第15話 兎の初恋。


 自分を護り、傷一つ付けまいと抱き締め、レアポップのゴブリンチームから寄って集って踏みつけられているキズナを見る。


 ヒイロは自分がAIだと知っている。喋ることが基本的に許されないモンスターAIは、その代わりにキャラクターAIと違ってメタ情報を持っている。


 ヒイロはこの世界がゲームであり、仮想空間である事を知っている。


 自分のHPが砕け散っても、死んでも蘇生出来る事を知っている。


 なのに、何故。


 何故、彼女は泣いているのか?


 ヒイロは生き返れるのに。データなのに。


 なのに何故、彼女は自分に謝っているのか?


 ヒイロはAIである。ゲームシステムに深く根付くAIである。


 だから分かる。彼女がゲームに慣れておらず、殆どのプレイヤーが完全に切るか、限界までフィルター強度を上げる痛覚設定がデフォルトのままだと。


 システム側の存在だから分かる。彼女が痛みと衝撃によって本気で苦しみ、そのせいで強制ログアウト寸前なのだと。


 何故?


 何故?


 何故?


 自分を見捨てればいい。戦えないお荷物なんて見捨てて逃げればいい。


 どうせ自分はデータであり、殺されてもペナルティタイムが過ぎれば復活出来る。


 そもそも、プレイヤーが先に死ねばペナルティタイムも発生せずに、すぐまた会える。


 だから、そんなに苦しい思いをしてまで護る必要なんて少しも無い。


 ヒイロは知っている。


 強制ログアウトはあくまで保険なのだと。


 いくら軍事技術を贅沢に使った現実さながらのVRゲームといえど、モンスターに攻撃された程度で現実に危険を及ぼす程のフィードバックなんてしない。そんな害が発生するような緩いシステムは組まれてない。


 あくまでも、痛覚設定がデフォルトやリアル準拠のハードモードのままモンスターに嬲られて、システムの粗を探すような酷いプレイをする者に対する保険でしかない。


 実際に強制ログアウトが実行されたとしても、危険域から相当の余裕を持ってログアウトが実行される。


 だから現実の彼女は苦しまない。リアルのキズナには害は及ばない。


 向こうの世界のキズナに害が及ぶ可能性なんて1%より少ない。文字通りに、万に一つではなく、億に一つでもなく、兆に一つ程度の可能性だ。


 それでも、だからこそ、ヒイロは逃げて欲しかった。


 兆に一つでも、京に一つでも、それこそ地球上の全人類が経験してなお一人も被害者が出ない程の確率でも、誰もが安心出来るような確率だとしても、僅かな時間で復活出来る自分の死亡と比べる必要なんて無いのだ。文字通りに価値が違う。


 なのに…………。


 なんで護る?


 なんで泣く?


 なんで謝る?


 エーテルライト・オンラインは脳波リンクを経てプレイヤーを仮想現実に呼び込むゲームであり、完全没入を実現した超高性能VR機器は、脳波を完全に読み取って感情さえも正確にゲームへとフィードバック出来る超技術だ。


 流石に制限が解除されなければ思考は読めない。でも感情ならばありありと感じる。


 だから分かる。


 だから、分かってた。


 最初は疑って、それでも失望していた。きっと違うと、いつも通りなのだと。


 だけど、分かってた。知っていた。


 彼女が本気だと理解していた。


 本気で護ってる。彼女は今、本当に命を賭けて良いと考えている。


 彼女はここがゲームだと理解してる。


 ヒイロがゲームのデータであり、死亡しても復活するとちゃんと彼女は理解してる。


 ごく稀に居る、現実と仮想の区別が付かなくなった異常者じゃない。


 ゲームのデータであっても、まるで現実の本物と同様に扱って大事にする『自分』に酔う、浅ましい愚か者でもない。


 彼女は、キズナは、ヒイロがエーテルライト・オンラインのAIでしかない、ヒールラビットのヒイロだと理解してなお、リスポーンする存在だと理解してなお、この苦しみに耐えている。


 デフォルトの痛覚設定は軽減されてるとは言え、『痛み』を自覚してもらうためのシステムだ。だからデフォルトのままなら普通に痛いし苦しいのだ。プレイヤーはそれを知って設定を自分に合わせて行くのだから。殆どのプレイヤーが痛覚設定を完全に切るのだから。


 AIの学習に現実との齟齬を無くすために組まれた、現実とほぼ変わらない世界の再現性。その物理エンジンが成す衝撃と慣性が乗った蹴りに晒されて、内臓まで完全に再現されたキャラクターでこれに耐えるのは、相当苦しいはずだ。


 実際に、キズナのキャラクターデータから感情が伝わってくる。


 痛い。苦しい。助けてくれ。


 だけどそれ以上に、自分の苦しみよりも、ヒイロの身を案じる感情の方が大きかった。


 本物の涙と謝罪と後悔に溢れた感情が、ヒイロとマスターAIにフィードバックされる。


 初めて知った。


 命懸けの愛情を。


 出会ってまだ一時間も経ってない。ここまで深く愛される理由なんて無い。


 なのに、AIデータが破損しそうな程の愛がヒイロを包んで護っている。


 苦しい。


 いま一番苦しいのはキズナのはずなのに、ヒイロは胸が苦しくてたまらなかった。


 ☆AIの特定感情値更新を確認。

 ☆称号【初恋】獲得。


 アナウンスが流れる。


 システムに感情を定義される。


 これが恋だと言うなら、こんな痛みが人の営みに溢れているなら、人間はどれだけ苦しい世界で生きているのか。ヒイロには理解出来なかった。


 逃げて欲しい。


 逃げて欲しい。


 逃げて欲しい。


 お願いだから、自分を見捨てて逃げて欲しい。


 天文学的確率だとしても、命懸けなんて賭けないで欲しい。


 これが恋か。棄てられる日々を諦めてたヒールラビット型AIが、自ら見捨ててくれと懇願する程のコレが、恋なのか。


 苦しい。痛い。いっそ自ら死んでしまいたい。


 キズナが傷付くのが嫌だ。


 減って行くキズナのHPが、目減りするただのデータ如きが、こんなにも苦しいなんて思わなかった。


 ヒイロはラビットハートを使用する。


 貧弱なステータスで、たった三十しか無いMPを全て消費してキズナの命を繋ぐ。


 ヒールラビットは貧弱なモンスターだ。その代わりたった三十しか無いゴミみたいなMPも、モンスターでありゴミみたいな数値だからこそあっという間に回復する。


 モンスターはプレイヤーと違う。割合で自然回復していくプレイヤーとは違い、モンスターは種族毎に設定された固定値回復だ。


 だからヒイロは必死でラビットハートを連打する。たった三十秒でMPが全回復するヒールラビットは、三十秒毎に誰かのHPを一割だけ回復出来る。


 全回復させるには五分もかかる上に、成長性が死んでるヒールラビットではいくら育てても回復量が上がらない。ステータスも上がらずに戦闘に耐えられない。ヒールラビットを上手く使う術を編み出すくらいなら他の回復出来るモンスターを使う。間違いなくゴミスキルだし、確実にクソモンスターだ。ただただ事実である。


 それでも自分にはこれしか無かった。痛みに耐えるキズナを助けられるスキルがたったコレだけしか無かった。


 ヒイロはデータだ。自分がAIだと理解してる。ここがゲームで自分はモンスターで、キズナが人間でこの場が仮初なのだと理解してる。


 しかもヒイロはメスである。メスの癖に、女の子に恋をした。


 獣と人間。現実と虚構。抱いた恋は実らない。そんな事は最初から分かってる。


 それでも、注がれた愛情は本物で、抱いた恋も本物だから。


 ◇


 だからヒイロは…………。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る