憩う者達②



「……なるほどな。関係性が知られていないことを見越して、動向の監視役としたのも筒抜けとは」


 その日の昼休み。

 作戦会議とばかりに、いつもの屋上へと集まった。


「どころか敵に塩を送るなどと、お相手は大層慈悲深い。感涙にむせびそうだ」

「ステラ、冗談キツいぞ」

「事実を言っているまでだ」


 話を聴いていたステラは珍しく姿を現し、階下への階段を擁する塔屋の上に腰かけていた。幻想的な容貌が鱗雲の秋空を背負うと、よく映える。


加地かじ月彦つきひこを泳がせる意味がない。家族愛でなければ遊戯性としか言いようがない。魔王の手勢であれば、逆に傀儡にし返していただろう」


 いつもとは比べ物にならないほどの饒舌ぶりだが、それほどまでにご立腹であるとの証左なのだろう。あえて姿を現したのも月彦が話し始めて間もなくだったことが、その推論をより強固にしている。


「まったく、悠長にも程がある。相当の自信を……」

「ステラ!」

「…………」

「身内がいるんだぞ。控えろ」


 良太郎に諫められ、ステラの朗々とした声が止む。

 そこで姿を消すものだと思われたが、まだ本題を口にしていなかったと言わんばかりに、塔屋から重力を感じさせない身軽さで飛び降りた。


「口さがなかったことは認めるが、過剰に貶めていなかったとは理解してもらいたいものだ」


 不可思議なガラス細工状のコートの内側から取り出されたのは――例のエナジードリンク。

 片手で楽々プルタブを起こすと、一口も飲まずに屋上のアスファルトへとこぼされる。蛍光色の毒々しい液体を残さず流しきると、しゃがみ込んだステラの輝く指先が異形の水溜まりへと触れた。


「!」


 ――途端、指先がはんだごてだったかのように、じゅわあと水面が煮え立つ。


 人工色の不健康さとは比べ物にならないほどの禍々しい色合いと粘度へと変わり、数分もかからないうちに、エナジードリンクは最初からなかったかのごとく消え失せてしまった。


「私の浄化が効果覿面だった……つまりは呪詛に類する闇魔法の産物なのは疑いようがない」


 駅前で配布されていたものを新たに入手して使用したが、目前の劇物が何食わぬ顔で見知らぬ誰かが飲んでいたと思うと、背中が粟立つような恐怖に見舞われた。


「人体そのものを『異世界化』させる飲料とはな。私の光魔法が効かなかったわけだ。なにせ、相手は呪詛そのものではなく、摂取した人間。曲がりなりにも守るべき生命だったのだからな。怪物じみていても、魔王の手の者――魔族ではなかったわけだ」


 ステラ曰く、異世界に由来を持つ容姿に変貌していたのだろうというのが、おおよそのあらましだ。禿げ上がった分厚い頭皮はゴブリンの、巨体はトロールの、爪はコボルド、裂けた口元と牙はワイバーン、魚眼はマーマンのものだろうと。黒褐色の肌は肉体の急激な変化による内出血だろうとも語った。


「アイに止められていなければ、十中八九皆本みなもと時雨しぐれが飲用していただろう。最悪の場合、件の怪人の二の舞となっていたかもしれないな。これでも加地朔之介を――」

「ステ、」

「いい、いいんだ」


 月彦が制止する。それもこれも、指摘される覚悟などとうにできていた……否、無意識下で指摘してほしかったのかもしれない。抱え続けた秘密を、暴き立られてでも共有したかったのかもしれないと、月彦は己を述懐する。

 だからこそ、月彦は朔之介の真実も白日の下に晒したのだ。


 それよりも……。


「それよりも俺は、人見の方が心配だ」


 見やれば、暁奈はぼんやりと立ち尽くしていた。色白の面立ちに拍車をかけるがごとく顔色は蒼ざめ、浮世離れした美貌は陰鬱を通り越して、柳の下の幽霊を思わせる。


「え、あ、」


 要領を得ない返事。月彦の告白を信じる信じない以前に、真として捉えきれていないような反応だった。


「大丈夫か?」

「……ごめんなさい」


 咄嗟に出た謝罪の言葉は、なにに対してだったのか。


「信じていないわけじゃないの。でも……まだ、うまく呑み込めなくて」


 むしろ月彦にとっては、暁奈が懸命に信じようとしてくれていることにこそ、ありがたみを感じていたくらいだ。

 実質的な第二の親にして、魔法の師匠――端的に言えば恩人である。アイを連れ出していた時点で裏切りと見なされる覚悟していたとはいえ、朔之介を悪と断じられて、それをつぶさに受け入れられるはずがないのは道理だった。


「俺もどこまで信じられるか微妙だけどさ、自殺騒動の時の呪詛はさておき、エナジードリンクのは完全に黒だ。これはハッキリしてる。加地製薬のもので、一枚噛んでないはずがない――アイを作った『異世界の封印』って理由も、下手すると嘘っぱちかもしれない」


 それでも、暁奈は弱々しく「ごめんなさい」とうつむく。


「……少し、時間をもらえないかしら」


 二度目の謝罪は、折角話してくれた誠意に応えられない歯がゆさが感じられた。


 いっそ暁奈が朔之介を悪と知ったことで、背信の自責を和らげる薬となればよかったが、そううまく事が運ぶわけもなく。暁奈の誠実さを改めて噛み締めると同時に、真っ直ぐすぎる彼女が自重で潰れてしまわないかと、月彦は心配からなる親切心で口を出してしまっていた。


「なら明日は休みだし――どこかに足でも延ばさないか?」

「え?」


 「なにを悠長に」とでも言いたげに、暁奈はしかめた顔を上げるが、「いいんじゃねぇの? 気分転換。アイだって、あのまんま晴花から服借り続けてるのもあれだろ」という良太郎の助け船もあって、渋々了承したように首を縦に振った。


「……そうね。アイにも少し、外の空気を吸わせてあげたいわ」


 思い詰める自分が息抜きをするため……ではなく、アイの身の回りの品を買ったり、外で憩うためというのが、実に暁奈らしい。むしろ月彦よりも暁奈との関わりが長い良太郎だからこその提案かもしれない。


「おっし! じゃあ明日は天気もいいし、買い物して、どっか気持ちのいい公園とかで飯でも食うか!」


 良太郎がカラっと笑い、月彦も頷いた。


「ああ、明日が楽しみだ」


 ……本来であれば、暁奈の心理的抵抗はもっともだ。加地製薬のエナジードリンクが怪人化を引き起こす劇薬だと知り、逸る気持ちは至極健全だろう。

 だが駅前で配布されている試供品とはいえ、いち企業が手を回した代物なのだ。頭目である朔之介の黒が確定だとして、一枚噛んでいる配下の数はおろか、ヒミコのような外部からの勢力が他にもいるのかも分からない。不安要素の多くが、今も闇に包まれている。正面突破は神風特攻と同義だ。

 ここでもやはり、月彦達は弦の言う未成年者クソガキに過ぎない。


 ならば、堂々と胸を借りてやろうじゃないか……向こうオトナが鷹揚に見逃しているというのであれば、こちらクソガキは甘んじてそれに乗っかるまで。それが月彦の算段だった。


「二人共……」


 暁奈が毒気を抜かれたように、ほうと息をつく。


「ごめんなさい、じゃないわね。こういう時は」


 アイと共に逃れてから、どこか自罰的にうつむいていた暁奈の桜色の唇が、少しだけゆるむ。


「二人共……ありがとう」


 謝罪ではなく感謝の言葉が贈られたのを最後に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る