スマイル・ディ

Planet_Rana

★スマイル・ディ


 笑いの文化、というのはかなり奥が深い。


 どれくらい奥深いのかというと、少し検索をしただけで「あぁこれ生きてる間に理解するには無茶が過ぎる」と悟ってスマートフォンを放り投げたくなるくらいだ。


「ならどうしてアタシのところに来たんだよ。アタシ別にお笑い志してないんだけど」


 ああ、それはよく聞いてくれた。


 この手の話をしようとすると、みんなして『えぇ、それ今生きるのに必要な疑問ですか? 議論して面白くなかったらどうするんです?』みたいな顔をするんだよ。


 或いは『笑いの文化なんて仰々しい、楽しいから笑うんだろ』って返される。

 まことに遺憾だ。その点、君なら問題ないと思ったんだ。聞いてくれるし。


「はぁ……聞くというより流しそびれてるだけなんだけどな。それで? アンタは、笑いの文化について知りたいのか笑う仕組みについて知りたいのか、論点を絞らないことにはオチがつかないよ」


 オチ、か。


 こうして話す間にも僕らは話の落としどころを探している。けれど、これは特に面白くなくても存在しうるものだ。「会話のオチ」は必ずしも面白くなくていいんだよ。


「……アンタは、面白いことについて語りたいんじゃないの?」


 笑顔、これは元々威嚇行動だったともされるだろう? 周囲を威嚇してどうするっていう話だ。人間は社会的活動を活発化させていく過程で「他者と笑う」ことを共有するようになったのだろうけど。そんなにも、鏡合わせの表情に安心するものなんだろうか。


「あぁ、確かに。人間の威嚇表情は睨む、になるのかな。笑うが威嚇だったとして、どうして威嚇しあうことが愉快な感情表現に繋がるんだろうね」


 そう、まさにそこなんだ。どうして面白いと笑うのか。面白くなくても笑うのか。

 「どうして面白いと思った時に笑うことを選んだんだろう」ってことが疑問だよ。


「じゃあ聞くけど、人がだんまりしてるの見ててどう思う? 楽しい?」


 そのだんまりしてる相手が友達なのか知り合いなのか僕のレポートを丸パクリして提出しようとしたところをばれた愚か者を指しているのかは分からないが、まあそうだね。


 友達なら理由を聞くために近づくだろう。知り合いなら見て見ぬふりをするかもしれない。愚か者はガン無視だな。


「アンタのレポートを丸パクリした愚か者の事は知らないけどさ。それじゃあ笑ってたらどう思う?」


 友達が笑っていたらちょっかいをかけに行くし。知り合いが笑っていたら遠巻きに観察するし。愚か者が笑っていたら辛すぎておかしくなっちゃった可能性を含めて哀れに思うよ、ざまあみろとも思う。


「愚か者の話から離れなさい。どんだけ恨んでるんだ……えっとね、今ので大分答えは出てるんじゃないの。少なからず他者が笑っていることで、アンタは愉快な気持ちになったり怒ったりするわけでしょ。他者の心を動かすことに関して、感情表現はもってこいなツールなの。分かる?」


 はあ。しかし僕は見ての通り表情筋が死んでいるし、君だっていつも怒った様な顔をしている。だが実際の僕は常に探求心に心を浮つかせている「変人」で、君は心根優しい感情豊かな「良い人」だ。見た目から人の心は読めやしない。


 ニコニコしているから他者を愉快にできるのか、それはその場に愉快な事物があるから愉快になるのであって、ニコニコが愉快を誘発するのではないだろう。


 ふとした瞬間に零れる微笑みと、愉快で笑うのはものが違うと思うんだが。


「あー、伝わってないな。これはアタシが悪かったや。もう一回説明させて」


 ふむ。


「えっとね。だんまりしている相手を見た時の感情の激しさと、笑っている相手を見た時の感情の激しさはどう? 違わない? アタシが思うに、人が笑っているという状況を目にするだけで好意にせよ嫌悪にせよ、そのふり幅は他の感情表現を目にした時よりも大きくなると思うんだよね。極めてお手軽に人の心を良くも悪くも揺さぶれるものが『笑顔』なんじゃないかと思うんだけど。どう」


 人の笑い、が他者の心を揺さぶる。と。


 確かに、その時抱いた心情に拍車がかかるような気がしないでもない。だけどもこれは、「気がする」だけだろう?


「その通り。アタシは論文を元に話を練ってるわけじゃないし、今の所の真実を確かめる気力も無い。だからこれは只の雑談どまりなのさ。だから最初の質問に戻るけど、どうしてアタシのところに来たのさ。教授の所に行きなよ。目いっぱい討論できるでしょ」


 むむむ。いま君は笑ったが、それは自虐の笑みと見た。


 確かに僕は教授の部屋に寄って外出中であることを確認した後に、このフリースペースに居座る君を発見して声をかけたわけだけども、こういう話をして楽しいと思える相手はそうそう居ないものなんだぞ。


 一つの疑問に対して答えのない論議ができる。ああでもないこうでもないと屁理屈を捏ね合って考えをぶつけることができる。

 これは、価値観が違うもの同士でありながら「そういうこと」が好きでなければ耐えられないという、非常に難易度の高い意見交換だと思うんだけども?


「それがアタシである必要は?」


 僕にはおおよそ、友達と呼べる相手が君しか居ないのでね。必然教授か君しか選択肢がないのだ。


 おっと。今度は苦笑いだな? しかし、思えば笑いにも色々と種類がある。


 どうしようもない状況で人は笑うことがあるというが。笑うこと自体に必ずしも「愉快さ」が要らないというのはなかなかどうして面白いことだ。


「そして面白いからといって、必ず『笑顔』が必要になるとも限らない、と」


 ふむ。しかし僕は君が笑うと不思議と楽しい気分になる。それが苦笑であれ引きつったものであれ、課題の締め切りと成績不振に怯えたときの笑みもそうだ。


「あん?」


 ちょ、睨むな。その笑顔は怖い。


「分かればいいよ。全く、人が苦しんでるさまを見て楽しいとか。人の不幸は蜜の味とか、対岸の火事とか言うけど、それ全部隣の芝生が青く見えてる現象であって自分のところに跳び火する可能性あるんだからね――って、うわ。鐘が鳴ったじゃん」


 おっと、昼食の時間か。……引き留めて申し訳なかったな。


「んや、売店に行って戻って来るよ。何かあればおつかいしてもいいけど?」


 あ、いや。僕も行こう。僕も行くところだった。


 昼というには一時間ほど遅れているが、午後の講義が始まった今が一番空いているだろう。とはいえ、弁当は全滅に違いない。近場の定食屋にでも行くか?


「そうだね。ところでアンタちょっぴり笑ってたけど、今どういう心境なわけ?」


 ……。


「ん?」


 何でもない。しかしそうか。

 これは、堪えても溢れる物なんだな。厄介だ。


 仕方がない。気にして貰わない代わりに、今日の昼は僕が奢ることにしよう。


「は? え、いや、払うよ! 何なのさ、その他言無用な雰囲気は!」


 言葉通り他言無用の賄賂だよ。


 しかしなるほど。これでまた一つ、謎に対する仮説ができた。


 つまるところ人が笑うのは、単なる筋肉の反射なのかもしれない。

 どうしようもなく身体に刻み込まれた文化に応じて、表情筋が反射するようになる。これが笑顔なんだ。


 それは愉快で共感で確かな賞賛。

 または愉悦で嘲笑で明らかな悪意。

 はたまた皮肉で同意でそこはかとない拒絶。


 そんなにも種類があって、それだけのものを人は見分けて判断するのに、どうして人は進化の過程で、楽しいを表す表情に「笑顔」を選んだんだろうかと思っていたが。これは厳しい結論だ。


 笑顔はどうしようもなく溢れるもの。

 とてもじゃあないが制限が効くものではないということじゃあないか。


 ともなれば、これが只の論議でコメディの体を取り繕っている内にこの席を立ってしまうことにしよう。それが僕の為で、彼女の為でもある。


 お返しに花を送るにはまだ早い。今日が何の日か気付かずとも構わない。


 これ以上は甘くなるだけの応酬で、人はそれをラブコメと呼ぶのだよ。




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