第四章『憩う者達』

憩う者達①



 ――現状の黒幕たる加地かじ朔之介さくのすけと提携していた、フリーランスの魔法使いであるヒミコ・スミス・リーの接触。そして事実上の離脱。

 ――人造魔導具『天蓋』ことアイを連れて逃れてきた暁奈。

 ――試供品と称して駅前でバラ撒かれていた、人を怪物に変える加地製薬のエナジードリンク。


 ――そして、怪人と化した被害者を図らずも殺めた。


 そんな濃密な夜を過ごしてしまった手前、日が昇って落ちても気は休まらない。暁奈の私物を秘密裏に皆本家へと運び出した重労働の後だというのに、疲れた体とは裏腹に目は爛々と冴えて仕方がなかった。


 夜明けが大分遅くなってきた秋の早朝。そうして何度も寝返りを打って、やっと窓の外が白んできた頃のことだった。

 月彦はもうそんな時間かとスマホを点けると……心象を更に重くするネットニュースが目に飛び込んできた。


 深夜の事故――重軽傷者多数であったと、センセーショナルな見出し記事は端的に内容を物語る。


 日が暮れ、日付が変わって草木も眠る丑三つ時になろうと、大層夜更かしになった現代人には関わりがない。しかし大半が昼型人間であるため、昼間よりも人通りが減ることは確かであり、大きな被害を出した事実にどこか引っかかりを覚える。

 広告多めの詳細をスワイプすれば、つぶさに事のあらましが明らかになった。


 ……事件が起こったのは、夜も底に程近くなった深夜のコンビニだったという。

 通常であれば、来客は残業が長引いて夕食も逃した会社員が関の山だろうが、この日は大学生が店の駐車場にたむろしていたらしい。飲み会コンパの二次会代わりとばかりに安酒でも傾けていたのかもしれないが、真相は闇の中だ。


 そこへ、ブレーキとアクセルを踏み間違えた乗用車が突っ込んだ。

 コンビニの壁を突き破った鉄の塊は、その若者諸共、駐車スペースに面した雑誌棚を薙ぎ倒した。

 当然ながら若者達は重軽傷者、運転手の男は泡を吹いて意識不明。警察は薬物使用の線でも調べられている……と記事は締めくくられた。


「これって……」


 これって、あのエナジードリンクによるものだとしたら?


 嫌な想像が脳裏をよぎる。

 徘徊する怪人の都市伝説がSNSにない以上、人間を異世界化させる作用がそううまくいったとは限らないだろう。急激な体の変化に耐えきれず、不審死として処理されている事例もあるかもしれない。明るみに出ていないだけで被害は知覚している数よりも、もっと甚大なものだとしたら……嫌な想像は、嫌な予感を呼び寄せる。それが正しいか否かに関わらず、坂を転げ落ちる小石のごとく、ネガティブは伝播していくものだ。


「……いや、やめよう」


 ドミノ倒し式に落ち込んでいく思考を振り切るように、月彦はベッドから立ち上がった。少し早い起床だが、遅刻するよりはマシだろう。

 そうして手持ち無沙汰なのをラジオ体操やら部屋の整頓に費やし、朝の支度を整えて家を出た。


「月彦様」


 ――家から出たところで、月彦に思わぬ人物から声がかかった。


わたくしめがお送りしましょう」


 かしこまった言葉。かしこまった服装。こちらまで襟を正したくなるような礼節のスペシャリストが、玄関脇に背筋を伸ばして立っていた。


「弦……さん……」


 影山かげやまげん――スリーピースのスーツに身を固めた姿を認めて、喉がこわばる。


 加地朔之介の従者、もとい秘書であり、加地家における執事のような存在だ。名は体を表すがごとく、影となって仕えている人物ゆえに、放任主義を貫かれている月彦と顔を合わせる機会はあれど、こうして言葉を交わすことは少なかったように思われた。


 そんな彼が、一体どうして自分に?

 ……月彦は不意打ちに鼻白む。


「そう緊張されることはありません。朔之介様は出かけておりますゆえ、暇を持て余している使用人に仕事を与える程度の気軽さで応じてくだされば」

「……そうだったんですね。ありがとうございます。ただやっぱり学校目前で降りると目立つので、少し手前で降りられると幸いです」


 言外の圧迫感が頭を重くする。下出に出ているように見せかけて、断ればこちらが矮小な悪と見られかねない。忌避したくなる要素によって、退路は一方的に断たれていた。

 せめてもの抵抗の意を込めて譲歩したが、果たして。


 車が発進してすぐ、月彦は口を開いた。


「……このドライブも五分とかからないだろ。言いたいことがあるなら単刀直入に言ったらどうだ」

「首を突っ込むようになったご友人のおかげか、随分頭が良くなったようでなによりだ」


 どうやら、オブラートは品切れのようだ。


「だが残念ながらこの町の道路事情は大体分かっている。五分を一時間に延ばしてみるか?」

「車で送られたのに遅刻すれば、玉瑕がつくのはお前の方なのを忘れるなよ」

「これはこれは、失敬失敬。以前の貴方様はタダ飯食らい穀潰しのクソ野郎でしかなかったから、こうも話が弾むとは予想外だった。前言撤回する。執事の名に懸けて、安全かつ迅速に運んで差し上げよう」


 好意による行動でないことは分かりきっていたが、さりとて棘のある言動は意図が読めない。ただ悪態をついて憂さ晴らしを目論んだほど暇人とも思えなかった。


「言いたいことはただ一つ――調

「っ」


 強い言葉だった。

 語気が、ではない。こちらの思惑をすべて見透かしたうえで叩きのめようとする、強い意思が窺えた。


「貴方がた未成年者クソガキができることなど、たかが知れてるのを忘れるなよ。人見暁奈あのメイドが『天蓋』を連れてどこに逃げたのかは知らんが、どうせこの町から出られるとは思えない」

「…………」


 図星だ。月彦は黙り込む。

 月彦達に、この町を出て雲隠れできるほどの資金もなければ、有力な伝手もない。精々学友の家に転がり込むのが関の山だと見透かされていた。動きこそ筒抜けではないものの、手のひらの上である現実は揺るがしようがなかった。


「見逃されているのは、ひとえに朔之介様の優しさのおかげだ。自分がみみっちい悪あがきをしているに過ぎないことを、よく覚えておくんだな」


 魔法を習得し、暁奈も腕を上げているが、それでもマンパワーもリソースも段違いだ。異世界の勇者がこちらにいても、勇者とてこの世界に生きる、ごく普通の高校生に過ぎない。

 それこそ、大人の庇護下から逃れられない……弦の言う未成年者クソガキだ。


「彼女らに伝えておくといい」


 信号待ちで停車すると、ミラー越しに目が合った。


「朔之介様の器は大きいが、わたくしはそうではない――、と」


 鋭い目つきがオールバックでよく見える。猛禽のごとき視線は、単なる脅しではなく本気であると物語っていた。

 発進するより先に、月彦はミラーから目を逸らした。


「どうせ、話さなくたって嫌でも分かるって言いたいんだろ」

「物分かりがいいと助かります。以前の貴方様は……なんでしたっけ、馬の耳に乾物? でしたから」


 「それを言うなら、馬の耳に念仏だろう」と突っ込む気にはなれず。


「でも、お前だって分からないはずはないだろ。泳がせてる獲物に無許可で手を出すだなんて」


 それこそ見逃されるほど軽い罪ではない。でなければ暁奈も異議申し立ての一つや二つしてから、皆本家に駆け込んでいただろう。


「罰が下るのが怖くて忠義を貫けるものか」


 刃が落ちるならば首を差し出すまでだと、弦は断言する。


「そもそも、個人の判断なのは当然だ。わたくしも朔之介様に拾われた身。恩を仇で返すことは断じて許しがたい」

「…………」


 月彦は当初、弦が「従者を名乗る身としての沽券に関わる」という理由から、こちらに睨みを利かせていたのだと思っていた……しかし、勘違いも甚だしかった。

 弦にしてみれば、暁奈は拾われた恩義のある朔之介の元から無断で出奔し、あまつさえ大事にしていた魔導具まで持ち逃げしたのだ。寛大な処置にあぐらをかき、市井で安穏と過ごしている現在進行形の事実に怒り心頭だと、努めて低温であろうとする声色から察せられる。


「もう一度言っておこう――朔之介様の処断に関わらず、影山弦は裏切り者を見過ごさない」


 車は高校近くに差し掛かる。手頃な路肩に駐車すると、後部座席のドアが開かれた。

 すぐに逃げ出せる環境――だが刺された釘が、足先を鈍らせる。


「これは忠告ではなく警告だ。尚も朔之介様の優しさを知らんぷりし続けるのであれば、優しくあり続けるのは不可能だ。わたくしの気は、そう長くない」


 言いたいことはそれまでだと、顎で車外へと促される。降りれば、なにごともなかったかのように車は発進して役目を終えた。


「…………っ」


 これから一日が始まるというのに、押し寄せる疲労感にたたら踏む。

 一難去ってまた一難、どころではない。ヒミコの離脱と引き換えに雪だるま式に増加した受難は、悠長にしている暇などないと月彦を急かす。


 ――チートもハーレムもスローライフも望めず、せめてものハッピーエンドも遠く、デウス・エクス・マキナは故障中。


「なら……『信じてもらえないかもしれない』なんて泣き言、言ってられないよなぁ……」


 漏れ出た独白は、さりとて弱々しい覚悟が滲んていた。


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