23 『振-慎-心 ~ Snake In Preparation ~』

 リラたちが妖怪『死霊』すいこつを退治したその日。

 南の海上を走る、三十人以上の客を乗せた旅客船『アークトゥルス号』。

 サツキはクコの部屋にいた。

 クコと向かい合って立ち、額を合わせ、感覚を共有する。クコの魔法、《感覚共有シェア・フィーリング》を使って魔力コントロールの練習をしていた。この魔法は額同士を合わせるのが発動条件になる。

 同時に、手をつないで発動させる《精神感応ハンド・コネクト》では、声を出さずとも心の声で会話できる。クコは今も二つの魔法を発動中である。


「(それにしても、よく思いついたな)」

「(思いつくって、なんのことです?)」

「(クコが玄内先生からもらった魔法、《パワーグリップ》のことだ。まさか、クコと感覚を共有することで、俺にもそのグリップ力を高めた状態の感覚を覚えさせ、力の伝達力向上を図ることができるなんて、考えもつかなかった)」

「(なんだか、サツキ様のためにもっとしたいって思っていたら、自然にひらめいたんです。ふふっ)」


 実は、体内を流れる魔力の移動を高速化できるようにするのが当初の目的だった《感覚共有シェア・フィーリング》での魔力コントロールの練習だが、今は《パワーグリップ》の感覚も共有するようになっていた。

 つないだ手では、指を絡ませるようにして、クコが力を入れる。その感覚をサツキが疑似体験して受け取る。今度は、片手だけは《精神感応ハンド・コネクト》で会話できるようにしつつ、もう片方の手は刀の柄を握るなど、握力の感覚も教える。地面を足で踏みしめる感覚も伝える。そうやっていろんな伝達力をサツキにも体験させていった。

 もちろん、サツキが追体験して身につけていっているのは、《パワーグリップ》の力の伝達をよりよくする魔力コントロールのみで、《スーパーグリップ》の摩擦による接着や、《グリップボード》の壁に貼り付ける技はさすがにできるようにはならない。

 だが、《パワーグリップ》には単純に筋力を高める以上の効果がある。


「(さあ。一旦、終わりましょうか)」

「(うむ)」


 二人は離れて、クコは魔法を解除した。


「お疲れ様でした」

「お疲れ様。ありがとう」

「始めてから一週間、随分と感覚をものにしてきていますね」

「うむ。おかげさまでな。最初の二日は俺もいまいちピンとこなかったが、三日目くらいからわかるようになってきた」

「はい」

「普段、マサミネさんに剣の素振りを見てもらっているときも、先生の教えを受けて修業をしているときも、前以上に無駄なく力が入るようになってる気がする」

「先生もおっしゃってましたね。わたしも、指導がいいと褒められてしまいました」

「うむ。クコは教師に向いてる」

「わたしはサツキ様だけの先生にはなれても、他の方には教えられるかわかりません」


 と、クコはおかしそうに言った。


「クコ。それじゃあ、俺はちょっとミナトと修業してくるよ」

「そうですか。わかりました。頑張ってくださいね!」

「うむ」


 クコは部屋を出て行くサツキを見送り、優しい瞳をそっと閉じる。


 ――サツキ様。わたしは、自分でも自分がわからない部分もありました。サツキ様がミナトさんといる時間が増えて、さみしい気持ちもあったんです。でも、不思議なことに、サツキ様のライバルとしてミナトさんに負けたくないって思わなかった。サツキ様にとってミナトさんは友だちとしても特別で、そんなミナトさんにサツキ様は負けたくない、追いつこうって、頑張ってグングン成長してます。それを応援したいって気持ちが、わたしは強かったみたいなんです。


「だから、わたしはサツキ様のためにできることを探して、わたしもサツキ様の隣で導いていける存在でいられるよう、頑張りますよ」


 つぶやき、クコは魔法の修業を始めた。




 サツキはミナトの部屋を訪れた。

 しかしミナトはいない。

 甲板に出てみると、一人で剣を振っていた。

 他に乗客はいない。

 ミナトはすぐにサツキの存在に気づくと、振り返ってふわりと微笑んだ。


「やあ。サツキ」

「精が出るな」

「あはは。そりゃあ、本気でやらなきゃ意味がない」

「最近はずっと俺の空手を教えてばかりだったし、久しぶりに竹刀で打ち合わないか?」

「いいねえ。僕はサツキの強さの秘密が知りたくて、新たな世界も知りたくて、ついついわがままを聞いてもらってばかりだった。今度は僕が剣を教えようか?」

「うむ。教えてくれ。俺はマサミネさんにも素振りは教わってるけど、実践をやるならミナトだと思ってるから。ミナトに勝てる剣を磨きたい」

「まいったなあ。僕に勝つって、そいつは剣の頂に挑むようなものだ。まあ、それくらいじゃないと張り合いもないけどね」


 くすりと笑って、ミナトは真剣を鞘に戻す。

 サツキはミナトに竹刀を突き出し、それをミナトが受け取る。

 二人は向かい会った。


「五日ぶりだったか」

「そうだねえ」

「じゃあ、行くぞ」

「どうぞ」


 にこやかに答え、ミナトは促す。

 サツキは足に力を込め、踏み込む。そして、正面から打ち下ろした。これをミナトが受けて、瞳が大きく開く。目を丸くした。


 ――サツキ……!


 次にサツキは袈裟に斬る。

 ミナトも即座に切り返すが、手に力を込めて払った。


 ――すごい! すごいよサツキ! 剣が格段に速くなってる。しなやかで、剣の先まで神経が通ってるみたいに丁寧なのに、込められてる膂力が違う。


 膂力、つまり腕力などの筋力のことである。シンプルなパワーが驚くほどに上がっていた。


 ――たった五日で、どれだけ成長するんだ。


 口元に笑みが浮かび、喜びが隠しきれない。


 ――うれしいなァ。楽しいなァ。こんな相手、今までいなかった。どうやって強くなったのかなんて、聞くのも野暮だ。それより、どんどん強くなってきてほしいよ。だって……。


 一瞬、ミナトの切れ長の目が細まり、横に一閃、竹刀が走った。


 ――まだまだ満足できないから! もっと、もっともっと強くなってもらわないと。


 サツキの竹刀が弾き飛ばされ、ミナトはサツキに剣先を向ける。

 悔しそうにミナトを見るサツキに、ミナトは透明な微笑みで言った。


「サツキ。もっとだ。もっとやろう」

「当然!」


 闘志むき出しのサツキの顔を見て、ミナトはうれしくてまた微笑んでしまう。


 ――好きだなァ、サツキのその顔。強くなりたいんだね。僕と同じだよ。僕も、キミといるともっと強くなれるって確信した。今日、キミの剣を受けて。やっぱり、この船に乗ってよかった。


 不服そうな目でサツキは宣言する。


「ミナト。今に笑えなくしてやる」

「そうこなくっちゃァ」


 楽しくて仕方ないミナトだが、闘志は、あるいはサツキ以上にバチバチと火花を散らしているのかもしれないと自分でもわかった。



 それから一時間、サツキとミナトはやり合った。

 いつの間にか、甲板には人もまばらに現れ始め、クコ、チナミ、ヒナも修業に混ざった。

 チナミとヒナは二人で剣を振り、クコはサツキとミナトと三人で修業する。

 ルカとナズナは応援だった。

 さらに、アキとエミもやってくる。


「あ、おおうみへびだ!」

「でっかーい!」


 アキとエミが大きな海蛇を見てはしゃぐ。体長は十メートルくらいはあるのではないだろうか。

 サツキは見たこともない大きな生物に驚く。


「あれって、魔獣なのか?」

「はい。海蛇が魔獣化して巨大化していったものです。大きいですね」

「でも危害は加えないって聞くよ。案外おとなしいんだって」


 クコとミナトはそんなことを教えてくれた。サツキは「へえ」と関心し、三人は剣術の修業を再開する。

 その横で、ヒナとチナミも剣の修業をしていた。

 ヒナは情けない腰つきで構え、ぜえぜえいっている。


「疲れたよ、チナミちゃん」

「修業したいと言ったのはヒナさんです。これだけでへばるのはどうかと思います」

「だって、もう結構素振りもしたし……」

「私の刀『れいぜんすか』は、良業物五十振りの一つに数えられますが、やや小ぶりなのが特徴です。だから少し軽い刀です。それに比べて、ヒナさんの逆刃刀『げんげつ』は刀としては普通よりやや軽いですが、その身長で持つには充分な重みがあります。その重みに慣れないと使い物になりませんよ」

「先生にちょっと軽くしてもらうってのはどう?」

「……。すぐ魔法や道具に頼ろうとする。なんだか、ヒナさんを見てると心配になります」

「どういう意味!?」


 ナズナは、その修業の光景を眺めている。応援のつもりで見ているのだが、アキとエミも応援のためにここに来たということらしい。

 ルカはただ読書しており、サツキとクコのどちらかがミナトと剣を合わせるとき、少ししゃべったりする程度である。

 今も、サツキが抜けてクコとミナトで剣を合わせる番になると、ルカは大海蛇について少し話してくれた。


「大海蛇は熱帯から亜熱帯くらいの緯度に生息するのよ。おとなしいけど、たまに好奇心を向けることもあって、人間に近づくこともあるわ。神経毒を持つから噛まれないように注意しないとね」

「そうなのか」

「大丈夫……ですよね?」


 ナズナが不安そうにサツキとルカを見るが、ルカは薄く微笑する。


「ええ。ほら、もう行くわ」


 ホッとするナズナと、やや安心するサツキである。

 アキとエミは大海蛇に「ばいばーい」と手を振って、また応援に戻った。


「みんながんばれー」


 エミが陽気に鼓舞し、アキが褒める。


「すごいよ、みんな。ヒナちゃんも昨日よりよくなってるよ!」


 ヒナはジト目でアキとエミを見やり、


 ――あの二人になにがわかるっていうのよ。さっきまで大海蛇見てたくせに。まったく。アイスなんて食べちゃってさ。


 と思うのだった。

 アキとエミは玄内にもらったというアイスをペロペロ食べながら見学している。純粋に応援しているナズナとはえらい違いである。


「がんばってくださいね」


 ナズナは小さな声だがわざわざ甲板に出てきて応援してくれる。

 ただ、アキとエミが忍者修業もこなす腕前なのを知らないのはヒナとミナトだけなので、ヒナがもやもやするのも無理はなかった。

 サツキがまた修業に戻る。


「頑張って」

「お、応援、してます」


 ルカとナズナがエールを送り、サツキは「ありがとう」と言ってミナトを相手に修業する。


「さあて、たくさん応援したしボクたちはバンジョーくんのお手伝いでもするか」

「そうだね! 味見役がいて助かるっていつも言ってくれるしね」

「うわあ、アイスがこぼれちゃった」

「大変、アキの服が」


 修業の手を止め、サツキがやってくる。かぶっていた帽子《どうぼうざくら》を手に取り、アキに言った。


「忘れるの《ぼう》の効果で、汚れる前の状態にできますよ。使ってください」

「そっか! サツキくんはせんしょうさんの帽子があったんだもんね」


 エミがぽんと手を合わせて、アキがニコニコとお礼を述べる。


「ありがとう。使わせてもらうね」


 パーカーを脱いで帽子に入れ、また取り出すと、すっかり綺麗になっていた。


「元通りだ」


 再びパーカーを着て、アキはポケットに手を入れる。すると、目をパチッとさせて驚いた。


「なんかある!」

「なに?」


 エミに聞かれ、アキはポケットから手を出した。手のひらには一欠片のビスケットがあった。


「これも玄内さんにもらったやつだね」

「でも、あと一口かぁ」


 残念がるエミに、アキが思いついたように言った。


「そうだ! 小槌で大きくしよう!」

「それだ!」


 エミは《うちづち》を取り出して、


「おおきくなーれ、おおきくなーれ」


 と振ってゆく。

 何度か振ると、ビスケットは元の一欠片の大きさからアップルパイの一切れ分くらいになった。それくらいに分厚い。


「やったー!」

「これで分けられるね! はい、アキ」

「ありがとう、エミ」


 バキッと割って分け合い、二人は仲良くビスケットを食べる。

 サツキはその様子を眺めて、


「そんな使い方もあったのか」


 と感心してしまった。

 元々、エミの小槌は一つ振ると一ついいことが起こるというものだと聞いたが、この分だと他にも効果がありそうである。りゅうせいきょうにじきりたきへ行くときだって、小槌で魔法道具《からすかがみ》を出してくれた。あれはエミの持ち物を一時的に貸してくれたのか、それとも別の効果だったのか。未だにわからない。アキに関しても、時間を止める以外に時間を戻すこともできたのである。さらに早送りみたいなことをしたこともあった。


 ――この二人の魔法について、聞くなら今だ。でも、聞かなくていい気がする。


 質問しようとしてやめたサツキと、ビスケットをかじるアキの視線が交わる。アキはにこっと無邪気に微笑みかけた。


「今日もまた強くなったね、サツキくん!」

「毎日そうやって丁寧に強さを積み重ねてるからだね。初めて会ったときよりずっとたくましくなってるよ」


 エミもウインクしてくれた。

 二人に褒められて、サツキは「あ、ありがとうございます」とはにかむ。いつも明るくなにも考えていないようで、その実よく見ているし、なにかと心遣いしてくれている。そんな二人には感謝があふれる。応援が力になる。

 アキとエミはビスケットの最後のひとかけをおいしそうに平らげると、みんなに手を振った。


「じゃあまたね、応援してるよ。きっともっと強くなれる」

「絶対にね。それじゃあ、ごきげんよーう!」


 二人の後ろ姿を見送り、クコがサツキに言った。


「エミさんの小槌にあんな効果もあったなんて、びっくりですね」

「うむ。小槌は俺の帽子みたいに魔法道具なのかな?」

「いいえ。エミさんの魔法だと言ってましたよ」

「そうか。そういえば、この帽子をもらったときも『仙晶さんがくれたんだよ』って言ってたような……。仙晶さんというのがだれか、クコは知ってるのか?」

「さあ。わたしは知りませんが」

「サツキ、細かいことは気にしない。さ、続きをやろうぜ」


 ミナトに言われて、サツキはまた気を引き締める。


「うむ。やるぞ」

「サツキ様、その意気です!」


 クコがぐっと拳を握って勇んだ顔で励ます。

 五人はこのあともしばらく修業を続けたのだった。

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