決戦の摩天楼③



「――――ほう、なんとまあ数奇なことか」


 真夜中の昔語りは、ヘリポートもなく航空障害灯が明滅するだけの殺風景な屋上において、貴重な暇潰しとなった。


「以降、私はあの時見た光景を追い求めて、ここまで来たのです」

「中身は平凡だったが、語りの小気味良さで退屈しなかったぞご老体。褒めて遣わす」

「お言葉、喜ばしい限りです。しかしながらお話した出来事と同等か、いえそれ以上の身に余る光栄に出会えたこと、大変嬉しく思います――


 朔之介が恭しくこうべを垂れる。

 魔王様と仰々しく呼ばれた晴花は、「ふん」と鼻を鳴らして、玉座代わりの影のドラゴンの上で足を組み直した。その額からは一対のつのが雄々しく伸びており、一層人の身から遠ざかろうとしていた。


「蟲めに根回しをし、我の再臨を手助けした功績は相応に讃えよう……しかし解せぬな」


 快活さは鳴りを潜め、やわらかく騒がしやだった声は、今や怜悧狡猾な鋭さを帯びていた。姿形は尚も小柄な少女のものだというのに、想像もできない威圧感を発している。


「我が望むは異世界へ返り咲き、再度手中に収める野望の成就。汝の追い求めた情景をもたらすとは限らぬぞ?」

「いえ、いいのです」

「して、その心は?」


 異常な返答に、満足だと魔王はせせら笑う。この老人は妖精にかどわかされた時点で、既に人間として壊れていたのだ。


 望郷など生ぬるい。憧憬はいつしか執着へと変わり、それ以外を唾棄するほどに価値観が歪んでしまっている。金も家族も再会のために捧げてきたのだろうが、その実、捧げるために得てきたに過ぎない。


「なんてこと……!」


 狂気の淵で、ただ一人――アイだけが正気だった。


「手段も目的も行動も、なにもかもがあべこべ。大魔導師や大企業の会長になれた手腕を持ちながら、全部腐らせているなんて……!」


 後ろ手に拘束され、抵抗を許されない状態でも、アイが声を上げてしまったのも無理はない。

 平たく言えば、世界と心中しようとしているようなものだが、そこに愛憎はないのだ。どころか、八つ当たりで世界諸共破滅しようというのだから、横暴となじっても当然の反応だった。


「そんなことのためにアイを作っただなんて……っぐア!」


 朔之介の杖が、転がされた自由なきアイへとしたたかに打ちつけられる。非難に気を悪くしたのか、「臭い口を塞げ、木偶の坊」と二度三度、理不尽な暴力が襲い掛かった。


「ああ、臭い臭い。あの餓鬼共とつるんだせいか、人間臭くて敵わん。鼻が曲がりそうだ」


 何故人造魔導具として製造された己が、杜撰な管理だったのか。何故今日まで放逐されていたのか。何故機能のいくつかを潰しながら焦る様子がなかったのか。

 それは至極簡単な話……

 体を縮めて耐えるしかない丸腰の少女に嫌悪感を吐き捨てた朔之介は、最早『月彦の祖父』でも『暁奈の師父様』でもなかった。既に魔導の門下もいない。繕う外ヅラもないと、原風景を詳らかにしてからというもの、朔之介の瞳は混沌を色濃く映し出しつつあった。


「嘆かわしいが、さりとて得るものはあった」


 魔王の同類――見る者にそう強く印象づける濁り切った双眸が、魔王へと微笑む。


「近々、聖剣使いの勇者と最新の魔女が参ります。その前にこやつめを召し上がらなくて、本当によろしいのですか?」


 魔王の蟲を食らった時のように、いまだ脆弱さの残る体に精をつけないのかと尋ねる朔之介。しかし気遣いは無用だと、「二度も言わせるな」と魔王の鋭い眼差しが刺さる。


「勇者以外はすべて路傍の石。しいて言って、異世界に帰るための踏み台に過ぎぬ。我が復讐は勇者にあり。ゆえに日和って骨抜きにされた勇者が、これ以上なまくらになられては張り合いがないからな」

「おお、申し訳ない。見てのとおりのジジイですゆえ、今の御身は世話を焼いていた魔女と同年代なので……」

「最新の魔女――今世最後を謳う乙女か。それこそどうだ? 弟子と殺し合おうというのだ。貴様こそなまくらになられては困るぞ?」

「はっはっは! その点に関してはなんら問題ありませぬよ」


 「あれを弟子だと思ったことは、一度たりともありはしませぬ」――朔之介は邪悪にせせら笑った。


「…………っ!」


 アイは初めて、この男が己を生み出した父なる存在であることを恥じた。

 ていのいい人身御供だと割り切っていた時には考えられないほどの憤怒が、力のこもる指先を白くする。


 最初から……アイという生命が始まる遥か以前から、世界を塵芥としか見ていなかったのだ。最早大魔導師の仮面を剥いだ老爺は、ただひたすらに不快で醜悪だった。


「邪魔になる羽虫はまとめて駆除する……遅かれ早かれ、こうなることは分かっておりました。ゆえに、準備は整えております」

「ほう? そう威勢よく啖呵を切るのであれば、相応の手は加えたのであろうな?」

「勿論ですとも! この日のために、足元のビルには一種の魔境を形成しております!」


 杖を指揮者のように振りかざし、舞台役者もかくやという声を朗々と張り上げる。


「複数種類の結界によって内部は迷宮化しており、よしんば突破しようとしても、培養したキメラ数十頭と捕獲しておいた地縛霊が徘徊し、無傷での踏破は不可能でしょう。更には密閉された空間には、呪詛の応用でこごらせた空気が穢れて淀み、息をするだけで体力を消耗します」

「言わば、魔法でこしらえた捕獲器ということか。いささか大仰な気もするが」

「ええ。本来はもっと困難な強敵との対峙に備えておいたものですが、大は小を兼ねるとも言いますゆえ、御身のために使えるのであれば本望です。どうせ超えてくることなど敵わぬと思いますが」

「――はたして、そううまくいくかしら」


 声を発したのは、アイだった。

 杖を打ちつけられて赤らんだ頬を歪ませて、不敵に笑みを形作る。まるで凛と強がる暁奈を真似るように。


 黙らせようと歩み寄った朔之介が再度杖を振り上げるが、ドラゴンの尾が割り込むことで制止し、事なきを得る。


「どういう意味だ、アイ」


 ああ、記憶は晴花から地続きなのかと理解すると同時に、「そのままの意味」とアイはつっけんどんに魔王を見据えた。


「『超えてくることなど敵わない』……アイはそうは思わない」

「陳腐なほどに抽象的だな。貴様はあの勇者共を高く買っていると?」

「そうかもしれない」

「して、その心は?」

「料理と同じ」


 ともすれば的外れな回答に、魔王は片眉を吊り上げていぶかしがる。


「公園に持っていくお弁当を作った晴花なら分かるはず」

「…………」

「なにが言いたいか、分かるでしょう?」


 いっそ挑発的なアイは、無自覚に自信を振り撒いていた。魔王を前にして不遜に、けれども確信を持って鼻を鳴らしてみせる。


「同じ程度の成果が出るなら、近道をするのは当然」


 ミートボールを巻くキャベツは電子レンジでやわらかくされ、卵焼きのねぎ味噌は常備菜、そしてポテトグラタンのブロッコリーもオーロラソース炒めの海老も、冷凍のものを活用していた。


 それらは至極簡単なこと。



 ――その時。

 輝く流星が爆音を轟かせながら飛来し、ビル屋上へと突き刺さった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る