72 『マノーラストローク』
翌日。
九月八日。
午前の十時半を過ぎた頃。
サツキはチナミと二人でマノーラの町を歩いていた。
「よかったんですか? 私とお出かけしても」
チナミがサツキを見上げ、いつもより少し声を小さくして聞いた。
表情はいつもの無表情にも見えるが、チナミなりにいろいろ気にしているらしい。
「うむ。なにも問題はない」
「でも、失踪事件についても調べるようですし、私たちだけ遊んでいるのも申し訳ない気がします」
「いいのさ。お出かけするのは約束だったからな」
「なんだか、タイミングが悪くてすみません」
せっかくお出かけする約束をしていたのに、それが失踪事件の調査とタイミングがかぶったのはチナミの落ち度でもなんでもない。
「気にしなくていい。こうやって町を歩くことで、なにか情報を得られる可能性もある。チナミも昨日まで修業を頑張っていたし、気分転換も兼ねてちょうどいいじゃないか。それに、参番隊が情報収集するのは、散歩がもっとも効果的な手段だと思ってる」
「そうなんですか?」
「たぶん。特に、アルブレア王国に上陸したあとは、参番隊には積極的に町に出て、町の人と交流しながら情報収集してほしいと考えてる」
子供なら大人が聞き出せないことでも聞くことができるときがある。シャーロック・ホームズが子供を使って調査させたのと同じように、参番隊ならではの仕事もあるとサツキは考えていた。だが、それも構想段階で、まだ形になってはいない。
もしかしたら、このマノーラでの調査がその構想にハッキリとした輪郭を持たせてくれるかもしれない。
また、チナミはサツキよりも一つ年下の参番隊の中でも一番頭脳派だし、こうした相談をするならチナミが最適だった。
「今日の午後以降、参番隊で行動する上で気をつけるポイントとか、聞きながらお散歩するといいわけですね」
「さすがチナミ。理解が早いな」
「いえ」
と、チナミははにかむ。だが、その表情の変化はかなり小さいのでわかりにくい。
「でも、そういうことなら安心しました」
「うむ。楽しみながら調査の予行演習をしよう」
「はい」
チナミの気分が軽くなったところで、二人は角を曲がった。
「目的の広場まで、もう少しでしょうか。待ちきれませんね、サツキさん」
そわそわして早足になるチナミが、サツキにはおかしかった。
「本当に好きなんだな、チナミ」
チナミは頬を桃色に染めて、
「はい」
「そうか」
「マノーラのジェラートは有名です。やっとこの日がきました」
と、照れを隠すように平坦な声で言った。
目的地は、ジェラートの屋台だった。一昨日、チナミとお出かけする約束をしたとき、
「私、行きたい場所があります」
とチナミは言った。
「食べたいものがあるんです」
そう聞いたとき、サツキはピンとこなかったが、それがジェラートだったのである。
「ジェラートが食べたいです。ジェラートは、マノーラでは有名なんですよ」
「そうだったのか。そういえば、俺の世界のローマでも、ジェラートは有名だったぞ」
「なんと。そうでしたか。では、食べるしかありませんね」
そんな会話をして、待ちに待った今日なのだ。
チナミは失踪事件の調査のことでの罪悪感もなくなり、気持ちが明るくなったことで、お散歩を心置きなく楽しんでいた。
サツキもチナミも元来がおしゃべりじゃないが、意外と趣味も合うから、いくらでもしゃべっていられる。端から見ればテンションも上がっていないように思われるかもしれないが、二人の会話は思いのほか盛り上がるのだ。
ただ、しゃべらなくても気楽で心地よい。チナミはそんなサツキとの静かなお散歩が幸せだった。
「サツキさん。今朝は、いつもより早めにヒナさんのお父さんのところへ行ったんですよね」
「うむ。チナミとの約束があるから、早めがよかったんだ」
「地動説の裁判のほうは大丈夫なんですか?」
ヒナとは昔からの友人で仲良しのチナミは、そのことも気になっていたようだ。サツキはうなずいた。
「問題ない。話すべきことも初日のうちにおおよそ話したし、あとは俺の世界の科学の話を浮橋教授が聞きたがっているんだ」
「ふふ。うちのおじいちゃんといっしょですね」
「確かに。二人共、科学者だからな」
と、二人は笑った。
「玄内先生はおじいちゃんといるときも浮橋教授といるときも、ずっとサツキさんの話を聞きたがっていっしょにいますね」
「そういえば、先生はそうだな」
「やはり、先生はものすごい科学者ですね」
「ふむ。そうともいえる」
と言ってはまた笑って、チナミは楽しそうに周囲を見回す。
「マノーラの街は、歩くだけで歴史を探索している気分になります」
「そうだな。『永久の都』と呼ばれている都市はすごい」
「はい」
チナミはサツキの顔を見上げて小さく微笑む。
「サツキさんも気分転換できているみたいですね」
「うむ。こうして歩くだけでも楽しいからな」
「ミナトさんだって小さい子たちと遊んでますし、サツキさんも遊ばないとです」
「ああ。ミナトはよく子供と遊んでるよな」
「すごく、なつかれてるみたいです」
サツキは「あ……」と声を漏らす。
「どうしました?」
「ちょっと思い出したことがあるんだ。ケイトさんが言ってたことがあってさ」
「ケイトさん、ですか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます