42 『プリシラとスライム』

 メイド服をまとった奇妙な女騎士・プリシラは、クコとの一対一に集中していた。気だるげな瞳をクコから離さず、ほかの騎士たちが戦っている中でも、相手の出方をうかがうように距離を取っている。

 だが、プリシラは最初から、クコに対して魔法を仕掛けていた。


「王女。あなたはあの局長くんに騙されていると聞いたけど、本当?」

「ちがい……」


 そこで、クコはぐっと言葉を飲み込む。


 ――サツキ様も言っていたことですが、言葉を交わすことによって発動条件を満たす魔法もあるといいます。迂闊に答えるところでした。


 しかし、慎重なクコにもプリシラは平然と続ける。


「大丈夫。警戒すべきは会話ではないから。私は、王女がどこまであの小さな局長くんを信頼しているかが気になっただけ。魔法は会話とはまったく別の性質……スライムよ。魔法は《スライムづくり》。私は『アンニュイなスライム使い』って呼ばれる蔵深降調クラミー・プリシラだから」


 と、ダウナー気味の調子でプリシラは言った。

 クールな表情に比べて声は案外柔らかい。だから、クコもつい、口を開いてしまう。相手を信じやすいのがクコの長所でもあり短所でもある。


「サツキ様は信頼できるお方です。わたしは、全幅の信頼を寄せています。ブロッキニオ大臣のほうがなんらかの誤解をしているか、なんらかの企みを持っているのです」

「そう」


 信じたわけでもなく、クコとはわかり合えないと判じたわけでもなく、プリシラはただただ相槌を打った。


「ところで、スライムとはなんでしょうか」

「ドロドロぬめぬめした、粘性のあるもの」

「聞いたことがあります。でも、実際に見たことは……」


 プリシラは、スライムを見たことがないというクコに見せる。


「こういうものよ」


 その言葉に反応するようにして、水色のスライムがプリシラの両手に現れた。水まんじゅうを手のひらに乗せているみたいだった。プリシラは帯刀しておらず、両手でスライムを握っている。このスライムだけが武器なのか、これを補助として拳や足技で戦うのか。どちらかだろう。スライムをにぎにぎして、


「柔らかくて気持ちがいいの」

「なんだか、不思議です」


 つい夢中でスライムを見てしまい、クコはハッとする。


 ――そうでした。今は戦闘中です。でも、スライムとはどんなものなのでしょうか。武器も持たずに両手を塞いでいるなどの状況を鑑みても、戦闘にも役立てるものとみてよさそうですね。


 冷静な分析を試みるクコだが、知らないものには分析より先に観察と洞察が必要になる。

 一方のプリシラは、横で戦っているマルコ騎士団長たちには気を向けず、自分の世界に入ったようにしゃべり出す。


「私のスライムは、美容にもいいんだ。顔に塗ってパックすると、お肌もツルツル。王女が使ったら、局長くんも喜んでくれるかも……?」

「はっ……!」


 つい、クコはプリシラのそんな言葉に反応してしまう。


 ――サツキ様が、喜ぶ……!


 サツキが「クコの肌、きれいだ」と言ってくれるのを想像する。


 ――なんだか、そんなこと言ってもらえると、サツキ様が喜んでくれること以上に、わたしがうれしい気持ちになりますね。


 口元がにやけている。

 プリシラはそんなクコを冷静にじぃっと見つめる。


 ――王女、スライムに興味を持ってくれた。変な妄想してるみたいだけど。


 味方の騎士たちをちらっと見回して、


 ――スライムのこと……私の周りでは、だれも気味悪がって話も聞いてくれなかった。《純白の姫宮ピュアプリンセス》って言われるだけあって、王女は心も綺麗。そのせいで局長くんに騙されてるのか、それともなにかの誤解なのか。見極めるついでに、遊んであげようかな。すでに私は王女が好きになったし、悪いようにはしないよ。


 スライムがプリシラのほっぺたにうごめいてはりつき、


「こうやってパックすると、お肌もツルツルで気持ちいい」

「なるほど! そうやるんですか。プリシラさんのお肌、きれいですものね」


 それを後方から見ていたルカがつぶやく。


「なんだか、気味が悪いわね」


 むっとした目を一瞬だけルカに向けたプリシラだが、すぐさまクコに向き直る。


「王女、やってみたい?」

「はい! あ、いえ。今は戦いの最中です。わたしがあなたに勝利し、もしあなたがブロッキニオ大臣側につくのを改めるのというのでしたら、その時に」

「そう。では、私が勝った暁には、王女にスライムと遊んでもらおうかな」

「わかりました! では、いきます」


 クコが剣を持って走り出す。

 依然プリシラは両手にスライムを持ったままである。


「あ、スライムと遊んでもらうのは今からもそうだった」


 そんなことを付け足すプリシラに、


「やああああ!」


 斬りかかるクコ。

 しかし、その剣はプリシラの右手に受け止められた。正確には、剣の刃がプリシラの持つスライムによって受け止められたのである。衝撃を吸収され、ゲル状のそれは刃の切れ味さえ無効化している。


「これは……!」

「スライムよ」


 そう言って、プリシラの左手がクコの顔を正面からバチンと叩くようにしてスライムを打ちつけた。


「ふまま」


 と、クコはスライムに顔を覆われてうまく声も出せない。

 その隙に、右手に握っていたスライムごと剣の刃を握り込み、剣をクコの手から奪ってしまった。


 ――しまった。剣が……リラにつくってもらった剣が……!


 奪った剣を、プリシラは自分の後方へと放り投げる。戦闘中にあれを取りに行くのは難しいだろう。

 プリシラの左手はまだクコの顔を押さえている。


「えい」


 ややダウナー気味の声で、プリシラは左手でスライムをクコの顔面に強く押しつけたまま、クコを後ろへ押しやる。

 力に逆らわないよう、クコがおぼつかない足取りで下がって、両者の距離が取られた。


「んまままっ」


 クコが頑張って顔にへばりついたスライムを引っぺがして、両手に握った。やっと呼吸もできるようになり、


「ハァハァ」


 と息を切らせるように空気を取り込み、それからすーぅっと長く息を吸って、ふぅーっと長く息を吐く。


「ぐにゃぐにゃしてぬめぬめします。でも、意外と気持ちいいかも」


 改めて手にあるスライムの感触を確かめると、プリシラがクールながらもどこか満足そうに表情を和らげる。


「王女、わかってもらえた?」

「はい。でも、勝負はこれからで――すぅっん!」


 語尾がおかしくなってしまったクコ。

 理由は明白、プリシラがスライムを遠隔操作したためである。

 スライムは、クコの手の中でヌルヌル動いて袖から衣服に侵入し、身体中を這いずり回る。ひんやり冷たく湿った感触がクコの身体の表面でうごめいた。


「あ、しゃべってる途中にごめんなさい。王女、スライムは遠隔操作でも動かせるよ」

「そ、そんなぁ……ぅぅんっ」


 よがるようにクコが身をねじらせる。背中を冷たい感触が動く。


 ――アイスクリームを背中に入れられたような……それともなにか違うような感覚です。


 クコが背中に気を取られていると、プリシラが独特の平坦な声で語りかける。


「背中もゾクゾクするね。首もね、ゾクゾクする」


 と、プリシラが両手でスライムをにぎにぎしながらクコの衣服に侵入中のスライムを遠隔操作している。


「ま、負けません……っ」


 なんとか声を絞り出すクコであった。



 これらクコとプリシラの戦闘を天守閣から眺めながら、ルカは内心でため息をついた。


 ――クコったら、なにをしてるのかしら。


 スライムの性質なども興味深い戦いではあるが、その先で行われているサツキの戦いがルカにとっては気になっていた。


 ――シャハルバードさんたちは大丈夫に見える。クコもあれなら油断していても致命傷を受けるような戦いにはならない。フウサイさんは言わずもがな、負けるわけがない。ただ、サツキの敵は厄介そうだわ。

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