王都編 急

1 『夜は三味線の音と共に始まる』

 時はそうれき一五七二年四月八日。

 晴和王国、王都。

 またの名を、あまみや

 しろさつきあおは、アルブレア王国を目指す旅を始めて一週間、この世界最大の都を訪れていた。

 目的は、クコのいとこナズナを旅の仲間に加えること。

 そして、『万能の天才』と呼ばれる玄内を探すこと。

 玄内の情報は未だない。

 だが、クコは料理人バンジョーとの再会を果たし、バンジョーが仲間になってくれた。ルカと合わせて一行は四人になり、組織として『えいぐみ』も結成したのである。




 日が沈み――

 月の輝きが強まる時間。

 宿屋『おかじま』の二階の一室では、窓の縁に座り、月光を浴びて、三味線を弾く青年がいた。

 静かな音色が降ってくる。

 三味線奏者の青年の姿を見上げて、サツキは宿屋『おかじま』ののれんをくぐる。

 ここは、バンジョーが泊まっている宿屋。

 サツキたちは、バンジョーとは別に一部屋借りる。


「サツキはオレの部屋に来るか? うめえもん作ってやるよ」


 バンジョーにはそう言ってもらえたが、これはクコが断る。


「いいえ。わたしはサツキ様と魔法の修行もするので、わたしとサツキ様が同じ部屋にします。ルカさんはどうしますか?」


 これには、ルカが呆れたように言った。


「クコ。あなたは私とひと部屋借りなさい。サツキはバンジョーさんと」

「おう。うめえもん作ってやるよ、サツキぃ」

「え、でもわたしは、サツキ様と――」


 まだしゃべっているクコの腕を取り、ルカはクコを部屋に連れて行った。ということで、サツキはバンジョーの部屋にお邪魔することになった。

 部屋では、バンジョーはさっそく畳に腰を下ろしてネクタイを緩める。


「参ったぜ。うめえもん作ってやろうと思ったんだけどよ。この部屋にゃキッチンなかったわ。わりぃな」

「部屋の間取りも忘れてたのか。俺はさっきお寿司を食べたから平気だぞ」


 サツキは小さく笑って、窓際に腰を下ろす。

 バンジョーが聞いた。


「なあ、サツキのいた世界にはどんな料理があったんだよ。教えてくれ」

「いろいろあるが、どのジャンルにしようか」

「そうだな。あ! カレーだ! カレーはどうなってんだ? オレのカレー、どうすりゃいいかな?」

「アドバイスはできないが、俺の世界の話をするだけならできる。カレーの本場インドという国がある。そこではナンを出すんだ」

「おう! ガンダスもそうだぜ」

「俺のいた国では、ナンにチーズを入れたチーズナンっていうのもあったぞ。カレーをつけずにそのまま食べてもおいしい」

「それだ! ナンを出すのもいいかと思ってたが、チーズを入れる発想はなかったぜ。すぐにでも試したくなるぞ」


 ニカッとバンジョーが笑う。本当に素直でまっすぐな人だな、とサツキは思って微笑した。


「他にもなにかあるか?」

「味にはつながらないが、俺の国では激辛カレーなんかもあった。何倍の辛さにするか選べるんだ。中には百倍とかもあるんだぞ」

「すげーな! そんなの食えるやついんのかよ」

「いるけど、大抵は食べられる範囲で激辛に挑戦するっていう遊び心によるものだと思う。おいしいばかりが売れるとは限らないしな」

「オレはうまいもん作ることばっか考えてたぜ! そういう考えもありだよな。見た目がいい料理は心も躍る! 遊び心ある料理は気持ちが踊る! 味だけじゃないもんな」

「だな」

「じゃあ、あの赤鬼激辛ソースをかけて……て、あのソース盗まれちまったんだった!」

「……」


 残念がるバンジョーを見て、サツキは考える。


 ――バンジョーの柔軟に前向きに考えられるところ、すごいと思う。その気持ちに応えるためにも、なんとかソースを取り戻してやりたいな……。


 サツキは、怪盗事件について、引っかかることもあるのだ。


 ――怪盗事件……。なぜ、バンジョーだけ返してもらってないんだろうか。バンジョーと他の被害者の異なる点は、バンジョーだけが決まった拠点に留まらない点だ。だから、犯人はバンジョーを見失った。それは考えられるが、それほどに相手のこともわからないのに、わざわざその相手から盗もうと考えるものだろうか……? もし盗むなら、理由はなんだ……?


 サツキは質問を繰り出す。


「この世界でも、怪物とか妖怪っているのか?」

「いるぜ」


 バンジョーは急な質問にもいぶかることなく、さらりと答えてくれた。


「どこにでも、なのか?」

「まあ、どこにでもいるって言う人もいるし、見たことないって人もいるみたいだし、らく西せいみやにはしょっちゅう出るって言うしな。それを洛西ノ宮の陰陽師は退治するんだってよ。カッコイイよな。小説になってるぜ、『陰陽師やすかどけいめい』ってさ。世界中で有名なんだ」

「実在するのか?」

「おう。らしいぜ。千年前の話だけどな」

「そうか。ふむ……。じゃあ、やっぱり妖怪の『怪』が怪しいか。他に『怪』がつく物……怪異もそれらと近いし……」

「なんの話だ?」

「あの犯行声明が気になってな」

「これか」

 と、バンジョーが犯行声明の紙を出してくれた。


「ソースは預かった 必ず返すから安心されたし 『怪』盗ライコウより」


 サツキはそれを見つめ、ぽつりと言った。


「盗む。『怪』を盗む……?」

「なあサツキ。オレになにか聞きたいことって他にはねえか?」

「そうだな。いろいろとあって、すぐには考えがまとまらない。バンジョー、これ借りていいだろうか?」

「構わねえぜ」

「ありがとう。さて、ちょっと勉強でもして気分を変えようかな」


 軽く肩の力を抜き、帽子の中から本を取り出す。今は中折れ帽の見た目に変形しているが、魔法道具の帽子だから四次元空間にたくさんの物が収納できる。

 サツキが取り出したのはルカに借りている本で、ノートもいっしょに取り出した。

 バンジョーが不思議そうに顔をハットに近づける。


「なあ、その帽子!」

「帽子?」

「すごいな! 中どうなってんだ?」

「《どうぼうざくら》という魔法道具で、中は四次元空間になってる。六十四個の物をしまうことができるんだぞ」

「便利だなあ!」

「アキさんとエミさんにもらったんだ」

「あいつら変わってるよな。マジでいいやつらだぜ! 王都に来てるってクコも言ってたし、また会いてえなぁ」

「うむ。きっと会えるよ」

「おう!」


 それからサツキは、本を開いて読み進め、ペンを取ってページ数と内容を記す。


 ――ふむ。俺の世界でも使われた手だが、この世界でも……つまり、逆に言えばそれだけ人間心理に働いて効果が見込める方法でもあるわけだ。


 だからよく使われる。

 こうやって思ったことも場合によってノートに書き足す。


「サツキはなんの勉強してんだ?」

「戦略眼や政治眼を鍛えたいと思ってる。でも、本はこの世界のことも知れていい」

「おお。そうだな。この世界のことならオレにもなんでも聞いてくれよな」

「うむ。頼りにしてる」


 ふと、窓から外を見る。ここからは、通りを眺められる。人の往来は多いし、いろんな店もある。なんでもある町だった。


 ――しかし、王都は眠らない町だな。


 この窓から、別の世界を眺めている気分になるほど、王都の夜は摩訶不思議に見える。


 ――あれは……。


 通りの中に、ひとりの少女を発見した。服装はサツキの記憶と異なるが、あの顔は間違いない。

 サツキは、つと立ち上がった。帽子の中に本とノートをしまう。


「ちょっと出てくる」

「おい。こら。夜は人斬りが出るって言っただろ」

「大丈夫。刀も帽子に入れて持って行くし、この通りからは外れない」

「わーったよ。十分しても帰らなかったらオレも行くからな」

「心配性だな」


 苦笑して、サツキは外に出た。

 窓辺の三味線奏者の奏でる音が、少しずつ速くなっていった。




 サツキは王都の夜にいざなわれる。

 ここから始まるのは、長い長い王都の夜の物語。

 魔法にかかった幻想都市・あまみやを舞台に――数多の人間と思惑が交錯する、朝焼けまでの夢幻劇の幕が、ゆっくりと開ける。

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