17 『髪-発-溌 ~ The Children Of Hair ~』

 翌日、海上。

『アークトゥルス号』の一室で、ヒナは鏡と向き合っていた。

 手にはハサミを持っている。


「あと0・5ミリだけ短く……」


 前髪に、ハサミを入れる。

 そのとき、天井から声が降ってきた。


「《潜伏沈下ハイドアンドシンク》。ヒナさん、ちょっと」

「うわあああっ!」


 シャキッと、ハサミが鋭い音を立てた。

 天井から声をかけたのは、チナミだった。《潜伏沈下ハイドアンドシンク》によって床に潜り、真下の階にあるヒナの部屋に顔を出したのである。


「……」

「ヒナさん……?」


 チナミがシュタッと降り立つと、いつもより三センチ以上前髪の短いヒナがいた。額の途中まで垂れた前髪が、幼さというよりアンバランスさを感じさせる。

 しかし、チナミは笑えなかった。


「ご、ごめんなさい……」

「うわあああん」


 ヒナは顔を押さえて、困ったようにもだえている。


「ちゃんとドアから入るべきでした。いっしょにオセロでもやろうと思ったのですが、また今度にします……」


 いそいそとドアから出ていき、チナミは自室に戻っていった。

 廊下を歩きながらつぶやく。


「どうしよう……」


 完全に、チナミが驚かせたせいでヒナが間違えてハサミを入れてしまったようだった。


 ――ヒナさんが前髪を切ってるなんて思わなかった。私が驚かせちゃったから、あんな前髪に……。こうなったら、よし!


 チナミは自分の部屋で鏡に向かう。

 手にはハサミを持ち、息を整える。


 ――ええい、ままよ。


 ぱっつんと前髪を切り落とした。

 鏡に映った自分の顔は、なんだかとてもおかしくも見える。ただ、ヒナもこうなってしまったのだ。


 ――ヒナさんだけみんなに笑われたらかわいそう。笑われるときは、私もいっしょですよ。


 新たな前髪にセットしたチナミは、またヒナの部屋に向かった。

 今度はちゃんとドアから入るため、ドアをノックする。


「はーい」


 思ったより声は沈んでいない。


「チナミです。入りますよ」


 同じ前髪を持つ仲間の部屋へと、ドアを開けて入った。


「似合いますか?」


 はにかみながら、チナミが問いかけた。

 室内は、各部屋に机が設えられている。机に座っている人からは、顔を横に向ければ、ドアが見える形になる。


「ん~? なに?」


 机に置いた鏡に向かって櫛をかけていたヒナが、顔を横に向ける。

 二人の目が合った。


「え……」


 驚き、目を丸くしたのはチナミだった。

 なんと、ヒナの前髪はほとんど戻っていたのである。

 ヒナはというと、噴き出した。


「ぷっ! あははは! どうしたのチナミちゃん! その前髪! なんか赤ん坊みたいだね! あはは! 可愛いけど似合うかはちょっと微妙かな」


 顔を赤らめながら、チナミは質問した。


「あの、ヒナさん。前髪は……切りすぎたんじゃ……」

「この前髪のこと? 実はこれ、《かみばしぐし》を使ったんだよ」


 ウサギのデザインの櫛で、どうやら魔法道具かなにからしい。


「魔法道具なんだけどね、髪をすくように櫛をかけると、一回につき1ミリ伸ばすことができるんだ。つまり、1センチ伸ばしたければ10回かければいいわけ。だから櫛かけて伸ばしてたんだよ」

「ひ」

「ひ?」

「ヒナさんのバカっ」


 めずらしくチナミが怒ったかと思うと、ヒナの膝の上にちょこんと座り、肩越しにヒナの顔を見上げる。


「ちょっと前髪を伸ばしてください。これでは人前に出られません」

「わかったよ。やったげる」


 ヒナはチナミに櫛をかけてやりながら話す。


「これ、この前王都で買ったんだよね。なんかカタログで商品を出してるお店があってさ」

「それは《ほん》の魔法で商品を置いているんです。『世界の目録ワールドインデックスふくひろかずさんという方がやっているカタログ販売のお店です」

「へえ。そういえば、絵本とか言ってたかも。あ、この《髪伸ばし櫛》ね、頭皮を叩くと、髪が増えるんだって。叩いた面積当たり、一回につき1パーセント増えるとかだったかな。薄毛にも効果ありって言ってた」

「じゃあ、完全に生えてない場合は効果が見込めないんですね」

「そうなるね。ま、あたしにはその機能は関係ないんだけどさ」

「薄毛に悩む人か、髪の毛を使う魔法の術者は、欲しくてたまらないでしょうね」

「あはは。そうかも」


 ヒナが他人事のように笑っていた。




「へっくしょん!」


 キミヨシは大きなくしゃみをして、トオルが聞いた。


「風邪か?」


 首を横に振って、キミヨシはぼやく。


「違うだなも。それよりもっとひどい症状だなもよ。もう三日も歩きづめ……疲れただなも」


 所はれいくに

 西の都・せいあんを出発したリラとキミヨシとトオルととんぱいぱいの四人は、岩山を歩いていた。

 現在、五月十八日。

 せんしょうほうが『はんようれいりんにさらわれてから三日が経ってしまった。

 ぼやくキミヨシをトオルが叱咤する。


「疲れてんのはおまえだけじゃねえ。仙晶法師さんがこっちに連れて行かれたのは昨日も見てるんだ。進むしかねえだろ」

「そうですね。頑張りましょう」


 リラも意気込むが、豚白白は地面に手と膝をつく。


「もう歩けないだっちゃ」

「おまえもかよ」


 ったく、とトオルは呆れた。


 ――キミヨシは足腰が丈夫だ。だからキミヨシのあれは甘えだが、豚白白は知らねえ。それに比べ、見たところリラは体力があまりない。にもかかわらず、よく歩いてる。


 トオルがキミヨシと豚白白の首根っこをつかんだ。


「リラだって歩いてるんだ。キミヨシ、仙晶法師さんの声は聞こえないのか? なんのために《きん》をつけてんだ」

「我が輩だってつけたくてつけてるんじゃないだなもよ」


 と言うが早いか、キミヨシはぴょんと飛び上がった。


「仙晶さま! 聞こえるだなも!」


 キミヨシには仙晶法師の声が聞こえた。


「(もしもし、キミヨシさん。聞こえますか? 岩山を越えた洞窟で一時、休憩を取る様子です。そこまで来てください。繰り返します。岩山を越えた洞窟で一時、休憩を取る様子です。そこまで来てください。どれほど休憩するかはわかりません。急ぐのですよ)」

「ふむふむ」


 とうなずくキミヨシにトオルが聞いた。


「なんだって?」

「岩山を越えたところにある洞窟で休憩するらしいだなも。急げと言っていただなもよ」

「よし。じゃあ助けに行くか」

「はい! キミヨシさんありがとうございます」

「頑張るだっちゃ!」


 リラと豚白白はやる気満々だが、キミヨシは呆れたように手を広げた。


「やれやれだなもね。『くん』さまは自分じゃあ戦えないのに指示だけはしっかりとしてなさる。まあ、『半妖』も助けるお人好しなところ、嫌いじゃないだなもが」


 一行はペースを上げて岩山を進む。




 リラが指差した。


「洞窟があります」

「あそこだなもね」


 岩山を越えて、仙晶法師が『半妖』嶺燐児と共に休憩しているという洞窟を探していた四人だったが、リラがその洞窟を発見した。

 豚白白が笑顔になる。


「じゃあ行こうだっちゃ」

「ちょっと待て」


 トオルが豚白白の肩をつかむ。


「どうしただっちゃ?」


 小首をかしげる豚白白に、トオルが説明する。もちろん、キミヨシとリラに対しての言葉でもある。


「闇雲に突入してもうまく行くかわからない。ここは作戦を立てて行こう。やつの特徴についてはすでに確認してるな?」

「はい。昨日、一昨日と、話し合いましたね」


 リラはそう言うが、豚白白はキミヨシに耳打ちする。


「なんだっちゃ?」

「《しんれんたん》とかって魔法で、目やら鼻やら口やらいろんなところから同時に火と煙を出すだなも。火傷もさせていたから熱量もしっかりあるだなもね」

「そうだったっちゃ。ありがとうだっちゃ」

「だなも」


 と、キミヨシがうなずく。

 だが、二人は生来的に内緒話が向いていない性格らしく、声が大きいためにリラとトオルにも会話が丸聞こえだった。トオルはジト目になるが、リラは三人に問いかけた。


「それで、案はありますか?」

「オレとしては、仙晶法師さんにもらった《月牙移植鏝ジョイントスコップ》で退路を確保するのがいいと思ってる」

「つまり、洞窟から少し離れた場所にあらかじめ穴を掘っておき、洞窟内で危険が起こったらすぐ逃げられるよう準備をしておくのですね」


 ああ、とトオルがうなずく。

 しかしキミヨシはおかしそうに笑った。


「うきゃきゃ」

「なにがおかしい」

「それは作戦とは言わないだなも。閉鎖される可能性のある空間でなくとも、どんなときでもやっておくべき習慣だなもよ」

「ほほう。それには同意だが、そう言うからにはおまえには作戦があるんだろうな?」


ちんもくげきりん』ともいわれるトオルが怖い顔をして詰め寄る。

 豚白白が二人の間に入って、


「ケンカはダメだっちゃ」


 と仲裁した。

 しかしトオルはハッと笑った。キミヨシも楽しそうに笑う。


「我が輩、トオルとは滅多なことケンカなどしないだなも。トオルは怖いからよく誤解されるだなもよ」

「おまえも余計なことばかり言うから誤解されるんだ。まあ安心してくれ。オレたちは遠慮なく意見を言い合うようにしてるし、それで互いに苛立つことなんざほぼない」

「うきゃきゃ、そういうことだなも。さて、我が輩は作戦を立案させてもらうだなもよ」

「聞かせろ」


 だなも、とキミヨシがトオルにうなずき、三人に向かってしゃべり出した。


「まず、目的の確認。仙晶さまを助け出すことが先決。それさえできれば敵を取り逃がしても最悪いいだなも。だが、捕まえたい」

「それにはオレも賛成だ」

「おいらもだっちゃ。でも、どうやって捕まえるっちゃ?」

「『半妖』は、人間の性質も強いだなも。ただの妖怪ならば人間みたいな呼吸さえいらないこともある。しかし半分は人間、洞窟に閉じ込めてしまえばもうそれで大丈夫。あの《しんれんたん》でも洞窟を破壊して外には出られないだなもよ」

「だな。じゃあ、仙晶法師さんだけを救い出して、あの嶺燐児ってガキは洞窟に閉じ込める寸法だな」


 トオルが話を進めようとするが、リラがおずおずと手をあげた。


「あの。あの子はまだ子供でした。閉じ込めてしまうのはあんまりです」

「なに言ってんだ、リラ。甘いこと言って助けたから仙晶法師さんはさらわれたんだ。また甘い顔すりゃあ、なにされるかわかんねえぞ」

「それはそうですが……」


 しゅんとするリラを慰めるように、キミヨシが背中をぽんと叩いた。


「元気出すだなも。きっと、天国でも幸せにやるだなも」

「おい……」


 と、トオルがキミヨシに苦笑を向けた。


「いいや、我が輩は手を下すなんてまっぴら……あの中で静かに余生を過ごしてもらうだなもよ。冗談のつもりはないが、逃げられるよりは閉じ込めたい。リラちゃん、気にすることないだなも。どうせ、お人好しな『君子』さまが殺すなと言って、説法、あの子はうまく行けば改心するし、仮に改心しなくとも仙晶さまの言葉を聞けば悪さをしにくくなるだなも」

「そうですね」


 リラはにこりとした。

 豚白白は眉を下げて、


「でも、戦うんだっちゃ? おいら、ちょっと怖いっちゃ」

「怖い? そうだなもか? 豚白白くんは『みずせん』。水は火に強いだなも」

「『水の戦士』……」


 キミヨシの言葉に、豚白白は俄然やる気になった。


「おいら、やってやるだっちゃ! 仙晶法師さんを助けるっちゃ!」

「その意気だなも!」


 まんまとキミヨシに乗せられ、豚白白はすっかり『水の戦士』になっていた。

 リラが今の内容をまとめて口にする。


「では、仙晶法師さんを嶺燐児さんから引き離し、嶺燐児さんを豚白白さんの水の魔法《魔力之泉ウォータータンク》で倒す、ということですね」

「そうだなも」

「仙晶法師さんを引き離すのが課題ですか」

「それは我が輩が。さて、我が輩も魔法を使ってみるだなもね」


 キミヨシは髪を一本引き抜く。


「本当はあんまり使いたくなかったが、必要に応じて使うのが賢い使い方だなも。ふうっ」


 と、キミヨシは指先でつまんだ髪の毛に息を吹きかける。

 宙に舞った髪の毛は、一瞬で人型になった。

 それも、キミヨシとまったくそっくり同じ人型である。服装からなにまで分身のようだった。

 リラはそれを見て、


はくせきさんのところで使った《たいよう》ですね」

「だなも。我が輩の魔法《太陽ノ子》は、司伯石さんのところで使ったみたいに、本来は戦闘用に使うものじゃないだなも。髪の毛に息を吹きかければ、分身体が作れる。我が輩が『親』。もう一人の我が輩は『子』」

「しかし」


 と分身体のキミヨシが続きを引き取り、


「分身体の我が輩には、本体――つまり『親』の我が輩みたいに《太陽ノ子》は使えないだなも。そして、『親』は『子』の頭に手を当てれば『子』を吸収することができ、そこで見た物や聞いたことなど記憶や知識が引き継がれる。経験や体験も同じで、例えば、竹馬に乗れるようになった『子』を『親』が吸収すれば、『親』も竹馬が乗れるようになっているだなも」

「『子』たちは我が輩の命令に絶対。『親』の我が輩が絶対的存在だなも。一度に何体も作れるし、時間制限もないし、忍者の影分身と異なりちょっとしたダメージを受けたら壊れるような分身体じゃない。通常の人間同様に死を迎えるでもなければ生き続けるだなも」

「だから我が輩たち『子』は、晴和王国各所に住み着き情報を得て、いつか風雲に乗じて立身出世するために備えているだなも」

「出世したあとはさらに便利。情報ほどの武器はないだなも。それも今度の旅は世界に細作を放てる」


 細作とは、つまりスパイのことである。


「今後の司伯石さんの活躍を見込んであそこに置いてきたのは正解だと信じているだなもが、戦闘で使うことになろうとは……」


 そこまで『親』と『子』が交互にしゃべっていたキミヨシだったが、トオルがバッサリと言う。


「諦めろ。仙晶法師さんの旅の目的は、燈灯とうとうさんの元へ行った時点で広く知られちまった。仙晶法師さんの魔法を狙う輩や、その経典を渡したくない輩が邪魔をしに来るのは道理だ」

「やれやれ。トオルの魔法はまたあとで使うこともあろうが、我が輩はさっそく頑張らせてもらうだなもよ」

「よろしくお願いします」


 リラが言うと、二人のキミヨシが同時にニコッと笑ってみせた。


「任せてほしいだなも」


 声をそろえて胸を叩く。動作もそろっていた。そして、『親』と『子』は握手して肩を抱き合う。


「我が輩たちの連携を見せてやるだなもよ」

「頑張るだなもね」


 そんな二人に、豚白白が聞いた。


「ところで、どうやって仙晶法師さんを引き離すっちゃ?」

「それは、見てのお楽しみだなも」


 再び声をそろえて答えた『親』と『子』のキミヨシ。

 五人になった一行は洞窟へ進み出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る