ついて回る影との上手な付き合い方③



 鍛錬は放課後、思い立ったが吉日とばかりに早速行われることとなった。

 人目のつかない、物音が多少しても怪しまれないと選ばれた場所は、裏山の廃工場だった。


 学校の裏の、更に向こう側。加地製薬がこの土地を掌握する前に、工場が『とある理由』で駄目になってしまった、過去の遺物である。おそらくは取り壊して土地を再利用するにもお金がかかり、夜逃げ同然で撤退を余儀なくされて残されたのだろう。


「……寂しいところだな」


 廃墟の退廃的な美しさを好む人もいるそうだが、月彦にとっては、その『とある理由』を否応なく偲ばせる、複雑な感情を呼び起こさせる場所だった。


「寂しいからこそ鍛錬に打ってつけというわけだ」


 良太郎の隣からするりと現れたステラが、「さて」と口火を切る。


「異世界と魔法に関しては先日説明されていたが、魔法をどう発動するのか、術式とはなんなのかがまだだったな。……まず異世界や魔法の基礎は覚えているか?」

「ええっと……魔法は剣と魔法のファンタジーな異世界から流入してきた技術で、それを使う魔法使いは文明の発展に追いやられて減少傾向……魔法を使うには、電気に相当する魔力という才能と電化製品に相当する術式が必要。だけど、聖剣のステラみたいな魔導具は、言うなればバッテリー搭載済みみたいなもので、魔力がなくても扱える……だっけ?」

「あら、あの短時間で随分よく覚えてるじゃない」

「こいつ勉強できるし、物覚えいいもんな……」


 先人にこうも褒められると、友達とはいえ面映ゆいが悪い気はしない。半ば原作ゲームというカンペを使っているのだが、今回ばかりは罪悪感に駆られてもいられない。経験が知識で賄えるならば安いものだ。


「というか、月彦に魔力あんのか?」


 魔力――それがなければ、スタートラインにも立てないのだ。すっかり忘れていたがために、にわかに緊張が奔る。


「あるさ。潤沢とは言いがたいがな」

「じゃあ取り敢えず問題はないってことね。もしなかったら魔導具しか取り扱えなくて、手段がかなり限られて大変だったから助かったわ」


 ホッと胸を撫で下ろすべきところなのだろうが、しれっと「才能は乏しい」と言われたのだ。ますます不安が増したような気がして、月彦はかぶりを振って己をごまかした。


「魔法の基礎の説明は、ステラにしてもらわなくてもよさそうね。復習がてら、あたしが説明するわ」


 月彦と向き合った暁奈が、長い黒髪を背中側に流し、広げた右手に一言。


「業火よ!」


 まるでプロのマジシャンのような所作で、右手に隆々とした炎が燃え盛った。自殺騒動の折にも見た、明るくて熱い暁奈自身のような、火の魔法だった。


「あれこれ偉そうに説明した手前悪いけれど、魔法の根幹はブラックボックス……要は推論でしかないの」

「推論?」

「魔導具がこちらの世界では異世界漂着物と呼ばれてるように、魔法も元々は異世界の能力なの。遠い昔に稀人として渡ってきた異世界の人々……その血脈が広がり、隔世遺伝として現れたのが魔法の起こりだと言われてるわ」

「まあ、異世界の連中は俺達がスマホ使うくらい気軽に扱える能力だから、何倍も効果的だけどな」


 それこそ、異世界の至宝とまで呼ばれていた聖剣のステラが、異世界の魔法の凄まじさを真に物語っている。

 姿を消すのも現すのも、剣に変わるのも自由自在。自由意志を持ち、長きに渡って人間を見てきたという見識の深さは、こうして魔法を教授できるほどに備わっているのだ。異世界技術の最高峰だとしても、根幹を担う魔法が驚嘆に値することは揺るぎないだろう。


「むしろ俺はこっち戻って来てから驚いたわ。向こうじゃなくても魔法を使える連中がいるなんてさ」


 良太郎にしてみれば、やっと異世界から帰還したというのに、忌むべき影が伸びていることに気づいてしまったのだ。暇そうに軽口を叩いてはいるが、心中は察して余りある。

 しかし落胆を微塵も見せず、「で? 魔力はさておき、本題は魔法そのものだろ?」と暁奈を促した。「そうね」の一言で右手の炎が消える。


「魔導具なら魔力という才能がなくても魔法を行使できるけど、魔導具そのものが貴重品だし、手に入れられたとしても相性のいいものだとは限らない。そこから使いこなす訓練をするとなると、かなりハードルが上がってたから」


 魔法が使えるというだけで大きなアドバンテージなのだろう。長い目で見れば、どちらに適性があるのか慎重に探らなければならないだろうが、今必要なのは即戦力だ。改めて身が入る。


「で、魔法を発動するのに必要なのは、さっき言った魔力と、術式、そして詠唱。ここで大切なのは術式よ」


 術式……魔法が電化製品だとすれば、機器本体というよりも、組み込まれているプログラムの方が近いのかもしれない。


「……正直言って、術式に関してはあたしもてんで半人前。せいぜい魔力を魔焔に変換するぐらいで、効率がいいとは言いがたいのが本音ね」

「その辺りは取り敢えず資質を見るのが先決だろう――加地月彦、やってみせろ」

「えっ」


 やってみせろと言われて、はいやりますとできるものならやりたいくらいだと、短い反応に困惑を忍ばせる。

 そもそも月彦は自身に魔力があることも、術式がなんなのかも分からないのだ。言うなれば、「今ここで空を飛んでみせろ」と無茶振りされるに同義であり、当惑するのも無理はなかった。

 それでも撤回せず、ステラは性別も年齢も超越した美貌のままに「できるはずだ」と断言する。


「お前は既に神秘……魔法を見聞きしている。感じている。人の子は脳からの電気信号云々を聞かされてから、初めて歩行するのか?」


 言い分があるような、しかしいまいちピンと来ない説得である。


「なれば、己が掴みやすいイメージを浮かべてみろ。それが手っ取り早い足がかりとなる」

「己が、掴みやすいイメージ……」

「あたしは炎が掴みやすいイメージだったわ。西洋では四大元素の地水火風、東洋では五行思想の木火土金水が代表例かしら」


 そこまで言われて、やっと手が伸ばしやすい位置にまで降りてきた。暁奈が明るくて熱い炎に似ているのと同じように、月彦自身がなにを手足と動かせるのかが肝なのだろう。


「…………」


 祈るように、月彦は目蓋を閉じて専念する。その静謐な面立ちは、見守る良太郎らには敬虔な信仰の徒にも見えていた。


 月彦は思考をたぐっていく。……炎は違う。身を焦がさんばかりの情熱など欠片もない。金もそうだ。水や木、風は近いように思われたが、少し齟齬を感じる。先人の編み出した属性では地・土に親近感を覚えたが、それでも「自分である」という実感が湧かない。


 自分――自分とは、なんだろうか。今現在を生きる自分である、加地月彦という人間は。


 ――「たとえ打算で近づいてきてたんだとしても、月彦は孤独だった俺にとって――唯一の友達だったからさ」

 そう良太郎は忌憚なく言い、月彦自身も良太郎に誇れる友人になりたいと思っており、純粋に嬉しかった。だが前月彦の経歴を顧みると、決して手放しに好意を受け取れるものではないのだ。


 魔力を持った月彦の実態は、後継者として育成されることはなく、体のいい手駒として扱われるしかなかった。傀儡となった結果が、「異世界から帰ってきた勇者と見られる少年が、偶然にもお前と同い年だ。危険かどうか、友人となって近くで監視してほしい」と頼まれ、それを意気揚々と引き受けてしまった。すべての始まりである。

 ……そうだ。加地月彦の天道良太郎への友情は、打算から始まったのは否定しようがない。だが打算だけで終わらなかったのもまた、揺るぎない事実だった。

 そして時が流れ、本当に異世界帰りの勇者であり、聖剣使いであり、魔王を討伐した英雄だと知ると、嫉妬と憎悪を募らせ、身勝手にも襲撃した……現月彦の前日譚は、そんな目も当てられない醜さに満ちたものだった。

 良太郎も暁奈も、発端が朔之介の差し金だと知らなかったこともあり、どうしても後ろめたさが付きまとってくる。今もそうだ。信じてもらえない落胆を避けて、朔之介の話も、自身が転生した別人なのだとも打ち明けられずにいる。


 加地月彦は――なのかもしれない。


「っ?」


 ――指先から血が逆流していくような、得体の知れない感覚。


「ッ――ステラ!」

「案ずるな」


 良太郎の声に驚き、目蓋を開けた月彦の視界に飛び込んできたのは、黒い帯を手に握り込めたステラの姿だった。ビチビチと戒めを嫌がる様は、網にかかった魚を思わせる。どこか滑稽だ。


「そら、出来ただろう?」


 言われて気づかされる。

 黒い帯は、ステラの足元から伸びていた――魔法の成功!


「やった……!」

「まあ影というのが気に食わんが、及第点だ。貴賤はない」

「これってなんて名前で呼んだらいいんだ?」

「!?」


 藪から棒に良太郎に突っ込まれて、にわかに月彦は焦る。このまま良太郎に任せてしまえば、またぞろラテン語の格好良い語句で過剰に装飾されることは明白。ならばと間髪入れず、月彦は口を挟んだ。


「じゃ、じゃあ『蛇』とかでいいんじゃないか?」

「えぇー……ちょっとシンプルすぎないか? 『地獄インフェルヌス』とかの方が箔がつく気が……」

「なら『大蛇オロチ』とかは?」

「うーん……それくらいなら……」


 先に都合の悪い提案をすることで、次の提案を呑み込ませやすくする。詐欺でよくある手法だが、背に腹は代えられない。罪悪感よりも、守るべきはこれからの羞恥心である。


「でもこれ、『大蛇オロチ』っていうか『小蛇コロチ』って感じだけど……」

「『小蛇コロチ』ってなんだよ」


 とはいえ暁奈の言い草に「確かに」と月彦本人も思うほど、非才だと断言された意味を感じずにはいられない矮小ぶりである。聖剣であるステラが特別なのかもしれないが、鷲掴みにされて抵抗も無駄に終わっている様子が、また涙を誘う。


 こんな木っ端な力で、これからをどうにかしていけるのだろうか……?

 当然の疑問が、魔法を使えた喜びを悲しいほどに覆い隠していく。


「あれこれ考えるな。まずは魔法を使うことに慣れるのが先決だ。反復して感覚を頭に叩き込め」


 その辺りは普通の勉強と変わらないのだなと妙な親近感を覚えつつ、ステラの手から解放された『大蛇オロチ』、もとい『小蛇コロチ』を観察した。

 黒い帯のような体だが、影から生じているためか、厚みはなくのっぺりとしている。目も口もないが、もたげた鎌首が顔に相当するらしい。


「なんか、ちょっと可愛いな」


 自由意志があるわけではないだろうが、待機状態になっている分には、どこか愛嬌がある。

 後ろめたさから生まれた魔法なのだとしても、おどろおどろしく、人を傷つけるようなたぐいのものでなくてよかったと、月彦は人知れず胸を撫で下ろした。


「加地月彦が反復練習を行っている間に、人見暁奈、お前の術式を研鑽しよう。今のままでは、折角の目の良さが死んでいる。あの亡霊を撃った時の標準は的確だったのだから、その強みを高めないのは宝の持ち腐れだ。第一に行うのは――――」


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