142 『リストフラクチャー』

「なんという早業だー! サツキ選手、手首を折られてしまったー!」


 骨を折られる瞬間、サツキはヒヨクの計算がわかった。


「ッ!」


 ギリっと歯を食いしばり、痛みに耐える。

 直前には骨が折れることを察したおかげで、心構えができた。

 しかし味わったことのない痛みに声をあげそうになる。

 それを堪えに堪えて、サツキは身を守るために動いていた。

 ほとんど反射的な反撃であり、ヒヨクがつかみにいきにくい足払いである。

 ヒヨクはそれを、《中つ大地ミドルアース》で宙に浮くことによりかわす。

 そこをサツキは蹴り上げた。

 下からの攻撃をつかむことに慣れないヒヨク。腰をかがめてもサツキの足をつかむのは容易ではなく、それを逃れるために、ヒヨクは《空中散歩エア・ウォーク》で空中を跳ねるように距離を取った。

中つ大地ミドルアース》は相手を引き寄せるだけじゃなく、応用技の《空中散歩エア・ウォーク》のように相手から距離を取るためにも効果的な魔法らしい。ヒヨクの遁甲術は鮮やかだった。


 ――な、なんとか追い打ちからは逃れられた。


 それでも、痛みでサツキは歯の食いしばりを緩めることもできない。


 ――痛い……! こんな折られ方、初めてだ。一瞬頭が真っ白になりかけた。危なかった。ここで堪えれば、まだ戦える。


 ヒヨクを牽制し、サツキは努めて頭を冷静にする。


 ――落ち着いて振り返るんだ。


 さっき、ヒヨクが両手でサツキの右手を取ったとき、ヒヨクはサツキの左手をまるで気にしていなかった。


 ――右手を取って、右手首を折るまでに、ヒヨクくんは俺の左手にまるで構わなかった。なぜなら、気にする必要がないからだ。


 それはサツキの持つヒヨク対策の手札のせいでもある。


 ――俺には、手を取られた時点で二つの選択肢がある。その一、俺が左手でヒヨクくんに拳か掌底を叩き込む行動。その二、俺が左手の《打ち消す手套マジックグローブ》で自分の身体に触れて《中つ大地ミドルアース》を解除する行動。


 いずれの行動も、狙いの第一は《中つ大地ミドルアース》の解除にある。


 ――ヒヨクくんが骨を折る戦術を採った時点で、俺はこの二つの行動じゃあ逃れられなかったんだ。ヒヨクくんを攻撃する場合、左手の動きが大きく時間もかかる。その隙に骨を折るのは造作もない。逆に、俺が自分の身体に触れることを優先して《中つ大地ミドルアース》が解除されようと、骨を折るのに支障はない。最初から、完全に作戦負けしていた。


 ヒヨクがサツキの瞳を見て、


「まだ戦える。そういう目をしてるね」

「当たり前だ」


 サツキの瞳を見るヒヨクの目が丸くなる。油断もなかったその表情が変わり、小さく口が開いた。


「そ、その目は……その左目は、なんだ?」


 驚いた顔のヒヨクだが、サツキもまた、不思議な感覚を覚えていた。


 ――なんだ……なにかが俺の身体に起こっている。痛みが少しずつ引いていく。そして、左目がじんわり温かい。


 自分でもまだ状況がわかっていないサツキ。

『司会者』クロノがそんなサツキを見て言った。


「なんだなんだー!? サツキ選手の左目が、赤く輝いているぞー!? サツキ選手は魔法《いろがん》で瞳が赤く染まりますが、この輝きは今までのそれとはなにかが違ーう! 鮮血のような赤が輝いているー! そしてそして、折られた手首が少しずつ癒やされていくようにも見えます! 腫れが引いている! なにをしたのでしょうか!?」


 会場中の人たちはサツキの状態がわからない。

 ほとんどの人は見たこともない赤い輝きに目を奪われているが、その色味に覚えのある人間もいた。

 ルカがぽつりとつぶやく。


「まさか、あれって……」

「あの。ルカさん?」


 リラがルカを見上げて首をかしげる。


「なにか心当たりでもありますか」


 チナミにも聞かれて、ルカは言った。


「もしかすると、あれは悪魔の力かもしれないわ」

「悪魔の、力……?」


 ちょっぴり怖いのか、ナズナがリラとチナミにくっつきながら聞いた。


「私は、あの人……いいえ、人ではなく、悪魔・メフィストフェレスが、サツキになにかしたのを見たわ。ただ目を触っただけに見えたから、サツキが目も怪我していたのかと思った。でも、違ったのかもしれない」

「悪魔・メフィストフェレスって、伝説の中のあのメフィストフェレスですか? ルカさん、会ったことがあるんですか? しかも、サツキ様もいっしょに?」


 と、クコが身を乗り出す。


「闇医者・ファウスティーノのところよね、きっと。ファウストって人がメフィストフェレスを召喚した伝説はあたしも知ってる。名前が似てるから、関係があるかと思ったんだけど」


 ヒナに指摘され、ルカは答える。


「そうね。まさに、さっき会ってきたファウスティーノさんのところで会ったのよ」

「で、そいつがサツキの目になにかしたってこと?」

「ええ。おそらく、サツキの瞳には今《けんじゃいし》が埋め込まれているんだわ」


 モルグでルカが見たのは、メフィストフェレスがサツキの目に触れている場面だった。

 あのとき、メフィストフェレスはニヤリと薄い微笑を刻んだように見えて、それが引っかかっていた。

 メフィストフェレスの行動と微笑に意味があり、今サツキの左目が放つ赤い輝きが《賢者ノ石》と同じものだとすれば、サツキの瞳には《賢者ノ石》が埋め込まれていることになる。

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