『青春の終わりと、続き』

龍宝

「青春の終わりと、続き」




 興都府。同市の東区、表通り。


 昔ながらの面影をあちらこちらに残すこの地は、風光明媚な観光地としての顔と、地元民にしか分からない薄暗い裏側をあわせ持つ。


 他県から来た修学旅行生が、観光地巡りの最中にからまれるというのも、往々にしてある話である。


 ちょうど、市の東側外縁に沿って南北に流れる川の岸辺で、ひと組の女学生が足止めを食らっていた。


 〝とても親切な〟地元の大学生たちが、道案内をしてくれるというのだ。


 やっと教師の引率から解放されて、友人だけで回れるようになった矢先には、有難迷惑以外の何ものでもない。


 とはいえ、相手は体格も数も自分たちより勝る連中である。


 あまり強気にも出れないとあっては、しつこく言い寄る男たちをのらりくらりとかわし続ける他なかった。




「――迷惑やーうんが、見て分からんのけ。さっさと諦めてねや。恥ずかしい」




 いよいよ断り切れなくなった時、一同の不意をいて声が飛んだ。


 とっさに男たちが振り返る。


 肩口で短く切りそろえられた茶髪を片手で払って、学生鞄を担いだ少女が立っていた。




「何だァ、この辺の高校生か?」


「お前さ、誰だか知らねえけど、自分が何つったか分かってんのか?」




 男たちの興味は、すっかり新たに現れた少女に移ったようだった。


 修学旅行生を取り巻いていた陣形を解いて、少女に対峙する。


 大柄な男たちが〝すごん〟で見せたのを鼻で笑って、少女は一歩踏み出した。




「――これやから、大学生インテリは。〝もぐり〟の余所者よそもんが」




 少女の低い声には、男たちのそれなど比べものにならないほどの威圧が込められていた。




「あたしの顔も知らんような連中が、調子こいてこの街で〝いきっ〟とったら、痛い目見るで」


「はァ? 痛い目だァ? 何言ってんだ、こいつ?」


「そーゆーの、今時流行はやんねーっての」




 一番手前の男が、少女に近付き、肩でも小突いてやろうという気配を見せる。




「面白え、やれるもんならやってみ――」




 男の手が届くのはおろか、言い切る暇もなかった。


 鋭く右足を踏み込んだ少女が、持っていた鞄で思い切り殴り付けたのだ。


 遠心力の乗った一撃は、いっそ鮮やかなほど男の頭蓋をしたたかに打ち揺らした。






吉祥学園キッショー梅野うめのかおりがっ、お前らアホにねっちゅうたんや‼ 分かったかボケ――‼」




「お、おいタクヤ……⁉」




 にぶい音が立ったとほぼ同時、男が顔面から地面に倒れ伏した。


 数秒待っても、尻を突き出すような姿勢のまま、男が起き上がってくる気配はない。




「て、てめえ……⁉」


「どこの大学もんか知らんけどっ、見苦しい真似しくさりよって――!」




 手近なひとりに狙いを付けて、かおりは右腕を振りかぶった。




「あたしが、梅野かおりや! 覚えとけ――!」




 あごを狙った一打に、仲間が吹っ飛ばされた。


 怒声が上がる。


 仲間をやられて引き下がれない程度には、面子メンツを気にするらしい。


 六対一。


 ひとりは立ち上がる気配もなく、もうひとりは堤防から川まで転げ落ちていった。


 残りの四人が、勢いのまま向かってくる。


 大の男に囲まれれば、喧嘩ケンカ慣れしたかおりといえども危ういところだが、向こうはそれほど経験がないのか、衆を頼んでいる割りに、かおりひとりを追い込めないでいた。




「こんのガキ……!」




 繰り出される男たちの手足を打ち払い、またかわし続けていたかおりの背後で、いきなり怒声が上がった。


 腰の辺りに衝撃を受けて、思わず前のめりになる。


 先ほど川まで落ちたひとりが、回り込んで戻ってきたようだった。


 体勢を崩したかおりに、好機とばかり男たちの悪意が殺到する。




「――うっらあああァァァァ……‼」




 今にもかおりを殴り付けようとしていた正面の男が、真横に吹っ飛んでいった。




「大丈夫け、うめやん⁉」


「やっちょん! えらい早かったな!」




 かおりよりも小柄な少女が、男がいたところに着地した。


 たった今走ってきた勢いのまま飛び蹴りをかました、〝やっちょん〟こと嘉島かしま八千代やちよである。


 身体に遅れて、自慢のサイドテールがまだ揺れていた。




「レジめっちゃ混んでたけど、店員の姉ちゃんが、こっちどうぞ言うてくれたんや。うち、あの姉ちゃんっきゃわ。……ほんで、うちがブレスコでコロッケ買っとる間に、なんでこんなことになってるん? 梅やん、今日機嫌悪かった?」


「あほ。あたしが始めたんちゃうわ。そこの子らが絡まれとったから――」


「そこって……誰もおらんけど」




 首を傾げる八千代の肩越しに、かおりものぞき込む。


 先ほどまでペンギンのように固まっていた修学旅行生の姿は、どれだけ見渡してもまるで見当たらなかった。




「……あたしって逃げるか、普通?」


「梅やんかわいそ。せや、後でコロッケ半分あげるわ」


「おい! いつまでふざけた――」




 八千代の後ろに立っていた男が、怒声を上げるや否や、革靴を見舞われた。


 強烈な回し蹴りが、顎に食いこむ。




「はよ行かんと玉将も混んでまうやろし、さっさと片付けよ」


「やっちょん、まだ食う気なん? 今日は行かへんのやと思てたわ」


「これは別腹やん!」




 ふたりが揃った以上、男たちなどものの数ではなかった。


 あっという間に河原に打ち上げられたアザラシのようになった大学生たちを放って、ふたりは行きつけの中華飯店に足を向ける。



 約束通り、スーパーマーケット・ブレスコ河端店で買ってきた惣菜をしながら信号を待っている間に、かおりは思い出して背中を払った。




「きれいなった?」


「んー、うん。大丈夫」


「ったく、あんな〝なよなよ〟した連中に蹴り入れられるなんて、あたしもとしかね」


「梅やん、まだまだ動けてたって」


「まァ、うてもあたし無敵やからな。……でもなァ、いつまでも〝ツッパッ〟てたってしゃーないしな」




 鞄を担ぎ直して前を向いたかおりに、隣の八千代がどんな表情をしているのかは、見えなかった。




「もちろん、やっちょんとこうしてんのは、好きやけどな」


「……うん」




 普段はあほみたいにさわいでいる八千代が、大人しい。


 それも、今に始まったことではなかった。


 高校最後の秋が去り、冬が訪れてからは、ふたりの間にこうした空気が流れるのも、日常のことになっている。


 卒業。


 高校生活が終われば、今までのふたりではいられなくなるかもしれない。


 そうした漠然とした恐怖が、八千代の口を重くしているのだろう、とかおりは思っていた。


 かおりにしても、自分たちならそうはならない、と確信する一方で、そうなった先輩たちの話を聞くにつれ、八千代の気持ちも分からないではなくなってきている。



 中華飯店・玉将に着いた。


 いつもの席に座り、いつもの注文をする。


 店員も、とっくに顔見知りである。


 しばらく、ふたりとも黙っていた。


 テーブルのすみに置いてあるピッチャーの水だけが減っていく中で、かおりは卒業後の進路について、切り出そうかどうか、ずっと考えていた。


 実家は、出る。


 それは、八千代も考えているだろう。


 ふたりとも、家庭環境の程度でいえば、似たようなものだった。


 家にも学校にも居場所がないから、お互いがお互いのりどころになっていた、と思う時もある。



 しばらくして、注文した料理が運ばれてきた。


 ほぼ同時に、新しい客がわっと入ってきて、すぐに満席になる。


 一気に騒がしくなった店内に、八千代がびくりとした。




「――いやァ、やっぱ劇場は何遍なんべん来てもええもんやね」


「ほんまほんま。あんな笑ったんも久しぶりや」




 ふたりの間に会話がないために、入ってきた客の声も、ほとんどさえぎられることなく聞こえてくる。


 気付けば、劇場の公演が終わる時間になっていたらしい。


 近くに、お笑い芸人が舞台に立つ劇場があるのは、市の人間ならよく知っていることだった。


 かおりも、学校を抜け出して八千代と何度か足を運んだことがある。




「――梅やんっ」




 不意に、八千代がはじかれたように顔を上げた。


 その勢いに驚かされるも、真剣みをびた両眼に、かおりはゆっくりとはしを置いた。








「――芸人、ならへん?」








 あほか、と一蹴するのは、容易かった。


 いつもの会話のように、冗談だろうと。


 だが、自分が最も信頼する幼馴染が、期待と不安をいっぱいににじませた声でしぼり出したひと言を、ぞんざいにはできなかった。


 かおりが見つめる中、八千代が続ける。




「うち、梅やんとは、ずっと一緒におるもんやと思ってた。小学校から、ずっと一緒におったから。でも、卒業して、会わんくなった先輩らの話聞いてたら、もしかして、ちゃうんちゃうかって。こういう毎日が、当たり前じゃなくなって、いつか、離れ離れになる日が来るかもしれんって思ったら、怖くなってもうて」


「やっちょん」


「うち、梅やんと離れたくない。これから先も、ふたりでずっと一緒におりたい」




 八千代が、身を乗り出した。




「最初は、めっちゃ大変かもしれへん。全然売れへんで、めっちゃひもじい生活んなるかもしれん。でも、それでも、うちは梅やんと芸人になりたい。一緒に、お笑いやりたい」


「やっちょん。あたしも、やっちょんとは離れたないって思ってた。分かる、分かるで。でも、何で芸人なん? それ以外にも、道は――」



「――梅やんと、死ぬまで笑ってたいから。学校抜け出して見に行った劇場の思い出を、思い出で終わらせたくない。みんな苦労してはっても、幸せそうやった。あの時、うちも梅やんとこうなれる未来があるんやって、そう思ってん。同じ舞台に立って、同じ夢を見たい。ふたりで一緒にあほなことやって、一緒に笑って、今も昔も、これがうちの大切な相方ですって、言いたいやんか」






 八千代が、照れくさそうに微笑ほほえんだ。


 その表情を見て、かおりは腹をくくった。


 今も昔も、自分の半身のような相棒がそう決めたのなら、それでいいではないか、と思った。


 子供のころから、いつも八千代に引っ張られてここまで生きてきたのだ。






「分かった。あたしの人生、やっちょんに預けるわ」



「うちも、梅やんにあげるから、ふたりで半分こしよ」






 久しぶりに、八千代がいつも浮かべる笑顔を見たな、とかおりは思った。

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『青春の終わりと、続き』 龍宝 @longbao

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ