33 『満天スマイル』
もう何年も前であった。
ヒナが幼かった頃、父は望遠鏡を見せてくれた。
「ヒナ。覗いてごらん。この望遠鏡から、木星が見える」
「うん。見える」
と、ヒナは望遠鏡を覗いた。
「よく見ると、その周りを回ってる星があるだろう?」
「うん。ある」
「それは、地球の周りを月が回っているのと同じように、木星の周りを回る星があることを示している。だったら、地球や木星だって別の星の周りを回っていても不思議じゃないと思わないか?」
そう言って、父はうれしそうに微笑んだ。
他の星のことも教えてくれる。
「金星は太陽のちかくにあるね!」
「それは、金星が地球より内側で太陽の周りを回っているからなんだ」
「へえ! じゃあ火星は?」
「火星か」
「どうして火星はふらふらしてるの? いつも変なところにいるよ」
「おそらく、火星は地球の外側を回ってるんだ。そして、速度も地球と違うんじゃないかって思う。回る速さが違うのは、他の星もそうだけどね」
「そっかぁ!」
記憶のフラッシュバックに、ヒナは心が震えた。サツキに引きつけてられて、自分の感情がどんなものなのかもわからないほどだった。
しかし、サツキはヒナの過去をなにも知らない。
サツキにはヒナがぼーっとしているように見えて、他にもわかりやすい手がかりを示す意味でも、言葉を続けてみせた。
「金星を見たこともあるだろう? 金星って、いつも太陽の側にあるなって疑問はなかったか? あれは、金星が地球より内側で太陽の周りを回っているからなんだぞ。一方で、火星は地球と双子星とも言われるくらい大きさとかも似てるけど、地球より太陽までの距離がちょっと遠いんだ。しかも公転……つまり太陽の周りを回る速度が違う。そのせいで、火星はいつもふらふらと計算できないような動きをしているように見える。水星は太陽にもっとも近い惑星だな」
「……」
父が話してくれたことは、どれもヒナの好奇心を刺激し、理に適っていてヒナの理性も満足させた。いろんなことを教えてくれて、優しかった父が、ヒナは大好きだった。
今、目の前にいるこの少年も、大好きだった父と同じことを言っている。
ヒナは自分でも説明できないような感情が溢れてきて、なんと言っていいかわからない。
「ど、土星は?」
出て来た言葉は、自分の望遠鏡では観察しきれない星に関する問いだった。他にも聞きたいことがあったのに、なぜかそれを聞いていた。
「土星は地球より太陽からずっと遠くにある。それは知ってるだろう?」
「うん。どんな形?」
「……」
サツキは冷静にヒナの目を観察し、その瞳に浮かぶ感情を読み取ったようだった。
「ヒナの望遠鏡では、いや……この時代の望遠鏡では観察しきれないのか」
「そうよ。お父さんが言うには、三つの星が合わさったみたいだって」
「まあ、ぼんやりとした輪郭だけ言えば、そう思っても仕方ない」
と言いつつ、サツキは砂浜に円を描く。そこに輪っかを描き足した。
「星の周りに輪っかがあるんだ。そのために三つの星が合わさったように複雑に見えたのだろう」
「輪っか!? なにそれ! なんで!」
「輪っかがあるように見えるだけで、これは細かい氷なんだ」
「氷!?」
これからの旅で、ヒナが父に再会するまでに、父もまた土星の輪っかを発見することになるのだが、この土星の輪っかの存在を現時点で知っている者はいなかった。
「氷の星がぶつかり合ってできた氷や岩が衛星のように土星の周りを回って、輪っかになったそうだぞ」
「そんなことが……」
サツキは夕空にうっすらと浮かぶ月を見上げた。
「ヒナだったら、これを聞いたらもっと驚くかな」
「なに?」
ちょっとしたいたずらでも仕込まれたような気がして、ヒナは口先をとがらせる。
「俺のいた世界では、人が月に降り立つんだ。ロケットという乗り物に乗って宇宙空間へ行ける」
「はぁ!?」
ヒナは驚きすぎて、のけぞってから笑った。
「それはさすがに信じられないよ。あははは」
「冗談なものか。月の表面の映像はおもしろかった。隕石が衝突してできたくぼみをクレーターというんだが、これによって月の表面はデコボコしているんだ。地球から見えない反対側はもっとクレーターも多いという。雨や風のない月面には、隕石衝突の痕跡がしっかり残るんだ」
「なにそれ! もっと聞かせて!」
ずいっとヒナがサツキに詰め寄る。
――お父さんが言っていたことと同じ! サツキ、やっぱり普通じゃない!
至近距離にまでヒナが顔が来て、サツキはそれをかわすように言った。
「あとでな。俺のいた世界は、そういったことがわかるくらい、人間は宇宙に近い場所まで来ているんだよ」
「月に行ったっていうのは、ホントなのね」
「うむ。ロケットはこういう形で……」
と、サツキは砂浜に絵を描く。
サツキの興味深い話は、ヒナにいろんなことを知りたいと思わせる知識欲を刺激させる。話題が移ってもなんでも話を聞いていたい。
「そんなので飛ぶの?」
「そのためにたくさんの人たちが作り上げていったものだからな。それなりの論理があるのさ」
「ふーん」
つぶやき、ヒナはこの波打ち際に文字を書き記してみせた。
『論理の欠片をすべて拾い集めれば、必ず結果が形成される』
それを読んで、サツキは聞いた。
「これは?」
「あたしのお父さんが残してくれた言葉よ」
「科学者らしい言葉だな」
ヒナはちらとサツキの顔を見て口元だけで笑う。
――サツキだって、さっきカナカイア相手に同じようなこと言ってたじゃん。
そんな論理的な考え方も、地道な姿勢も、嘘がつけないところも、このサツキという少年は父に似ている。
だが、ヒナはまだそこまで気づかない。
話を続ける。
「地動説を証明するために論理の欠片を探すお父さんと同じで、サツキの世界の科学者たちも論理の欠片を集合させてそのロケットを作ったってことよね」
「うむ」
サツキがうなずいたとき、ヒナの書いた言葉に波が打ち寄せた。
「あ、波にさらわれちゃった……」
文字が消える。サツキの描いたロケットも流された。
寂しそうにするヒナに、サツキが軽く言う。
「いいさ」
ヒナが「むぅ」と不満げにサツキを見る。しかし、サツキはその視線を柔らかに受け止めて、
「それは、俺たちが今から拾い集めに行くんだろう?」
照り返すサツキの視線に、ヒナの瞳は揺れ動いた。また感情が揺さぶられる。ぎゅっと気持ちを抑えるように腕組みした。
「……と、当然よ! そのロケットの話とかも、あとで聞かせてよね」
「機会があればな」
「いっしょに旅すれば、いくらでもそんな機会あるでしょ?」
と、横目にサツキを見る。
「そうだな」
ヒナは腕を解いて、うなずいた。
「うん」
ヒナは決心する。
――サツキ! やっぱり、あたしにはあんたが必要みたい! だから、言うわ。
だが、いざ言うとなると、また照れくさくなってしまう。
「それで、仲間になるって話、本当なんでしょうね?」
こんな言い方が精一杯だった。
ついさっき、サツキが地動説証明の方法を知っているかもしれないと思ったときには手まで取っていっしょにイストリア王国まで行って欲しいと言ったくせに、確かめるように口調になる。
サツキは、ずいっとヒナに距離を詰められ、上目で見られる。
「この旅は危険なものだ。幾度となく戦うことになる。同行する場合、力を借りる場面もあるだろう。その代わり、俺も地動説証明のために力を尽くそう」
「約束、だからね?」
「約束だ」
「うん」
うむ、とサツキはうなずき返した。手のひらを差し出すようにして、
「ヒナ。それでよければ、仲間にならないか? 俺たちで、地動説を証明しよう」
戦うことも、力を借りるということも、ヒナを心配して気遣って言ってくれたことだと、それくらいはヒナにもわかった。
――久しぶりに、だれかと星の話をしたな……。
地動説という言葉を聞いたからか、サツキの不器用ながら真摯に向き合う姿勢を見たからか、星座の話を聞いてくれて父との天体観測や会話を思い出したからか、それはわからない。知らずに、いつのまにか目の端に涙の粒をためていたヒナは、サツキに背中を向けてそれを指で拭う。
――めげずに、続けてきてよかった。小さくなってた誇りでも、必死に守ってきてよかった。こうしてサツキに会えたんだもん。サツキはきっと、信じられる。信じてみようかな。お父さん、信じてみてもいいよね。信じてみたいんだ。この不思議な引力を。
自分をここまで引き寄せる星のような引力に、賭けてみたくなった。
――あたし、期待しすぎてる。でも、サツキ以外にあたしの答えはない。
気持ちを固めて、サツキに見せる笑顔を選ぶ。できれば、心からの素直な笑顔で応えたかった。
サツキがその答えを待っていると。
ヒナは振り返って、空いっぱいに星の花が咲いたような、明るくかわいらしい笑みで言った。
「ありがとう! よろしくね、サツキ。地動説、証明してみせよう!」
そして、ヒナはサツキに手を伸ばした。
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