18 『出発×期待』

 この前日。

 四月四日の晩のこと。

 アルブレア王国、ウッドストン城。

 クコの二つ年下の妹・あおは、自室で『しんじつれきがくしゃ』藤馬川博士から魔法の講義を受けていた。

 リラは姉のクコと異なり、長い黒髪を持つ。身体はあまり強くないが、絵を描くのが好きで、集中すると何時間でも筆を握っているような子である。『画工の乙姫イラストレーター』ともあだ名される。

 姉妹に共通するのは、まじめで素直なことだった。

 藤馬川博士は感心したように言った。


「この短期間で、よくぞここまで魔法を習得されましたな」

「どのような魔法にするか、ずっと悩んでいましたが、やっとです。博士のおかげですわ」

「リラ王女の勤勉さが実を結んだのです」

「お姉様のお力になりたいですから」

「もう、リラ王女にはそれだけの力はあります。そう言えるほど、強力な魔法ですよ」

「ありがとうございます」


 やっと、無地のキャンバスに自分だけの色を乗せたばかり。これからどんな絵になってゆくか。考えると、リラはドキドキしてきた。

 そのとき、ドアがノックされた。

 メイドのメーベルが手紙を持ってやってきたのである。


「リラ王女。お手紙です」

「だれからでしょう」


 手紙を受け取る。封筒に入っている。クコからのものであった。


「お姉様からです」


 リラは藤馬川博士を見た。それから、メーベルのことも見やる。


 ――このこと、メーベルさんに話してよいのかしら……。


 席を外してもらうべきか、リラは戸惑う。だが、藤馬川博士は優しく微笑みかける。


「メーベルさんは大丈夫です。秘密を守ってくださいます」

「一応、他のメイドには黙っておいたほうがよろしいかと思います」


 藤馬川博士とメーベルにそう言われて、リラはうなずいた。


「わかりました。では、読みますね」


 開いてみた。手紙を読む。リラは喜色満面の顔を上げた。


「まあ! 晴和王国、浦浜に到着したようです」

「世界樹まで、首尾よくいけばもう異世界から勇者様を召喚なさっていることでしょう」

「どんなお方でしょうか」


 思いを馳せる様子のリラに、藤馬川博士が聞いた。


「気になりますか?」

「もちろんです」

「では。わたくしの魔法《げんそうえいしゃ》によって見てみましょう」


 胸の前で手を合わせ、リラは期待いっぱいに微笑む。


「まあ! 見たいですわ。博士の魔法ならば、見ることもできますものね」

「ええ。わたくしも映像として展開してはじめて、その内容を知ることができます。やってみましょうか。メーベルさん、部屋を暗くしてください」

「はい」


 メーベルが明かりを消す。今は夜だから、カーテンから漏れる月明かりがあるのみで、部屋は夜空の下と変わらない暗さになる。

 すべての真実を映し出すことができる鏡を持つ『真実の歴史学者』藤馬川博士は、トンと杖をついた。

 すると、壁に映像が流れ始める。


「始まりましたね」

「ここは世界樹の根元です。さあ、果たしてクコ王女はいつやってくるか」


 杖をトン、トンとついて映像を早送りしながら、クコの登場を探す。杖のみで藤馬川博士の思いのままの操作ができる。

 やがて、クコは現れた。


「お姉様です!」

「魔法陣を描いていますね。うん。ちゃんと描けている」


 クコが魔法陣を描き、そのあと少年が空から降ってきた。

 少年をクコが抱き止める。

 リラはその少年の顔をまじまじと見つめた。少年が立ち上がり、クコと話している姿が映り、二人は追ってくるアルブレア王国騎士から逃げて世界樹ノ森へと駆けてゆく。


「だ、大丈夫でしょうか?」


 不安そうにするリラに、藤馬川博士はうなずいた。


「大丈夫です。もう少し強そうな勇者様なら、ここで戦うことになるとも予想したのですが、逃げも立派な戦略。クコ王女は賢いですから、逃げ切れますよ。そのための魔法道具も渡してあります。では、少し飛ばしましょうか」


 場所を追跡しながら映像を飛ばして、少年が星降ノ村で衣装を整えて帽子をかぶり刀を腰に差した姿まで確認した。


「なんだか……」


 言葉にならない。

 ただ、瞳の奥が吸い込まれるようだった。トキメキに似た、あふれる感情の粒を無意識にかき集めて、小さな手で握りしめる。


「わたくし、あのお方にお会いしたいです」


 この胸が共鳴したものがなんなのか、リラは確かめたくなった。

 藤馬川博士は柔らかく声をかけた。


「リラ王女」

「はい」


 長いまつげをあげ、リラは藤馬川博士を見つめた。


「そろそろ、よい頃でしょう」

「え?」

「いっておやりなさい」

「わたくしも、旅に、ですか」

「そうです。リラ王女はもう充分に魔法を自分の力にしました。ブロッキニオ大臣も、いつまでも現状を保ってリラ王女に危害を加えぬとも限りません。今こそ、旅立ちのときです」

「……」


 急なことに、リラは咄嗟に返事ができなかった。いや、急ではない。クコの力になるために、自分の力で国を守るために、リラはこれまでクコが旅立ってからというもの努力し続けてきた。

 今も、自分の姉が騎士たちと戦っている姿を見たが、同じことを自分ができるかと考えたら、声にならなかった。すぐに決心がつかない。あの少年には会ってみたいが、自信がない。


「今のわたくしに、できるでしょうか」


 そんな不安とも疑問ともつかぬ言葉を聞いて、藤馬川博士は映像を消し、カーテンを開けてそっと言った。


「ここを発つのは、明日か明後日の夜明け前がいいでしょう」

「……」

「すぐになんでもできると思うものではないですよ。クコ王女に再会するまでの道は長い。その旅の中でも、魔法を磨きなさい。知恵を磨きなさい。もし早く出会えたなら、その分、共に研鑽なさればいい。ただ助けに行くのではなく、助け合うのが姉妹ですからね」


 なにか抱え込んでいたリラは、霧が晴れたように表情が明るくなった。


「わかりました。迷いもなくなりました」

「そして、リラ王女。今の映像の中の人物を、よく覚えていてください。クコ王女を、アルブレア王国を、そしてあなたを救ってくださる、勇者様です。それは、青葉家も、アルブレア王国も、世界をも救うことなのです」

「はい。まだ名前も知りませんが、お顔はしっかり覚えました。わたくしたちの勇者様……」

「リラ王女。明日はだれかに会う予定はありましたか?」

「はい。マウロ大臣がシャルーヌ王国の要人と会うそうです。その席に一度顔を出し、ご挨拶をします」

「マウロ大臣といえば、『おうおうせつやく』ですね。あのお方は国王様やリラ王女たちの味方になってくださるでしょう。それものちの話。ですので、そうした席には顔を出すべきです。明後日は出発できそうですか?」

「はい。特に予定はありません。だから、明後日――四月六日の夜明けと共に」


 決意を新たに、リラは旅の支度にかかった。


「必要な物はすぐにまとめます」


 と、メーベルが下がり、リラも自分がこれだけは持って行きたいという物をまとめる。

 二日後、リラは夜明けと共に、住み慣れた城を旅立つことになった。

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