ついて回る影との上手な付き合い方②



「はい、これ」


 いつかの再現かのように、良太郎と共に屋上へと暁奈に呼び出されてみれば、手渡されたのは予想だにしない贈り物だった。


「この間のお礼。簡単なものだけど、味は保証するわよ。そこそこいいチョコ使ったし」


 綺麗に個包装された、チョコレートブラウニーだった。

 手前味噌を並べるだけあって、手作り感はあるものの、出来栄えはしっかりとしている。一言断りを入れて早速齧りついてみれば、一辺倒に甘いだけではない複雑な風味が鼻腔を抜けた。


「んまっ……!」

「よかった。魔法の鍛錬でやってたから慣れてはいたけど、こうして誰かに食べさせるって機会はなかなかなかったから」


 魔法の鍛錬でお菓子作り? いまいち噛み合わない両者に疑問符を浮かべる。


「魔法も化学実験とかと同じで、微細な匙加減が肝になるの。まああたしの場合、実践的なことをさせてもらってなかったから代替練習って側面が強かったんだろうけどね。でもその結果、お菓子作りは一家言あるんだから」


 少し苦々しく語る暁奈に耳を傾けながら、絶品のブラウニーを味わう。しっとりとしていながら軽い口当たりだったが、生地に混ぜ込まれたクルミの歯ざわりも楽しい。ほのかに大人な味わいは、隠し味に洋酒でも入れているのかもしれない。謙遜しないのは、秀作だという自負から来ているのだろう。食後のデザートとしては、これ以上ないご馳走だった。


「ステラもどう?」

「魔導具に味の感想を訊くとは、お前も焼きが回ったか?」

「人間の姿の時は感覚も模してるって前言ってたし、訊いて当然じゃない?」

「貰った手前だ。悪くない、とだけは言っておこうか」


 皮肉はチョコレートのように甘くはないが、ノーコメントを選択しなかっただけ気に入っているのかもしれない。暁奈もそれを分かっているのか、異を唱えることはしなかった。


「それで?」


 最後の一口を嚥下したステラはローブに腕をしまい、なにかを促す。


「茶飲み話には丁度いい菓子だったが、結局食べ終えるまでなにもなしとは、存外お前も奥ゆかしかったとはな」

「……バレバレ、か」


 筒抜けぶりに白旗を揚げて、暁奈は観念したとばかりに白状した。


「ステラ、数々の魔法を見てきたであろうあなたに、折り入ってお願いがあるの」

「賄賂分だ。聴くだけ聴いてやる」

「あたしに――魔法を教えてほしい」


 ストレートなそれは、指南役の要望だった。


「何故だ?」

「そう問われるのも当たり前だと思う。あたしは既に師父様……この土地の魔法関係を管理している代表者、月彦のお祖父じいさんに教授してもらってる。これは記憶喪失の月彦も初耳かしらね」


 気丈に振る舞ってはいるが、伏せたまつ毛や震えた口角からは、言いようのない焦燥感が滲み出ていた。


「でも……それだけじゃ駄目なのよ。住み込みでメイドを隠れ蓑にしながら魔法関連の蔵書を見せてもらってるけど、多忙な師父様から直接教えてもらうことはできない。独学じゃ限界がある」


 その結果が先日の手痛い敗北だと、言葉の裏から透けて見える。


「あたしには、守りたいものがある」


 説得というよりも、決意表明に近い宣誓。


「より実践的な、自殺騒動の犯人である魔法使いと渡り歩けるレベルにまで少しでも早く、あたしを鍛えてほしい」

「なら――」


 横槍の一言は、ステラも目を丸くするに足る衝撃だった。


「――俺も、魔法を教えてほしい」


 琥珀の瞳が月彦の顔をまじまじと覗き込む。


「これは予想外……いや、想定できていなかった私の落ち度だな」

「月彦、本気かよ!?」

「本気だよ。あの一件で力不足を感じたのは、人見だけじゃなってこと。俺も無関係じゃないんだから、身に着けて損はないはずだろ?」

「そうだけどよぉ……」


 良太郎は不満げに眉間の皺を深くする。勇者の性分としてか、はたまた友達を争いに巻き込みたくがないためか、否定こそしないものの不服さを隠さない。


「良太郎、お前も四六時中彼らを守れるわけではないことぐらい、重々理解しているはずだろう。自衛手段は多いに越したことはない、と」

「…………」


 反論はない。ぐうの音も出ないことが返答だった。


「いいだろう。教授に適した人材とは思えないが、最善なのは認めよう」

「あ、ありがとう……!」


 志願の快い承諾に、暁奈は万感の思いを込めて力強く頷く。

 そこで話は終わり……となるところで、ステラから思わぬ台詞が月彦の心を揺るがした。


「本当に心変わりしたんだな、加地月彦という人間は」

「え?」

「あくまで良太郎のかたわらに控える身としての見解だが、以前の加地月彦は自己研鑽や献身とは無縁の人間に見えていた。記憶を失った程度でここまで変わるとは、長きに渡って人間を観察してきたつもりだが、見落としていたらしい」

「そう……かな」


 ――脳裏によぎるのは、正直に転生者である旨を打ち明けるべきか否かだ。

 既に月彦を魔法使いの手先だと疑う空気はない。信頼を勝ち得た今、手の内を明かして不足や無知をすり合わせるのは、悪い手ではない。異世界や魔法のある世界なのだ、転生などという現実離れした不可解な事象にも不信を抱きづらいだろう。


「いや、ちょっと買い被りすぎだと思うけど……」


 しかしそれでも、月彦は話すことができなかった。

 良太郎達を信頼していないわけではない。だとしても、勇気が持てなかったのだ。折角ここで打ち明けたとして、万が一信じてもらえなかった時のリスクが大きすぎる。考えなしに博打を打って、寄る辺を失う恐怖は計り知れない。


「でも、そう思ってもらえてるのは、素直にありがたいな。こちらこそ、よろしく頼む」


 端的に言えば、臆病風に吹かれたのだ。

 まだ早いかもしれない……そう自分に言い聞かせて、月彦は己が後ろめたさをごまかした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る