ブーツが乾くまで
椎名富比路@ツクールゲーム原案コン大賞
突然の雨
傘を忘れた私を、後輩は家に上げてくれた。
「ブーツが乾くまで、ウチにいたらどうです?」
と誘って。
後輩の言葉に、私は安易に甘えてしまった。
部屋に入った途端、夫とは違う家の香りに刺激を受ける。
ニュースでは、未だに大雨の報道が。夕方まで止まないという。
後輩のアパートは、家までの通り道だ。
しかし、突然の雨で往生してしまい、ブーツも濡れてしまった。
「コーヒーどうぞ。インスタントですいません」
タオルと一緒に、ホットコーヒーをいただく。
「いいよ。ありがとう」
おいしい。こんなおいしいコーヒーは、久しい。
エスプレッソマシンで作らないコーヒーって、いつぶりだろう。
この雑味を、好んでいたはずなのに。
主人のこだわりに合わせている毎日が、わずらわしく感じられた。
後輩が私に気があることは、知っている。
男性の先輩がいるのに、後輩は私にだけ質問してくるのだ。
そのことに男性の同僚はムッとしていたけど、彼は若いからと片付けていた。
私には、後輩の好意につられるつもりはない。
しかし、今日はついつい気を許してしまった。
息子を名門校に入れる入れないで、夫とたびたび口論になったことが拍車をかける。
夫はエリートに育てたいが、私は自由に育てたい。
結局、そこそこの進学校へ入れることにした。
成績アップ率より、いじめなどが少ないと話題になっていた学校へ入れることに。
嫉妬深い彼は、私がパートに行っているのが気に食わないだけ。
こちらの誘いを「忙しいから」と拒んだのは、そっちのくせに。
もうすぐ、息子は卒園だ。
彼もいつかは、私の手を離れていく。
そう考えると、人恋しくなってしまったのではないか。
夫とずっとレスなのも、理由になっているかもしれない。
自分に言い訳をしながら、私は身体に雑味を胃に染み込ませていく。
「もう少し、あったまっていきませんか?」
暖房より熱い彼の身体が、側に寄り添ってくる。
旦那に詫びの言葉は、浮かばなかった。
ただ、このままでは流されてしまいそう。
ふと、スマホが鳴った。
電話を取ると、最愛の存在の元気な声が。
幼稚園から連絡が入って、お迎えに来てほしいという。
「わかった。待ってて」
スマホを切り、私はカップを置いた。
「送りますよ」
「いいわ。ごちそうさま」
「待って。行くんなら、これを」
後輩が、ビニール傘を差し出す。
「ありがとう、明日職場にお返しします」
「差し上げます。コンビニのなんで」
笑顔を見せる彼は、元の後輩に戻っていた。
目だけは、寂しそうにしていたが。
「そう。ごめんなさい」
私は、傘を受け取って外に出る。
「ままー!」
幼稚園に向かうと、我が子が駆け足で私の足に抱きついた。
「いい子にしてた?」
「うん!」
「よーし。今日は好きなもの食べていいよー。何がいい?」
「グラタン! それとね……」
商店街に入ると、息子がコロッケの屋台に視線を止める。
「いいよ。歩きながら食べよっか」
「うん!」
「パパにはナイショね」
「えへへぇ」
私は、コロッケを二つ買って、そのうち一つを半分こした。
ブーツはまだ、やや湿っている。
でも、そのうち乾いてくれるだろう。
雨はもう、上がったから。
ブーツが乾くまで 椎名富比路@ツクールゲーム原案コン大賞 @meshitero2
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます