第141話 紐帯を切り崩せ
「……どこの世界でも、人間の考えることなんてそう変わらないもんだな」
そう言って机の上に一冊の本を投げ捨てる俺。この本はエカテリーナ姫が俺に助言を求めるために送って寄越したものだが、俺はといえば一応すべてのページに目を通した上で「読む価値無し」と判断していた。
「まあ、日記としては上出来だ」
王権神授説がまかり通るこの世界に、名目上でしかないとはいえ民主的な政体の樹立を唱えた着眼点だけは評価してもいいだろう。だがそこで社会契約説に触れるとかならともかく、自分を「神の使徒」などと持ち上げた挙句に、樹立する共和国は権威主義的な独裁国家ときた。
これではやっていることが旧東側陣営の社会主義国と何も変わらないだろう。神格化された指導者と、封殺された言論の自由。まったく、それのどこが自由で民主的な理想郷なのか一〇〇時間ほど問い詰めたいくらいだ。
「こんなのに北部の民衆は感化されちゃったの? ……ちょっとまずくない?」
知的水準が、とまでは言わない柚希乃。この世界は地球の先進国のように恵まれてはいない。だから最低限の教育すらも受けられない層だって一定数はいるし、そもそもこの程度の言説にすがるくらいしか道が残されていない人間だってごまんといるのだ。
「そこは社会情勢的に仕方がないと割り切るべきだろうな」
「とは言ってもねえ。北部では実際にこの思想が浸透しちゃってるんでしょ? どうしたら崩せるかなぁ……」
そう言って頭を抱える柚希乃。元帥として軍務全般を一手に担う彼女のことだ。暴徒ないしは革命勢力と化した市民連合の鎮圧方法を思って、悩んでいるだろう。
この件に関しては、紗智子先生とか他の社会科の先生達に話を聞いたほうが良いだろうとは俺も思っている。……ただ、現時点でも言えることが一つあった。
「大丈夫だ。連中の間にある
「どして?」
「仮にも自分の生まれ育った国の主君を
「……思わないかも」
結局のところ、北部の民衆は追い詰められているのだ。祖国からは貧乏な下層階級として虐げられ、北からは建国以来の敵に真っ先に狙われる運命にある。そんなところに敵だと思っていたヤークト帝国から、自分達が生き残れるかもしれないうまい話を聞かされたら、もうそれに飛びつく選択肢しか彼らには残されていなかったに違いない。
諸悪の根源は、北部に住む民衆の貧困、ないしは社会的な地位の低さにある。
つまりだ。北風と太陽と同じ話で、真正面から武力で従わせようとしても人心はついてこない。ならば俺達は彼らを救う
基本的に、人は自分に優しくしてくれる相手を好意的に見るものだ。中には恩を仇で返す奴もいるだろうが、そんな例外はこの際考慮する必要はない。大多数の民衆が、親イザナ皇国に鞍替えしてくれさえすればそれで充分なのだ。
「連中を繋ぎとめる
もちろん、それで必ずしも効果が得られるとは限らない。根本的な問題……すなわち北部の貧困問題が解消されなければ、いずれはまた同じ問題に悩まされることだろう。
だが目先の支援とて、やらないよりはやったほうが良いに決まっているのだ。
幸い、我が国には豊富な物資と資金がある。支援する対象が一つから二つに増えたところで、別にそう大きな違いがあるわけではない。
「それとは別に、帝国系の活動家と市民連合の指導者層を排除するための潜入部隊も編成しないとね」
「飴と鞭ってやつだな」
イデオロギーにすがるしかない連中相手には、実利をもって真正面から迫ってやればいい。それをできるだけの国力がイザナ皇国にはあるのだ。
「国家戦略室にもこの方針を回しておこう。元老院メンバーを招集して、臨時会議だな。皆の意見も聞きたい」
「まあ、割とすんなりそのまま決まりそうな気がするけどね」
そう言う柚希乃は早速、軍の資料を眺めながら潜入部隊の編成に取り掛かっている。会議で方針が決定し次第、即座に作戦を開始できるように――――だろう。
仕事ができる優秀な女。まさに文武両道を地で行く柚希乃であった。
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