19 『知らねえよ。なんも見えなかったんだからよ』

 四月十一日。

 夕闇に包まれた王都。

 不安なカラスの声が聞こえて、ミナトは足を止めた。

 修業のあとで、思い立ってアテもなく歩き回っていたのである。

 本人としてはどこを歩いているのかあまりわかっていないが、王都の外れまで来たところで、ふと、道場を見つけた。

さだとみ道場』と看板がかかっている。


「うん。せっかくだし道場破りしておこう」


 そのために今日も王都に留まっておいたのだ。

 門からはちょうど子供が二人出てきた。年はミナトより若い。

 時間からしても、学校や塾から帰るようなものだろう。だが、彼らの様子がおかしかった。


「どうしたの?」


 尋ねると、少年たちがおびえたように言った。


「悪い牢人か、山賊だと思うんだ。道場に来て、先生を……」

「ぼくら、タケゾウ先生に逃がしてもらったんだけど……」


 どうやら、悪人がいるらしい。ミナトにもそれはわかった。


「何人いた?」

「十人くらい……かな?」

「もうちょっといたかも」


 子供たちのほうでもわからないようだった。だが、それだけ聞くとミナトはうんとうなずいて道場に入っていった。


「あ、危ないよ」

「お兄ちゃん」


 二人の呼びかけにもミナトは背を向けたまま手をあげるのみである。


「大丈夫。だと思う」


 さっさと門をくぐってまっすぐ進み、道場内を覗いてみると、そこには剣道着のような装いの先生らしい人が、二十人ばかりの牢人集団に取り囲まれていた。

 あれがタケゾウ先生だろう。五十代も半ばといったところか、背も平均的だが姿勢は綺麗で腕もよいとわかる。

 また、取り囲んでいる牢人たちは安物のなまくら刀しか差していない。


「おい、この人をどなたと心得る。くにの志士、『ならず者』ゆうさくさんだぞ」


 牢人がリーダーの紹介をしている。『ならず者』ユウサクはまだ二十代半ばと若く、上背もあり骨柄も悪くなさそうである。しかし目つきが悪い。

 そのリーダー・ユウサクがタケゾウを脅しかける。


「おうおう! オレらは武士になるためにわざわざ遠くからこの王都に来たんだ。てめえのその刀があれば、どこにでも仕官できるってもんじゃねえか。『わのあんねい』って刀だろ? 使う者を選ぶよきわざもの。オレによこせよ。オレが持ってたほうがその刀も喜ぶぜ?」


 ひょっこりとそこに顔を出したミナトに、彼らが注目する。

 牢人の一人が口を開いた。


「なんだてめえ! やんのか? あん?」


 ドスを利かせた声でにらみつけられる。

 ミナトはひょいと後ろを向く。


「ん?」

「おめえだよ!」

「舐めてんのか!」

「ふざけやがって!」


 三人に突っ込まれ怒られ怒らせたミナトだが、何食わぬ顔でのっそりと道場に入って端に正座する。

 そこで初めてミナトは牢人のリーダーである『ならず者』ユウサクと目が合う。


「どうぞ。続けてください」

「ハァ!? なんだって!?」

「僕は順番を待ってからにします」

「てめえもあの刀を狙ってやがるってか?」

「おや。道場破りではないのですか?」


 とぼけた真顔で聞き返され、ユウサクは怒鳴った。


「てめえにはこれがそう見えんのか? だとしたらてめえ、頭がイカれてんじゃねえのか!」

「ああ、やっぱり少し違いましたか」


 ここでようやくタケゾウが声をあげた。


「少年、お逃げなさい。たちの悪い牢人を相手にするものじゃありません。剣を剣とも思わないやつらです」

「なに言ってやがる!」

「分かる言葉でしゃべれ。いや、しゃべるな!」


 牢人たちが先生を取り囲んでどつき回す。

 ミナトはその光景を見て、立ち上がった。


「やれやれ。まいったなァ」


 ユウサクがニタリと頬をゆがめる。


「お? 降参か? ガキ」

「まさかァ。弱い相手に降参するのは剣士の恥である前に、頭がどうかしてるってもんです」

「てめえ、今なんて言ったあ!」

「二度もおんなじこと言うのは恥ずかしいなァ。だから二度目はありません」

「な、なんだとーう!?」

「また聞き返されてしまった。僕、あんまり声が大きいほうではないんで」


 そこまで言った刹那、ミナトの声がユウサクの耳元から聞こえてくる。


「道場は剣術を磨く神聖な場所です。暴れるのでしたら、僕がお相手しましょう」

「はっ!」


 肩をびくりと震わせ、ユウサクが振り返ると、すぐ後ろにミナトが立っていた。にこりと微笑んでいる。


「な……なんだってんだ?」


 一瞬前まで道場の端に立っていたのに、どうして自分の目の前にいるのか。ミナトの《しゅんかんどう》の魔法を知らないユウサクは思考が止まる。


「今、あいつ消えたぞ!」

「いや、きっと素早く移動したんだぜ」

「あんなに速くか?」


 無法者たちはまるで理解できないが、タケゾウだけはそれがミナトの魔法だとかろうじて気づいた。


 ――姿を消すばかりじゃない、空間を移動する魔法なのか……? どんな居合いの達人の技より、速い。


 まばたきすら忘れているユウサクを見て、ミナトは呆れたように笑った。


「困ったなァ。これでも聞こえてない」


 心から困惑していそうなミナトのセリフを聞いて、ユウサクは再び頭に血が上った。


「もう我慢ならねえ! このオレをコケにしやがって! ガキだろうが許しちゃおけねえ! おまえら、やっちまえ!」

「おう!」


 と、牢人たちが応えるが早いか、まず一人が飛び出した。


「うおおお!」


 一閃。

 ミナトは居合いでその者を一刀に斬り伏せる。


「……」

「……」


 わずかな沈黙の後、牢人のひとりが囁く。


「お、おい。今、なにが起きたんだ」

「知らねえよ。なんも見えなかったんだからよ」

「あいつが……あいつが斬ったんだ。現に、こうして目にも留まらぬ速さで剣を抜いてる」


 牢人たちが警戒して様子見するが、そこでユウサクが怒鳴った。


「こんなガキになにビビってんだ! さっさとやれ! いくぞ!」

「そうだ。相手はまだ子供! 今のは偶然に決まってる! っしゃああ!」

「てゃあ!」


 一斉に襲いかかってくる。

しんそくけん』が彼らを綺麗に捌いてゆく。大人数を相手に大立ち回りを演じ、ものの十数秒でユウサクを残した二十人ほどを倒してしまった。まるでよくできた映画の殺陣のように流麗で、やられ役の技次第で出来映えが変わると言われるそれと同じ理屈で言えば、牢人たちが名役者になったことだろう。それほどミナトの剣捌きは鮮やかだった。

 さらにミナトの見事さは、だれも殺していない点だった。

 ユウサクは倒れた味方を見回して、それからこの『てんさいてきけんぽう』に顔を向ける。


「容易なやつじゃねえ……。て、てめえ! なな、な、何者だ!」

「僕は道場破りにまいった者です。名は、いざなみなと

「イザナギ……ミナト……」

「まだやるならお相手しますよ。これから道場破りをするにも、準備運動が済んでいないものですから」

「……ち、ちくしょう! 覚えてろ!」


 おい、と『ならず者』ユウサクが倒れた仲間を蹴って起こし、「逃げるぞ」と道場を出て行った。仲間たちもそれぞれ打たれた箇所を押さえながら、おぼつかない足取りでぞろぞろと尻尾を巻いて逃げてゆく。

 ミナトは牢人たちを見送り、タケゾウに向き直った。


「さて。お取り込み中だったところすみません。僕、たまたまこの道場の前を通りかかって、道場破りの一つでもしてみようと思い立った者です。こんなときになんですが、試合をお願いできますか」


 しかし、タケゾウは首を横に振った。


「その必要もありますまい。ワタシはもう年です。生徒に剣を教えるばかりで、戦う腕もない。この勝負、ワタシの負けです」

「いいえ。戦ってもいません。勝ち負けをつけずとも……」

「ミナトさんとおっしゃいましたね。あなたは良い目をされている。剣の道をひたむきに進む侍の目だ」


 唐突なセリフに、ミナトは「はあ」とだけ返事をする。


「なぜでしょう。今ワタシの手にこの刀があるからなのか、あなたの目を見て心が動かされたのか。でも、それはただのきっかけに過ぎない」


 タケゾウはそこで言葉を切って、その手にある刀に目を落とした。

 そして、ミナトの目を見て、刀を差し出す。


いざなみなとさん。助けていただいたお礼に、これを受け取ってください。元々、ワタシの腕で持つには忍びない名刀でした」


 差し出されたのは、黒い鞘に黒い柄の刀だった。


「見た目は地味で慎ましいが、なかなかの名刀でして。扱いが難しく、そのため良業物にしては安く買うことができたものです。名前を『わのあんねい』。どうか受け取ってください」

「そんな。いただけません」

「いや、あなたにこそふさわしい。やつらは気づきませんでしたが、あなたの腰のものは最上大業物のさらにその上、天下五剣の一つではありませんか?」

「ええ。そうですが」

「では、この『わのあんねい』も使いこなせるでしょう。一振りすればなにか一つを斬らずにはいられぬ代物です。離れた場所にある物かもしれないし、近くの物かもしれない。斬撃を飛ばすとも違う」

「へえ。おもしろい刀ですね」


 つい釣り込まれるように手に取ってしまう。

 手にして、電撃が走ったようにこの刀の不思議さを感じ取る。そうなるともう、たとえ今になってやっぱりあげられませんと言われようと、タケゾウに返したくなくなってしまった。


 ――これが物欲だろうか。どうしても返したくない。欲しい。


「本当にいただいてよろしいんですね」

「もちろんです」

「ありがとうございます。では、ありがたく頂戴します」


 ミナトは『わのあんねい』を腰に差す。

 タケゾウはにっこりと笑ってうなずく。


「気難しい剣ですが、どうか目一杯使ってやってください。ワタシが使えなかった分まで」

「はい」


 返事をしたところで、道場の外から声が聞こえてくる。


「先生! 大人の人を呼んできました!」

まわりぐみの人が来ましたよ!」


 子供が二人、叫びながら道場に近づいてくる。

 それを察して、ミナトはタケゾウに挨拶した。


「では、僕はこの辺でおいとまします」


 ぺこりと頭を下げると、ミナトは姿形もなく消えてしまった。魔法《しゅんかんどう》のあとには一抹の気配も残らなかった。

 立つ鳥跡を濁さず。

 ミナトのいなくなった道場の扉が開き、子供二人が少年少女と共に入ってきた。


「大丈夫ですか? まわりぐみの新人隊士、かくひらこうです! あれ?」

「あたしはおおうつおりです。見廻組の手伝いをしているんですが……ちょっと遅かったみたいですね」


 道場の中では、タケゾウが一人佇んでいる。

 子供たちが嬉々と言う。


「先生が追い払ってくれたんですね!」

「やっぱり先生はすごいです!」

「いいや。ワタシではないよ」


 タケゾウがそう言うのを、子供たちもコウタもミオリも謙遜だと思った。

 コウタは、自分より一つ年上の少女に聞いた。

「では、ぼくたちは帰ったほうがいいでしょうか」

「そうだね、コウタくん。でも、帰る前にここでやっておくことはあると思うかな?」

「ええと、はい。一応、子供たちを家まで送り届けて、この周囲のパトロールもしばらくは強化しておくよう上に相談することです」


 うん、とミオリは深くうなずく。


「よく目が行き届いてるね。同感だよ。頼もしいなァ、コウタくんは」

「ありがとうございます」


 ミオリは、十八歳になる。背は平均的な一五八センチ。肩書きとしては見廻組の手伝いなのだが、彼女の親が組織の長なのである。だからコウタよりもよく見廻組の仕事を知っている。コウタにとっては頼れる先輩だった。知る人ぞ知る見廻組の影の功労者、『でんせいかん』の異名を持つ。


「うん。それらはさっそく報告しよう。これを使いなさい。あたしの魔法、《いとつう》だ」


 ミオリが差し出したのは、紙コップだった。底面に糸がついている。糸の先は切れているが、魔法の力でつながっている。ペアの対となる紙コップは詰所にあった。


「これで離れていても会話ができるのは、本当に便利ですね。ミオリさんがいると心強いです」

「まあ、あたしは普段、友だちと無駄話するのにばかり使っているけどね。さて、呼びかけてごらん」

「はい」


 コウタがミオリの持つ紙コップに「もしもし」と声をかけると、反応があった。術者ミオリが一方の紙コップを持っていなければ通話不可だから、相手もミオリからの連絡だとわかる。


『やあ、その声はコウタくんか。ミオリとパトロール中だったね。なにかあったのかい?』

「あ、ヒロキさん。はい、ちょうどミオリさんとパトロールしていたら……」


 と、コウタは組長に報告する。

 子供たちに囲まれ見廻組の様子を見ながら、タケゾウはさっきの小さな侍の姿を思い出す。

 不意に、


 ――もしや……。


 と、以前門弟に聞いた噂とさっきの小さな侍とが結びつく。


 ――あの子……噂に聞く、『神速の剣』……? とてつもなく速い剣を使うというし、おそらくは……。ただ、見廻組の彼らに説明しても、信じてもらえないかもしれないな。でも、ワタシは覚えておこう。彼の名を、心に刻んでおくとしようか。誘神湊の名を。




 ミナトは星空またたく夜の王都を歩く。

 まるっきりこの剣をもらうためだけに立ち寄ったような予定調和じみた無駄のなさで道場をあとにし、気分よく腰の刀を見やる。

 良業物『わのあんねい』。

 気難しいが、よく斬れるおもしろい刀。


「急がば回れとはこのことか。いい出会いだった。『けんせいがきまさみねさんには会えなかったけど、こんな縁も生まれるとはね。感謝します、リョウメイさん」




 ヒナは浦浜に到着する手前の町でゆったり休んでいた。

 ウサギとカメの物語ならば、この休息が命取りになるものだが、ヒナはそんな甘い計算の元に休んでいるわけではない。

 かわぐら宿じゅくは東海道の中でも大きな宿場町の一つであり、図書館もあった。

 研究のために足を止めているのである。

 いろんな土地のいろいろな図書館で、ヒナは天体に関する書物を読む。

 本来ならばもっと早く浦浜には到着できるのだが、調べ物のためにヒナは足取りがカメのようにゆっくりなのだった。


 ――ダメ。ここにもない。どうして世の中こうなのかしら。これなら、サツキに聞いたほうが早い……。でも、あたしだって自分の力で調べてからじゃないと、相談もできない。


 変なところで頑固なのか慎み深いのかわかりにくいこの少女は、本のページを繰る。


 ――今も、この世界は科学が進歩してる。この川蔵では、早くも蒸気機関の工場が作られ始めてる。昨日見た造船所もそうだった。あそこでは蒸気船が作られてた。あと何年かすれば、もっと科学は進化する。でも、あたしには時間がないんだ……。


 またページを繰って、


「やっぱりなーい!」


 両手をあげて降参とでもいうポーズを取る。

 だが、周囲の人たちの視線が集まり、ヒナは顔を赤くして本を立てて顔を隠す。大声を出すべきじゃなかったと後悔する。


 ――待ってなさいよ。


 かくして、ヒナは川蔵にて一日を図書館で過ごすのだった。

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