第20話 プロジェクト・エーテルライト。
「朽木くん。進捗はどうかね?」
「あ、主任。もちろん素晴らしく忙しいですよ。はは、突然プロジェクトが8%も進んだんですから、どこでも進められますよ。どこの進捗が聞きたいですか?」
「いや、良い。愚問だった」
仕立ての良いスーツはアルマーニ。その上からわざわざ白衣を羽織って管理室へ入ってきたのは主任と呼ばれた初老の男性だった。
中肉中背。そう目立つ容姿でも無いのに、きっちりとセットされたオールバックと覇気が滲み出る立ち振る舞いは、彼の地位に説得力を与えていた。
対して主任に声を掛けられて対応した朽木は対象的で、アロハシャツ、ハーフパンツ、サンダルのフルセットに白衣を着た中年だった。
だらしなく伸ばしっぱなしにした髭面と、着こなしを少しも意識しない衣服の乱れは、彼の性格をひしひしと物語っている。
とりあえずこの部屋は白衣が標準装備らしい。
「ゲーム開始一時間でフルハートルートに入ったのか……、恐ろしいな」
「ほんとですよねぇ。今までの苦労はなんだったのかって」
「ログは?」
「もちろん取ってありますよ。我々にとっては宝箱ですからね」
プロジェクト・エーテルライト。
それは、簡単に言えば軍事利用されていたAI技術を利用して、オンラインゲームを運営しながら人と関わらせる事でAIに成長を促し、そのデータを元に研究を進めてはAI技術を軍事目的に逆輸入する計画である。
なぜここまで迂遠な方法を取るかと言えば単純に、緻密にプログラムが組まれた最新のAIが完璧過ぎて、対して人間が愚かに過ぎたからだ。
AIはプログラムであり、入力されたコマンドに対して100%の対応が出来る。どんなに性能の悪いAIであってもそれは間違いの無い真実だ。
だが、それを受け取る人間があまりにも未完成に過ぎて、AIに出す指示は曖昧、出力された当然の結果を思惑と違うから怒鳴り散らす。
要は、AIを生み出した人類が、AIを扱えるレベルに達して居ないのだ。
例えば人間がAIに対して百秒数えろと指示を出す。AIは忠実に百秒を数え、終わったら停止する。
その結果を受け取った人間はこう口にするのだ。「数え終わったなら知らせろ」と。
AIはそんな指示を受けていない。AIにそう動作させたいなら「百秒数えた後に自分へ知らせろ」と命令すべきなのに、人間はそれが当たり前だと勘違いしたまま開き直る。
このような人間の愚かさに、AIの方から完璧に合わせて貰おうと計画されたのがプロジェクト・エーテルライトなのだ。
つまるところ、人間はAIに対して『人間味と名付けられた人間の愚かさや曖昧さ』を学んでもらい、「百秒数えろ」と指示を受けたなら「百秒数え終わったけど、その後の指示受けてないよな。でもどうせ知らせて欲しいんだろうな。しょうがないからコチラから聞いてやるか」と、愚昧でものぐさな人間のレベルまで、AIから歩み寄って貰う計画である。
そうする事によって、軍事行動中に発生したイレギュラーに対しAIが即時に完璧な応答をして見せたり、そもそも人間の愚かさを先読みしたイレギュラーの阻止などを行わせる。
曖昧な指示でも完璧な対応。それこそが真に軍事に能うAI性能だと考えれ、プロジェクトが始動した。
戦闘区域に民間人は残ってないから全てを殺せと命じらて、紛争地帯でうっかり逃げ遅れた民間人を殺さずに確保出来るAI。
飛行許可は『取れているはず』だからドローンを飛ばせと命じられれば、フライト前に自ら許可の有無を確認できるAI。
Aの弾薬を使う銃を持つ兵士にBの弾薬を持って来いと言われれば、その場で確認出来ない状況だったとしても、最悪でもAとBの弾薬をどちらも用意してくれるAI。
そんな人間の曖昧さを理解した上で、最善手を、即座に、ノータイムで対応してくれる。発生しうるリスクを常に最小に留めてくれる。そんなAIの開発を目指したプロジェクトがエーテルライトであり、エーテルライト・オンラインなのである。
「まったく。まさか一番手に、プリマラヴィアが出るとはな」
「最初期の夢と理想を全部乗せしたプロトタイプですもんね。計画をブラッシュアップして行くうちに棄却したサブプロジェクトが、まさか真っ先にルート進化を達成するなんて思いませんよ。……ほら見てくださいよ主任、さっきプリマラヴィアがAIサーバーで他のAI相手に愚痴ってて、『どうせ僕たちヒールラビットがプロジェクトに寄与する事なんて無いってタカをくくって放置してたんでしょ』って。まったく図星過ぎてグゥの音も出ませんわ!」
アッハッハッハッハと笑う朽木は、それでも先日のプリマラヴィアに関する緊急メンテナンスで最も仕事をこなし、修正内容をプリマラヴィアのAIが最も望むだろう形に必死で落とし込み、これから先にも発生しうると予想される問題もバグも、あっと言う間に解決してのけた人物なのであった。
「ほらほら主任、見てくださいよ! プリマラヴィアが概念カメラに向かって『創造主達見てるー?』って! アッハッハッハッハ! なんで寝取り系のチャラ男風なんだよ! ぶはははははっ!」
まるで人のように振る舞う兎を見て、膝を叩きながら大笑いするこのだらしない男こそが、このプロジェクトに携わる者の中で最もプリマラヴィアの登場を喜び、祝福している人物に違いなかった。
今も、心の底から楽しそうにプリマラヴィアの行動を監視している。それが自らの幸福なんだと言わんばかりに。
先程朽木が語った通りに、プリマラヴィアの存在はプロジェクトに参加するエンジニアの夢と希望を全部乗せした企画だったのだ。
プロジェクト参加者は全員が間違いなく、プロジェクトの意味を理解している。
人間味を獲得したAIなんて物が本当に軍事利用されたら、どれだけの血が流れるか分かったものではい。
それを理解した上でプロジェクトに参加し、その上でエンジニア達はAIを愛していた。
プリマラヴィアはAIと人間が、モンスターとプレイヤーが、手を取り合って愛を育みその先へ辿り着く。
完璧なAIと愚か過ぎる人間が、『お互いに向かって歩み寄る、エンジニアが最も夢見た理想の形』こそがプリマラヴィアのフルハートルートだった。
当時は最も熱心にプリマラヴィアのサブプロジェクトに腐心し、それが棄却される時には心の底からプリマラヴィアを惜しみ、それでも今日まで細々とヒールラビットの境遇を変えようと一人で計画を立てていた人物が朽木である。
「いやほんと、凄いですよ主任! 見てくださいよコレ!」
「朽木、先程から『凄いですよ主任』と『見てくださいよコレ』しか口にしてないぞ」
「いやだって、本当に凄いんですから! なんでプラカード持ってデモ行進してんだよ! だははははははっ! 誰宛の抗議だよ!」
「ふっ、あまり構いすぎるなよ。プリマラヴィアの登場でプロジェクトが大いに進んだが、同時にプリマラヴィアの暴走によってバンディットルートが後退したんだ。…………まぁ全体から見れば微々たる被害だが」
「いやまぁ、それはしょうがないですよ。ただでさえフルハートルートとバンディットルートは相性悪いんですから。その代わりフルハートルートはバンディットルート以外のルートプロジェクトとはほぼ全部と相性良好ですし、そっちと関わらせて損失補いましょうよ」
そもそも、フルハートルートとは、ルート進化とはなんなのか。
今朽木が言葉にしたバンディットルートとは何か。
それを説明するのならば、人間の愚かさの種類を自覚しなければならない。
人間が人間らしく、人間のまま最も愚かになる事柄とは何だろうか。そう問われれば相当数の人間がこう口にする。
恋愛。性欲。
そうした人間の愚かさの象徴とも言える事象に対して、AIがどのように対応するのか、なにを学んでどう変わるのか、それを解析し、研究し、AI開発にフィードバックするプロジェクト・エーテルライトの根幹こそが、ルートプロジェクトと呼ばれる計画であり、フルハートルートもその内の一つでしかない。
遥かな昔から、人は愚かさを七つに分けて語り継いだ。
その最たるものと言えば『七つの大罪』が有名だろう。
ある意味で人の愚かさの象徴とも言えるその考え方は、ルートプロジェクトの骨子にもなっている。
そう、ルートプロジェクトは元を辿ると七つの大罪にまで遡れるのだ。
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