21 『鳶隠ノ里からお逃げください』

 サツキは外を歩いた。

 クコとの魔法の修業を終え、部屋をあとにし、屋敷の庭先に出たのである。近場を散歩するつもりだった。寝る前に頭を空にしようと思った。

 すると、宿の庭先にいるバンジョーを見つけた。


「おう。サツキか」


 声をかける前に、バンジョーがサツキに気づく。


「どうした? こんなところで」

「いや、この里が懐かしいなって思ってよ。昔、よくフウサイとはケンカもしたんだ」

「それは今も同じだ」


 くすりとサツキが笑うと、バンジョーはヒッと歯を見せて笑い返す。


「ちげーねえ。アイツ、クールに見えてすぐムキになるんだ。ついでに負けず嫌い。再会しても全然変わってなくて笑っちまったぜ」


 懐かしい友との再会を楽しむ様子のバンジョーを見て、サツキは小さく微笑む。


「きっと向こうも同じことを思ってるんだろうな」

「そうか? 確かにオレは今も昔も、料理バカだからな! なっはっは!」


 おかしそうに笑って、バンジョーは真面目な顔で言った。


「ま、フウサイのヤツはちっとばかし面倒なトコもあるけどよ、アイツが仲間になったら絶対に力になってくれると思うぜ」

「ああ」


 と、サツキがうなずいたとき――。

 周囲の茂みから、音が聞こえた。バンジョーは聞こえたそぶりすら見せていないが、サツキにはそれが人であることがわかった。


 ――なんだ? 忍者、か……?


 サツキは宿の中に入ってゆく。小首をかしげたバンジョーもサツキを追いかけるように宿の中に入った。


「おい、サツキ。急にどうしたんだ? 腹減ったのか? オレは料理バカ、料理の一つや二つ、いつでもつくってやるぜ!」

「音、聞こえたか?」


 かすかな音で、木々のさざめき程度の小さなものであった。それも屋敷の敷地の外からだから、聞こえなくても無理はない。むしろ、思い過ごしかもしれないと思った。

 バンジョーはカラッと笑った。


「なっはっは。いいや? 聞こえなかったぞ」

「そうか」

「サツキは謙虚で控えめだからなあ。腹の虫も小声でしか鳴かねえから、わからなかったぜ」

「……」


 サツキは今度は呆れた目でバンジョーを見る。

 そして、パチッとまばたきした。


 ――また聞こえた!


いろがん》を発動させる。

 だが、魔力反応がうっすらと見えるのみで、こめかみを人差し指で叩き《とうフィルター》を二枚三枚と使っても、この暗闇では何者の姿も見えない。

 小さく嘆息して、前に向き直って足を速める。


「危険な香りがするんだ」

「なに言ってんだ。オレはまだなんもつくってないっつーの。なっはっは」

「違う。忍者たちが狙ってる」

「みんなも食いてえってか? じゃあたくさんつくらねーとな」

「なにか、来てると思うのだ」

「お? なんの話だ?」


 あっけらかんとしたバンジョーをもはや振り返りもせず、サツキはクコの部屋を目指す。廊下を歩いていると、ドアが開いた。玄内の部屋である。


「サツキ。気づいたか」

「はい。もしかして、忍者ですか?」

「だろうな」


 むろん、忍者というのは、鳶隠ノ里の忍びではない。ほかの流派の忍びのことである。フウジンも言っていた。秘伝の巻物を獲得するために、ほかの里の忍びが襲ってくることがある、と。


「へへっ。気づいてなかったか? この里には忍者しかいねーんだぜ。二人ともマイペースだなあ。なっはははっ」


 のんきなバンジョーに、玄内は呆れるでもなく言った。


「マイペースはお前だ。別の里の忍びが紛れ込んでるって話だ」

「なんだってえぇーっ!? おいおいおい。おい。それってやべえじゃねーか。オレたちも加勢して追い払ったほうがいいのか?」


 バンジョーは後ろで驚嘆の声をあげた。この大きな声で、クコが部屋から出てくる。


「どうしました?」

「外に、ほかの里の忍びの者がいる。襲撃かもしれない」


 サツキが言うと、クコは驚きを抑えるように口に手を当てた。


「まさか!」


 玄内は静かに言った。


「おそらく、この里の忍者たちが追い払うだろう。今までもそうしてきたように。おれたちに気づかれることもなく、粛々と。そして、朝になったら戦が終わってるんだろうな」

「本当に、そうでしょうか」


 クコがおずおずと割って入る。玄内は見定めるようにクコの顔を見て、あごをしゃくった。続きを言ってみろというしぐさである。


「なんだか、ただならぬものを感じます。うまく説明はできませんけど」

「それには同感だ」


 と、サツキが続きを引き取った。


「優秀な忍者ほど静かに仕事をこなせる。音を立てずに行動できるんだ。俺が外に出たとき、とても静かだった。茂みからかすかな音がした程度だ。かなりの手練れの可能性が高い。日没まではあった人の気配もこの里からなくなっていた。そうなると、多くの忍びが戦場に集結する大戦になっていることも考えられる」

「その通りでござる」


 ドロン、と急にくノ一が登場した。フウカであった。この十二歳の少女は、子供とは思われぬ仕事人の顔で冷静に状況を説明した。


「今回、里を襲ってきたのは、あけがらすくにの忍びでござる。彼らほどの使い手たちから里を守るのは、フウサイ兄さんがいても容易ではありませぬ」


 忍びの里の中でも力のある双璧が、梟伏ノ谷と暁烏ノ国であった。その暁烏ノ国からの襲撃は、相当に厳しいはずだ。

 フウカは続ける。


「今回の襲撃は規模が大きい。彼らは、鳶隠ノ里を滅ぼし、秘伝の巻物を手に入れる計画のようでござる。ですから、大変な戦いになること必至。鳶隠ノ里からお逃げください。あたしが先導するでござる」


 ここは、リーダーとして局長であるサツキが判断するところだろう。ただ、フウサイのためにここまでやってきた。目的は達成されていない。

 サツキはクコに問うた。


「俺は、無茶だとわかっていても、この里を守るために戦いたい。そして、『てんさいにんじゃ』フウサイさんに、仲間になってもらいたい。クコはどう思う?」

「わたしもです! 戦う覚悟はできています」


 クコに背中を押してもらい、サツキが戦う決意をする。


「先生、俺はなんでも、最後までやり切らないと気が済まないんです。方針は固まりました」

「いいだろう」


 玄内から許可が下りる。

 しかし、また別の部屋のドアが開いた。


「行かせないわ」


 ルカだった。サツキの前に立ちふさがる。


「サツキ。話は聞かせてもらった。闇夜に紛れて戦う忍び同士の渦中に飛び込んでも、暗さに慣れていない私たちでは危険よ。まして、忍びの戦い方に対応するすべを知らないのだから、おとなしく里を離れるべきだわ」


 ルカの参謀役としての言葉だった。


 ――私だけでも、サツキひとりを守り切れるかどうか……。ほかのメンバーにまで気を回す余裕はない。


 というのが、ルカの計算である。

 仲間全員の安全を考慮すると、情報の少ないこの戦いへの参加は極めて危険だった。

 バンジョーは右の拳をぎゅっと握り、


「おいルカ、黙って逃げろって言うのかよ。オレはできねーぜ。ひとりでも戦ってやる」


 パシン、と左の手のひらを叩き、やる気を見せつける。

 クコが慌てて仲裁に入った。


「み、みなさん。落ち着いてください。気持ちがバラバラになるのが一番いけません。行動するグループが分かれることがあっても、計画的にやるべきです」

「そう。クコの言う通りだ。ルカに言われて、俺も忍びについての考えが甘いことを改めて気づかせてもらった。ありがとう」

「サツキ……」


 ルカはそっとサツキの隣まできて、口を結ぶ。

 そこで、クコは思い出す。


「あ、みなさん。わたし、博士にもらった《あんぐすり》を持っています。それを使えば、暗闇でも視野を確保できますよ」

「あれか。最初に、世界樹ノ森で使った目薬」

「そうです」


 慌てて、フウカが言葉を挟む。


「いくら視野が確保されても、相手はあけがらすくにの忍び。危険でござる。拙者は、お客様方をお送りするよう申しつけられ……」


 フウカがしゃべるのを、玄内が手で制した。


「まあ、落ち着けや。くノ一の嬢ちゃん」

「……」


 玄内の渋く響く声で、フウカの背がぴりっと伸びた。任務を遂行しようと焦っていたが、思わず黙ってしまう。


「忍者ってのを相手に戦うのは、楽じゃねえ。特殊な戦法を使うからな。だが、どんな魔法を使うかわからねえ未知の戦力の敵と戦うのと、どう違うってんだ? おれが補助してやるから、おまえらは好きに戦え。おれがおまえらを死なせはしねえさ。この姿じゃあ戦闘力は元の半分程度だろうが、戦闘経験がちげえ。おまえらにはかっこうの修業の場になる。サツキも、新しい技を試してみてえだろうしな」

「おおー! カッケーこと言うじゃないっすか、玄内先生。おーし、やってやるぜー! へいへい、おーう! イエー!」


 単純なバンジョーだけはテンションも上がりやる気をみなぎらせているが、サツキとクコとルカは玄内の心強さに感服していた。


「よっしゃあああ!」


 ひとりではしゃいでいるバンジョーの頭をマスケット銃でコツンと叩いて黙らせた玄内が、ニッと苦み走った笑みを口元に浮かべて、


「おい、ルカ。それなら文句はねえだろ?」

「はい。先生がそうおっしゃるなら」


 すんなりとルカはうなずいた。

 クコが玄内に頭を下げる。


「ありがとうございます! よろしくお願いいたします」

「礼なんざいらねえよ。頑張るのはおまえらだぜ。おれは少しばかり手を貸すだけさ」


 と玄内はクコに背を向け、


「ともかく、ルカ。今のはいい判断だったぜ。その冷静な頭脳でサツキを支えてやってくれ。おまえは参謀向きだ」


 サツキたちには聞こえないほどの声で、ルカだけにそう言った。


「はい。そのつもりです」


 玄内自身、自分が表立つ仕事をするつもりはない。そのことをルカは知っている。


 ――おそらく先生は、自分は表には出ず、影で私たちを支える姿勢だわ。だから、私を参謀向きだと言ってくれた。


 事実、玄内は現状では士衛組の御意見番。そして、みんなの先生役でもあるのだが、これだけのことをしてやっても、玄内自身の感覚としては今はまだ全体の様子見の段階に近かった。

 ナズナとチナミも部屋から出てきた。


「ちょうどよかったです。実は――」


 二人を見るとすぐにクコが説明した。




 士衛組一同は、里長フウジンの元へ集い、作戦会議をすることにした。

 会議の前に、玄内が糸を取り出して、みんなの服に縫いつける。


「なにをやってるんすか?」


 バンジョーに聞かれるが、玄内は軽く流す。


「相手があけがらすくにだからな。まあ、たいした意味はないさ。サツキ、おまえは帽子も貸せ」

「はい」


 サツキの帽子にも、玄内は糸でなにを縫っていた。


「よし。できた。会議を始めるぞ」


 全員が席につき、サツキが口火を切った。


「まず、フウジンさん。例の巻物、ありますか? 仕掛けを打ちたい」

「ほう」


 興味深いというように、フウジンはキラリと目を光らせた。

 仕掛けは玄内の助けもありすぐに終わった。

 その後、戦場での動きについての会議に移る。


「サツキ。作戦はあるか?」


 玄内が確認するが、サツキはかぶりを振った。


「いいえ。ただ、目的は明確にしておきましょう」

「だな」

「目的は、敵の大将を討つこと。大将だけに集中します。里としての目的は、暁烏ノ国の忍びを追い払うことですが、俺たちだけで全員を相手にはできないし、撤退の判断をさせるには大将を落とすのが効果的です」

「そうね。ひとりひとりを倒していっても埒が明かないし、いいと思うわ」


 最初にルカが賛意を示した。


「ひとりでも多くの忍者を倒すことも戦術ですが、闇に紛れてこちらを狙う相手を順次倒してゆくのは非効率です」


 とクコもうなずいてみせる。

 バンジョーが意気込む。


「オーケー。わかったぜ!」

「わたし……がんばります!」


 そんなナズナを鼓舞するように、しかし寄り添って安堵させるように、チナミは落ち着いた声で、「うん、頑張ろう」とうなずく。そして、ちらとサツキを見た。


「私もサツキさんの作戦に従います」


 チナミも満を持して、父から受け継いだ愛刀・良業物五十振りの一つ『れいぜんすか』を忍び刀のように背中に装備している。

 最後に、玄内も同意した。


「決まりだな。戦術の眼目は、大将の首をどう落とすか、だが……相手の居場所もわからねえ。大将がどんなやつかもわからねえ。サツキ、あとはおまえの思う通りに進めろ」

「はい。細かい戦術は戦いながら探します。まずはみんな、なるべく離れないように。そして、個人がそれぞれ周囲を警戒して、仲間の視覚と聴覚にばかり頼らないように気をつけて、しかし仲間の援護も忘れずに。自分たちは常に敵に見つかっているものと思って行動しましょう。大胆に、細心の注意を払って――それが作戦です。では、進軍開始」


 サツキの流れるような司令。

 士衛組一同は、行動に移った。

 このとき、玄内は感心する。


 ――この年で、ここまで的確に指令を下せるとはな。サツキこそ参謀向きかもしれないと思っていたが、それ以上に司令塔としての才がある。どう育つか、見物だな。


 成長するまで見守ってやりたい気持ちが強まる玄内だが、まずは目の前のことへ集中する。


「では、案内役はわたしが務めます。こちらです」


 フウカの姉フウアンが案内人として同行する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る