4 『さっきまでのは若かりし頃の姿なんです』
倒れた壁はバタンと水平になって止まった。
クコとバンジョーは、倒れた壁を足場にブレーキをかけ、足場と外のギリギリのところで踏みとどまる。まるで崖に突き出した飛び込み台のような形で、あと一歩分でも足場が短ければ、目の前の渓谷に落ちていたことだろう。
だが、二人は今にも落ちる寸前である。
チナミがナズナに顔を向ける。
「助けに行こう」
「う、うん」
パッとチナミが駆け出し、ナズナは飛んでゆく。
落ちそうになっているバンジョーとクコは、両腕をぐるぐる回してなんとかバランスを取っていた。
「おっとっとっと」
「ひええええ! おっとっと」
二人が腕を回している間に、チナミが駆け寄り、片膝をつき、渓谷を見つめる。瞳に驚きの色をたたえた。
一方のナズナは、チナミに追いつくとすぐに、クコとバンジョーの服の背中を引っ張る。
「ん~!」
「もうダメですー」
「やべえええ! 落ちるぅー!」
叫ぶクコとバンジョーに、足下にしゃがんでいたチナミが顔を上げて言った。
「この渓谷は絵です。ここ、低いです」
「え?」
「へ?」
「ん?」
ナズナの力が抜け、クコとバンジョーが足をつく。
しかし、渓谷に落下することはなかった。確かにそれは絵だったのである。クコとバンジョーは照れたように頭をかいて笑った。
「えへへ。勘違いでしたか」
「なんだよ、ただの絵だったのかよ。驚かせやがってよ。なっはっは」
「ふう」
とナズナが息をつき、ぺたりと座り込む。
「よく見てください。渓谷の絵はこの一帯だけで、その先を見ればただの草むらです」
チナミの説明を聞いて、サツキもうなずく。
「なるほど。だから倒れた壁が渓谷へ落ちて行かなかったのか」
あとから斜めの床を渡ってきた玄内が言った。
「だまし絵的な仕掛けだな。
バンジョーは陽気に親指を立てた。
「ホント
「まだ懲りてない……」
チナミは驚いていた。
残る仕掛けはなく、あとは素直にフウジンのあとをくっついていけば、応接間に辿り着くことができた。
「よくここまで辿り着くことができました。では、お話ししましょう。まずはそちらに腰をかけてください」
「すごかったですね! さすがは『
クコがやり切ったように嬉々とイスを引く。
「やっとだぜ」
真っ先にバンジョーが四つ脚のイスに座ると、ガゴン、と脚の一つが折れて、倒れてしまった。
「うわああ! いてー! なんだ、また仕掛けか?」
「凝ってる」
とチナミが感心する。
しかしこれには、フウジンが申し訳なさそうに言った。
「すみません、古くなっていただけです」
「ズコーッ」
大げさに転ぶバンジョーと、ずっこける五人。玄内だけはやれやれとため息をついていた。
フウジンは「フウタにはあれほどイスを新しいものに取り替えておけと言ったのに……」とつぶやいている。
別のイスを用意してやり、バンジョーに座らせた。
それから、みんなも順々に座ってゆく。
最後にフウジンが腰を落ち着けた。
「さて。気を取り直して。みなさんは、忍者をご存知ですか?」
「おう。知ってるぜ!」
真っ先にバンジョーが答え、他の者はうなずく。
「十年以上前、バンジョーさんはここにいたことがありますからね。さて、忍者とは、忍ぶ者です。世に忍び、情報を集めること、闇に忍び、依頼をこなすことが仕事です。しかし、我々忍者は、属する忍びの里によってその性質が大きく異なるのです」
フウジンは語った。
「ここ
どうも詳しく話を聞くと、暁烏ノ国と梟伏ノ谷がサツキの世界における伊賀と甲賀の位置にあたるようであった。伊賀が三重県、甲賀が滋賀県である。ここからは離れているが、二つの里、またそのほかの小さな里の者が、その秘伝の巻物を目当てにやってくるということだった。
「それでは試練に参りましょう」
里長フウジンは腰を下ろしたままだが、フウサイが席を立った。
「失礼つかまつる」
さっと消えた。フウサイの姿がなくなり、残ったフウジンが説明する。
「試練は全部で三つです。一つ目は、忍者を捕まえることです。捕まえると言っても、身体のどこかに触れれば捕まえたこととします。試練開始はこの部屋を出た瞬間から。忍者は何人隠れているかわかりません。一人捕まえれば一点、合計七点を集めてもらいます。範囲はこの屋敷の敷地内。また、彼らはあなた方を攻撃しません。しかし魔法は使って逃げます。そして、特例としてフウサイを捕まえることができれば五点を差し上げます。ただ、わしは対象ではありません。どの忍びの者も一筋縄でもいきませんぞ」
屋敷は塀と生け垣で囲われているから、範囲は視認しやすい。
「時間やこちらの人数の制限はありますか?」
クコからの質問に、フウジンはあごをなでて、
「制限時間ですか。では、日没までとしましょうか。参加人数は何人でも構いません。みなさんで力を合わせてくださって大いに結構。魔法の使用も許可します。ただし、衣装はこちらに着替えてもらいます」
衣装を手に運んできたのは、若いくノ一だった。背は一七三センチくらいあり、均整の取れた顔立ちである。年は二十代前半くらいだろう。
「フウミ。みなさんにお配りして」
「はい」
くノ一のフウミは、玄内を除いた六人の前に衣装を置いていった。
「玄内さんにはちょうどよいものがないと思うので、すみませんがその格好のままでご容赦ください」
「いいさ」
玄内は渋い声で答える。
クコはフウミを見ながら目を輝かせる。
「わたし、忍者になりたいって思っていた頃もあったほど、忍者が好きだったんです。今日は初めて忍者に会えましたし、こんな若くてお綺麗なくノ一の方までいらして、憧れます!」
「あら。ありがとう」
うれしそうにお礼を言うフウミだが、フウジンはおかしそうに笑って、
「若くはないのですがね」
「そうは見えませんが」
不思議そうにフウミを見上げるクコ。
しかし、次の瞬間、フウミはふふっと笑ってぼわっと煙に包まれた。彼女の身体の周りだけを覆っていた煙はものの数秒で消え、その場に残っていたのは――
「あらまあ! なんてこと!」
小さな老婆だった。
クコが口を押さえて目をむく。
老婆は、年はフウジンと同じくらいだろう。優しい顔でにこにこ微笑み、口を開いた。
「ごめんなさいね。若くなくて。わたしは
「ひええええぇぇぇ!」
「うそぉ!」
バンジョーとクコが大げさなほどにリアクションをして、それがおかしいのかフウミはくすっと笑った。
「ふふ」
「またお客さんを驚かして」
呆れるフウジンの横で、フウミは言った。
「わたしはこの人の妻で、フウサイの祖母です。普段は《
呆けた顔でバンジョーがつぶやく。
「フウミさんに元の姿があったなんて知らなかったぜ。考えてみりゃあ、オレがガキだった頃に見た姿と変わらねえなんておかしな話だもんな」
「忍術ですか?」
羨望の眼差しで問いかけるクコに、フウミは苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「いいえ。魔法です。ですから、この術はわたししかできません」
「そうでしたか」
忍術じゃないとわかりやや残念がるクコである。
「そんなに残念がらなくても、忍術は試練の中でいくらでも見る機会がありますよ」
フウジンは仕切り直す。
「まあ、無駄話はこのくらいにして。みなさん。衣装に着替えたら、一人一つだけ自分の道具を持つことを許可します。敷地内に武器や道具もありますから、必要であれば探して使ってください。忍者たちはあなた方を攻撃しませんが、あなた方が攻撃する分には自由です。また、忍者たちも逃げるために忍術を用い、各々の魔法を使用します。個人の頭脳、判断力、戦闘力、汎用性、そしてチームワークなど、それらを総合して取り組んでください」
「要するに、結果さえよければいい。俺たちがどんな形であれ七点分を集められれば、一つ目の試練は合格ってことですね」
と、サツキは言った。
「結果だけを見るわけではありません。しかし、過程だけがよくても認められるかはわかりません。結局は、結果論ですがな。ちなみにわし同様にフウミも捕まえる対象ではありません。フウミ、みなに伝言を」
「はい」
返事をすると、フウミは影のようにその場から消える。
午前十時。
フウジンからの説明も終わり、いよいよ試練が始まる。
「それでは、開始でござります」
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