第140話 強かな女

「五七ミリ砲、四〇門。イザナ製歩兵銃を装備した小銃部隊が四〇〇〇。加えて弓や槍を装備した旧来型の兵士が四〇〇〇に、機動性を意識した馬匹ばひつによる輜重しちょう部隊が定数分。――――これらからなる混成師団が、現状北部ならびに東部戦線へと投入可能な我が軍の全兵力です」


 政務全般を手掛けるカザンスキー伯爵が、手元の資料を見ながら自らの主君へと伝える。


「……わかってはいたけど、決して多いとは言えないわね」


 そう答えるのは、ルシオン王国西方一帯を支配する親イザナ皇国陣営の棟梁たるエカテリーナ姫だ。彼女はその美しくも凛々しい顔を渋く歪めて続ける。


「ここシビルスクを守る近衛部隊に三〇〇〇、現状支配下にある各都市の駐屯部隊がすべて合わせて一万弱……。特に北部の駐屯部隊は削れないわ。困った話よね、本当」


 ルシオン王国北部に広がる市民連合支配領域のことを考えて、頭を悩ませるエカテリーナ。市民連合は、アンドロポフ護国卿や旧中央政権寄りの陣営と比べて大規模な進軍はしてこない。一方で、その思想に影響を受けた活動家や工作員が商人や旅人、各地を放浪している労働者などに紛れて虎視眈々と各都市を狙っているのだ。

 大規模な軍であればまだいい。大量の歩兵銃による圧倒的な面制圧火力と、斬竜巨兵ですらも撃ち抜く五七ミリ砲さえあれば、これらを機動運用することで敵軍団を早期発見し次第速やかに撃破できるからだ。

 だがスパイはまずい。うかつに侵入を許そうものなら、気が付いた時には味方だと思っていた都市から背後を急襲されかねないのだ。

 ゆえに北部方面の各都市の治安を維持する駐屯部隊を削るわけには断じていかなかった。


「加えて厄介なのが、奴らには首領格の人間というものがおりません。護国卿陣営であればアンドロポフかイーゴリ王子を、旧中央派であれば数人の王族を狙えば容易たやすく瓦解するでしょうが……市民連合には明確な指導者というものが存在しない。まったく、どうやって対応すればよいものか困りましたな」


 カザンスキー伯爵はそう言ってうめく。が、それを見ていたエカテリーナはそこまで悲観した表情をしていなかった。

 そんな主君の様子を目ざとく察したのだろう。カザンスキー伯爵は怪訝そうな顔でエカテリーナへと疑問を呈する。


「姫殿下? ……殿下には何かお考えがおありですか」

「ええ、まあね」


 そこで一拍置いてから、エカテリーナは机の上に置いてあった一冊の本を手に取る。


「これは市民連合の間で『聖書』などと呼ばれている本よ。目を通してみることをおすすめするわ」

「拝見いたします」


 本を受け取ったカザンスキー伯爵は軽くページを繰り、そして栞が挟んであったところで一旦手を止める。そのままそこだけをじっくりと読むカザンスキー。


「これは……思想書ですか? いや、それにしては嫌に宗教的な……」

「その分析は非常に的を射ていると思うわ。これを書いたのはヤークト帝国の学者だそうだけど、残念なことに母国では受け入れられなかったようね」


 その本に書かれていることを端的にまとめるならば、王政の打倒と市民による共和政体の樹立だ。ただ、その論拠となる思想には、なんとも言い難い著者礼賛の思想がところどころに散見される。


「神ではない個人を崇拝する類の、新手の宗教ですな。これは」

「しかもその個人とやらは、血統も社会的な功績も何もないただの学者。かの雷帝フリードリヒが治める帝国で、この思想が受け入れられる筈もないわね」

「ただ、支配者層への憎しみを煽るという点においてはこれ以上ないほどに人心を刺激する……と。なるほど、ルシオン王国侵略に利用されるわけです」


 厄介な、と先ほどよりも更に渋面になってカザンスキーが呟いた。彼の心の安寧はいつになったら訪れるというのだろうか。


「差し当たって、この手の言説にお詳しいであろう沖田陛下にもこの本を読んでいただくつもりよ。あのお方なら、何かしらの打開策なり弾圧政策なりを助言してくれるかもしれないわ」


 以前、内務卿の綾と実務面の話を詰めている際、この手の思想に関してもイザナ皇国の知識を多少聞きかじっていたエカテリーナである。自分たちよりも進んだ文明や社会制度、思想体系を豊富に持つイザナ皇国であれば、何か適切な対処法を見出せるのではないかと彼女は踏んでいた。

 エカテリーナの専門は軍事だ。政治にまつわることに関してはカザンスキーのほうがよほど詳しいし、そのカザンスキーがお手上げというのなら、あとはもう後ろ盾を頼るしかない。


 忠誠は誓うし、傀儡かいらいになることだって受け入れたエカテリーナではあったが、こういう部分ではなかなかに強かな彼女だった。転んでもただでは起きない女、エカテリーナである。








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