第八話『神獣の処女―おとめ―』

 聖書より古の神代――聖なる肥沃の大地に君臨する神への捧げ物として、深淵の森へ送られた一人の処女おとめはいた。


 『ウトゥナ』は、天涯孤独な少女だった。

 両親は、彼女がたった一歳だった頃に不幸な事故で儚くなった。

 『中規模城塞都市ウル』にある聖娼院の孤児として、ウトゥナは聖娼と他の孤児と共に生まれ育った。


 しかし、生まれた時から、ウトゥナはほとんどのウル市民から


 街中では、誰もウトゥナと目を合わせて口を利かなかった。

 ウトゥナを見かけた市民は、口を揃えて「悪魔の国の子ども」と呟き、穢らわしそうに睨んだ。

 同じ聖娼院の孤児からも、"密告者スパイ"だと蔑まれ、いじめられた。

 理由は、昔からウルと激しく敵対するニップル出身の両親から生まれたからだ。

 余所者の血を引くウトゥナへの風当たりは、酷だった。

 しかし、ウトゥナは独りではあったが、"孤独ではなかった"。

 ウトゥナは読み書きも手作業も不出来で、他人の嘘や悪意を見抜く利口さはなかったが、"自然の言葉"を


 「お空が泣いて怒っている」

 「太陽が頑張れって張り切っている」

 「仔獅子こライオンはママに会いたがっている」

 「花は熱くて喉が渇いている」


 ウトゥナは、天候から動植物、大地まで、自然に宿る魂と神の声を聞き取れた。

 ウトゥナの特殊能力は、神から賜りし聖なる力によるものだった。

 しかし、ウル市民は、一層彼女を不気味がった。

 それでも、ウトゥナには自然の中にたくさんの"友達"がいたため、関係なかった。

 ウトゥナは、人間よりも聖なる自然、無垢なる命と心を通わすことに、喜びを見出していた。

 しかし、ウトゥナが十四歳の誕生日を迎えた年――。


 「おめでとう、ウトゥナ。"今年の捧げ物"として、お前は選ばれた――」


 ウルは、都市から離れた荒野に忽然と茂る『深淵の森』棲む、聖なる神霊『エルキドゥナル』を祀っていた。

 ウルは、灼熱の日照りに渇いた土地に人口不足、強国に挟まれた中小国で、とりわけ厳しい環境にあった。

 ウルは、国の豊穣と繁栄を願って毎年、エルキドゥナルへ『純潔の処女』を数人捧げてきた。

 しかし皮肉にも、男を知らぬ麗若い女達を十年にも渡って捧げ続けたのが、一因となったのか。

 ウルの街には、新たな子孫を産める若い女子は、数えるほどしか残っていなかった。

 本末転倒な苦肉の策に固執した末、唯一純潔の女子はウトゥナしか残っていなかった。


 本来ならば、ウル市民ではない血を継ぐ孤児は、生贄に不適格。

 しかし、「余所者の孤児を保護し育ててやったウルの慈悲と善行の象徴」という解釈を以って、正当化された。

 かくして、ウトゥナはみそぎと祈りの儀式を経て、凍夜の地に鬱蒼と茂る深淵の森へ、生贄として置いていかれた。

 生贄の処女はことによって一体となり、ウルの地へ豊穣の恵みを授けると伝承された。


 神聖な深淵の森へ足を踏み入れた者は、二度と生きて出られない。


 今回の生贄に、余所者のウトゥナを捧げたのは、賭けに等しい初めての試みだった。

 しかし、ウルへ予想を超える成果は還ってきた。

 この二十五年間、長らく不作と人手不足に悩まされていたウルの都市は、養分を得た花のように咲き潤った。

 畑と樹々には、新鮮な作物や果実がたわわに実り咲き、家畜は乳や卵、仔をたくさん産んだ。

 ウルの女達は、若者から老人問わず子宝を授かり、街は再び子ども達の産声と笑顔に溢れた。

 昨年までは、多くの処女を捧げても芳しい変化のなかったウルも、かつての活気を取り戻し、ようやく報われたと信じた。


 しかし、それから二年後――ウル市民は、世にも"おぞましい光景"を目撃した。


 「大変だ! 何故、!?」

 「やはり、あの娘は悪魔の子だった! 我々を騙していたのだ!」

 「二十五年間、いくら生贄を捧げてもエルキドゥナル神の力が及ばなかったのも、悪魔の呪いに違いない」

 「ウトゥナが去ってから、ウルに活気が戻った! 間違いない!」

 「ウトゥナの腹は膨れ、"悪魔の獣"と共に聖なる地を闊歩していた!」


 黄金野原にいたウルの狩人達は、巨樹のような異形の獣に付き添うウトゥナの姿を、偶然見かけた。

 二年ぶりに見たウトゥナは、人間離れした美しい少女へ成長していた。


 「アレは鋭い角に獣のような牙と爪、凄まじい巨体! 冥界地獄の怪物のごとく、恐ろしい形相だった!」

 「ウトゥナは悪魔の娘! 悪魔を崇拝する異端! 罪深くも悪魔の忌子を孕んでいる!」


 本来は、生贄としてエルキドゥナルに食われるはずのウトゥナ。

 悪魔のような獣と共に、神聖な森と大地を歩く彼女の姿に、ウルの人々は恐れ慄いた。

 悪魔とその娘は聖域を穢し、主のエルキドゥナル神を支配している――。

 そう思い込んだウル市民の報告を聞き、ウルの王は深淵の森へ兵隊を遣わせた。

 ウル兵はと称して森へ火を放ち、立ちはだかる動物達を次々と殺し、緑と大地を血で染めた。

 ウトゥナも、ウル兵の襲撃の中で命を落とした。

 最愛の少女と胎内の我が子を奪われた神獣は、嘆き悲しんだ。


 「     ――――!」


 森の最奥聖域にいた異形の獣へウル兵は、一心不乱に刃の雨を撃ち放った。


 悪魔と呼び畏れるその異形こそが、自分達の崇めてきた豊穣神エルキドゥナルだとは夢にも思わず。


 聖なる森で破壊と殺戮の限りを尽くし、神の憤りに触れたウルは、エルキドゥナルの神罰によって滅んだ……。


 赤褐色に染まった天空と大地には、悲憤の咆哮が木霊する冥界へと変わり果てた。


 *


 「ウトゥナと子どもを殺され、深淵の森と動物を破壊された憤りに燃えたエルキドゥナル神の咆哮は……嵐となって森一帯ごと全ウル兵を木っ端微塵にし、大地は真紅に染まった」

 「棲処を失ったエルキドゥナルは、憎しみの赴くままにウルの街を破壊し、ウル市民を八つ裂き噛み殺し、たった一夜にしてウルを血の海へ沈め滅した……」


 少女ウトゥナと神霊エルキドゥナルの物語は、幕を閉じた――。


 神谷霧華の紡ぐ言葉の一つ一つは、久遠の神の大地と古代人の味わった空気と戦慄、ウトゥナとエルキドゥナルの悲恋を差し迫る窒息感を伴いながら、美琴達を圧倒した。

 少女と神獣の生木を裂くような最期を知った美琴と九十九は、切ない鼓動を皮膚越しに抱いて涙を流した。


 「エルキドゥナルは……どうなったんですか」

 「全ての力を解放したエルキドゥナルは、力尽きたわ……獣の肉体は土へ還り、魂は神なる"亡霊"となってバビロニアの地を彷徨い続けた。喪った愛する少女ウトゥナの魂を求めて――永遠に」


 神でありながら人間の少女を愛し、少女は人間の身で神に愛された。

 聖なる森で、無垢なる自然と命を抱きしめる幸福に満ち足りていた双方を、身勝手な人間の恐怖と思い込み、弱さは引き裂いた。

 皮肉にも、自分達を守るために神の怒りに触れ、死と破壊の神罰によって自滅した。

 救いようのない……やるせない最期だ。

 ウトゥナの純粋無垢な心と自然愛、人間の中での疎外と孤独は、自分の娘と多く重なる点が多く、美琴の胸へ切なく突き刺さる。

 エルキドゥナルが命花に惹かれた理由も、そこかもしれない。

 しかし、それ以上に美琴が最も気がかりなことは……。


 「エルキドゥナルは、命花をどうするつもりでしょうか……」


 エルキドゥナルに囚われている命花の行く末だ。

 淡い期待を胸に秘めて問う美琴の心中を察してか、霧華は溜息を吐いてから……美琴に一つのを告げた。


 「ああ、あなたの娘さん……天野命花ね……こう言えば理解るかしら? 彼女、"身籠もっている"のでしょう?」

 「まさか。あれは、命花の願望で……」


 霧華の台詞を耳にした美琴の脳裏に蘇る光景。

 屈託ない笑顔で妊娠を告げる命花。

 膨らみを帯びていくお腹を愛しそうに撫でる手。

 不老不死の使徒である霧華の素性やエルキドゥナル神の起源、少女ウトゥナとの悲しき運命。

 物語を信じて耳を傾けていた美琴だが、「我が娘の妊娠」については嘘だと思いたかった。

 よりによって、人間ですらない怪異の存在との間に――霧華の口からはっきり否定される期待を捨て切れない美琴は、動揺を誤魔化そうとする。


 「いいえ。……彼女の中に宿るもう一つの鼓動をね……南雲さんも触れて感じたでしょう? 胎動を……」

 「それは――」

 「っ――何かの間違いではありませんか? 何故、あなたに分かるんですかっ」


 霧華は妖艶な笑みを咲かせながら、美琴の希望を挫く台詞を零す。

 またしても、自分の行動と認識を言い当てた霧華に驚きを隠せない南雲の表情は、彼女の言葉を肯定する。

 一方、美琴は事実として受け入れ難い娘の妊娠、それを霧華が知る根拠を求めた。


 「当たり前でしょう? エルキドゥナルを召喚するための依代として「天野命花」へのも、なのだから――」


 霧華から冷然と告げられた驚愕の真相に、美琴達は言葉を失った。


 「エルキドゥナルもウトゥナの魂も、召喚者である私と繋がっている。だから見えるのよ……彼らの見ている景色も、彼らの感じている全ても……ふふふふふ……」


 かつてのメソポタミアの地から、遥か遠い和国へ降臨したエルキドゥナルは、何故命花を選び取り憑いたのか。

 ウトゥナとの悲愛を耳にした後も腑に落ちなかった謎は、全て氷解した。

 今年で十九歳を迎える命花。

 霧華が召喚したエルキドゥナルの返り討ちに遭い、外界へ解き放ってしまったのも"十九年前"で、時系列も一致する。

 隣で真相を耳にした九十九も、好奇心と懸念のないまぜになった複雑な眼差しで、霧華を見据える。


 「私はどうしたらいいの……? 娘を取り戻したい……娘が、また"普通の幸せ"を送れるように、してあげたい……っ」


 神谷霧華の言葉は、全て彼女の妄想や仮想話ではないのならば。

 エルキドゥナル、と引き裂かされていたウトゥナの生まれ変わりである命花の双方は、一緒にいることが幸せなのだろう。


 けれど、神なる霊との「異類婚姻」に人間と怪異の混血児、彼らのみで完結された狭き深淵の世界で、先見えぬ生を歩む――。


 果たして、娘のためになるのか。

 少なくとも、母親として美琴はそう思えない。

 切実な声で娘への想いを涙に零す美琴へ、南雲はハンカチを差し出し、霧華は納得の微笑みを浮かべていた。


 「天野美琴さん……あなたがどれほど娘さんを想っているのか、よく分かりました。あなたに''コレ"を託します」


 美琴の意志と覚悟は霧華に伝わったらしい。

 霧華は命花の救出に役立つ何かを渡そうとしているのは分かったが、美琴達一同は思わず疑いの眼差しを向ける。

 ほとんどの私物を没収される厳格な管理体制の閉鎖病棟では、患者の場合病衣と下着、スリッパしか着用と持参を許されない。

 霧華が美琴に渡したいモノは何か、そして看護師すら気付けない隠し場所はどこなのか純粋に気になったが、意外な場所にあった。


 霧華は天井へ向けると、赤い唇で知らない言葉の呪文を短く唱えた。

 すると、露になった白い皮膚下にある気道は、ボコリっと小さく蠢いた。

 異様な光景に、美琴達が思わず固唾を呑んで凍りついていると、霧華の口から何か出てきた。

 小さな石のようなソレは、淡い光を纏いながら天井に浮かび、霧華の骨ばった手のひらへ舞い降りた。


 「あの……これは一体?」


 そのまま霧華が美琴へ差し出してきたのは、おはじきのような丸から光輪を象るとげを生やした青い石が半分に割れたモノだった。

 形状から見るに、太陽もしくは花を模り、海のような透明感に煌めく美しい青色だ。

 見覚えのある不思議な石に、美琴は困惑の眼差しで霧華に問う。


 「エルキドゥナルが持っていたとされる、瑠璃石ラピスラズリのカケラよ。コレに火を灯し、エルキドゥナルへ投げつける。そしたら、依代を失った神霊は、この世から消滅し、あなたの娘さんも解放される」


 先の読めない今後を案ずる美琴を、澄んだ瞳に映した霧華は、柔らかに告げた。

 正直な気持ち、霧華の正体も命花の囚われている怪物と少女に纏わる話について、頭は理解したが心は追いついていない。

 霧華を信用してもいいのか、彼女の助言に従えば命花を救えるのか確証はない。

 それでも――。


 「分かりました。やってみます……ありがとうございます、霧華さん」


 唯一の活路を見出せた美琴は、霧華へ頭を下げて感謝を述べた。

 世にも信じ難い超自然現象を、幾つも目の当たりにした美琴は、否が応でも現実を認める他なかった。

 精神疾患では説明し難い、命花のエルキドゥナルに対する強い思い入れと愛情、苦しみも、彼女の"真実"として受け入れる。


 命花を救うためにも……。


 「私からもお礼を言いたい。今までになく、興味深い話を聞けて楽しかった」

 「私からもご協力に感謝致します」


 美琴を歯切りに、九十九教授から小町警察官、続いて南雲と佐藤も霧華へ頭を下げて感謝を述べた。


 「私の方こそ、あなた達に感謝するわ…………」


 赤い唇に笑みを浮かべた霧華も、穏やかにお礼を呟いた。

 具体的には、何に対しての感謝なのか不明なまま。

 美琴達を待ち受ける未来を見透かす微笑み。

 人を励ます巫女のように優しくも、どこか翻弄される人々に愉悦する魔女のように艶やかで。


 *


 エルゥだけが全てだった――。


 『命花ウトゥナ……こうして、君と顔を合わせて、言葉を交わせるなんて――』


 命花が十五歳の誕生日を迎えた年のこと――。

 昨年、怖くて嫌なことがあった中学校を不登校になり、ずっと自室の"森の中"へひきこもっていた。


 あんな怖くて、残酷で、分からないことだらけで、戸惑う自分を嘲笑と罵声でしか迎えてくれない世界で、私の命と同じくらい大切な瑠璃石のペンダント――私とエルゥを繋げる宝物すら失いかけた。

 もう、二度とあんな思いだけはしたくなかった。

 また傷ついて失いかけるくらいなら、何処へも行けなくていい。

 あまりにも怖くて不安で、ママとも話せなくて、ただ毛布を被って泣いて息を潜めていた。

 何もかもダメだった私へ、ずっと寄り添ってくれたのは、『エルゥ』だけだった。


 『大丈夫。命花は何も悪くない。何も心配いらないよ』


 心臓や皮膚の一部と同じで、決して切り離せる存在じゃなかった。


 『何があっても、だけは君の味方だから……』


 私が嬉しくて笑う時も、不安では迷う時も、怒って黙り込む時も、悲しくて泣く時も。

 エルゥは、ただ傍で微笑みながら、ずっと抱きしめてくれた。


 『今まで、ただ傍にいることしかできなくて、ごめんね……でも、これからはずっと命花を守るから』


 そんなことない。エルゥが謝ることなんてない。

 私が学校で嫌がらせをされている間、何とかしたくても手出しできないエルゥのもどかしさや焦燥も。

 私が傷ついたのと同じくらい、エルゥも胸を痛めていたのも全て、気配で感じ取れたから。

 でも、エルゥの優しい言葉もぬくもりも嬉しくてたまらなかったから、ますます涙が止まらなくて。

 それでも、エルゥは変わらず微笑んでくれた。


 不登校になってから、本来は高校へ進学する年を迎えるまでの間。

 エルゥと二人きりで過ごす安らかな時間、段々と鮮明に迫ってきた『夢』を通じて、私は少しずつ思い出した。


 夕闇から漂う焦げついた臭いも。

 茜色に燃え盛る炎も。

 皮膚に灼けつく凄まじい熱気も。

 邪悪な意思ある生き物のように迫り来る紅炎に焼かれ、黒い煙に昏倒し、黒鉄の矢に穿たれる尋常ならぬ痛みも。

 悲痛な断末魔を叫びながら、みるみる命を散らす動物と緑達ともだちも。

 心臓と四肢を引き千切られるような、深い悲しみと失意も。

 朧へ沈む意識の中、生温かく濡れた頬へ零れ溶けてゆく、力強いぬくもりと涙の熱さを――。


 『ずっと、逢いたくてたまらなかった――』


 愚鈍で馬鹿だと言われる私でも、直ぐに理解できた。

 エルゥの歓喜に満ちた笑顔と、悲しそうな涙の意味を。


 『もう、離したくない……』


 慈愛と智性に溢れた微笑み、天使の美しさに秘めた獣のように、無垢な激しさを。


 『ずっと、君を"愛している"――』


 互いの心臓を灼き焦がすような幸福の痛み、狂おしい感情愛しさを――。


 『エルゥ……私も大好き……』


 だって、あなただけは違っていたから。

 変わった娘、頭がおかしい、オタク、鈍臭いと呼んで軽蔑してくる無邪気で、無神経で、狡猾で残酷な周囲の人達とは。

 あなただけは、私と同じ世界を"美しい"と共有して見てくれた。

 私の描いた絵が好きだと、褒めてくれた。


 私を"愛してくれた"――。


 誰よりも無垢で優しいあなたに、私はをした――愛してしまった――。


 だから、"天罰"が当たったの……?

 心優しいエルゥに、人を傷つけさせてしまったのも。

 私を守りたいがために、あの温かい手を血で汚させてしまったのも。

 比べられないくらい大切な"優しい人達"に、分かってもらえないもどかしさ、失望されてしまった悲しさも。

 私の胎内を圧迫し、貪り尽くす苦痛試練も――。


 「――め――か……めい、か――……っ」


 ああ、だから、ごめんなさい。

 私がまだ弱かっただけに、またしても、優しいあなたに手を出せてしまって。

 でも、あなたと一緒なら、大丈夫。

 たとえ、今までの全てを失うことになっても――。

 この先も、量り知れない苦痛と困難に見舞われても、私はあなたと乗り越えてみせる。


 やっと授かった大切な――今度こそ産み育み、守り愛おしむことの叶う――エルゥとのかけがえのない『新たな命』を、この腕で一緒に抱いてあげられるのならば――。


 *


 まさに、奇妙なぬくもりの夜だった。

 馴染んだはずの道は真夏の息苦しさに湿め渡り、真冬の凍り付く空気は充満し、自然と足取りは重くなる。

 目には見えずとも、皮膚を聖なる不吉感を、他人も感じ取っているのか。

 道周辺の住宅は、空き家のように灯りと人の気配が消え、道路を闊歩するのは、自分達しかいない。

 不気味で厳かな夜に閑散とした住宅街の理由と元凶を、自分達だけは知っている。


 「なに……これ……っ」

 「何か見えましたか?」


 瑠璃山精神科病院を後にした、美琴・九十九教授・南雲・佐藤・小町警察官一同は、再び天野邸の前に立っていた。

 久しぶりに感じる我が家へ帰って来た所で、美琴はようやく違和感の正体に気付いた。


 「花が……まさか、これもあの」

 「エルゥの仕業ね……」


 天野邸の周りは、彩りの野花と花樹の群れに咲き満ちていた。

 しかし、美琴は中庭に花木を植えた覚えはなく、中には季節外れの花も混じっていた。

 帰宅する道中、瑠璃唐市の象徴である瑠璃唐草は、不自然に枯れ朽ちていた。

 まるで、"養分を吸い取られた"ように。

 側から見れば、花満ちる立派な中庭の邸宅だが、元々霊感の類を持たない美琴でも皮膚で感じ取れた。

 今の我が家は、以前にはない異様なおぞましい空気に充満している様子に。


 扉の向こう側へ踏み入れたが最後、二度と生きて帰ってこられない――そう危惧させるほどの恐怖は、冷や汗と共に湧き上がる。


 「皆さん……こんなことになってしまったけれど……娘の命花のために、こんな可笑しな話を信じて、力になってくれて……本当にありがとう……」

 「天野おばさん……?」


 すっかり空気の変貌した自宅の扉へ、手を伸ばした所で止めた美琴は、しおらしく零した。

 今にも闇へ消え入りそうなか細い背中を向ける美琴を、佐藤は不安げに見つめる。


 「だから、ここから先は……」

 「私一人で行く、なんて水臭いですよ美琴さん」

 「南雲君――っ」


 扉のノブにかけていた美琴の手に、南雲の無骨で温かな手は重なる。

 驚きで振り返った美琴は、眉を下げて微笑む南雲と目が合った。

 呆れと少しの寂しさを混ぜた、包み込むような優しい眼差しだ。

 この先に待ち受ける危険、それを配慮した美琴の気持ちを見透かしていた。


 「私にとって美琴さんも娘の命花ちゃんも、ただの恩師の知り合いではなく……私にとって大切で、失いたくない人達です。だから、あなた一人で行かせることはありません。一緒に命花ちゃんを助けたい」

 「僕だって同じです。命花と出逢って未だ日は浅いけど、これだけはいえます。もし、このまま命花が戻ってこなければ……僕の大学生活もこの先の未来も、ひどくつまらなく色褪せたものになります。僕も行きます」


 南雲の真摯な台詞へ心引き寄せられたように、佐藤も抑えていた想いを吐露した。

 二人の覚悟を歯切りに、後ろで控えていた小町と九十九も名乗り出た。


 「私も最初から、天野さんと一緒に突入するつもりでした。一般市民の身の安全を保障するのも、警察官の仕事です」

 「私もしがない教授ですが、神秘の知識で何かしら役には立てるでしょう。それに、霧華さんが呼んだ本物の神エルキドゥナルを、この目でみたいのです」


 命花の救出に同行する、と告げた四人の強い意思と優しさに、美琴は改めて感謝を伝えずにはいられなかった。


 「皆さん……本当にありがとう、ございます……っ」


 たった一人で、霧華に教えられた手順通りに神霊を祓い、生きて命花を連れ戻せるのか。

 微かな震えの止まらない手足は美琴の不安を語っていた。

 しかし、四人も心強い仲間に手を差し伸べられた途端、震えは自然と止まった。


 待っていて……命花。


 *


 こんにちは――……。


 少女の澄んだ眼差しは、柔らかく囁いた気がした。

 私は、と出逢った。

 生まれて初めて、まともに瞳へ映した人間。

 羊のように、おっとりした心柔らかさ。

 仔獅子のように、無垢な瞳の煌めき。

 鳥のように、自由で伸びやか。

 花のように、可憐で愛らしい――。


 『ウトゥナ』は、純粋無垢で美しい魂、と自然への慈愛を宿した少女だった。

 ウトゥナと出逢うまでの私は、『深淵の森』を棲家にこの大地と生命を百年間守護してきた。

 神の庭を彩る自然と無垢なる生命を守り、人間達の豊穣を支える神として――。

 しかし私自身、人間を積極的に憎みはしないこそすれ、喜んで加護を与えている気持ちもなかった。

 私を祀っていた国の一つ「ウル」はさらなる加護を欲し、二十五年前から処女を生贄として贈り始めた。

 深淵の森へ踏み入れた生贄の少女達や、森へ迷い込んだ人間は皆、私を恐れた。


 "真なる私の姿"を見た者は、私を「化け物」、「悪魔」、「怪物」と呼んで忌み嫌った。

 恐怖で背を向けた者達は、石や矢を投げてきた者、自然と友を傷つけた者は森と猛獣の血肉の糧となり、時に私自ら"血の制裁"を与えた。

 天空神エルから、神としての命を授かってから百年間――。

 私の瞳と記憶に刻まれた人間は皆、"そんな風"で、何一つ"変わらなかった"。

 でも――。


 「おいで……きれいなひとみの子。わたしは、ウトゥナ……あなたのおなまえは?」


 ウトゥナだけは、本当の私を見ても逃げなかった。

 恐れ慄いてすらおらず、ごく自然に私へ語りかけてくれた。

 太陽の恵みを欲する野花へ向けるような温かい微笑み、無垢なる獣の仔を見つめるような優しい眼差しだった。

 私の瞳を「綺麗だ」と言った。

 ウトゥナの純粋な心を感じ取ったのは、森の生命達も同じで、彼女を歓迎していた。


 「える……きどぅ、なる……? あなたのなまえなのね……よろしくね、……」


 エルキドゥナル私の名前をちゃんと呼んでくれたのはウトゥナだけだった。

 舌足らずな口調で話すウトゥナは、親しみを込めて私を「エルゥ」と呼んだ。


 「おっきくて、ぐるぐるしていてかわいいね……エルゥ」


 岩石や樹木すら打ち砕く角の滑らかさを、手のひらで撫でてくれた。

 悪魔の角と呼び憚られた渦巻きの角を、「可愛い」と愛でてくれた。


 「きのみがこんなにもいっぱい! うれしい! エルゥっ」


 私の鋭く硬い爪で掘り出し、木の枝からもぎ取った木の実や果実を与えると、ウトゥナの空腹と笑顔を満たしてあげられた。

 自然と生き物を守る代わりに、神罰と称して傷つけ葬った人間の血で穢れた私の爪で。


 「おいしいね、エルゥ。あはは、ついてるよ?」


 罪の概念も分からない少女の血肉を食らってきたおぞましい私の牙へ、ウトゥナは何の迷いもなく触れた。

 果汁や魚の脂で汚れた私の牙と口元を、無垢な指先や唇で綺麗にしてくれた。


 「エルゥはあったくて、ふさふさで、きもちいい……」


 静謐の夜を迎えた森で、人間のウトゥナが凍えてしまわないように彼女を抱きしめた。

 すると、ウトゥナは母親に甘える赤子のように胸へ顔を埋め、可憐な両手でぎゅっと抱きしめ返してくれた。

 獣のように汚らわしい草の悪魔みたいに醜い、と一部の人間に厭われた毛むくじゃらな肉体の私を、ウトゥナだけは--。


 「エルゥ……だいすきよ……ウトゥナとずっといっしょにいてね……」


 ウトゥナだけが愛してくれた……。

 私に生命と天命を与え、見守ってくれた神の愛とは異なった。

 胸の辺りは、太陽のように優しくも力強い熱さを帯びた。

 果実を口にした時と似た、甘酸っぱい痛みに締め付けられる。

 それでも、幸せに満たされていく。

 新たに芽生えた不思議な感覚は、やがて蜂蜜のように甘く狂おしい感情へと変わる頃――私は、"人間らしさ"を獲得した。


 「ウトゥナ……君を愛している」


 ウトゥナと一緒にいるだけで、彼女から何かしら力を得られたのか。

 否、私は密かに神へこいねがったのだ。


 (《ウトゥナを愛せる身体が欲しい》》――。


 神は私の願いを聞き届けた。

 いつの間にか、私は異形なる自分を、人間の姿に変えることができた。

 人間と同じように滑らかで細長い手足を伸ばし、二足歩行で動き、衣服を着る。

 本能に従って生きる聖なる獣だった私は、感情を言葉で奏でる知性を発達させたのだ――。


 人間と同じようにウトゥナを愛するために――。


 私は"愛"を知ってしまった――ウトゥナが教えてくれた――。


 ウトゥナこそ、私にとっての、人を愛する智性の"禁断の果実"。


 「エルゥ……わたしも……あい、してる――」


 ああ、ウトゥナ――愛らしいウトゥナ――私の愛しいウトゥナ――。


 『瑠璃星草』は、私の神力が実態を伴った聖なる花。

 瑠璃星草が咲く時、あらゆる生命は「傷と痛みから解放される」。

 花が咲けば咲くほど、癒しは力を増していく。

 深淵の森には、真っ青に澄み輝く瑠璃星草が咲き満ち、聖なる森の海へと生まれ変わった。

 私とウトゥナの感情に呼応するように、森は喜んでいた。

 ウトゥナの親愛と慈悲は、私の心を甘く満たした。

 ウトゥナを愛する私は、この大地と生けるものを、豊穣と生命力で満たした。


 「エルゥは、てんしさまみたい。やさしくて、あたたかくて、きれいなおはなで、みんなをいやしてくれる……」


 ウトゥナを深く愛せば愛するほどに、大地と生命は活き活きと咲き満ちる。

 だから、私はウトゥナを愛することこそ、神に祝福された正しい在り方だと信じた。

 やがてウトゥナと私の無垢なる愛は「新たな生命」を芽吹かせた……幸せでたまらなかった。

 愛するウトゥナとの甘く優しい時間、新たな生命を宿した彼女の腹を供に撫でながら未来を語る……人間と同じように。


 自然の神でありながら、私は理解っていなかった。

 人間のことも、愛することも、つがい同士が我が子を命懸けで守ろうとする感情理由も。

 人間は傲慢で冷酷、狡猾なわりに浅はかで感情的な本質を備える。

 けれど、だからこそか分からないが……人間しかもちえない愛情や優しさ、そして強さが生まれるのだろう……愛するウトゥナのように。


 ああ、でも――ごめん……ごめんよ……愛しいウトゥナ――。


 私にたくさんの愛情も優しさも、ぬくもりも、大切なこと全てを教えてもらったのに――。


 最後は私自ら、――。


 「エ……ルゥ……っ……エルゥ……っ だい、じょうぶ……?」


 あまりにも君が愛おしくて、大切でたまらなかったから。

 いつだって、私のことばかり心配してくれるウトゥナ……。

 自分の方が、痛くて苦しくて怖くて悲しくてたまらないはずなのに……。

 そんな、君の愛情と優しさが胸を引き裂くほどかなしくて……失うのが怖くて。


 「なかないで……エルゥ……」


 白樺のように色を失った私の頬へ、ウトゥナのぬくもりは……我が子の眠るお腹を撫でていた可憐な手は触れてくる。

 やはり、ウトゥナは不思議なことを言う、と間抜けなことを思った。


 私は、のに。


 「エルゥは……みんなを、まもって……やさしい、てんし……ひとりだったわたしを、あいして、くれた……"この子"も……っ」


 燃え盛る樹々に灯った忌々しき炎は、ウトゥナの顔を仄照らす。

 ウトゥナが空いた手でお腹を撫でると、そこから真紅の花はじわりと咲き広がる。

 ウトゥナに触れられている私の頬も、尊く悲しい紅花で濡れ咲くのは伝わってきた。

 たまらず、私はウトゥナの可憐で重い体を両手で抱きあげた。

 すると、ウトゥナは出逢った時と同じ幼子みたいに安らかに微笑むと、甘えるように私の首筋へ顔を寄せた。


 「エルゥ……ありがとう……ずっと……あいしてる――……」


 太陽のように温かな言葉は、花のように儚く消えていった。

 ウトゥナは、先に鼓動を止めてしまった我が子を抱きしめたまま瞳を閉じ――永遠に目覚めなかった。


 ウトゥナ――ウトゥナ――!


 いやだ……いかないでくれ……ウトゥナ……ウトゥナ――っ。


 ウトゥナを呼び覚ましたいのに、声にならない。

 肺は押し潰されるように息苦しくて、心臓は焼き裂かれるように痛くて。


 どうして……どうして、こんなことになった――? 私がついていながら。


 自分とお腹の子の血で染まったウトゥナを抱きしめたままの私は、瑠璃星草を咲かせようとする。

 ウトゥナの亡骸に青い花びらはまばらに咲くが、彼女は瞳を閉じたまま息を吹き返さない。

 諦めきれない私は、さらに花を咲かせようと力を籠めるが――瑠璃星草は咲かなかった。

 森を侵食する炎の勢いは止まらなくて。


 ウトゥナと我が子を喪った悲しみは、あまりにも強すぎて。


 「見つけたぞ! この悪魔め!」


 自分の命より大切だった愛しきものを奪い、思い出の聖域すら穢した身勝手な人間への憤りを抑えきれなくて――。


 「悪魔に侵された森は、我々の手で浄火するのだ!」


 ああ、そうだ――全ては人間コイツらが――。


 「深淵の森に火が放たれた」、と救いを願う友の声に呼ばれて、私は入り口付近へ駆け馳せた。

 本当は、身重のウトゥナを一人残したくなかった。

 しかし、心優しいウトゥナは「いってあげて、エル。ともだちをたすけられるのは、あなただけ」、と優しく私の背中を押してくれた。

 私が拠点を留守にする間、森の友達はウトゥナを守ると約束してくれたため、私は離れた。

 しかし、それが全ての過ちだった。

 深淵の森へ火を放ったのは、ウルの兵士と狩人だと知った私は、襲いかかる彼らへ反撃した。

 しかし、彼らの一部は囮に過ぎなかった。

 私を入り口付近へ誘き寄せている間に、他のウル兵隊は森へ侵入し、火を放ちながら次々と友を手にかけた。


 「ウトゥナ――」


 やがて、生贄であるはずのウトゥナを見つけた彼らは、彼女を守ろうと立ちはだかった友達もろとも矢で撃ち抜いた。

 異変に気付いた私が拠点へ戻った頃には、ウル兵は既に火を放って撤退していた。

 友の無残な亡骸と血池に囲まれて、小さく息を吐いていたウトゥナは、既に手遅れだった。

 瑠璃星草といえど、炎に触れられたら普通の花と同じで、燃え尽きるしかない。

 たとえ、瑠璃星草が咲いたとしても、悲しいことに花は生者を癒すが――死者を蘇生させる力はない。


 「貴様! エルキドゥナル様……我々ウルの神様をどこへやった?」


 何が神だ――。

 聖なる森も罪なき動物ともも守れず――唯一最愛の少女と我が子すら救えなくて――。


 「噂通り悪魔の獣が森へ侵入していた!」

 「我々の手で悪魔を倒すのだ!」


 ウル兵の増援の手が迫る頃、私は元の神に戻っていた。

 ウトゥナを愛した人間の皮を捨て去り、出逢った頃の彼女が愛でてくれた神獣の姿に、禍々しい神力を黒く燃やして――。


 「     ――――!!」


 決して許さない――お前達を――。

 深淵の森を破壊し、聖なる友を虐殺し、愛しい無垢なるウトゥナと子どもまで、大切な全てを奪った――人間を――。

 エルキドゥナルは悲憤に叫んだ。

 しかし、エルキドゥナルの嘆きは、誰にも届かない。

 獣の咆哮は、暴風となって森全体へ波及し、森にいた人間の肉体を塵へ粉砕した。

 しかし、神獣の逆鱗と絶唱は、止まらなかった。


 ああ――ウトゥナ――ウトゥナ――私の愛するウトゥナ――無垢で愛しいウトゥナ――。


 それからの記憶は、空白の炎に霞みながらも、胸をチリチリとした痛みで灼け焦がした。

 意識が静寂と共に澄み戻った頃、瞳に映る世界は、赤褐色の灰塵へ変貌を遂げていた。


 違う……こんなはずじゃなかった……こんな滅びを望んだんじゃない……。


 こんな終わりを迎えるために、ウトゥナを愛したのではない――ウトゥナ――ウトゥナ……!


 獣の慟哭は天地を揺さぶる。

 百年に一度しか訪れない奇跡の雨は、天から降り注ぎ大地を潤す。

 奪われた悲嘆と憤怒で理性を失った私は、神罰そのものと化して、森の内外問わず人間を殺戮し、ウルを滅した。


 しかし、神罰を処したからといって森も友も――愛するウトゥナと我が子も何一つ帰らない。


 ただ遺ったのは、死に絶えた大地と空虚な孤独、痛ましい亡骸となった愛する少女。

 固く懐に抱いて離さなかったとはいえ、暴れ狂った際に亡骸の一部を傷つけてしまった。

 可憐な薔薇色だった少女の顔は、砂埃と返り血で薄汚れ、頬や唇にも擦り傷が入って小さな瘡蓋かさぶたを作っていた。

 力を失った花茎の手足にも、火傷や切り傷の跡が残り、愛らしい指は欠損していた。

 死して尚、ウトゥナに痛い思いをさせてしまい、花の笑顔が美しかった顔を汚してしまった悲しみと罪悪感に、私は喉を裂かれたように叫んだ。


 ああ、ウトゥナ……ごめん……ごめん……傷つけてしまって……守ってあげられなくて……。


 君の愛したものを壊してしまって――。


 せめてもの償いに、私は僅かに残った力を振り絞り、ウトゥナの亡骸に一輪の瑠璃星草を咲かせた。

 すると、青く澄み光る花びらはウトゥナの傷を癒やし、血と砂汚れを清めた。

 生前と変わらない可憐な生命力に色づいたウトゥナに、胸を撫で下ろす。

 やがて、瑠璃星草に咲き囲まれたウトゥナの体は、青い花びらとなって土へ還った――。

 ウトゥナの香りとぬくもりの残る花びらを胸へ掻き抱くと、再びいなないた。

 大地の嘆きを歌うように止まぬ雨と、競うように。

 獣の巨手から青い花びらが零れ落ちる――涙のように。


 ウトゥナ――――っ。


 エルキドゥナルの肉体は、やがて小さな瑠璃星草の花畑を成した直後に朽ち果てると――土へ還った。

 悲嘆の雨と血で濡れた天地には、悲しき獣の慟哭がいつまでも木霊していた――。



***次回へ続く***

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