絶望は隣人の顔をしている④



 憤懣ふんまんやるかたない暁奈に、苦しげに眉根を寄せた良太郎が肩に手を置く。


「俺も……いや、俺達も同じだよ」


 そうして、月彦も混じって商店街での戦いの顛末を語った。


 弦と矛を交えたことに端を発した、これまでの凶事の収束。

 朔之介が黒幕だった自殺騒動と異世界化エナジードリンク。

 その呪詛で腹を満たし、自ら喜び勇んで供物となった魔王の蟲。

 かつての従者を食らって再臨した魔王――しかも晴花に潜伏していたというのだから、聴いていた暁奈も絶句して目を丸くする他ない。


「ごめんなさい。あたし、自分が一番辛いんだって思い込んで……そんなことがあったなんて知りもしないで……」

「俺もだよ。人見の方でそんなことがあったなんて、全然知らなかった」


 頭を下げる暁奈につられて、良太郎もうつむく。


「もっと早くに帰れていれば……」


 尻すぼみなは、現実が絶望的だからこそ漏れ出てしまった弱音だ。


 これから奮起したところで、果たして失ったもの、奪われたものを取り戻すことができるのか。

 言葉にせずとも漂う不安感は、そびえ立つ壁の高さを如実に物語っていた。


「…………」

「…………」


 重苦しい沈黙がこごる。

 良太郎も月彦に発破をかけられて、希望をたぐるようにここまで来たが、更に深刻な事態が重なり、表情は一層険しさを増していた。


 一歩進まなければならないのは、両者も理解しているはずだ。だとしても、異世界の勇者と今世最後の魔女であることを加味しても、現在ののっぴきならない状況は、言葉を発するのさえ億劫にさせる。


「…………っ」


 なにか、励ましの台詞が出てくればいいのだが、月彦はてんで思い浮かばない。

 主人公ですらない端役、しかも本来はいるはずのない珍客とあって、名言の一つも出てくるはずがなかった。


 それでもなにか言おうと喉を絞った――その時だった。


「あのっ、」


 ――ぽーん、ぽーん。

 クラシカルな音色が、大黒柱の天井付近から控えめに鳴り響いた。


 壁掛け振り子時計の時報だ。この家に住み始めた時分には既にあったという、それの文字盤を見れば、もう夜だと八時を指し示していた。


 そういえば入浴のタイミングと重なったりして、じかに聞く機会は得られていなかったなぁと聞き入る静けさに余韻が満ちた頃、廊下からステラが顔を覗かせた。


「夜も遅い。これから動くにしても、なにか腹ごなしでもしたらどうだ?」


 良太郎と月彦が商店街での話をしていた時、朔之介の呪詛で寝込んだ時雨を部屋に運び込んでいたからこそ、人間らしい体調不良……要は空腹が心配になったのかもしれない。


「うん。そうだな」


 月彦は束の間の休息にホッと胸を撫で下ろしたが、良太郎と暁奈は浮かない様子のままだった。


 本音を言えば、今すぐにでも飛び出したいのだろう。だがそれは魔王と化した晴花、自身の師匠だった大魔導師との対決を意味している。気が乗らず、尻込みするのは当然だった。

 食事をする気分でもないが、さりとて腹が減っては戦は出来ぬ。皆本家で最初に囲んだ夕食の味を思い起こして、月彦は無造作に冷蔵庫を開いた。


「これは……」


 見た途端、胸を締めつけられる。体調が急変したわけではない。ただそのもどかしい思いを分かち合いたくて、月彦は良太郎と暁奈へと小走りに持って戻った。


「二人共、これ見て」


 月彦が差し出したのは、大きめの皿に並んだ、不格好なおにぎりだった。

 貼られたファンシーな付箋には、これまた不格好な『みんなの』の文字。


 三者三様の表情で、顔を見合わせる。料理上手な晴花が作ったものとは思えず、また子供の落書きのような筆致は時雨のものとは思えない……つまりは。


「アイが、」


 つくったもの。


「っ!」


 気づくな否や、暁奈はおにぎりを引っ掴むと一目散に食らいついた。

 大口でかぶりつき、むしゃむしゃと咀嚼し、嚥下する。それを繰り返し、次の一個へと手を伸ばす。


「俺、茶でも用意してくる」


 良太郎も弾かれるようにして台所へと向かっていく。真心のこもった置き土産は、奮起させるには十分だった。


 月彦も手を伸ばす。米粒を圧し潰すように握られたおにぎりは、三角よりも台形に近い形だ。海苔を巻いても見た目はごまかしきれない。

 それでも料理は見た目よりも味、味よりも愛情だろうと個包装のラップを剥ぎ、「いただきます」と小さく呟いて一口。


「しょっっっっ、」


 瞬間――舌の上を駆け巡る塩味の尖り。


「っっっっぱァ!」


 丁度戻ってきた良太郎から湯呑みをひったくり、緑茶で針のむしろの中和を図る。しかし次は強く握りすぎて米粒同士が半ば融合した、得も言われぬネチョネチョの食感が襲い掛かった。

 緑茶も焼け石に水。具の焼き鮭もオーソドックスで外れなかったはずが、強烈な塩辛さと徒党を組んだ米粒の粘つきの前では、風味もへったくれもない。


「おごああああ!?」


 隣から聞こえてきた悲鳴は、昆布の佃煮のおにぎりを頬張ったと思しき良太郎だった。焼き鮭よりも更に味の濃い佃煮を、これでもかとふんだんに詰め込んである。

 サービス精神は嬉しいが、今回は裏目に出たと言えよう。


 緑茶をがぶ飲みする良太郎を尻目に、暁奈は一心不乱におにぎりを貪り食らう。

 米粒一つ、海苔のひと欠片も残さないように。


 ……そうだ。おそらくこれは、皆本家で過ごしているうちに、暁奈達になにかしてあげたいとアイが一念発起して手掛けたもの。時雨の監督はあっただろうが、この分では最低限に留められたに違いない。


「アイも、自分で作ってみたかったのかな」

「うん……きっと、そう」


 皆本家で最初の食事を取った月彦は、アイにシンパシーを感じずにはいられなかった。

 無味乾燥で殺風景な食卓ではない、あたたかな団欒の中で味わう喜び。それはきっと、アイも同様に感じていたはずだ。


「お礼言わなきゃ。『おにぎり、ありがとう』って。それとあたしもお菓子作ってあげたい」


 涙声で暁奈が返す。


「ふわふわのパンケーキ焼いて、アイスとフルーツとクリームを乗っけて、チョコソースかけて、ナッツも散りばめて、パフェみたいに盛りつけて……っ」


 グッと目元と口元を手の甲で拭う姿には、悔しさにむせび泣く弱々しさは微塵も残されていなかった。


「心に決めていたのを思い出せたわ――もう、迷わないって」


 ガラスが透明度を取り戻す。薔薇は気高く、凛と咲き誇っていた。

 ……なればこそ、月彦も迷ってはいられない。


「ここで過ごした日々を悲しい思い出にしないためにも、あたしはやるわ」

「それなら、俺も話さないといけないことがある」


 本来であれば喫茶店『かふわ』で話そうとした真実。


 信じてもらえないかもしれない。どころか冗談だと一蹴され、「こんな時に」と鼻で笑われるかもしれない。

 あるいは興醒めだと排斥される……とまでは思っていないが、呆れ返られるかもしれない。


 ――だとしても、もう秘めたままではいられなかった。


「なんだよ、藪から棒に」

「今のうちにわだかまりになりそうなのは清算しておきたいって話でしょ」

「それならば人見暁奈、お前もそうだろう」

「え? なにがよ」

「……いや、なんでもない」


 暁奈とステラのやり取りは気になったが、まずは自分の方が先決だ。

 臆病風を振り切って、月彦は意を決する。


 吸って、吐いて、

 吸って、吐いて、

 両目を閉じ、そして開ける。


「良太郎、俺は聖剣を食らった時、『記憶喪失になった』って言ってたよな」

「ああ、それがどうかしたか?」

「実はあれ、嘘なんだ」


 良太郎は「え?」と鳩が豆鉄砲を食ったように呆けていたが、暁奈は「でしょうね」と当初の疑念を肯定していた。


「そう都合よく記憶喪失になってたまるもんですか。しかも生活や言語に支障をきたしてる様子もないとか、出来すぎてたのよ」

「そ……そうだとしても、これだけ劇的な改心をしたって辻褄を合わせるには記憶喪失くらいしか……」


 「ごめん。本題はそこなんだ」と月彦が切り込むと、しどろもどろに反論する良太郎は不安げに告白を待つように口をつぐんだ。


 短い、しかし月彦には永遠に感じられるほどに長い静寂が流れる。


「俺は加地月彦だけど、本当の加地月彦じゃない。別人の人格なんだ」


 そうして加地月彦であって加地月彦ではない誰かは、偽りの仮面を外して語り出す。


「俺には、この世界がゲームとしてあった世界の記憶と知識がある」


 幸いにも、良太郎はそういった深夜アニメを好んで見ていた。「まさか、」と言いたげな顔に頷き、月彦は真実を吐露する。


「いわゆる――『転生者』って奴なんだ」


 言ってしまった。

 覆水盆に返らず。もう引き返せないと、膝に置いた手をぎゅっと握り締めた。


 発言を精査するためか、張り詰めた沈黙が漂う。壁掛け時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえた。


「テンセイシャって……あんたは見た目こそ加地だけど、聖剣を食らった時にどこかの誰かさんに成り代わった……ってこと?」

「ああ。しかも異世界……っていうとややこしいな。別世界からの転生者なんだ」


 訂正しても、信じられない……と暁奈の表情は語るが、しかし言葉には出さなかった。なにせ既に異世界があるのだ。更に感知できない別世界があったとしても、魔法使いの彼女には不思議ではないのだろう。


 暁奈も呑み込みが早かったのだから、良太郎も理解が及んでいないわけがない。

 チラリと顔色を伺ったが、得も言われぬ複雑な面持ちのまま、唇を引き結んでいた。


「そっか……本当の月彦が改心して仲間になってくれたわけじゃなかったんだな……」

「あ……」


 口を突いて出た本音に、月彦は申し訳なさでいっぱいになる。


 ステラに図らってくれたのも、手厚くもてなしてくれたのも、すべて加地月彦が友達だったからしてくれたことなのだ。好意にタダ乗りしていた月彦は、自身の厚顔無恥さに顔を熱くした。


「でも、ありがとな」


 それでも良太郎は、月彦に屈託なく礼を述べる。


「確かに、本当の月彦が仲間になってくれたわけじゃないって知ってショックだけどさ、お前が味方になってくれて助かったことは山ほどあるし、それは絶対なくなったりしないものだから」

「良太郎……」


 こちらこそありがたいことだと、月彦は涙ぐむ。

 信じてもらえないかもしれないと思っていたことが恥ずかしい。ここまで接してきて、信頼しきれていなかったのは自分の方だ。


 かけがえのない絆だ――月彦は瞬きを数度して、涙を振り切って顔を上げる。


「俺の方こそ、信じてくれてありがとう」

「なら、俺の秘密も話しておかないと……」

「――ちょっと待ちなさいよ」


 今のうちに懸念を晴らそうと膝を突き合わせる良太郎と月彦の間に、待ったがかけられる。暁奈だ。


「なんだ人見、月彦のことが信じられないとか、転生者がなにかとかって話か?」

「そうじゃないわよ。まあ、全部まるっと呑み込めたかっていうと断言できないけど、それでもこれまで見てきたあんたの振る舞い全部を否定するようなことなんてしないわ」

「じゃあなんだってんだ?」

「逆にあんたが思い至らないことの方が不思議でならないけど……転生者で、実は加地月彦じゃないっていうんでしょ?」


 暁奈はさらっと、しかしあまりにもクリティカルな一言を、月彦の心のど真ん中に杭のごとく打ち込んだ。

 確信的な、だからこそ月彦はずっと考えずにやってきた、存在を揺るがしかねない問題。アキレス腱にメスが入る。







「――?」


「……………………え?」







――――――――


 第七章『絶望は隣人の顔をしている』は以上となります。


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