幕間目劇 『聞いて極楽見て地獄だと角平光太は知る』

「見たくないものを見なくて済むなんていいですね。うらやましいなあ」


 かくひらこうが言った。


「本当にそう思うかい? コウタくん」


 上司のおおうつひろに聞かれて、コウタは素直にうなずく。


「もちろんです」

「だが、そういう魔法は良くも悪くも人生に影響を与えるものだ。今から会うのは、自分で自分の魔法に取り込まれた人間さ」


 晴和王国の『おうあまみや

 数多の魔法がはびこる幻想都市。

 この地の治安を守る警察組織、おうまわりぐみの二人は階段を下りて行った。




 事の始まりは二年近く前。

 ある日、王都の片隅に暮らすてんかいれいは嘆いていた。


「世の中、嫌なニュースばかりだ。ワタシはそんなもの見たくはないんだ」


 レイシは新聞を放り投げる。

 今年十九歳、王都にやってきて五年、普通に働き普通に生きてきた。しかし、平凡で退屈な人生にも嫌気が差していた。

 独り暮らしの自分の部屋で、レイシは左耳のピアスを外して横になってぼやく。


「きっと、ワタシは心が綺麗すぎるんだ。だから痛ましい事件を見聞きするだけで心が傷つく。悲しい。ワタシの綺麗な心が悲しい」


 天井を見つめ、レイシは思った。


「ワタシは魔法が使えない。でも、この王都の住人は魔法を使える人間が実に多い。そのせいで苦しいんだ。ならば、ワタシも魔法を覚えよう。そう! たとえば、見たくないものを見なくてもいい魔法なんてどうだろうか! そうだ、それがいい!」


 思い立つと、レイシは魔法が使える王都の住人たちを観察しながら、自分の魔法を発現させる努力を数ヶ月続けた。

 王都では、いろんな魔法を使う人がいる。

 それを商品にしたり、魔法を施すことを商売にする人も数知れず。

 街を歩いている中で、レイシは屋台を見かける。


「あれは『調ちょうきょうみやてつの屋台か。約束事を守れない客を豚や牛に変えて食材にしてしまう魔法、《しよくざいしよくざいつみ》。嫌な魔法だよ」


 今も、客が一人、コップの水を浴びせかけられ、豚に姿を変えられてしまったところだった。豚になった人間が心までなくなっているのかまではレイシにもわからない。

 豚になった客は家畜のように裏へ連れて行かれる。

 視線をそらす。

 瞳を濁らせ、レイシはつぶやく。


「また嫌な光景を見てしまった。魔法について知ろうとするだけで、嫌なものを見ることも多い。余計に世の中に汚い部分があることを知り、心が傷ついていく。ワタシは早く魔法を完成させなければならない。頑張ろう」




 半月後。

 王都の街を散歩していると、レイシは奇妙な二人組に会った。


「へえ。キミはレイシくんっていうんだ。ボクはアキ」

「アタシはエミだよ。アタシたち、みんな同い年だね」


 いろんな魔法を見て心がすさんでいたレイシは衝撃を受けた。


 ――少し話しただけでもわかる。アキさんとエミさんはすごくいい人たちだ。王都にもいたのか。こんな素敵な人たちが。綺麗すぎる心を持つワタシにはオアシスに思える。


 痛ましい世間にさらされて傷ついた心が、二人に触れることで安らぐようだった。


 ――友だちに、なりたいな……。なって、くれるだろうか……。


 緊張しながら、レイシは申し出た。


「アキさん、エミさん。よかったらなんだけど、ワタシと友だちになってくれないかい?」


 すると、アキとエミは笑い出した。顔が赤くなるレイシに、二人はすがすがしい笑顔で言った。


「もう友だちじゃないか」

「友だちに遠慮はいらないよ」

「そ、そっか。ありがとう」

「レイシくん、ちょっとお疲れみたいだし、元気をあげるよ。《ブイサイン》」

「アタシからは《ピースサイン》。アキのが必勝祈願の魔法、アタシのが安全祈願の魔法だよ」

「なんだか、そこまでしてもらって悪いね」

「ボクらがしたくてやっただけさ」

「ついでに、アタシからは《うちづち》を振っておくね。きっと、なにか良いことが起こる魔法だよ。アタシもどんなことが起こるかわからないんだけどね」


 照れ笑いをするエミを見て、レイシもつられて笑った。


「変わってるなあ、キミたちは。でも、会えてよかった。王都に友だちができてうれしいよ」

「ボクら、明日には王都から旅立つんだ」

「また今度会いたいね」


 アキとエミは明日にも王都からいなくなる。それはとても寂しいことだったが、レイシは笑顔で握手した。


「楽しい旅になるといいね」

「レイシくんも頑張ってね。応援してるよ」

「また会おうね。ごきげんよーう」


 嵐のように二人が去って、レイシは気合を入れた。


「頑張るぞ!」




 半年後。

 季節は春。

 桜の花は咲き、空気は華やいでいるが、レイシの顔は冴えない。

 レイシはなにかをつかみかけていたのに、なにも進んでいなかった。


「魔法を創造するのは難しいものだ」


 難しい顔で歩いていると、道の先で少年が道に迷っていた。


「あの服は、見廻組か。でも、まだ若いし服も綺麗でピカピカだ。もしかして……」


 少年に近づき、声をかけた。


「もしもし。見廻組のお兄さん」

「は、はいっ」


 初々しい顔を振り返らせた少年は、レイシを見てピシッと気をつけの姿勢になる。


「そんなに気張らなくていいよ。キミ、新人さんだね?」

「は、はいっ。かくひらこうといいます! 今年から見廻組隊士になりました。まだ三日目です。わかくにの田舎からこっちに来てからも、まだ一週間で」

「迷子になってたね?」

「な、なんで全部わかるんですか?」


 レイシはおかしそうに笑った。


「それくらいは見てればわかるさ。なんていうか、こっちに来たばかりのワタシに似てたからかな」

「そうだったんですね」


 照れて頭の後ろをかく少年のうぶさが昔の自分と重なるような気がして、レイシは優しい気持ちで言った。


「道なら教えるよ。あ、ワタシはレイシっていうんだ」

「ありがとうございます。よろしくお願いします、レイシさん」


 そのあと、レイシはコウタという新人の少年に道案内をしてやった。

 必要以上に感謝してくれるコウタに手を振り、帰り道を歩く。


「世の中、彼のような人ばかりだといいんだけどな。でも、彼も変わってしまうのかな? いや、そんなこともないだろう。ああいう優しい人だけがいる世界で生きられるよう、ワタシも頑張らないとな」




 半年後。

 季節は秋に差しかかった。

 あれからコウタと会うことはなかったが、たまに思い出しては「新人の彼も頑張ってるだろう。ワタシも負けていられないぞ」とモチベーションにもなった。一年前に友だちになったアキとエミのことも遠い記憶になりかける。

 徐々に彼らの顔の輪郭も忘れかけてきた時。

 努力を重ねた結果、レイシはついに魔法を完成させた。


「できた! ようやくできたぞ! おそらく、完成したはずだ」


 レイシは人差し指を伸ばして、魔法を口にする。


「《しゃへいレンズ》。瞳の黒目の部分と同じくらいの大きさのレンズ。魔力によって創り出したものだ。これを目に装着する」


 レンズを目につける。


「これで、見たくないものが見えなくなる。完全にワタシの視界に映らなくなる。見なくて済むようになるんだ。さらに、見えなくなったものが人でも物体でも、それが発する音も聞こえなくなる。設定した発動条件は……一時間以内に外さないと、眼球の角膜に溶けて外せなくなる。つまり、見えなくなったものが再び見えるようになることはない。これくらいリスキーじゃないと、こんな大変な魔法はできなかった。だが、構うもんか。殺人のニュースくらい見聞きできなくなっても」


 新聞を見る。

 すると、殺人のニュースの欄だけが真っ白で見えなくなっていた。


「見えない。見えないってことは……やっぱり成功したんだ! やったぞ! ワタシはやり遂げたんだ!」


 ガッツポーズをして、呼吸を整える。


「思えば長かった。嫌なものを見ないで済むようになるために、随分と嫌なものも見てきた。だが、これからはそんな毎日ともおさらばだ」


 浮き足立って、レイシは首をくるくる動かす。


「せっかくだから、ちょっと出かけよう。世界が変わるぞ」


 ご機嫌に外に出て、後ろ手を組んで歩く。

 街は平和だった。


「ワタシの気分のせいだろうか。世界が違って見える。今日はいつもより高いお酒でも買って乾杯しよう」




 年が明けた。

 この日もいい気分で街を歩いていると、いつも人で賑わう通りが静かだった。


「どうしたんだろう。まあいいか」


 ゆったりと歩を進める。

 途中で、声をかけられた。


「キミ。なんでこんなところ歩いてるの」

「お兄さん、なんですか? どこを歩こうとワタシの勝手だ」


 悪いことをしているわけでもない。レイシは堂々と胸を張ると、青年が気遣わしげに言った。


「まさか知らないの? ここで通り魔殺人が遭ったんだよ。ニュースになって大騒ぎ、今はだれもここを歩かない」

「なんて嫌なニュースを聞いてしまったんだ、ワタシは」

「だからさ、悪いことは言わない。その通り魔が捕まったってニュースが出るまで、ここのあたりはうろつかないほうがいい」

「ご忠告、ありがとうございます。親切なお兄さん」

「大丈夫、この王都には『おうてんのう』がいるんだ。すぐにだれかが、そう、王都見廻組組長、『おうばんにん』ヒロキさんあたりが平和にしてくれるさ」

「はい」


 親切なお兄さんの忠告を守り、レイシは家に帰った。

 翌日、翌々日も新聞を見て、レイシはため息をつく。


「今日も捕まったってニュースはない。でも……もしかして、殺人みたいなネガティブな話題は、いくら犯人逮捕のニュースでも見聞きできないままなんだろうか。あと数日、待ってみよう」




 数日後。


「窓を開けて空気の入れ換えだ」


 ガラッと窓を開けて通りを眺めていると、主婦のおしゃべりが聞こえてきた。


「もう一昨日には通り魔も捕まって、本当によかったわねえ」

「ホントよ。さすがヒロキさん。あたしあの人のファンなのよね。渋くて素敵じゃない?」

「まあねえ。でもわたしは、新入りの子、コウタくんが可愛くて。応援してるのよ。こっそりと」


 主婦の会話を聞いて、レイシは窓を閉める。


「なんだ。もう通り魔事件は解決していたのか。ちょっと買い物に行こう」


 外に出て、通りを歩く。

 たまに、知らないことをささやき合う人もいた。


 ――またワタシの知らないニュースを話してる。なんだか、嫌な感じだな。ワタシだけ取り残されたみたいだ。今までだって、ワタシの知らない話題なんて山ほどあったのに、不思議だ。今の周囲の目が……そう、怖い。怖いんだ。


 今は知らないとまずいものも知らないような錯覚に陥っている。

 すべてのニュースや噂を知っている人なんていないのに、知らないことは知らないと言えばいいのに、奇妙な罪悪感がレイシにはあった。


 ――そうか。この恐怖は、自分だけ見たくないものを見ないで済んでいる幸せの裏返し、つまり自分だけ幸せなことへの罪悪感だったんだ。


 王都見廻組の詰め所の前を通りかかって、レイシはつぶやく。


「見廻組……。素晴らしい人たちだ。ワタシは彼らを尊敬している。彼らのおかげでどれだけの平和がワタシたちに与えられただろうか。でも、今もそう……嫌な事件が集まる場所でもあるんだ」


 隊士二人が空き巣を捕まえてきたところらしかった。


「いっそ、物騒な事件と切っても切り離せないあの建物も隊士たちも、見えないようにしてしまおう。嫌なニュースと違って、実際はいい人たちだ。見えなくても問題ないだろう」


 レイシは人差し指に魔力のレンズを創り出す。《遮蔽レンズ》を目に装着した。


「見えなくするものは、見廻組とその建物」


 まばたきして、建物へと視線を移す。

 しかし、そこにはなにもないように映るし、空き巣も空き巣を取り締まっていた隊士も見えない。


「よし。見えなくなった。やっぱりこれは気分がいい」


 歩きながら、ヒソヒソ話をする主婦を流し見る。


「考えたら、ワタシがあんな人たちと話すことなんて今後あるだろうか。いや、今だって関係のない人生を送ってるじゃないか。じゃあ、いいと思わないか?」


 だれにともなく問いかけ、またレンズを創り出した。


「《遮蔽レンズ》。今度は、そのへんの大人たちだ。子供は純粋だし、お年寄りもいいだろう。うん、平和だ。素晴らしい」


 また後ろ手を組んで家に帰った。

 しかし。

 大人たちを見えなくして一時間が経とうとしたところで、レイシは洗面台の前に立ってつぶやいた。


「本当に一般人を見えなくしていいのか? 生きていくのに困らないか?」


 鏡の中の自分を見つめて考える。


「でも、ここでレンズを外したら、また嫌な気持ちのまま生活しなければならない。ワタシの仕事は文書と商品のやり取りで済むし、人と顔を会わせなくてもお金を稼げる。食糧品だって配達してもらえるじゃないか。そうだ。いいんだ。これで」


 レンズを外すタイムリミットを過ぎて、部屋の窓から外を眺める。

 通りから大人の姿が消えているのを見て、レイシは静かに笑った。




 それからしばらくして、三月になった。

 レイシは外を歩いていた。

 その瞳に映る景色には、子供と老人しかいない。

 変な噂話も聞かないし、嫌なニュースをささやく大人たちもいない。


 ――時々ぶつかる感覚はするけど、もはやワタシには関係ないことだ。見えないんだから。きっと前も見ずに歩いてワタシにぶつかった注意力不足な大人だ。気にしない気にしない。


 散歩を楽しんでいると、子供が泣いていた。


「さすがに、ちょっとうるさいな。子供は泣くものだ。子供が泣いて不快ってことも、今まではなかった。でも今は、なんか嫌だ」

《遮蔽レンズ》を創り出し、目に装着した。

「見えなくするのは、子供」


 子供が見えなくなり、レイシはうなずいた。


「うん。いい。平和だ。今までは微笑ましく見えた子供たちだけど、子供ばかり見ていると、実は彼らの中でもケンカやイジメが結構あるんじゃないかって想像がよぎってしまって、心が痛くなってきていたんだ」


 また歩き出す。

 だが、歩きながら見えるのは老人ばかりである。


「若い人がいないと、活気がないように見える。今までは、いつまでも若々しく頑張ってるお年寄りは素敵だと思っていたのに、今ではなんだかおっとりしている優しいお年寄りが、実は病気なんじゃないかって思えて、切なくなってきてしまう。これは気が滅入るぞ」


 こうなると、行動を起こさずにはいられなかった。

 また《遮蔽レンズ》を創り、今度は老人を見えなくした。


「お年寄りを見えなくする。これでよし」


 当然、これでは通りにはだれもいないように見える。

 声も聞こえない。


「平和な世界が到来したんだ。なんて素晴らしいんだろう。だれもいない。なにも聞こえない。これを平和と呼ばずしてなんと呼ぼう。ここは、理想郷だ」


 レイシ自身にはなにも見えない。聞こえない。

 しかし、そこには人がいる。

 人々がレイシを見る目は、狂人を見るようだった。あるいは呆然として、レイシに声をかける者もなかった。




 二週間後。

 季節は完全なる春。

 四月八日になった。


「外は桜が美しい。花見に行こう」


 桜を見ながら散歩して、だれもいない静かな通りを眺める。

 なにかが肩にぶつかった感覚はあるはずなのだが、時々あることなのでなにも気にならなくなっていた。


「春の眺めは綺麗だ。ははは」


 レイシが見えていないだけで、彼にぶつかった少年は「すみません」と謝っていたのだが、それには当然気づくことさえなく歩いて行った。本来ならば、そこにはレイシの友人アキとエミがいたのだが、二人はよそを見ていたからレイシに気づかなかったし、レイシにはもう彼らを見ることはできない。仕方のないすれ違いだった。

 そして、ぶつかられた少年は隣の少女に聞かれる。


「大丈夫でしたか? サツキ様」

「う、うむ。俺は平気だけど……」

「変な人ね」




 翌日。

 四月九日。

 朝、レイシは気持ちよく目が覚めた。


「昨日も桜が綺麗だった。でも、今日までだろうな。今日は桜を見ながらお酒を飲もう。よし、さっそく買い物だ。店頭での買い物も随分慣れた。店先にお金と注文票を出せば商品をもらえるようになったからなあ」


 外に出て、自転車にまたがる。


「今日は荷物も多くなりそうだし、久しぶりに自転車に乗るか」


 だれもいないように見える通りを、レイシは自転車で走った。

 朝の風が気持ちいい。


「気持ちいーい!」

「危ねーぞ!」

「どこ見てんだ!」

「きゃ! なんなの……?」


 道の真ん中を平気で走る。

 しかし、通行人たちの声は聞こえない。

 レイシは花見のことだけ考えて自転車を走らせた。


「なんだ、うまく動かない」


 ガタガタやってみるが、自転車はなにかにハマったように動かなかった。


「チェーンかな?」


 自転車から降りてチェックするが、違うようだった。


「そうか。チェーンじゃないのか。お。動いたぞ。タイヤが回る。よし、じゃあ出発だ」


 すると、今度は自転車を漕ごうにも、身体が動かなかった。


「な、なんだっていうんだ。今度はワタシの身体が動かなくなってしまった。これが金縛りか?」


 もがくが、手足も頭も動かない。


「身動きが取れない。くそう。うわああ!」


 力いっぱいにもがいて、やっと右腕が動いた。


「よし! やっぱり大事なのは気持ちだ! うわああ!」


 暴れるように動いて、左腕も動くようになった。全力でもがいたから肩で息をする。


「はあ、はあ。振り払った。やったぞ。これで、ワタシは……」


 バタン。

 そこで、レイシは倒れてしまった。

 気絶したレイシを取り囲む状況は、実際にはかなり危険なものだった。

 二足歩行する着物をまとったカメが、銃声をとどろかせたのである。


「《痺レ弾エレキテルバレット》。しびれる弾丸だ。殺しちゃいねえさ」

「あなたは、玄内さん」


 そう言って驚くのは、見廻組の隊士たちであった。


「で、どんな状況だ?」

「はい。この男が、自転車でおばあさんを轢いて怪我をさせて、そのまま逃げようとしていたところを取り押さえたのですが、暴れられて隊士が怪我を。そこに、玄内さんがいらっしゃったという次第です」

「なるほどな。おれもついて行ってやる。ヒロキとも相談だな」

「ありがとうございます、よろしくお願いします!」




 数時間後。

 玄内が帰ったあとで、ヒロキはパトロールから戻った部下のコウタを連れて、地下へと続く階段を下りていた。

 コウタは首をひねる。


「見たくないものを見なくて済むだけですよね。それがどうして自分の魔法に取り込まれることになるんですか?」

「見ればわかるさ」


 二人が階段を下りきって廊下を歩き、とある牢屋の前に到着した。


「あの人が……?」

てんかいれいくんという子のようだ」


 事件を起こしたという犯人レイシを見て、コウタはそれが悪い人には見えなかった。それどころか、知っている顔でもあった。


 ――もしかして、あのレイシさん……? 一年前、こっちに来たばかりのぼくに親切にしてくれた、あの……。まさか……。でも、今も悪い人には見えない。むしろ、まるで悪を知らない善人のようだ。


 レイシは気絶したまま横になっていた。

 しばらく見ていると、レイシは目を覚ました。


「こ、ここは……」


 レイシは頭を動かした。


「な、なんにも見えない。いや、美しい乳白色に彩られている。綺麗な場所だ。どうしてワタシはこんなところにいるんだろう。確か、金縛りに遭って、もがいているうちに気絶して……」


 そのとき、廊下から看守がやってきた。

 看守は昼食を運んできていた。


「遅めの昼食ですが」

「うん。あげなさい」


 ヒロキに促され、看守は牢の中に昼食を載せたトレイを入れた。

 レイシは不意に現れた昼食を見て幸せそうな笑顔を浮かべる。


「なんて素晴らしいところだろうか、ここは。なにもしなくても食事まで出てくるなんて、極楽浄土のようだ。いただきます」


 おいしそうに食事を始めるレイシを見て、コウタはゾッとした。


「……」


 思わず言葉を失ってしまったが、いたたまれない顔でつぶやいた。


「ぼく、彼の気持ちもわかる気がするんです。ぼくも見ないで済むことなら見たくないですけど、それって悪いことなんでしょうか?」

「悪いことではないよ。精神衛生上、とても素晴らしいことだとわしは思う」

「ぼくもそう思います」

「だが、我々見廻組の仕事はそういった情報と向き合って街を平和にするものだ。情報の取捨選択は必要だが、臭いものに蓋をするばかりではいけないとわしは思う。程度はあるけど、一般市民もね」

「同感です。……やっぱり、嫌なものから目をそらしてばかりではダメですね。でも、彼はこの先もずっとこのままなんですか?」

「玄内さんとも相談したんだが、これならトウリさんの手を借りるまでもないだろうということになったんだ。そっとしておいてやろう」

「わかりました……」


 ヒロキとコウタは階段をのぼる。

 ついにコウタは、レイシのことを知り合いだとヒロキに言うこともできず、胸の中に切なく閉じ込めた。

 階段をのぼり切り、コウタは足を止める。地下の監獄への入口を返り見て、そっとつぶやいた。


「聞いて極楽見て地獄。実際に見ないと何事もわからない。レイシさんには天国が見えているんだから、ぼくが気にすることじゃ……ないんだよね」




 世界最大の幻想都市『王都』では、今日も奇怪な事件が起こり、奇妙な日常が流れてゆく。

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