憩う者達⑤



 その様子を、遠目から月彦達は見つめる。


「黛さんがいなかったらこんな光景は絶対に見られなかったと思うから……凄く、感謝してる」


 同じくアイがボールと戯れる平和な光景に、暁奈は感嘆の吐息を漏らす。


「いや、あたしだけじゃ見られなかったから、二人のおかげでもあるか」

「ここ最近感謝されすぎて調子狂うぜ。明日辺り槍でも降ってくるんじゃねぇか?」

「はっ倒すわよ」

「そんぐらいでっかく構えてていいっての。感謝はもう十分だし、晴花まで楽しんでるんだしよ」


 「まあまあ」と「どうどう」の狭間で探り探り諫める月彦を見て、良太郎は気の抜けた様子で立てた膝に顎を置いた。


「あいつ、あのとおりかなり義理堅いから、放っておくと時雨さんの世話ばっか焼いて、自分のことはほったらかしになっちまうから……なんだかんだ今日はいい息抜きになったのかもな。俺も異世界とか勇者とか考えずに過ごせた気がするわ」


 ぼやきは、どこか叔父である時雨の顔に似ていた。幸せな姿を良しとする眼差しが瓜二つだったからだろうか。

 気づいた時には、穏やかな横顔に思わず疑問を投げかけてしまっていた。


「――異世界は、こんなに平和じゃなかったか?」

「ん? あー、まあ、魔王の従僕だったモンスターがあっちこっちで悪さしてたから、そういう意味じゃこっちの方が平和かもしれねぇけど……」


 「でも、」と明確に言葉を区切る。


「こっちと、あんま変わらなかったな」

「変わらなかった?」

「ああ」


 良太郎は遠くを見つめる。視線の先には、穏やかな秋晴れの青空と枯草色の芝生、そして憩いのひと時をめいめい楽しむ人々の姿があった。

 夏の湿度も過ぎ去り、爽やかな空気の中でジョギングに勤しむ人。のんびりとベンチで談笑に耽る老夫婦。家族連れは思い思いの遊び道具と戯れている。


「確かに、人間とは違う種族だった。でも気持ちのいい日には遊んだり、美味しいもの食べたり、あったかい陽射しに思わず寝こけたり……誰かの死を、悼んだり」


 その中に――あの親子と、アイと晴花の姿も。


「なんつーんだろうな……根本的な価値観みたいなのは一緒だから、俺には人見とかが異世界に対して快く思わないのが、いまいち分からん」

「そこはあたし達、つくづく噛み合わないわね」

『……それはそうだろう』


 頭の中に声が響き渡る。ステラだ。


『異世界の住人達に罪はない……先程も話に上がった、魔王の従僕たるモンスター、もとい魔物でもなければな。あれは魔王に人間ごと魔力を食らって献上する働きアリだ。野放しにはできん』


 白昼、しかも衆目での念話で驚かせないためにか、言い淀むような吐息を前置きして話しかけてきた。


『しかし、こと世界そのものとなると話は別だ』

「そうなの?」


 小声で尋ねる月彦に、ステラは『ああ』と答える。


『良太郎が行き、帰ってきたことからも窺い知れるが、。そして決して稀ではない確率で裂け目が生じ、そこから異世界漂流物などが現れる。そこに住人の善悪など関係ない』


 まるで地震が起こるメカニズムのようだ。プレート同士が押し合いへし合い、溜まりに溜まったエネルギーが出口を求めた結果起こる、どうしようもない天変地異。そこにステラが言ったように人間は介在せず、ただ大いなる現象としてあるばかりだ。


『だからこそ、私も加地朔之介が異世界封印のために「天蓋」――アイを作ったのだという話を、馬鹿正直にも真に受けてしまったのだがな。魔導犯罪によって異世界化を進行している今を思えば、逆にアイに詰め込んだ魔導具を起爆剤として、異世界との隣接面に風穴を穿つ策略かもしれんな』

「そんなこと……絶対にさせない」


 満ち溢れた決意は、宣誓に似ていた。


「人見……」

「あたし、ずっと迷ってた。アイを非道に扱えなくなって、親代わりの恩人だった師父様を裏切って、そのくせ敵対するのが怖くて、折角加地が打ち明けてくれた真実も受け止めきれずに耳を塞いだ」


 当たり前だ。これまで信じてきた世界が瓦解する恐怖を克服しろというのが無理な話だろう。

 だが、空を仰ぎ見る顔は一点の曇りもない晴れやかさで。


「でも、決めたの――もう、迷わない」


 透明なガラスを思わせる硬質さは、出会った当初の凛とした佇まいを彷彿とさせた。


「小さい頃、魔法少女になりたかった。魔法で日常に彩りを与えたり、悪い敵をやっつけたりする魔法少女に……たとえ本当は異世界封印を試みようとしていたとしても、アイを犠牲にしてまでやるべきだとは思えない。もっとあくどい、それこそステラが言ったような悪行を目論んでいるとしたら、尚のこと」


 真に焦点を捉えた瞳は、遊びを終えてゆっくりと帰ってくる二人に向けられていた。控えめに手を振るアイに、暁奈も振り返す。


「この光景を悲しい過去にしないためにも、あたしはやるわ」


 小走りで戻ってきた晴花が、「――あの! 聞いたんですけど、」と満面の笑みで予期せぬ儲け話に小鼻を膨らませながら、どこかを指差した。


「この先の併設された庭園が、丁度今、秋のバラが見頃らしいですよ。小さいのですぐ見て回れますし、行きませんか?」

「いいわね……あーでも、行くならここを片付けてから行かないと」

「俺は別にいいから、お前達だけでも行ってこいよ。まだデザート食べてないんだし、戻ってきてからひと休みでもいいだろ」

「なら俺も残るよ。タルトタタン食べながら、片付けられるものから後始末しておくし」


 そうと決まれば、と言わんばかりに「すみません、ありがとうございます!」と晴花はアイと暁奈の手を取った。


「じゃあ行ってきます! でもタルトタタンは絶対食べたいので、手を出したら怒りますからね。特に良ちゃん!」

「へーへー、分かったから行ってこいっつーの」


 ゆるんだ手のひらをはためかせる粗雑な見送りだったが、むしろ仲の長い晴花には親しさの象徴なのだろう。挨拶代わりに、愛嬌たっぷりに舌を突き出してみせた。


 幸せなかしましさが遠ざかり、良太郎との二人きりになった。


「ったく……お前は行かなくてよかったのか? 片付けなんて俺一人でもできるしよ」

「うん。それよりも、一つ訊きたい話があって……」


 暁奈の憂いも晴れた。そして近づきつつある影山弦の脅威を思えば、不安材料はなるべく取り除いた方がいい。

 だからこそ、月彦は信用に足る状態にまで至ったと確信した今、これまで確証が持てずにいた『ある者』の名前を出した。


「――良太郎は『』って言って、分かるか?」







――――――――

 第四章『憩う者達』は以上となります。

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