6 『青葉莉良は少女歌劇団と大階段を降りる』

 王都の夜に闇が降りた。

 あおの歩く道は闇に翳り、妖しい灯りに照らされる。

 リラは、少女歌劇団の勧誘を受けた。

 この日、怪我をしたメンバーの代わりに舞台に立って欲しいというものである。

 断ろうとしたのだが、怪我をしたのがメンバーの中にいる姉妹のうち妹のほうだと聞いて、姉が心配をしているのだと言われると、クコという姉がいるリラだけに放っておけなくなった。

 様子を見るだけと思い、リラはやすかどりようめいに連れられて、少年少女歌劇団の劇場まで来てしまった。


 ――ここでやるのね。歌劇団の舞台。王都歌劇場。昔、ナズナちゃんとお姉様といっしょに来たなぁ。


 昔のことを思い出し、姉といとこのことが気に掛かるリラだったが、リョウメイは足を止めない。

 リラもそれに続いた。




 劇場内に入り、裏手から楽屋のような場所に連れてこられた。


「ここや」


 リョウメイがドアを開けると、部屋には五人の少女がいた。

 みんな歌劇団のメンバーなだけあり、容姿が整っている。今で言えばアイドルのような存在だから当然でもある。

 壁には同じコンセプトによるデザインの服が飾られており、白色を基調とした軍服ワンピースを派手にしたような歌劇らしい衣装である。スラックスと半ズボンもあり、三人がスカートになる。差し色が五人でそれぞれ異なっていた。

 最初に、背の高い少女が目に入る。

 王都少女歌劇団『はるぐみ』のリーダーのアサリである。

 さわつじあさ。アサリは、イメージカラーが黒色。年は十九歳。男物の浴衣を着こなした端正な顔で、髪はやや短め、背は一七三センチ。『はるぐみれいじん』の異名をとる花形スター。

 あいざえ。サザエは、イメージカラーが黄色、年は十九歳。アサリと同い年。金魚柄の浴衣に長い髪、ふんわりと柔らかい雰囲気のお姉さん。背は一六六センチ。だれもが認める『おうのマドンナ』である。

 たちやす。コヤスは、イメージカラーが赤色、年は十七歳。額を出したポニーテールで、背は一六〇センチ。団扇が描かれた着物を風流に着こなしている、演技派の『じょゆう』。

 さわつじだれ。スダレは、イメージカラーが青色、年は十六歳。アサリの妹だが、気立てのよい印象の少女で、薔薇の描かれた青い着物が似合う。背は一五七センチ。『おうまち』のあだ名がある。

 たかさきつき。ホツキは、イメージカラーが緑色、年は十三歳。明るい性格を思わせる八重歯が特徴のショートヘア。膝丈のスカートのような袴姿で、背は一五一センチ。北関東出身のため『きたかんとういちばんぼし』とも呼ばれる。

 中でも、アサリとスダレが姉妹。スダレが怪我をして、リラがその代役ということになる。

 リョウメイは少女たちの前にリラを出し、


「スダレの代役をしてくれるリラや。けどそうやなぁ、芸名はライラックってことで、みんなよろしくな」

「よろしくお願いします」


 と、五人がそろって頭を下げた。

 リラがリョウメイを見上げ、


「芸名があるんですか?」

「リラはんだけ特別や」


 なぜそうするのか、リラにはわからなかった。ただ、元々このリョウメイにも偽名を名乗ろうとしていたくらいだし、アルブレア王国の王女が表に立つのに本名もまずいと思っていたのでリラとしては助かった。

 リーダーのアサリがリラの手を握る。


「ありがとう。助かるよ」


 歌劇団では男役もやるアサリだけに、リラもアサリのかっこよさにちょっとドキッとする。いや、突然手を握られたことでびっくりしただけかもしれない。

 彼女たち王都少女歌劇団『春組』が実際に存在し、リョウメイが詐欺師などではないことにリラはまず安堵した。

 だが、言うべきことは言っておく。


「す、すみません。実は、まだ本当にやるかは決めていなくて、歌劇団というと歌や踊りをされますよね? お芝居もしたことがないので、劇もうまくできないと思うんです……」


 アサリがリラの肩に手をかける。


「大丈夫。オレが手取り足取り教えるよ。歌もすべては覚えなくていいし、踊りも一部だけでいい。劇も最後だけでいい」

「ええと……」


 戸惑うリラに、年の近い『北関東の一番星』ホツキがぽんと肩を叩く。


「平気だって。ボクたちに任せて」


 リラはこんなときでもぼやっと、


 ――歌劇団の方たちは、みんな一人称が「オレ」や「ボク」なのかしら。


 などとくだらないことを考えていた。

 しかしそれは特別な例で、残る三人は『王都のマドンナ』サザエが「ワタシ」、『女優』コヤスが「ウチ」、『王都小町』スダレが「アタシ」だった。

 五人の中ではお姉さん然としたサザエが言う。


「公演は今日の夜の部、明日の夕方の部、明日の夜の部の三つだけだから。お客様にも代役の説明はするし、安心していいわよ」

「わ、わかりました」


 つい、リラは返事をしてしまった。


「よし決まりね! ウチらがリラの分も頑張るよ!」


 コヤスが明るくウインクする。

 スダレが申し訳なさそうに謝った。


「ごめんなさい。アタシのせいで、リラに……」

「いいえ。お気になさらず」


 リラは笑顔で答えた。

 これで、完全にリラが代役をする流れが出来上がってしまっていた。


「ところで、なぜスダレさんはお怪我をされたんですか?」

「それは……」


 言いにくそうなスダレの代わり、アサリが軽やかにかわすように言った。


「ちょっとヘマをしたんだ。ドジなんだよ」

「こちらこそすみません」


 謝るリラに合わせてスダレも「ごめんなさい」とまた謝り、アサリがクールそうな顔の頬を指先でかいて、


「この子、代役が見つからなかったら自分が出るってきかなくてね。キミが来てくれて本当によかった」


 もう、リラは苦笑を内心にとどめて笑顔で答えることができた。


「頑張ります」


 サザエが胸の前で手を合わせる。


「じゃあ、練習しましょうか」

「せやな。頼むわ。うちはちょっと出てくるからな。じゃあリラはん、頑張ってな」


 リョウメイが部屋を出て、アサリがホツキに指示を出す。


「ホツキ、着替える。《がせ》」

「はいはーい」


 脱がせて、と頼むのとは少しイントネーションが違うことにリラが疑問を感じていると。

 ホツキは平然とリラの着物の肩口をつかみ、バッと引っ張った。


「え?」


 すると、リラの着物がすぽっと抜けたように脱げてしまった。ホツキは袴も同じように引っ張って取り上げる。


「きゃっ! 恥ずかしぃ!」


 リラが遅れて顔を真っ赤に染め、慌てて身体を抱くようにしゃがみ込む。

 しかしホツキはアサリの浴衣を引っ張り、続いてサザエの浴衣もコヤスの着物も自身の袴も全部その手に回収してしまう。

 本日見学のスダレ以外はみんな衣装に着替え始めている。

 アサリが呆れたように呼びかけた。


「リラ。ふざけてる時間はないよ。急いで」

「あ……あら……?」


 みんなが黙々と着替えているのに気づいて、リラは目を丸くする。

 ホツキが笑いかけた。


「ま、慣れないと恥ずかしいってのもわかる気がするけどね。でも、歌劇団は着替えが多いんだ。衣装チェンジするたびに恥ずかしがってたらやってられないよ?」

「も、もしかして、ホツキさんの魔法ですか?」


 どういう理屈かわからないが、袖を抜いたりといった脱ぐ動作をせずとも、衣服を取れる魔法らしい。魔法としか考えられない。リラの問いにホツキがさらりと答える。


「そうだよ。ボクの魔法、《がせ》。服を脱がせられる魔法なんだ」

「ホツキちゃんは、身体から衣服や装飾品を抜き取ることができるのよ。物の包装とかをはがすのにも利用可能なの」


 サザエがふんわりと微笑み教えてくれた。


「ボクは歌劇団の衣装替えの他にも、ちっちゃい妹の着替えにも使ってるよ。駄々こねて着替えたくないってときにも便利なんだぁ」

「差し入れのお菓子の包装が綺麗だから残したいってときにも、包装用紙だけ取ってくれたわよね」

「でも、結局サザエはセロテープを剥がすのに失敗したのであった」


 と人差し指を立て、コヤスが冗談めかしてオチをつける。


「そうだったわね~」

「あはは」


 昔のことは笑い話になっているサザエとホツキである。

 みんながあまりにも恥ずかしがる様子もないので、自分だけ恥ずかしがるほうが恥ずかしくなって、リラはさっそくスダレの衣装に着替えた。


「可愛いよ、リラ」

「うん。似合ってる」


 スダレとアサリが褒めてくれた。気取ったような仕草でうなずくアサリだが、彼女は平素からこうなのだろう。

 白色を基調とした軍服ワンピース風の衣装は、青い差し色が綺麗でリラも衣装をまとうだけで特別な気分になった。




 その日の夜。

 食事もみんなと取り、リラは王都少女歌劇団『春組』のメンバーとして、歌や踊り、お芝居の練習もしていった。

 稽古中、アサリがコヤスに言った。


「スダレの抜けた穴は、コヤスの担う分がもっとも大きい。大丈夫かい?」

「平気平気。スダレと一番仲良しなのはウチなんだし、ウチが引き受けてあげる」


 にかっと笑うコヤスに、スダレは「ありがとう、コヤスちゃん」とお礼を述べる。だが、アサリは微苦笑で、


「仲良しだからじゃなくて、コヤスの魔法じゃないと間に合わないってだけさ」

「てことで、ちょっと《しょく》するねー」


 コヤスがひょいと紙を食べてしまう。

 気になってリラが尋ねる。


「試食ですか?」

「紙を食べるで《しょく》さ。コヤスの魔法《紙食》は、紙を食べると、紙に描かれていることを記憶できる。これによって台本を覚えているんだ」

「そんなことが……!」


 リラはびっくりして口を押さえる。視線を移した先にいるコヤスはもぐもぐと紙を食べて、陽気にうなずいた。


「うん。覚えた」

「さあ。じゃあ確認だ」


 アサリの合図で再び練習に戻る。

 台本を覚えたばかりのコヤスはすぐに役を演じきる。『女優』の異名は伊達じゃない。

 その後、リハーサルも終えて、いよいよ開幕の時間を迎える。

 スダレがリラに声をかけた。


「リラ。よろしくね」

「はい」


 力強く返事をして、リラは舞台に立った。




 八時。

 これが、少女歌劇団の一回目の舞台開始の時間である。

 幕が上がり、リラは大階段を降りる。

 センターがアサリ、リラは右端になる。

 音楽が鳴り出す。

 舞台脇にある大きな貝殻から音楽が響く。


 ――確か、サザエさんの魔法だったよね。貝殻に音の波を記憶させて蓄音機にできる魔法、《なみおく》。すごいな……。


 だが、いつまでも感心ばかりしていられない。

 リラはみんなと最初の一曲を歌って踊り、『春組の麗人』アサリが観客席に挨拶する。


「こんばんは! みなさん、今日はメンバーのスダレが足首を捻挫してしまい、欠席することになりました。しかしご安心ください。スダレは今日と明日療養し、また舞台に立ちます。そして、今日は特別なメンバーに参加してもらっています」


 アサリがバッとリラへと手を向けた。

 スポットライトがリラを照らし、リラはスカートの端をつまんで優雅にお辞儀する。


「本日、スダレさんの代わりに舞台に立つライラックと申します。みなさま、どうぞよろしくお願いいたします」




 舞台の幕が閉じた。

 舞台は好評で、新入りのリラへの応援もあり、リラもなんとかやり切ることができた。

 一度着替えて休憩に入る。

 スダレは代役を頼んだ身として、リラに何度もお礼を述べた。


「ありがとう。本当にありがとう」

「どういたしまして。わたくしも、みなさんのおかげで楽しくやることができました」


 ――最初、アサリさんに紹介されたとき、リハーサルのとき以上にライトが明るく輝くようで、お客さんたちがみんなリラに注目して緊張した。でも、お客さんも温かかった。


 なんとも言えない達成感があった。

 舞台が始まる頃には戻ってきて袖口から見てくれていたリョウメイも、軽い調子で冗談を言う。


「ほんまよかったで。『春組』をメンバー六人体制にしてもええかもな」

「異論はありませんよ。リョウメイさん」


 アサリが即座に賛同するが、一番年下のホツキが首をかしげて、


「そういえば、ボクずっと気になってたんだけど、リラはおうちの人の了解も得てるの? ヒマだったとか?」

「せやな。まだ聞いてなかったわ」


 とぼけるようにリョウメイもリラに顔を向ける。

 リラは当初の目的を思い出して言った。


「忘れていました。わたくし、姉を探す旅をしていたのです」

「へえ」

「だから、わたくしはやはり明日までしか参加させていただくことはできません」


 うん、とアサリはうなずいた。


「それなら、明日はいい舞台で締めくくりたいね」

「はい」


 リョウメイが六人に言う。


「このあと、九時から少年歌劇団の二回目、十時からが少女歌劇団の二回目や。頼むで」

「はい」


 と、全員が声をそろえて返事をした。


「そういや、リラはん。今晩泊まるところはあるん?」

「いいえ。まだ決まっていません」

「じゃあ寮に泊まるとええわ。アサリとスダレの姉妹とコヤスが寮やねん。サザンは実家が近くやし、ホツキは家族がいっしょにこっちへ来てくれてるしな」


 アサリがリラに顔を向ける。


「オレの隣の部屋が空いてるよ」

「わかりました。では、お言葉に甘えて」

「準備はさせておくわ」

「すみません」


 リラが歩き出そうとすると、疲れで足がもつれて転びそうになる。


「危ない」


 サッと駆けつけ、転ぶギリギリのところでアサリが抱えるように支える。だが、その前に肩を手で押される感触があった。支えられるように押さえてもらったおかげで、リラが倒れる前にアサリが抱えてくれたのである。


「今の手は……」


 不思議がるリラに、リョウメイはさらりと言った。


「《第三ノ手スマートハンド》や」

「スマートハンド……?」

「賢いお手々やな。人や物から好きに第三の手を生やすことができる。賢いお手々やから勝手に判断して動いてくれる。たったそれだけの魔法や」

「リョウメイさんが咄嗟にオレの腕に第三の手を生やしたらしい。そのおかげで間に合った。怪我がなくてよかったよ」

「お二人とも、ありがとうございます」


 リョウメイの不思議な魔法に呆気に取られながらも、リラはお礼だけは言えた。

 またリョウメイは《第三ノ手スマートハンド》を使って、壁に腕を生やし、壁際のテーブルに置いてあった刀を自分に向かって投げた。

 既に背を向けて歩き出しているリョウメイの背中からも《第三ノ手スマートハンド》が出現して、リョウメイが見ていないのにキャッチする。それをリョウメイの実の手に渡した。

 刀を受け取り、腰に差す。

 ひらりと手を振って、リョウメイは言った。


「うちは行くわ」

「あの、どちらへ」


 尋ねるリラに、リョウメイは肩越しに顔だけ振り返る。


「またちょいと用事があってな。ほな。リラはんも、気をつけて。頼んだで」


 それから、「アサリ、部屋の案内だけ先に済ましてやり」とだけ言って出ていった。

 アサリはハットを手に取った。黒いハットで、茶色のリボンの結び目には黒いスミレの花があしらわれている。アサリはハットをかぶり、リラの肩に手をやる。


「じゃあ、一度寮に行こう。ここからは五分とかからない。次の公演まで少し時間もあるし、荷物をまとめたら戻ってこよう」

「はい」


 リラはアサリと二人で、劇場を出ることとなった。

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