憩う者達④



 第一目標だった買い物も終わり、時刻は昼過ぎ。腹の虫が苦情を訴え始める頃合いに、月彦達はショッピングモールの近くにある防災公園へと訪れていた。

 五年前に町を襲った大火災――良太郎が異世界から帰還した際に起こった異世界災害が契機となって造られた場所だった。悲しみを教訓に、避難場所として活用できるよう拠点が設けられ、今日こんにちでは市民憩いの場として親しまれている。


 芝生が広がる絶好のピクニックポイント――つまるところ、第二目標はそれである。


「じゃじゃーん!」


 自信満々の掛け声と共に開かれた重箱は、玉手箱もかくやの彩りに満ち満ちていた。


「すっご……!」


 一段目には目にも鮮やかなおかず達が、二段目には一つ一つラップに包まれたおにぎりと、これまたデザートのミニタルトタタンがラップに包まれて行儀よく収まっていた。


「いただきます!」


 勇み足で揃わない挨拶もそこそこに、家庭の味に飢えていた月彦は失敗した割り箸も気にせず、一目散におかずを頬張った。


 ロールキャベツ風ミートボール、ねぎ味噌卵焼き、ブロッコリーのポテトグラタン、海老のオーロラソース炒め……そのどれもが舌を存分に楽しませる。

 カレー、味噌、チーズ、ケチャップとマヨネーズと、口の中がこってりしそうなところで、愛らしいピックに刺さったピクルスがさっぱりとリセットさせてくれる。取り合わせられるおにぎりもそれを見越してか、おかかと昆布をアクセント程度に混ぜ込んだあっさり味になっていた。


 詳しい事情こそ知らないが、晴花もアイの背景に思うところがあったのだろうか。元より振るわれていた辣腕だったが、以前の食卓以上に気合の入ったラインナップとなっていた。大食漢ではない月彦も、無意識に箸を進める手を止められない。


「はい、お茶です」

「この香り……紅茶か?」


 鼻をひくつかせる良太郎に倣い湯気を吸い込むと、豊かな香りが一息つかせる。


「無糖なので、ご飯にも合うと思いますよ」

「ああ、ありがとう」


 無心で箸を動かしていたナイスタイミングに、口を整えるお茶が差し出されて、月彦も会釈する。サーモボトルで持ってこられたおかげで、注がれたそばから湯気が立ち昇った。


「人見先輩も作るの手伝ってくれたんですよ。デザートのミニタルトタタンも先輩お手製ですし、この紅茶も私物の茶葉だそうで」

「そうだったのか」


 膝を突き合わせて重箱を囲んでいるためか、月彦がまじまじと顔を見つめると、卵焼きを咀嚼する暁奈は照れくさそうに視線を泳がせる。

 当人は面と向かって受け取りづらそうだが、この力作を堪能できる一因が暁奈にもあるのなら、感謝するべきだ――と、紅茶で口を湿らせてから言おうとして。


「ただ……楽しみで昨晩あんまり眠れてなかったのか、作ってる最中もぼんやりしてて、お砂糖とお塩間違えそうになったりして……」

「ごべっ、が、ごほばーっ!?」

「あ、」


 哀れ、一気に傾けた紅茶で口いっぱいになった結果、月彦は死にかけの虫もかくやとばかりにひっくり返った。


 ――を吹き出しながら。


「うげ、なんだこれ滅茶苦茶渋いぞ……」


 一口含んだ良太郎も舌を突き出す。


「ありゃりゃ……濃く淹れすぎちゃったんですね」

「あ、あれ……? あたし、ちゃんと味確かめたはずなんだけど……」

「先輩が結構濃いめ好きで、なんかの拍子に更に濃くなっちゃったのかもしれませんね。帰ったらミルクティーにでもしましょうか」

「……ごめんなさい。あたしのせいで台無しにしちゃって」


 委縮して肩を縮こまらせる暁奈に、「いえいえ!」と晴花は両手をばたつかせる。


「私だけじゃ、こんなにいっぱい作れませんでしたよ。それに手伝ってくれたのもそうですけど、なにより一緒に作れたのが楽しかったです」


 共に暮らす叔父と台所に並ぶこともあっただろうが、こうして友人とお弁当を作り、食べて憩うという経験はあまりなかったのかもしれない。普通に生きてきても稀なことなのだ。家事に重きを置いている現状を見れば、殊更希少でも不思議ではない。

 意気消沈する暁奈を気遣っての台詞だっただろうが、それ以上に心からまろび出た喜びの言葉だった。


「あ、凄くいい紅茶、そのまま捨てちゃうの勿体ないんで、自販機でお水買ってきますね――全部食べちゃ嫌ですよ、特に良ちゃん!」

「分ぁーってるっての!」


 濡れた口元を拭い、月彦は自分の食事もそっちのけでバタバタと芝生を駆けていく晴花を、上体を起こしながら見送った。


 ……一度変な体勢になったからだろうか、先程とは異なる視点からの景色が目に入った。


「?」


 もぐもぐと、ただただ静かにアイがおにぎりを頬張っている。それだけならば、ごく普通の食事風景だっただろう。

 だが月彦の目を奪ったのは、その『ごく普通の食事風景』に対するひたむきさだった。


 両手で行儀よくおにぎりを持ち、小鳥がついばむような一口一口を、じっくりと咀嚼して嚥下する。手元と相まって、控えめな合掌にも見える所作は、敬虔と呼んで相違ない雰囲気を醸し出していた。


 おいしいとはいえ、月彦にとってはあくまで普通のおにぎりでしかない。

 しかし人造魔導具として生かされ――否、管理されてきたアイにとっては、晴れやかな屋外での食事自体、初めての経験なのだろうことは想像にかたくなかった。暁奈も張り切って弁当作りに取り組んだ真の意味を理解し、微笑ましさに頬をゆるませた。


「お水と代わりのお茶、買ってきましたー!」


 小走りでペットボトルを二本携えて帰ってきた晴花で、長くはないが決して短くない時間アイに見入っていたことを気づかされる。月彦は恥ずかしさを隠すように紅茶を薄める用のミネラルウォーターを受け取る。その横で、晴花はアイに買ってきたお茶を注いであげていた。


「はい、どうぞ。アイさん……、もっ?」


 膝だけレジャーシートに乗せたままだった晴花の足裏に、なにかがコツンとぶつかった。

 注いだお茶がこぼれないほど些細な衝撃だったそれは、つるりとチープな色合いをしていた。


「これ、は?」


 気になったのか、お茶もそっちのけでアイの手に渡る。

 なんの変哲もない、ビニール製の子供用ボールだった。


「――あっ、すみませーん!」


 手を振って駆け寄ってきたのは、いかにも子供と遊びに来たといった格好の女性と、こちらもいかにも母親と遊びに来たといった格好の男の子だった。

 彼からしてみれば年上の男女が複数人と緊張したためか、母親の後ろに隠れながら様子を窺っている。


「転がっていっちゃってすみません。あ、ご飯とか飲み物とかに被害なかったですか?」

「いえいえなんにも! ――アイさん、この子のボールだったみたいですよ」

「そう?」


 晴花の手にあったお茶を置き、アイは男の子の目線に合わせるようしゃがみ込む。


「はい」


 おにぎりと同じく、敬虔に両手で持ったボールをそっと差し出した。


「素敵なボールだね。やわらかくて、つやつやしてて、カッコいい」

「……おねえちゃんも、あそぶ?」

「え?」


 思わぬ提案に、手渡したボールと隣の晴花を交互に見た。困惑の視線を受け止めた晴花はやわらかな表情で、アイと同じ目線にしゃがみ込む。


「お誘い、どうします?」

「アイは……」


 自分が――おそらくは人造魔導具である自分が――なんの関わりもない普通の子供と触れ合っていいのか。そんな躊躇いを滲ませた横顔には、けれど確かに物語っていた。


 その声なき言葉を、晴花がそっと掬い取る。


「遊びましょう!」


 手を引いて一歩踏み出す。秋めき、少し色褪せた草を靴下のままの足が踏んだ。

 一線を超えるような勇気は、しかしてアイの心をも動かした。


「……うん」


 ぎこちない返答だが、頬はほっこりと色づいていた。靴を履き直した二人は、「ちょっと行ってきます! あ、お弁当もう空っぽにしておいちゃってください!」と元気よく開けた方へと歩いて行った。


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