見せられないけど見たい笑み

幽八花あかね

見せられないけど見たい笑み

 お姉ちゃんに頼まれて、私は姪っ子を一日預かることになった。ちょっと前まで緊急事態宣言が出ていたこともあって、お姉ちゃんたちに会うのは一年と数ヶ月ぶり。


 姪っ子――茉美まみちゃんが生まれたばかりの頃から、私は彼女にメロメロだ。ふにゃふにゃしている赤ちゃんはそれだけで可愛いし、大好きなお姉ちゃんの娘ともなれば、なおさら愛おしい。


 今日は何をして遊んであげよう、会っていない間にどのくらい大きくなっただろう。なんて、私はけっこう楽しみにしていたのだけれど……。


「まみちゃーん、おねーちゃんと遊ぼっか?」

「やだ」

「まみちゃん見て見て! うさぎさんだよー」

「うざい」

「う、う――……!?」


 久しぶりに会った茉美ちゃんは、私にものすごくドライな対応をするようになっていた。あれ? 茉美ちゃんいま何歳だっけ……? 三歳ちょっとだよね。え、うざいなんて言うの? イマドキの子ってそんなこと言うの?? え??


 可愛い姪っ子の予想外の方向への成長に、私はおとなげなくショックを受けた。


 茉美ちゃんは、私からプイッと顔を背けて、ひとりで黙々とスマホのパズルゲームに励んでいる。てか、三歳児がそんなスマホさばきをできるものなのね?! もしかして大学生の私より上手いのでは……?


「ももねーね、じゅーしゅ」

「じゅーしゅ? ……ああ、ジュースね! わかった、もってきてあげる」


 お姉ちゃんから、茉美ちゃんのためのジュースや食べ物は預かっている。私は冷蔵庫からパックのりんごジュースを取り出し、ストローをさして、茉美ちゃんに「どーぞ」した。


「ありがとー」


 ステージクリアの文字が表示されたスマホを床に置き、茉美ちゃんはジュースをちゅうちゅうと吸う。ほっぺたがぷっくりとしていて可愛い。おもちみたい。なでなでしたい……けど、不必要な接触は良くないよね。私は大人なので、しっかり我慢する。


「ももねーね、ごみ」

「あ、はい! 捨ててくるね!」


「ももねーね(私)イコールごみ」だと言われたのかと一瞬勘違いしたが、なんてことない、ただゴミを捨ててほしいということだけだった。ふう、良かった。ホントにゴミだと言われたらツラすぎる。


 茉美ちゃんはジュースを飲み終えると、またスマホゲームを再開した。お世話を頼まれた私だけれど、できることはあまりなさそうだ。


 ゲームのやりすぎはダメよって怒っていいのかもわからないし、お姉ちゃんがスマホを渡していったってことは、これが茉美ちゃんの日常なんだろうし……。うーん……。 


「ももねーね」

「うん? どうした?」

「はーと、ない」


 ハート、つまりはゲームをプレイするのに必要なライフをすべて消費してしまったらしい。私の座っているソファに、茉美ちゃんはとてとてと歩いてきた。


「そっかぁ、ハートないないか。じゃ、おねーちゃんと――」


 お人形遊びでもしようか、と言おうとしたとき、口元に軽く叩かれるような衝撃が加わった。何かと思えば、茉美ちゃんが私のつけているマスクを触って――笑っている。


 彼女は私のマスクを手で引っ張って、離した。軽く叩かれるような感覚がして、バチンと音が鳴る。茉美ちゃんは楽しそうにきゃらきゃらと笑った。


 もう一度伸ばされそうになった手を、私はそっと静止させる。他人のマスクなんて、触らせたらたぶん危ないだろう。万が一にも、こんな小さい子が病気になったら大変だ。


「まみちゃん、ばっちいからダメよ」

「やぁだ」

「まみちゃん、めっ」

「むぅ」


 茉美ちゃんは唇をとんがらせて、寂しそうな顔をした。私はマスクをつけ直しながら、はっと気がつく。


 茉美ちゃんは、私が笑っている顔を見られないんだ。と。


 茉美ちゃんはまだ小さいのでマスクをしていないけれど、私はマスクをしている。茉美ちゃんは、一緒に暮らしているママやパパの素顔は見られるけれど、叔母さんやおじいちゃんおばあちゃんの顔は、会っても滅多に見られない。


 だって、これが感染症対策だし。小さい子が罹ったら大変だし。別に顔を見せる必要はないんだし、私はマスクをつけているべきだ。そうだ、それで合っている。けど。


 ……茉美ちゃんは、物心ついたときから、マスクをつけている人ばっかり見ているんだね。パパとママ以外の人の笑った顔、たぶんリアルでは全然見たことないんだろうね。


 自分の小さい頃の思い出と比較して、鼻がツンと痛くなった。なんなんだ、この状況。


「そうだ。まみちゃん、おねーちゃんと一緒に動画みよっか。おねーちゃんの大きいタブレットでみよう?」

「……みる」

「よしっ、ちょっと待っててねー」


 私はわざと明るめに振る舞って、大きいタブレット端末を持ってきた。キッズ向けの動画アプリを開いて、面白そうなものを選んでいく。


 できるだけ笑おう。楽しいって気持ちを茉美ちゃんに伝えよう。笑う顔は堂々と見せられないけど、笑い声は聞かせてあげよう。


 飛沫がどうとか空気感染がどうとかいう話もあるけど、マスクをつけているし、顔を向き合わせていないし、まあこのレベルなら許してくれ。何に許しを請うているのかは、自分でもよくわからない。


 おもしろ動画を見て、茉美ちゃんは楽しそうにきゃらきゃらと笑う。私はわずかな涙を滲ませながら、彼女と一緒に笑った。



 * * *



「ありがとね〜、もも。茉美のこと預かってくれて」

「うん! 茉美ちゃん、いい子にし――痛っ!」


 用事を終えてきたお姉ちゃんを迎え入れるため、玄関先まで行こうとしたとき、私は廊下の棚に足の小指を思いっきりぶつけた。おぅ、けっこう痛い……。


「あらあら、大丈夫?」

「だいじょばない〜、いたい〜」


 私が痛みにうずくまっていると、どこからか笑い声がした。お姉ちゃんではない、ということは……


「あらあらあら。茉美ったら、またこんなことで笑って」

「ま、まみちゃん……!」


 私を見てクスクスと意地悪げに笑っていたのは、茉美ちゃんだ。茉美ちゃんは大好きなママに抱きかかえられると、すりすりと顔を寄せて甘えている。


 クッ、羨ましい……! 私も茉美ちゃんに甘えられたい! 密接するのを許されたい!


 ジェラシーを募らせている私をよそに、お姉ちゃんはのんびりと言う。


「人の不幸は蜜の味、っていうのもあれだけど、茉美ってけっこう変なことで笑うのよね〜。そういうことなかった?」

「悔しい……! 私が派手に転んだりすれば、茉美ちゃんの天使スマイルをもっと見られたかもしれないのに……! なんで今日に限ってドジしなかったの私!?」

「桃も相変わらずね。元気そうでなによりだわ〜」


 次に会ったときは、もっと茉美ちゃんを笑わせられるように頑張ろう。いつか絶対、「ももねーね、大好き」とも言われるようになろう。


 お姉ちゃんの微笑みを見て、私はそう決意した。

 

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見せられないけど見たい笑み 幽八花あかね @yuyake-akane

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