、加藤さんもう行くわ」

「お嬢様、もうすぐ迎えの女中が来ますよ!?」

「いいの、すぐそこで俥を・・っ!!」

「なるほど、この時間なら捕まえられるわけですね」



 パナマ帽と銀鼠の三つ揃えの背広姿の緋継が、梅雨空を背に店の入り口に姿を見せた。

 元町通を歩いていくご婦人たちの熱視線が一気に白猫屋に向けられる。

 一変した空気に、そのまま通り過ぎようとしていた異人夫婦も興味深そうに足を止めた。

 登場するたびに視線を攫う男である。

 こういうところが美紅の神経を逆なでするんだろうけど・・こればっかりはしょうがないもんね・・



「・・っ!」

「あ、美紅!」

 

 表の入り口は無理だと悟った美紅が、裏口に向かって駆け出した。

 元から運動神経は良いし、今日は洋装にサンダルの彼女はいつも以上に俊敏だ。

あっという間にカウンターの奥に見えなくなる。



「お騒がせして申し訳ありません。おや、五月姫は今日もこちらでしたか。ごきげんようレディ」

「緋継は追いかけっこが好きなのね」

「追いかけっこが好きなわけではありませんが、意中の相手を追いかけるのは得意なんですよ、では。失礼」



 優雅に腰を折って見せた緋継は、踵を返して店の入り口から外へ出た。

 美紅が使う逃走経路もきっと頭の中なのだろう。

 ふわりと妖力を含んだ風が吹いた。

 今日も忠犬チコは虚身してお供をしているようだ。



 先日、白猫屋にやって来た緋継が、コーヒーを飲みながら言っていた。

『たっぷりと水をやって綺麗に咲かせた花を、一番見頃の時期に手折って手元に飾るのが楽しいんですよ』


あれが美紅の事ではないようにと、それだけを祈っている。


「あれ・・・緋継は!?」



 入れ違いでドアを開けて入って来た燈馬が、店内をきょろきょろと見渡す。

 背広を脱いだ燈馬はシャツの腕を肘まで捲っていた。

 今日も上司である成伴にこき使われているようだ。



「燈馬さまっ!」

「おお、五月姫!ここに居たのか、お前白猫屋ほんと好きだよなぁ」

「渡辺さんは美紅を追いかけて出ていかれましたよ」

「入れ違いかー・・晩飯頼もうと思ってたのに」

「燈馬さま、燈馬さま!プリンとアイスクリーム!食べますか!?」


 憧れの人物の登場で、一気に色めき立った五月姫が、黄色い声を上げた。



「んー甘ったるいのはなー・・コーヒー貰おうかな。お、新聞も読めるようになったんだっけ?えらいなぁ!!」


 いそいそと隣の席を示した五月姫の頭を撫でて、燈馬がテーブルの上に置かれたままの新聞を見ながら腰を下ろした。

 褒められてご満悦の五月姫は、溶け始めたアイスクリームを大急ぎで口に運んでいく。

 これくらいあたしの前でも可愛げがあればいいのにっっ!



「コーヒーですね、おまちくださーい!燈馬さん、五月姫に我儘言わないように注意してくださいよ。ほんっとお姫様気質が全然抜けないんだから」

「まー五月姫だしなぁ」

「女房の一人も置かずに自分の事は自分でやってるわ!」

「・・ええそうですね!そうですよね!?」


 世が世なら、蝶よ花よと傅かれていた高貴な姫君である。

 だがしかし、今は大正!

 平安時代とは違うのだ。



「とにかく、あたしの着物を追加で届けるから、誰かに強請るのは駄目よ、絶対、いいわね!?」

「あ、伊吹嬢ちゃん、有匡が市村写真館にコーヒー届けてくれってさ。夕方まで現像室に籠るって言ってたぜ」

「わかりました!お夕飯、あたしで良ければ作りに行きますよ?ご希望あります?」

「オムライス!」

「五月姫には聞いてないのー」

「いや、オムライスがいいな、俺も」

「燈馬さま、一緒に食べましょう!」


 

 五月姫が倉橋邸で暮らし始めてから、夕飯には全員が顔を揃えることが増えた。

 凪も御菓子片手にちょくちょく顔を出す機会が増えて、食卓はいつも賑やかだ。

 飛び出した洋食は、贅沢品の卵をたっぷり使ったオムライス。

 御用聞きが定期的に食材を大量に届けてくれているので、材料には困らない。



「・・・オムライスですね・・卵・・あるか・・わかりました!仕事が終わったらお屋敷に伺いますね。五月姫、それ食べたら燈馬さんと一緒に帰りなさいよ」

「煩いわね!分かってるわよ!」

「すっかり馴染んだなー・・・」


  燈馬が美紅と同じような感想を口にした。






・・・・・・・・・・・





「さんざん憎まれ口聞いてたと思ったら、燈馬さんが来た途端、燈馬さまっ!って黄色い悲鳴ですよ!ほんっとにもう!!」

「念願叶ってやっと会えた思い人なんだろ?千年前の卜部季武ってそんなに燈馬に似てたのかな・・?」

「見た目も声もそのままらしいですよ、五月姫が言うには・・」

「へーえ・・死闘を繰り広げたっていうのはただの伝承なのかねぇ」

「確かに、髭切丸奪い返しに来て戦ったらしいですけど、五月姫があの見た目だったから、卜部季武は斬る事が出来なかったみたいです。女は斬れんって背を向けて去っていく後ろ姿まで素敵だったって・・これもうお風呂一緒に入るたび何回も聞かされてるんですけど!!しかも、うちのご先祖様の記憶は殆ど残って無いらしくって、お供の男?ああ、居た気がするわね、以上!ひどくないですか!?あんまりでしょう!?」

「ああ・・それ、かなり本人の主観入ってるもんね・・まあ、でも、碓井貞光にすごい怨念とか抱いてなくて良かったよ」

「それは・・まあ・・そうですけど・・扱いの差が・・」



 身柄預かりの間に、有匡が市村写真館の現像室を利用している事を聞いた。

 それ以来、コーヒーの出前注文の回数が増えて、伊吹はこうしてしょっちゅう配達を行っている。

 店主の市村は、有匡がコーヒーを頼むといつも奥に引っ込んでしまってあまり顔を見せない。

 そのくせ、伊吹が帰った後根掘り葉掘りいろんなことを聞いて来るらしい。

 有匡と伊吹が顔を合わせれば話題に上がるのは五月姫の事だ。

 他に相談できる場所もないので、有匡が居てくれて本当に有難い。




「五月姫さぁ、伊吹ちゃんがうちに来てるときは偉そうにして、あれこれ我儘言ってるけど、一人になると途端大人しくなるんだよ。心配して燈馬が琴音先生んとこ行く回数減らしてる位」

「え・・それは・・慣れてないからじゃ・・」

「玉藻前があれこれ構ってるけど、やっぱり、長い間側に居たのは伊吹ちゃんだって、頭のどっかでは理解してるんだと思う」

「・・・」

「伊吹ちゃんはさ、滝夜叉姫に助けてもらったって言ってたけど、あの子も、伊吹ちゃんに助けられてるよね?色々我儘言うのは、甘えてもいいって分かってるからだよ」

「・・・あたしが大人げないみたいですね・・」

「心配なら、やっぱりうちで一緒に暮らす?」

「五月姫だけでも十分面倒お掛けしてますから・・」



 さすがに風呂なし長屋はお姫様には厳しいだろうから、快適な住まいを提供してくれた有匡には感謝している。

 五月姫に何かあっても、伊吹には対処できないが、有匡達が側に居れば安心だ。



「・・・まあ、気が変わったらいつでも言ってよ。うち改装して住みやすくなったからさ」

「え、そうなんですか?」

「和室が欲しいって玉藻前と五月姫が言うからさ」

「す・・すみません・・・」

「いや、俺も畳ちょっと恋しかったしね。和室いいよー。足伸ばせるし」

「この間お邪魔した時にはまだ変わって無かったですよね?そんな急な工事って・・」

「そこはほら、式神の力を借りて、ぱぱっとね」


 

 なんとも便利な使役式神である。

 料理は無理でも、それ以外の事ならほぼ完ぺきにこなしてくれるのだ。


「さすが陰陽師・・まあ、和室なら、うちだって和室ですけどね・・」


 伊吹の言葉に有匡が思い切り頬を引き攣らせた。

 そりゃあ大雨降ったら雨漏りするけどさ!

 お値段重視のボロ長屋は耐震耐久性共に心もとないが仕方ない。



「住めば都って言葉あるでしょ?」

「あー・・うん・・・そうだね」


 さっきと全く変わらぬ口調で、視線だけを反らした有匡の反応に、伊吹がぴくりと眉を上げた。

 今ではこういう些細な表情の変化に気づくようになっていた。

 掴みどころのない人であることには変わりないが、前よりは少しだけ倉橋有匡という人を近くに感じられる。



「有匡さん・・・絶対無理って思ったでしょ」

「え!?いや・・あ・・あはは・・・」

「これでも健康に暮らしてますからご心配なく」

「夏はいいけど、野分とかどうするの?」

「去年も無事でしたし、今年も大丈夫ですよ」



 嵐が来たら、布団被って去るのを待つしかないのだ。


「ほんっと伊吹ちゃんって逞しいよね・・」

「それだけが自慢なんです」

「まあ、二百十日が近づいたら、天候見て、その時危なそうならうちにおいでね。あと、そうそう、この間新開地に五月姫連れて行ったんだよ」

「あ、聞きました!茨くんの舞台見せて貰ったんですよね!?すんごい喜んでましたよ!」

「うん。大興奮してたよ。ああいう娯楽って現世ならではだし、面白かったみたい。んで、茨が言ってたんだけどさ」



 ひな遊びや貝合わせ、歌詠み、蹴鞠、雅楽。

 娯楽が極端に少ない時代を生きていた五月姫にとって、新開地のごちゃまぜの娯楽は新鮮そのものだろう。

 西洋のオペラにクラシック。

 東洋の歌舞伎に浄瑠璃。

 それらを融合させた和製オペレッタなんてものまであるのだ。



「五月姫、舞台に立たせてみたらどうかって」

「え!?舞台・・って女優になるってことですか!?」

「鬼や妖怪って自己顕示欲が極端に強い生き物だから。拍手と喝さいがばんばん降ってくる舞台に一度立ったら楽しくて止められないって茨が言ってた。五月姫はあの通り見た目もいいし、本人もかなり興味がありそうだったからさ。試しに舞台稽古に付き合わせてみたらどうかって」

「・・・鬼と・・妖怪が・・立つ舞台」

「茨はとにかく殺陣が得意でね、舞台の端から端まで飛んで跳ねて動き回るから、なかなか相手役が務まる役者がいないんだって」

「なんか・・舞台が壊れないか心配なんですけど・・」

「そこはほら、人間歴長い茨がうまくやってくれると思うしさ。一度、稽古に連れて行ってもいいかな?」

「五月姫が行きたいって言うなら、それは勿論」



 倉橋五月、という新しい名前を与えて有匡たちの遠縁の娘ということで新しい現世での人生を生きることになった五月姫。


 今世では、ぜひとも復讐や怨念とは無縁の明るく楽しい日々を送って欲しい。


 彼女に何がしてあげられるのかは分からないけれど、元持ち主で、きっとこれから一生関わっていく今は大切な家族だ。


 それに何より、男兄弟しかいなかった伊吹にとって、初めての妹である。

 憎まれ口は腹が立つし、我儘に苛立ちもするけれど、やっぱり女の子は可愛いものだ。

 玉藻前が、おなごは良いのう、と繰り返していたのも納得できる。

 美紅のお下がりの着物を着せて、着せ替えごっこをするのも楽しいし、洋装の美紅と五月姫と連れ立って出かけるのも楽しい。


 平安時代には無かった新しい文化に触れて、大興奮する五月姫を見るたびに、これで良かったのだと自分を肯定できる。

 五月姫に役者が向いているかは謎だが、本人の意思なら尊重しようと伊吹は鷹揚に了承した。

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