21 『爆走アシスト』

 ヒナは歩いていた。

 ぼやく。


「ここはどこぉ?」


 元々、この辺りの地理を詳しく知っているわけではない。それがおかしな自転車乗りの騎士に追いかけ回されるまま逃げていたら、よくわからない場所まで来てしまっていた。


「まずは船の案内所のほうへ戻らないとよね」


 とぼとぼ歩いていると、声が聞こえてきた。


「あれ? この声、聞き覚えあったような……」


 その声が近づいてくる。


「おまえも災難だったよな。安直に飛び込むからびしょ濡れになるんだぜ?」

「でも、あいつが飛んだからよ」

「ああ。飛んでたな」

「ウサギみたいに、びょーんってよ。しかもほら、あんな風に頭にはウサギの耳までつけ……て? お?」

「おお?」

「おお!」

「うおお!」

「あいつだ!」

「見つけたぞ!」


 会話の内容、声によって、ヒナはやっと相手を特定できた。しかも、自分を指差している。ヒナも思わず会話をしていた二人組を指差す。


「あの変な騎士二人組!」


 すぐさま、ヒナはダッシュする。


「逃げたぞ」

「追え!」


 ヒナは、急に方向転換したせいで一度つんのめるが、すぐに持ち直して、再びダッシュする。


「やっと自転車女を振り切ったと思ったのにぃー!」


 一度振り返り、相手との距離を確認しながら角を曲がる。急カーブになったせいで、足がもつれて絡まり、顔面を壁にぶつけてしまう。痛みも忘れてまた走る。


「なんでこうも厄介事に巻き込まれなくちゃならないのよ!」


 さらに角を曲がるが、足音はこちらに向かってきている。


 ――あたしの《うさぎみみ》は、足音で相手がどこにいるかだいたいわかる。あいつらを振り切るには、もっと複雑な道に入らないといけないみたいね!


 後ろから声が聞こえる。


「あっちだ!」

「逃がすか」


 角がもっと入り組んでいないと、曲がって曲がっての連続で姿をくらますのは難しい。


 ――せめてちょっとでも戦うすべがあれば、こういうときも逃げ切りしやすくなるのに。


 無い物ねだりを考えながら、聴覚をとがらせる。


「超音……波って、出すの……難しい……かな?」


 この先の角を曲がったところから、そんなことを言う少女の声が聞こえた。

 ヒナは内心で即答する。


 ――人間には無理! 魔法でも使わなければね!


 相変わらず後ろからは声が飛んでくる。


「『いろがんしろさつきの居場所を吐いてもらうぞ!」

「そんなのこっちが聞きたいわよ!」


 言い返すと同時に、あの騎士二人組をまくための方策を立てる。


 ――この先の通りには、子供がいる、他の人の声もある。人通りは多い。目くらましになってくれるはず。ここからが勝負!


 だが、ヒナはさっきの少女たちの会話がピタッと止まったことに気づかなかった。


「待ちやがれ!」

「待つわけないでしょーがぁー!」


 交差点を右折し、曲がり切れずに前転までして立ち上がり、顔を上げて道全体を見渡す。


 ――人はまばら! まずい! 曲がる場所もない! この先は一本道じゃないの!


 ヒナは涙目になりながら叫ぶ。


「こうなったら先行逃げ切りぃー! うわあああああ!」


 ダッシュでまっすぐ駆け続ける。


「お! いたぞ!」

「あっちだな!」


 後ろからは声も足音も聞こえる。

 それでも、ヒナは全力で踏み込み、全開で走った。


「負けないんだからああああ! うわあああああ!」


 目を開けると、前方には浦浜のシンボル、浦浜マリンタワーが建っていた。ヒナにとっては趣味の悪いいびつなタワーだが、わかりやすい目印でもある。


「あ! マリンタワーが見えたっ!」




 この一分ほど前。

 ナズナは水族館のことを話していた。ずっと楽しかったねという話をしていたのだが、なにか思いついたように言った。


「超音……波って、出すの……難しい……かな?」

「……」


 チナミは考える。


 ――私、詳しくないからわからないけど、たぶん難しいとおも……。


 思考を止める。


「『いろがんしろさつきの居場所を吐いてもらうぞ!」

「そんなのこっちが聞きたいわよ!」


 この先の交差点を左に曲がった通りから、そんな声が聞こえてきた。サツキという名前に反応して警戒態勢に入る。しかも、片方は聞き覚えがある声だったから、チナミは驚いた。


 ――ヒナさん!?


 それは旧友の名前。

 チナミにとって、ナズナ以外のもう一人の幼馴染み。

 くいっとナズナの服の裾をつかみ、口に人差し指を当てた。


「?」


 小首をかしげるナズナに、チナミは説明する時間もないというように、巻物を口にくわえた。

 くノ一衣装に変身する。

 そして、ナズナの影に溶け込むようにすぅっと入った。

 免許皆伝の巻物を口にくわえ、くノ一姿になれば、チナミは三つの忍術を使うことができる。

 その一つが、


 ――《かげがくれじゅつ》。


 人の影に隠れて潜む術である。

 影に目あり。

 潜んでいても、影に目があるように、その高さの視点からにはなるが、周囲を認知できる。呼吸できない《潜伏沈下ハイドアンドシンク》、魚眼レンズのような視界にもなってしまうそれより、今は影に潜むほうが次に備えやすいというものだった。


「待ちやがれ!」

「待つわけないでしょーがぁー!」


 また声が聞こえた。


 ――やっぱり!


 角を曲がって走ってきた人物を見て、チナミはそれが旧知の幼馴染みであるとわかった。


 ――ヒナさんだ。相手は、サツキさんを狙っている……?


 ヒナが叫びながらまっすぐ全力疾走する。


「こうなったら先行逃げ切りぃー! うわあああああ!」


 続いて、二人組が角を曲がってきた。


「お! いたぞ!」

「あっちだな!」


 と、彼らは確認し合う。


 ――あの服装、アルブレア王国騎士だ。じゃあ、敵。


 チナミは、騎士が自分の前を通り過ぎた直後、影から飛び出して、騎士二人の足首をつかんだ。


「《潜伏沈下ハイドアンドシンク》」


 そっとつぶやき、ズボッと騎士二人を地面に引きずり込む。

 下半身がまるまる埋まるほど深く沈め、チナミ本人はさっと地面から飛び出した。


「な、なんだ?」

「なにが起こった?」

「埋まってないか?」

「おまえは……」

「士衛組の『ちいさなごとにんかわなみ!」

「そう! 小さな――」


 目の前に現れたチナミを見上げる騎士二人に、チナミは「小さくないです」と言葉をかぶせて、扇子で風を送る。


「《みんえん》」


 何事かと目をしばたたかせる騎士二人組は、砂が目に入って「いてっ! いてて!」とか「うお! 痛い痛い痛い!」とかうめくと、次の瞬間には眠ってしまっていた。


「ぐごー」

「ずずずぅー」


 見ているばかりだったナズナが、チナミの横まで来ておずおずと聞いた。


「騎士の……人たち?」

「おそらく」


 ナズナがヒナの走っていったほうを見るが、もう姿も見えなくなっていた。

 チナミもそちらに顔を向け、


「提灯、渡しそびれた」


 ぽつりとつぶやいた。




 その頃、ヒナは夢中で爆走して、細い路地裏に駆け込む。

 ヒナがやっと入れる路地だったから、騎士が入り込むこともできまい。


 ――ここならあいつらも入ってこられないでしょ。……あれ? 声も、足音も、聞こえない……? 途中から夢中で音なんて聞いてなかったよ。


 するすると蟹歩きで移動する。


 ――逃げ切り成功ってこと? あたしって、実は足速い? なんてね。へへへへ。


 大通りに出る。

 そこで、ヒナは見た。

 相手も、ヒナを見た。


「……そんなところで、なにニヤニヤしてるんだ?」


 ヒナはへんてこな構えを取り、手を手刀にして聞き返す。


「あ、あんたこそ、こんなトコでなにしてんのよ? 城那皐!」


 目の前にいたのは、なんの偶然か、ヒナが探していた人物――会って確かめたかった相手だった。

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