ブラーメン

ムラサキハルカ

ブラーメン

 冬の深夜、飲み会からの帰り道の途中、路葉ろばさんは、電信柱の端でゲーゲーと吐いて胃を空っぽにしたあと、そう言えば締めのラーメン食ってねぇな、と思い出しました。一度、頭に浮かべると何がなんでも口に入れたくなるのが人情というもの。また空きはじめた腹もあいまってこってりとした豚骨ラーメンが食べたいという気持ちを強めます。とはいえ、彼女の財布はオケラです。

 しゃあねぇ、あいつらに払わせるか。路葉さんは躊躇うことなくスマホを取りだし、先程まで一緒に飲んでいた舎弟たちに電話をかけます。しかし、誰一人として応えるものはなく、受話器はツーツーやただいま電話に出ることはできませんなどと独り言を発するばかりです。それもそのはず。舎弟――と路葉さんが扱っている小中高の後輩たちは、この髪を銀色に染めた横暴な女の先輩と同じ町に住んでいるせいで、顔を合わせるたびに酒やら飯やらをせびられ続け、できることならば関わりあいになりたくないと心から願っていたからです。それゆえに後輩たちはみんな電話越しに狸寝入りを決め込んでいました。

 つっかえねぇな。大きく舌打ちをした路葉さんは、女性にしてはごつい肩を揺らし、夜道を彷徨いはじめました。

 その途中、公園のベンチでスマホを弄っている茶髪の少女を見つけます。ふわふわとしたコートを羽織っているものの、下に制服を着ているのがかつて共学の高校を中退した路葉さんにはよくわかりました。

 売りか? そんな疑問が頭に浮かんだのも一瞬のこと。少しでも金を持ってそうとだけ判断できれば路葉さんには充分です。

「よぉ、姉ちゃん。こんな遅くになにしてるんだ?」

 ツカミとして聞いて後はカツア……もとい、善意の協力を得るつもりでした。しかし、少女は突然、整った無表情からぼろぼろ涙をこぼしはじめます。路葉さんは思わず、泣けばすむってもんじゃねぇぞ! と叫びそうになりましたが、さすがに人としてどうなんだ、というほぼ気まぐれに近い躊躇いが起こりました。気が付けば、今日も元気にかっぱらった煙草を一本口にしてから、なにがあったかあたしに話してみないか、とこれまた仏心を働かせていました。路葉さんを知っている人からすれば、天変地異じみた現象と受けとることでしょう。やがて、少女はぽつぽつと自分のことを話しはじめます。

 名は犬木いぬきだということ。きわめて仲が悪い両親の喧嘩に、日々心を痛めていたこと。今日の夜中、離婚調停の途中、父も母も娘を連れて行くことを面倒臭がったのを目の当たりにして、気が付けばこのベンチに座っていたこと……などなど。

 うっわ、つまんねぇし、めんどくせぇ。路葉さんは早くも話を聞いてしまったのを後悔しましたが、さすがに本音を叩きつけて放りだすというのは寝覚めが悪過ぎました。どうしたものか、と頭を悩ませること数秒、

「ラーメン、食いに行かねぇ?」

 路葉さんは考えるのを放棄し、そんな提案をします。犬木さんはポカンとしていましたが、直後にぐぅぅ~とお腹が鳴り、顔を赤らめます。

「そうですね。腹が減っては戦はできぬ、ですよね」

 犬木さんの答えを耳にした路葉さんは、特に何も解決していないにもかかわらず胸を張りました。とはいえその後すぐ、軍資金がないことを思い出し、犬木さんに、おそるおそる、金はあるか、と尋ねます。犬木さんが気まずそうに差しだしたのは千円札一枚。これから向かおうとしている店の豚骨ラーメンの値段が七百円なので一人分しかありません。

 まっ、いっか。なんとかなるだろ。根拠のない自信を胸に路葉さんは犬木さんの手を引きました。

 そうして二人でラーメン屋までの道程を歩いている最中、トンネルに差し掛かります。その入口。猫背で幼げな顔をした少年が待ち構えています。

「通りたければ、通行料を払ってもらおうか。払えないんだったら、からだ――」

 数秒後。犬木さんに羽交い絞めにされる路葉さんの目の前には、顔中がでこぼこになった少年がいました。可愛らしい顔はとても無残なことになっています。路葉さんは、大袈裟に舌打ちをしたあと、掌を伸ばします。

「千円で手打ちにしてやる。さあ、出しな!」

 女性にしては大柄かつとんでもない暴力性を発揮した路葉さんが前にいるからでしょう。少年は歯をがちがちと震わせたあと、コンクリートの上で土下座します。その際、落ち広がっていた鳥の糞が額にくっついたのを見て、犬木さんが後ずさりました。

「申し訳ありません。逃げてきたばかりで、一円も持ってないんです!」

 どれどれ身ぐるみを剥がして確かめてやろうかと路葉さんは少年に両手を伸ばそうとします。ですが、その気配を察した犬木さんに、とりあえず、話を聞いてあげましょう、と諭されたました。路葉さんは盛大に眉間に皺を寄せたあと、少年に、早く話せ、と促しました。少年は鳥の糞を額につけたまま、気持ち悪がる犬木さんに感謝の視線を送ったあと、はきはきと話しだしました。

 少年の名は猫丸ねこまるだということ。幼い頃、両親が二人とも蒸発したのを機に親戚の間を転々としていたこと。今の親代わりの叔父夫婦はとんでもないやつらで酒で酔うとことあるごとに暴力を振るってきて、体中痣だらけなこと。ついさっき、とうとう耐えかねてでたらめに包丁を振るったら、二人とも地面に倒れ、血を流したままぴくりとも動かなくなったこと。怖くなって逃げだしてきたものの、小遣いすら与えられていなかったので本格的に金がないこと……などなど。

 やばいやつだ……。そう確信した路葉さんに対して、猫丸くんは顔をあげてから、だからおれを見逃してください! とまた頭を下げました。

 背を向けた瞬間に刺されるんじゃないか? 疑念を抱く路葉さんは、とりあえず気絶させておくかと拳をかまえます。直後に不穏な気配を察した犬木さんが、前に出て、

「ラーメン、食べに行きませんか?」

 そう提案しました。途端に猫丸くんのお腹が、くぅ~ん、と子犬みたいな音を立てます。

「ぜひ、おともさせてください!」

 これ以上にないくらい空腹を示した猫丸くんは、当然、ラーメンを食べに行くのに乗り気です。路葉さんは、こんなやつと一緒にいたくない、という気持ちでいっぱいでしたが、お願いしますと目で訴えてくる犬木さんに根負けして、猫丸くんの同行を受けいれました。とはいえ、結局、豚骨ラーメン一杯分のお金しかない問題は解決していないのですが……。

 トンネルを抜けてしばらくまっすぐ歩き、歩道橋にさしかかったところで、

「待てい!」

 舌足らずな声が響きました。三人が階段を見上げれば、赤いランドセルを背負っている幼女が最上段で仁王立ちしています。こんな夜中に良く捕まらなかったものです。

 路葉さんは、また変なやつが出たな、といい加減うんざりしはじめています。それでも、なんだこのガキといきりたつ猫丸くんの胸に裏拳を打ちこんでころがし、

「何の用だ?」

 と尋ねます。幼女は、えっへん、と胸を張ったあと、三人を見下ろし、

「白き魔王を倒しに行くんでしょう?」

 何の疑問も挟まず断定します。路葉さんは、そんなわけないだろう、と言おうとしましたが、犬木さんが唇に人差し指をあてて静止を促したので、渋々、引き下がりました。

「このワタシちゃん――チキータが力を貸してあげるわ!」

 なんだその卓球みたいな適当な名前は。路葉さんはもう付き合ってられるか、としびれを切らしかけ、怒鳴りつけようとしました。しかし、チキータちゃんが胸に吊り下げたポシェットをごそごそ探ってから、

「まずは軍資金ね。受けとりなさい!」

 分厚い束になった福沢諭吉を五つほど投げます。

「よっしゃあ、お前ら。さっさと魔王を倒しに行くぞ!」

 途端に路葉さんは、福沢諭吉の束を拾いあげて走りだします。

「待ってくださいよぉ」

 呆れた目で路葉さんを見る犬木さん。

「俺にも分けてくだせぇ!」

 包丁を取りだし、分け前を要求する猫丸くん。

「楽しい旅になりそうね!」

 魔王討伐に心を躍らせるチキータちゃん。

 しばらくの間、四人は夜を駆けていましたが、不意にチキータちゃんが、ストォップ! と声を張りあげたので、全員、足を止めます。そこには白く四角い一軒家が建っていて、二階部分の窓からは明かりと笑い声、それに香ばしい匂いが嗅ぐってきます。

「あそこにいるのが魔王一味よ!」

「そうか。あそこに魔王がいるのか……」

 スポンサーはつ……正義のためなら成敗しないとな、と路葉さんは指をポキポキ鳴らします。違うんじゃないかな、と宥めようとする犬木さんとその横で、ひゃっはー略奪だぁ! と叫ぶ猫丸くん、勇者の剣だといって木の枝を掲げるチキータちゃんを引き連れ、路葉さん一行は不法しん……もとい、栄光ある進軍を開始しました。とはいえ玄関から侵入すると正気が戻ってきて大変なことになりそうだと路葉さんも薄々察していましたので一計を案じます。

 程なくして、下から順番に、チキータちゃん、猫丸くん、犬木さん、路葉さん、という肩車タワーが形成されます。きわめて不安定ゆえに、タワーはすぐに前のめりに倒れましたが、それと同時に路葉さんは明かりの漏れる窓を蹴破り、室内に飛びこみました。

「魔王を倒しに来たぞ!」

 そう宣言した路葉さんは、飲みか……作戦会議に興じるひょろりとした魔王と眷属たちを嵐のような暴力で打ち倒し、寒空の下に放りだしました。その後、顔を青くする犬木さん、大量に残っている肉や寿司や惣菜に目を輝かせる猫丸くん、「正義は勝つ!」と胸を張るチキータちゃんを招き入れ、ぬすみぐ……凱旋パレードに明け暮れました。四人は朝まで狂ったように飲み食い踊り笑いました。

 ……翌朝、頻繁に顔を合わせる青い帽子の制服を着た友人の女性と狭い部屋で差向いになった路葉さんは、

「忘れてた! 豚骨ラーメンを食わせてくれ!」

 と訴えたようですが、出てきたのは伝統に乗っとったカツ丼だったそうです。

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