13 『チェレンカファンタジア』

 一面が花畑になっている。

 赤、黄、オレンジ、ピンクと四色の花がふわっと咲き乱れた。

 花は同じ種類らしく、茎との付け根に膨らみを持ち、四枚の花弁は大きく開いた形になっている。

 夢のような光景になったヴェリアーノ広場。

 チェロ奏者の生み出す音楽も、荘厳で優雅なものへと一変している。

 広場から先まで花畑になっており、どこまでが花畑なのかもわからない。

 一瞬にして世界が塗り替えられたことに、サツキは強い違和感を覚え、花畑が出現してものの一秒で、


 ――《いろがん》、開眼。


 瞳を緋色に変えた。

 すると、元の世界と同じ光景があった。


 ――やはり、魔法か。幻を見せるものとみた。


 サツキの魔眼は、魔力を可視化できるほかに、視覚に関する魔法を無効化することもできる。ただし、サツキ以外の人物へかけられた魔法にまでは作用しない。つまり、現在サツキだけが幻でない世界を見られている。

 まるで映画のワンシーンのようだった演奏が止まり。

 ヴェリアーノ広場に、声が降ってくる。


「はじめまして。士衛組のみなさん」


 声は、広場の象徴となる白い古代遺跡のバルコニーから聞こえた。男性の声である。気品を備えた声と抑揚には、敵意のようなものは感じられない。

 士衛組一同、声の聞こえてきたほうへと顔を向ける。

 バルコニーには、二人の人間がいた。

 サツキは、そのどちらも知らない。

 会ったことのない人物である。

 片方は青年、年齢はつかみにくいが、二十代だと思われる。恐ろしいほどに整った美しい顔を持ち、流麗な長い髪はさらさらと風にたなびき、背は一七八センチほど。純白の貴族服とマントが、どこか夢の国の王様か王子様のようにさえ見える。彼がサツキたちに声をかけた張本人らしい。

 青年の一歩後ろに下がって微笑をたたえているのは、十代後半の少女だった。金色の長い髪をツインテールにして、クコより一、二センチほど背が低いが、背筋が伸びて、物腰が大人びて見える。メイド服だから、少女は青年のメイドかもしれない。

 士衛組十一人の中で、一人だけこの二人に見覚えのある者がいた。

 しかしこちらが口を開く前に、青年は言葉を続けた。


「アタシは時之羽恋ジーノ・ヴァレン。アタシの魔法、《世界を奪う夢幻投影ユートピア・イン・ロマネスク》はどうかしら」


 このヴァレンの挨拶の間だけ音楽が途切れたが、またチェロは静か典雅な音楽を奏で始める。

 だれもが振り返る美貌の青年――彼を知っていた士衛組のメンバーは、リラだった。


「ヴァレンさん!」


 思わずリラが声をあげると、ヴァレンは麗しい微笑みを浮かべ、片目を閉じて挨拶した。


「チャオ。リラちゃん」

「お久しぶりでございます、リラ様」


 一歩後ろに控えていたメイドも、にこりとリラに微笑みかけた。うやうやしい丁重な口調には、しかし親しみが込められている。


「ルーチェさん! お二人とも、お久しぶりです!」

「士衛組の皆様、お初にお目にかかります。ワタクシはヴァレン様の『メイド秘書』、振作琉知ブレッサ・ルーチェと申します。以後、お見知りおきください」


 リラ以外の士衛組の面々は、名乗られたあとも相手が何者なのか、まるでわからなかった。ヒナなど数人が、どこかで聞いたことがある程度である。ルカもイストリア王国の情報を集めていたから風の噂程度にはわかる。だが、サツキはそれとは別によみがえる記憶があった。


 ――ブレッサ……どこかで……。まさか、顔も似ているし、もしかして……。


 ただし、玄内だけは当然のように認知していた。


「『ASTRAアストラ』のトップか。実際に見るのは初めてだな」

「『ASTRAアストラ』……って! あの!? 本当に!?」


 と、ヒナはやっと相手が何者か理解した。この地域のことは詳しいから、ヴァレンの名前も当然聞いたことがあった。だが、実際に見るのは初めてだった。


「な、なんで、そんなのと関わることになるのよ」


 まだリラしか挨拶を返せていないくらい、みんな呆然としている。そんな中、サツキはリラにささやく。


「そうか。前に言っていた、せいおうこくまで送ってくれたっていう?」


「はい」とリラは笑顔でうなずいた。

 今年四月――リラは、先に城を飛び出したクコを追って、アルブレア王国を旅立った。晴和王国を目指す旅に出たのだ。メイルパルト王国で碑文を解読する計画もあったが、とにかく早い合流を念頭に置いていた。晴和王国へと向かうためにも、まずはアルブレア王国から海を渡ってシャルーヌ王国にやってきたのだが、『芸術の都』と評される首都・リパルテで絵を描いていたところ、ヴァレンとルーチェに声をかけられた。今回みたいに大仰な形ではなく、気さくに絵を褒めてくれて、少しおしゃべりした。リラが晴和王国を目指していると口にすると、自分たちも行く予定だし、せっかくならいっしょに行きましょうと言ってくれた。ワープを使えるというので、リラはその申し出に甘えることにした。

 その後、晴和王国の王都で別れた。リラはすれ違ってしまってそのときはクコにも会えなかったが、西へ向かうリラの長い冒険と奇妙で幸運な出会いの数々は、この二人がその始まりだった。


「わたしたちも名乗るべきでしょうか」


 クコがリラと玄内に聞くが、サツキは言った。


「いや。あの様子、知っていることだろう」


 サツキの言葉に、ヴァレンは美しく気高い微笑で、


「ええ。アタシたちは一方的にあなたたちを知っているわ。でもね、局長さん。もう少しアタシの魔法を楽しんでくれてもいいのよ」

「そうですね」


 サツキは目を閉じて、また目を開いた。瞳の色は黒に戻っている。


 ――本当に、周囲が花畑になってる。ケイトさんとは違うタイプの幻惑魔法の使い手と考えていいだろうか。みんなの様子を見ても、みんなが幻を見せられているようだとすぐにわかった。つまり、幻を見せる対象は、個人じゃなくて範囲である可能性が高い。


 一度に複数人、それも十人以上を選定してこれほど高度な幻惑をかけるのは難しいだろう。

 考えているサツキに、ヴァレンは一輪の花を投げた。


「お近づきの印に、あなたにはこれを」


 花を受け取り、サツキはそれを見つめた。


「赤い、花……」


 この花の説明は、ヴァレンの隣に控えたメイドのルーチェが教えてくれる。


「そちらの赤い花、そして皆様がヴァレン様の魔法《世界を奪う夢幻投影ユートピア・イン・ロマネスク》によってご覧になっている花は、チェレンカ。マノーラを象徴する花であり、この『永久の都』ではよく愛されよく育てられています。そして、チェレンカには四つの色があります。レッド、イエロー、オレンジ、ピンク。特にレッドをピオチェレンカといいます」

「花言葉は、『喝采』または『勝利の先導』だったかしら」


 と、ルカが言った。


「はい」


 ルーチェはにこやかにうなずく。

 ヴァレンはミナトとリラにも一輪ずつ花を投げた。


「ミナトちゃんとリラちゃんにはこれをどうぞ」


 ミナトはピンクの花を一輪、リラはオレンジの花を一輪もらった。

 またルーチェが説明するところでは。


「ピンクをフェリチェレンカといって、オレンジがピアチェレンカといいます」


 にこにことミナトはお礼を述べる。


「ありがとうございます。ルカさん、この花言葉はなんです?」

「フェリチェレンカの花言葉は、『あなたに協力します』と『希望の便りを待つ』」

「へえ」

「そして、ピアチェレンカの花言葉は、『再会の喜び』と『つながる友情』だったわね」

「ヴァレンさん、ありがとうございます」


 リラも感謝を伝えると、ヴァレンは薄い微笑を浮かべて、ヒナへと目を落とす。ヒナは曲げた腕でちょっと顔を隠すようにして身体をのけぞらせる。


「な、なによ……?」

「ンフフ。ついでに、あなたにもあげるわ」

「べ、別にいらないんですけど」


 それでも降ってきた花を、ヒナはうまくキャッチできずに一度手のひらで跳ねさせてからつかむ。


「あたしのは、黄色……?」

「そちらはスペチェレンカです。ちなみに、花言葉は『恩返し』や『思いがけない協力者』という意味がございますよ」


 ルーチェの解説を聞いたあと、ヒナは我に返ったように言い返す。


「だから、別に興味ないわよ。でも、いただいたことにはお礼を言うわ。ありがとうございます」


 ぺこりと九十度のお辞儀をしてみせるヒナであった。

 ヴァレンは華麗にマントをなびかせて、背を向けた。


「ちょっと待っててちょうだい」


 身をひるがえして、マントが風にたなびくとき、そのマントが視界をすべて覆ったかに思えた。そんな錯覚で、視界をリセットされる。

 すると、また景色が元の世界に戻った。

 目の前に広がるのは、普段通りのヴェリアーノ広場。

 バンジョーが「うお、戻った」とリアクションして走り回って戻ってきて、ミナトは「おもしろいなァ」と笑っている。

 チェロの音色も、元の豊かな広がりあるものに戻っている。

 このあと。

 わずか数秒で、ヴァレンとルーチェの二人は広場に降り立っており、士衛組一行から十メートルほどの距離の場所にいた。

 カツカツと音を鳴らせて石畳を歩み、ヴァレンは足を止める。

 その距離、五メートルほどになる。


「お食事がまだって話だったわね。アタシがご馳走するわ。いいお店を知ってるから、そこでゆっくりしゃべりましょう。聞いて欲しい話もあるの」

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