杏子とカレーと泡だて器

@candy13on

杏子とカレーと泡だて器

IN ANOTHER TIME IN ANOTHER WORLD...

Natural disasters, extreme weather, and one of the world's largest food shortages.

How many years have the requiescats of many starving dead lasted since that day?

It will continue in the future.


「ったく、先輩、お願いしますよ? ホント。いきなり転がりこんできたんですからね、食う寝るところ住むところってのを提供してるんですからぁ。メシの支度くらい、お願いしますってば」

 カツキチの野郎、言いたいことは言う。それを聞いた先輩のほうも黙っちゃいられません。ですが、反論の余地はあるものの、反撃の予知が勝った。

 仕方ないんで、先輩。勢い控えめで起きます。ワンルーム、部屋の真ん中、小さいテーブルを見る、睨む、眉をひそめる。カツキチは正座しまして。期待と羨望、そして懇願の眼差し。皿の上にザラザラ送られるペットフードを待つワンちゃんかニャンコちゃんみたい。

 テーブルの上には、残念なことに。いつものアイテムが鎮座する。ホールトマト缶、レトルトカレー、小型電気卓上鍋、皿とスプーン。あと、先輩専用マグカップ、中身は飲みかけのコーヒー。

 いつものメニュー。

「なぁ、カツキチ」

「なんです、先輩?」

「こんなもん、オメェひとりでチャチャッとやれそうなもんだがな」

「先輩がやるんです。先輩がやるからこそ、なんですよ。 先輩、お願いしますよ? ホント。いきなり転がりこんできて……同じこと、何度も言うのは嫌いじゃありませんぜ?」

 先輩、鼻で笑ったのか、鼻からため息をこぼしたのか、ちょっと先輩自身もわからない様子。

 先輩は缶詰のフタを慣れた手つきで素早く開けた。トマトたちを無造作に鍋へと放り込む。お次はカレーね。レンチンも湯せんもしないレトルト。中身を、これまた無造作に鍋へと注ぎ込む。あとは点火、電源オン。火加減は最大。先輩はしかめっ面をして、鍋の中身をかき混ぜた。ごろごろトマト、つぶす気はなさそうだ。

「なぁ、カツキチ」

「なんです、先輩?」

「フタ、どこ行った?」

「ないっすよ」

「なんだと?」

「ないんすよ。砕け散ってたんで」

「オメェが壊したんだろ?」

「そういう表現も妥当ですよねー。いつの間にか、我が手を離れて、旅立ってしまいました。きっと今頃、あいつの魂は地獄の釜のフタに変貌を遂げていることかと」

「バカ言ってんじゃないよ……アルミ箔もってきな」

「わっかりましたぁー、先輩!」

 メシのときだけは、とても素直に、迅速に、正確に『いうことをきく』のがカツキチ。アルミホイルの筒を持ってきますと、うやうやしく先輩に渡します。

「先輩、こちらでございやす」

 先輩は何か言いたげながらも、黙って筒を受け取った。またまた手慣れたムーブメント、サッと、パパッと、ガガガッと、アルミ製・簡易ナベブッター。

 スプーンでアルミの端っこをツンツンしながら隙間を埋めるんですな。

「先輩、先輩! 煮えるまで、一曲、歌いましょか?」

「歌わなくていい」

「じゃあ、美味しくなるオマジナイ、やりましょか?」

「やらなくていい」

「だったら、おとなしく待ってましょか?」

「待たなくていい……できたぞ、食え」

 カツキチは猫舌というほどじゃあない。グラグラの、アツアツの、ドロドロなトマトは遠慮したい。カレーがあったまる程度で良いってわけで。

「先輩、いただきまぁーす!」

 ほほほーっと変な声を出しながら、カツキチは皿をもって、盛る。皿から伝わる温度、たちのぼる湯気、カレーとトマトの香り。

 がっつくカツキチの姿と鍋の中を見ながら、先輩は飲みかけの珈琲をすすっております。

「……いやー、先輩。旨い、旨いっすよ、ホント。こないだ自分でやってみたんすよ。でもね、不思議。ホント不思議なんすよ、うまくいかない。なつかコツというか、秘儀、裏技、あるいは……」

「ねぇよ、ぶちこんであっためただけだ」

「やっぱり、アレだな。アレに違ぇ無ぇと思うんだ」

「まさかオメェ、魔法やら愛情やら、わけわかんねぇことぬかすつもりじゃねぇだろうな?」

「んなこたぁ言いませんぜ。もっとカガクテキコンキョてのがあるんだ。思うにね、こいつはおそらく、先輩の体内や皮膚に存在する微生物が関係してる! そいつらが作用して、その、なんつーか、カガクテキにね、いろいろと、あーだこうだ」

「いいよ、お代わりしても」

「じゃあ、いただきますぅー、って、先輩?」

「なんだぁ?」

「やっぱ、米、欲しいっすね。うどんでもいい。食パンでもいいなぁ。うどんにする?」

「買う金、無ぇだろ」

「ですよねー、一人分の稼ぎで二人分、どうにかしのいでますからねー」

「……」

「でもね、先輩。不幸中の幸い、大量のトマト缶、レトルトカレー、壁一面、そいつらが眠る段ボールで埋まってんですからね! 三年はやってけますよ? つぶれた勤務先からの退職金代わりの現物支給って、今じゃなかなかお目にかかれやしませんぜ? 売るほどあるんですから。売れないけれどね」

 捨てるなんてもったいない話だったんでしょう。食えるなら、食いたい奴が食えば良い。とにかく、部屋に積まれた段ボール。何がどうなって、こんなことになったのか、先輩は興味なしといったところ。

「あぁそうだ、先輩。食べ終わったら、ちょっと付き合ってくださいよ」

「何用だ?」

「ちょいと小耳にはさみましてね。セールか何かで売れ残ったものが、ごっそり半額シールはって、ワゴンに山積みとか何とか。レトルトカレーですけどね」

「……それで?」

「大人買いするんすよ。爆買いっすよ。同じ段ボールが、また増えるんっすよ。すごいでしょ?」

 先輩は黙って二度ほど頷いて、ごろり寝そべって天井を見つめる。カツキチに同じことを三度も言わせるつもりはなさそうですな。


 さて。そんな先輩とカツキチ。二人仲良く並んでお買い物、お出かけでしたが。残念なことにナシノツブテ。手ぶらで帰り道。

 しけた面したカツキチ。メインストリートのでっかい交差点、何気なく見上げたのは妙にキンキンした声のせい。どっかのビルの壁のでっかいモニター、キュートな女の子がイースターエッグがどうのこうの。

 いつの間にか、偶数月になると、この町じゃイベントが開催される。二月はバレンタインでチョコレート、六月はブライダルでケーキ、八月はアイス、十月はハロウィンで十二月は御存じクリスマス。

 四月なんて、もはやコジツケで。イースターで、エッグで、卵料理がどうのこうの。スイーツじゃないじゃん?

 いやいや、食べるだけじゃないんだな、これが。

 アイドル路線? キャンペーンガール路線? とにかく隔月イベントで六名、そこに新年一月で一名加わって七名、

女神降臨がどうたらこうたら。

 候補者が従える炊事担当が腕を競うとか何とか。

 コンテストなんだか、バトルなんだか。

 食い気に色気、カツキチはどうも腑に落ちない。

 いつの間にか、こうなっちまった。

 喉元すぎれば何とやら。

 カツキチは、頭痛くなるようなことを考えることが嫌いなので。胸中渦巻くモヤモヤを何とかしたくて。八つ当たりめいて、言葉にしようと試みた。

「もう、なんで? どうして? 完売って珍しい通り越して奇跡ですよ。俺たちにとってはリバース奇跡ですけど。先輩、なんでだと思います?」

「知らねぇよ」

「もう、なんで? あんなカレーのどこがいいの? 安いだけじゃないの? 安いからってね、爆買いの大人買いすりゃいいってもんじゃないですよ!」

「オメェが言うか」

「甘かったなぁー、入念にリサーチしとくんだったなぁー、在庫数量をドメスティックにチェックしておくべきでした。こんなときは昨比データなんてアテになりませんね? 直近の客数と週別時系列から日銭の割合で、今日の販売数を予測するべきだったんでしょうなぁ」

 カツキチ、よほど悔しかったのでしょうね。さっきから同じことマシンガントーク。弾切れしそうにありません。

 先輩も慣れたもので、カツキチの声を聞きながらも、家路を急ぐ足さばき。

 もうすぐ二人のネグラ、住宅街の公園の脇。細い道を歩いておりますと、遠くから踏切カンカンが聞こえてくる。

 そんな二人の前に、ひとりの男が立ちはだかったのでございます。

 背恰好は先輩より少し高いほど、獲物を狙う梟の目でもって、ぐぐっと二人を睨む。殺意というより決意ですな。軽く握った拳がそれを物語るわけでして。

 安物じゃありません、ちょっと良い仕立てのダークスーツ、でも革靴は少しくたびれ気味、タイの結び目も少々粗が見える。

 ちょっとビビッたカツキチ、先輩はポケットに手を突っ込んだまま、あえて視線をそらしまして。その男は、軽く息を吸い込んで言い放ちやがった。

「お久しぶりです。兄貴」

 カツキチ、卓球の試合で玉をおいかける観客席のひとりみたいに、交互に先輩と男を見た。

 兄貴と呼ばれた先輩、やや上目使いで奴を睨んで。これまたカツキチがびっくりすることを言った!

「人違いじゃございませんか。どこぞのだれぞに、兄貴と呼ばれるようなこたぁ、ついぞ、ありゃしません。失礼さしてもらいます」

 先輩、困惑するカツキチに何か小声で呟いて、さっさと歩き出す。奴の真横を通り抜けようって具合で。

 さて、カツのほうですが、何言ってんのか聞き取れなかった。あわてて付いていくのが精一杯。

「狭い町だが、探しましたぜ。さすが兄貴、手こずりましたよ、一筋縄じゃいかない」

「あんたもくどいな、何があったか知らねぇが--」

「俺の目は誤魔化せねぇぜっ! メレンゲの竜!」

 奴の真横ちょっと通り過ぎたあたりで、叫ぶもんだから、カツキチは二度目のびっくり。

 正確には三度目のびっくりですが。

 メレンゲノリュウ!

 先輩、その言葉はスルーできなかった。ピタリと足を止めちまった! 両者、横に並んだったきり、正面見つめたまま、無言。さすがのカツキチも唾飲み込んで、じりじりと二人から距離を取るしかなかった。

 もうカツキチには見えていたんでしょうな、両者から立ち上る過去、因縁、宿命、その三色オーラがゴゴゴゴゴ、ズズズズズ、バババババ。

 この空気を先に切り裂いたのは、例の男からでして。いきなり、がばっとかがみまして、なんと土下座。

「お願ぇだ、メレンゲの兄貴! こんなこと言えた義理もヘチマもトマトもねぇんだが! 頼むっ! 店ぇ、戻ってきてくれぇっ!」

「大の男が、そう簡単に地べたに頭をこすりつけるもんじゃねぇよ。立ちな。まったく、お前さんも相変わらずだ。なぁ、タイちゃん」

 アイカワラズって、やっぱり人違いでも何でもなかったんじゃないか! と言葉を飲み込むカツキチ。いや、他にも言いたいこと、ツッコミしたいこと、仰山あるんでしょう。そこは我慢して、もう少しだけ、この二人を見守ることに決めた。

 タイちゃん、ゆっくり立ち上がる。スラックスの砂埃をはらおうともしない。もうメレンゲの兄貴に言葉を投げつけるだけ。

「先代がお亡くなりになって、跡目争いのゴタゴタ、嫌気がさして店ぇ飛び出した兄貴の気持ち、わかちゃいるつもりです」

「わかってんなら、関わるな。俺は泡だて器を厨房の床に叩きつけて飛び出したんだ。破門同然だ。どのツラ下げて、暖簾くぐれると思ってんだ?」

 カツキチ、気が気でない。小道とはいえ住宅街、公園脇とはいえ一般道、天下の往来で男が二人、睨み合いながら低く渋く重い声で言い合っている。

 通報されかねない。

 さっき、トイプードル連れたお散歩中の婆さん、連中を見かけるや、回れ右して行っちゃったよ。カツキチの引きつった愛想笑いのせいじゃないだろう。

 すでに二人の世界だよ、困っちゃったね、カツキチ。

「無理、無茶、無謀を承知で兄貴にお願いします」

「タイちゃん、無理も無茶も無謀も、せんぶ無駄に終わるって、先代の言葉を忘れちまったかい?」

「兄貴が先代のことを語るってんなら、話は早いんで」

「どういうことだ?」

「アプリコット」とタイちゃんは小さな声で言った。カツキチには聞こえないように配慮したつもりだろう。でも、先輩であり兄貴である『メレンゲの竜』は、大きな声を出しちゃった。

「杏子ちゃん!?」

 先輩は思い出しちまった。

 先代の一人娘、跡目を次ぐにはタイミングが悪すぎた、若すぎた。欧州スイーツむしゃむしゃ修行中での訃報。すったもんだの挙句、緊急帰国したときには時すでに遅し。

 店は先代の後妻に。

「杏子ちゃんが、どうしたってんだ?」

「さすが、アプリコットを杏子ちゃんと呼べるのは、メレンゲの竜だけに許されたことで」

「付き合いが長引いちまったからな、よちよち歩きの頃から知ってるってだけだ」

「我らのアプリコットは、今年四月! 女神に立候補するんです」

 カツキチ、もうわけわかんない。

 杏子? 女神? 立候補? しかも四月?

 もう四月なんですけど? 

 カツキチは、ふと気付いた。帰り道、交差点で見たイベント告知動画。女神だとぉ? 立候補だぁ? 何をぬかしやがるっ!

「ふざけんなっ! いい加減にしやがれっ! ひと様が黙って聞いてりゃ、いい気になりやがってっ!」

 と、カツキチはタイちゃんにつかみかかりそうな勢いで叫んだ。近所迷惑、通報、喧嘩上等だ。

「俺の兄貴はメレンゲの竜なんかじゃねぇやぃっ! こんなスラム同然の掃き溜めなんかになぁ、竜どころか鶴だっていやぁしねぇんだっ! メレンゲドラゴンなんて、業界から姿を消しちまって、もう二度と、金輪際、帰ってくるこたぁ無ぇんだっ!」

 タンカを切ったカツキチ。

 肩で息をしながら、七割の涙声で、呻くように、最後のひと言をふり絞る。

「メレンゲドラゴンは死んだ、死んだんだ! もう泡だて器で攪拌できねぇんだ……先輩ぃ、俺、知ってんすよ。右手の腱鞘炎のことも、わかります、わかりますってば。いつも料理してるとき、あんたを見てるんだ……右手、使わねぇ。使うときもかばいがち、いっつも右利きなのに左、使ってやがる!ちらっと見える右手首、手術のあとだよなぁ、あの傷は!」

 今度は、タイちゃんも竜も驚いた。

 かつきち、よくまぁ観察してるもんだ。そして何よりも、メレンゲドラゴンなんて、よく知ってた。かなりスイーツファンでなければ、作り手の愛称まで知らない。

 まして、この町、限定!

「い、行きましょう、先輩! こんな奴、かまうこたぁねぇんだ。何があったか知らねぇし、知りたくもねぇ! 何が女神だっ!」

 カツキチの勢い、先輩は止める術がない。こんな姿は始めて見たし、正直なところ、何を言いまくるのか気にもなるってわけで。

「あの災厄から十年以上経った、世の中いい気なもんだ、平和なもんだ、食い物にあふれてってからなぁっ! だからって何だ、あのお祭り騒ぎはっ! 食い物を粗末にすんな、ありがたくおいしく頂け、食べられること生きること感謝なんてことを、どこにいるかわかんねぇカミサマなんかに祈り捧げるよりも、崇拝や信仰の対象としてではなく、具体的な感謝の行先として生まれたのが『女神』だったんじゃねぇのかいっ!? サンタクロースよりも、キューピットよりもマカーブルよりも、はっきり、くっきり、すっきりと!」

 カツキチ、二人に向かって熱弁するというよりも。見えない敵に向かって、訴えております。

「あの災厄、世界中、億単位の餓死者……その鎮魂は、どこへ行っちまったんだぁぁぁっ!」

 通報されたのなら、そろそろ誰か来そうなものですが。

 じんわり迫る日没があるだけ。三つの影が、重なるようで重ならない。

 カツキチは先輩の背を押しながら、

「行きましょう、先輩。俺、おしっこしたいんで。ははは、ははははっ、あはははは」

 タイちゃんは二人を無言で見送るしかなかった。遠ざかる二つの背中に、ひと言も追いつけそうになかった。二人が角を曲がって見えなくなると、タイちゃんは複雑な笑みを浮かべて、呟いた。

「うらやましいなぁ、いい舎弟じゃないですか。ったく、いつの間に」

 タイちゃん、ポケットから古びた端末を取り出す。

 板っぽい奴だ。

 そいつに向かって、こんなことを言った。

「ちゃんと聞こえましたか……聞こえてましたか……そうですか、良かったです。お役に立てませんで……はい、はい、はい、その様子で……なるほど、確かに……では、どのように? なるほど……対決は三日後ですから……間に合います……あの様子ですと、アプリコットが独立なさったことは御存じないかもしれません……何分、横槍が入ったもので……話は途中で終わってしまいましたが……あ、そうですかぁ? メレンゲの竜、声を聞けただけでも良かったと……シャイにもほどがあります、近くにいるんだったら……あ、はい、かしこまりました……」



 二人は無言でねぐらに戻った。

 カツキチがトイレを済ますと、いきなりハイテンションで、「あらやだっ! 特売カレーに夢中で、鍋のフタ、買ってくるの、忘れちゃったじゃないの! ちょっとひとっ走り行ってきますっ!」

 と、足音けたたましく出て行った。

 先輩、いや、メレンゲドラゴンはワンルームの片隅にあるリュックに近寄る。カツキチのところに転がりこんできたとき、背負ってきたものが詰まってる。

 カツキチの言葉、タイちゃんの言葉、そして自分の言葉が頭の中をぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる、め~。

「あぁそうだ、そういうことなんだ。日雇先で知り合って、カツキチのほうから声かけてきやがって。居候さしてくれんのも、メシの支度をせがむのも、あの野郎、知ってやがったんだな。ちくしょうめ、なんかムカつくぜ。おまけに今日は御大層なこと、道の真ん中で叫びやがって。恥ずかしいったら、ありゃしねぇ。ほんと、参ったぜ。何をどの口が偉そうに」

 ぶつぶつ言いながらも、杏子ちゃんのことは思い出さなかった。思い出せなかった。ふわっと記憶の片隅から零れ落ちそうなものだが、何ひとつ出てこない。

 あの頃は……毎日、無我夢中でメレンゲ作りばかりしていたせいかもしれない。

 リュックの中に手を突っ込んで、ごそごそやって、取り出したのは泡だて器。店を飛び出す前に、叩きつけたはずの泡だて器。なぜ、持ってんだろか。

「あぁ、そうだ。投げ返されたんだ。ナイスキャッチしちゃったんだよな。誰だ? 投げ返してきた奴? そのまま、オサマリが悪いから。泡だて器片手に持ってきちゃったんだよな……なんだかなぁ、困っちゃったなぁ、弱っちゃったなぁ、こういうの、嫌なんだよなぁ」

 メレンゲドラゴン、泡だて器眺めながら、ブツブツ言ってる。

 ふと、カツキチにこんな決定的瞬間を目撃されてはたまらない。あわてて、リュックに泡だて器を放り込み、ごろん、横になる。天井を見上げる。目を閉じる。感傷的な気分になりたくない。

 ノックの音がした。

 カツキチではない。上品な音だ、聞き覚えのあるリズム、いや、忘れたくとも忘れられない合図。文字通り、メレンゲの竜、メレンゲの登り竜となるべく修行中の頃に、さんざん聞いた。

 彼女は、杏子ちゃんは、当時の彼の部屋のドアをノックしたものだ。

 竜は勢いよく、飛びあがるように起きた。だが、ドアを見つめるだけ。息を殺して居留守モード突入。

 彼女の声が聞こえる。

「いるのはわかってます。特定班がつきとめてくれたんです。ここだ、と」

 余計なことは言わなくていいのに。用件だけ話して立ち去ってくれたらよいのに。

「あたし、独立します、開業します、この町にオープンします。御菓子屋さんやパン屋さんじゃないけど。カレー屋さんだけどっ!」

 ドラゴン、吹きそうになった。

 これは意外だ。

 そういえば、訃報を届けるとき。欧州めぐり歩いてるって話だったのに、連絡がつかなくて、ようやく探し当てたらジャワにいたってのは、そういうことだったのか。その教訓を活かしての特定班じゃあるまいな。

「タイちゃん、会ったでしょ? 話、聞いたでしょ?」

 杏子ちゃん、もしかして近くに潜んでた?

 と聞きたいドラゴン。

「でも、あたしが女神候補する理由は、新規オープンのためのプロモーションじゃないの。アイドルやモデルの仕事のためでもないの。それだけは信じて欲しいの」

 はいはい、そーですか。

 といった顔をしたドラゴン。

「四月の大会、予選は突破したの。すごいでしょ? 決勝戦なのよ? あたしがお料理したわけじゃないけど、あたしが考案したレシピで、タイちゃんひとりで、すごく頑張ってくれたの」

 お前ら二人、デキてんじゃねーの?

 知らねーよ、勝手にしろよ。

 と言いたいドラゴン。

「でも、もう万策尽きた……」

 なんで?

 と言いかけたドラゴン。もう『なっ』が漏れた。

「対戦相手は、お母さん」

 先代の後妻か!?

 もう耳をふさぎたいドラゴン。

「タイちゃん以外に内緒で、新規オープンの絡みもあって、シークレットでやってたの。謎の覆面料理人って。お料理はタイちゃんがやってくれてたけど。うちのお母さんの店もエントリーしてて、どういうわけか順調に勝ち進んで。それでね、決勝戦、タイちゃんがっ、お店の代表として出ることになってしまったのっ!」

 なるほど。それで、俺の出番ってわけか。

 と、言ってしまったドラゴン!

 あわてて口を手ふさいでも、遅いっ!

「ごめんね。無理を言って……あたしには、頼れる人がいない。他の誰かに頼むにしても、あたしのレシピはお料理も御菓子作りにも精通してないと、無理なの」

 カツキチ、早く戻って来てくれぇー!

 と心の雄叫びドラゴン。

「あなたが無理なら、棄権するしかない」

 お母さんにバレてたんじゃないの? 杏子ちゃんをつぶしに来てんのか、試練を与えてんのかわからんけど。いや、でもなぁ。お母さん、女神になっちゃうのか。それはそれで、どうしたもんかなぁ。豊穣神って意味合いであれば、熟女系も良いと思うんだが。

 と別なことを考えていたドラゴン。

「でもね、そんなに落ち込んでないよ。こうして話ができてよかった。胸のつかえがなくなった感じ。自己完結、自己満足、自己陶酔、三拍子そろってるし」

 だから、余計なことは言わんでよろしい。

 と言ってしまったドラゴン。

「……さよなら、ドラゴン。あなたの焼メレンゲ、一生忘れない」

 やっと終わった。

 ほっとしたドラゴン。

 だがっ!

 杏子ちゃん、最後にひと言、ドアに言葉をぶん投げた!

「メレンゲドラゴンレクイエム!」

 卒倒しそうになったよドラゴン。

 その言葉に、ドヤ顔する杏子ちゃんの顔が目に浮かんだ。やっと思い出せた。黒髪ストレート、セミロング、ちょっと細い目、前髪を気にする癖、シャープでスマートでストイックで、とってもシャイ。それでいてガキの頃から、ツカツカ歩く。

 その足音、カツカツ、遠ざかる。

 そしてもうひとつ、足音。カツキチか。

「ただいまーって、先輩、何どっしりと玄関前で待ち構えてんすか?」

「……フタはどうした?」

「なかったんで、アルミホイル買ってきました。あとね、ここらじゃ見かけない、かわいいコとすれ違いましたよ。なんすかね?」

 カツキチ、いつものカツキチ。

 何も言うまい、何も聞くまい。

 杏子ちゃんは『レクイエム』と。

 カツキチも『鎮魂』と。

「似たようなこと、考えてんだな」

「なんすか、先輩?」

 竜は目をふせた。


 四月、イースター、迎えた当日。

 小さな町のイベントにしては、妙に盛り上がっていた。どっかの体育館で、テレビカメラもあって、ラジオ局も実況か何かする様子で。お料理対決番組を彷彿とさせるテイスト満載で。その他もろもろいろいろ。

 今日に限ってカツキチ、気が気でない。観客性に座ってキョロキョロしております。落ち着かない。

「先輩、まだ? ハバカリ行ってくるって、もう何十分だろ、一時間以上じゃない? 当日券しかないから、ほぼ徹夜で並んでさぁ、もうなんなの? 結局、観に来てるんじゃん? どういうこと? まぁ先輩も先輩で事情がありそうだから、ことの顛末を見守りたいんだろうけどぉー」

 開会セレモニーやら、スポンサーの紹介やら、インタビューやら何やら、一通りやってる間でもカツキチは落ち着かなかった。先輩がいない空席を見つめては、ちょっとした期待に胸を高鳴らせていた。

 もしかして、先輩、やるつもりですか?

 遂に、ファンファーレが鳴り響く。

 女神候補、降臨! いや、入場ですが。

 そのアナウンスに、拍手と歓声、期待と緊張、熱気と興奮……カツキチはそれどころではない。血の気が引いていくのがわかる。胸板が涼しくて仕方ない。

 先に入場した女神候補、勇者御一行様って感じの料理人を引きつれて降臨、いや、入場だ。華々しい入場曲で、神々しくというよりも、気高く、雄々しく、勇ましくって感じ。もう優勝一直線ですわ。

 カツキチは御一行を見て、はっと息を飲む。あのときの、あの男。タイちゃんとかいう奴だ。なんだメインか、センターじゃないか、どういうことだ。

 御入場後の一通りのアレコレ終わって、いよいよ、対する杏子ちゃんの御登場。否応なしに対比させるかの如く、荒涼たる不毛の地に舞い落ちたひとひらの花びらか。あるいは、陰りゆく世界を嘆き、憂い、悲しみながらも慈しむかのように咲き誇る一輪の花か。

 ひとり、しずしずと入場する。

 その顔は緊張も不安もない、能面を思わせる無表情めいた表情的色彩の希薄さ。むしろ、女神候補というよりも、生贄される側のような。

 料理する者の姿が見えない。杏子ちゃんが歩を進めれば進めるほど、会場が細かくざわつく。

 彼女は立ち止まった。キッチンセットの前。

 御入場後の一通りのアレコレ、おそらく台本通りなのだろう。そつなく進んでゆく。だが、会場の空気は、誰かのツッコミを待っている様子だ。

 ヤジのひとつでも飛ぶ前に、マイクを向けられた杏子ちゃんは、とびっきりの営業スマイルを展開。

「お料理係ですか? それは……白馬に乗った王子様ではないので。徒歩ですから。のんびり屋さんなのがタマニキズですよねー」

 と、笑うに笑えないことを言う、言ってしまう。

 時間も時間だし、これは始めるしかないか、実行委員会っぽい方々が右往左往し始めそうなとき! 

 竜が現れた。やや足早に、女神候補の背中めがけて、突入するかのように。

 そして、杏子ちゃんの横に並んで、竜は彼女に向けられたマイクをひったくるように、

「待たせたな」

 でも、どっかのスーパーの袋を片手にしたエプロン姿の、おっさん。

 誰こいつ? と会場全体の意思統一。

 だが、竜はお構いなしに言い放った。

「さっさと始めようぜ。このイベント、ひっかきまわしてやんよ」

 その右手には、泡だて器!

 メレンゲドラゴン、ここに復活!

「レクイエムには、まだ早えんだよ」

 そんなこと言ってる場合だろうか。来るんだか来ないんだか、わからないまま当日迎えて、時間ギリギリどころか遅刻も遅刻、大遅刻。

 杏子ちゃんはレシピも伝えてないし、竜は何を作るのかも知らないし、かける言葉も見当たらない。平常心と営業スマイルをキープするので精一杯だ。

 すでに、タイちゃんと竜は火花を散らして睨み合っている始末。おそらく、宿敵同士のテレパスで、舌戦を繰り広げていることだろう。

 例えば、こんなふうに!

「なんだ兄貴、来てくれたんすか?」

「タイちゃん、悪ふざけは大概にせいよ」

「何言ってんすか、ふざけてんのはそっちでしょ?」

「お前が黒幕だろ?」

「さぁね、んなこたぁどうでもいいんですよ」

「ほぉー、言ってくれる」

「今日、俺はあんたを超える! メレンゲの登り竜となって、この世界を--」

「お、スタンバイしなきゃ」

「ちょ、ちょっと待てぇーっ! 話の途中だぁーっ!」

 クッキング開始。


 カツキチは呆然としてた。感涙やら感激やら、ちっともわき上がったり、こみ上げたりしない。ただひとつだけ、疑問文が頭の中から消えない。

『勝てるの?』

 観客席のカツキチを見つけた先輩、いや、復活したメレンゲドラゴンは、珍しく愛想笑い浮かべて、泡だて器を高々とふってみせた。

「なんかムカつくんすけど、あの人」

 と、呟きながらもカツキチは口の端っこに笑みを浮かべた。あとは見守るしかないのだ。先輩には、きっと、先輩なりの考えやケジメの付け方があるのだろう。

 タイちゃん御一行はきびきびと動いて、お料理開始。イースターの料理対決、お題はもちろんタマゴ。タマゴが主役の一品をこしらえるのだ。

 中央に用意された食材の数々、開始とともに小走りでタイちゃんやってきて、食材の吟味開始。

 ところが、竜。そんな気配はない。

 材料持ち込み不可ではないから、何か持ってきたのかと思えば。なんと、某スーパーの袋からは、トマト缶とレトルトカレー。カツキチの部屋から持ってきたものだ。

 カツキチの見慣れた光景が目の前で展開される。

 トマト缶のフタをあけて、中身を鍋に無造作に。

 レトルトカレーも同様に、中身を鍋に無造作に。

 いつもと違うのは、何やら調味料を追加している。観客席からでは、タバスコと醤油くらいしかわからなかった。

 審査員も位置する実況席へと移動していた女神候補の両者、あれこれなんだかんだしゃべっているが、誰も気が気でない。そりゃそうでしょうな。

 レトルトと缶詰。

 料理対決の決勝戦で、何事かと。

 頃合いを見計らってレポーターが調理中の両者にインタビューを試みる。タイちゃん、何かもっともらしいことを言ってるが、杏子ちゃん、耳に入らない。

 いや、それ以前に。

 会場、注目の的はメレンゲドラゴン!

 ボウルの中に、水! 単なる水道水!

 それを、ドラゴンは泡だて器でかき混ぜているっ!

 メレンゲドラゴン、ウォーミングアップ。

 激しい水音だけが聞こえる。凄まじい右手の回転、スナップ、もはや超人レベル、人間ガデムモーターか!?

 しかも、泡だて器はボウルのどこにもかすりはしない。

 ドラゴンがボウルから泡だて器を、そっと持ち上げた。滴る水滴を見つめる。会場の照明に照らされ、その躍動感と光沢を得た水滴に、はかなげな七色の虹が見えた。

 その作業を終えたのを見計らって、インタビュアーが突撃する。

 いくつかの質問に対して、そっけないひと言のドラゴン。だが、最後に一言。

「誰もが簡単にお料理できるレシピでなきゃ、このイベントの意味はない」

 その言葉は、会場の誰かに刺さっただろう。

 カツキチ以外に。

 そして竜は、観客席に向かって叫ぶ!

「カツキチ、出るっ!」

 出ろ、ではなくて、出る。

 そういう命令口調にカツキチ、なぜか感激した。

 こうなったら、元気よく返事しちゃいけない、喜んでる様子も駄目、そうだ、いつも先輩が醸し出す雰囲気で、面倒くさそうに、ダルそうに、仕方なく……。

「もたもたすんじゃねぇっ!」

 ドラゴン吠えた。

「あ、はい」

 そそくさと降り立つと、

「二個、タマゴもってこい」

「あ、はい」

 もってきたタマゴ、実は最後の二個だった。

「割ってボウルにいれな」

「あ、はい」

「ボウル、しっかり持ってろよ」

「あ、はい」

 ここで、カツキチは気付いた。メレンゲドラゴンは攪拌する右手がアレなんじゃなくて。もしかして、ボウルを固定する左手に問題があったんじゃなかろうかと。

「カツキチ、何があっても離すなよ?」

 いっそう低く、重く、厚い声で竜は囁いた。さっきのウォーミングアップ、あれはカツキチに見せる意味合いもあったのだろうか。

 竜が泡だて器を持つ。カツキチ、下腹に力を入れて、両足で踏ん張り、ボウルを両手で抱えた。

「いつでも来やがれぇっ!」

「じゃあ、始めっか」

 と、ドラゴン!

 いきなり、泡だて器を床に叩きつけた!

「え? 何をやってんすか?」

 メレンゲドラゴン、ボウルのタマゴに向かって、なんと菜箸二本でかき混ぜ出したのだ。

 その回転たるや、泡だて器の何千倍も凄まじく、重圧と風圧でもって、カツキチは吹っ飛びそうだ。

「こ、こんなの想定外とか聞いていないとか、そういう時限じゃないっ!」

 むしろ、無理。強烈な削岩機でボウルに穴でも開けるつもりかと。その光景に、タイちゃんも調理の手がとまってしまった。

 ただひとり、杏子ちゃんだけ。目に涙を浮かべながら、うっとりと見つめていた。

「ゴッドハンドを凌駕する、神殺しの登り竜!」


 ばぁーん……。


 杏子ちゃんの目の前、ボウルが、卵液が、空中に弧を描いてゆく。飛んでいる、飛んで行く、そして床に。

 カツキチは床に大の字にのびていた。割れた菜箸が遅れて床に到着した。

「せ、せんんぱぁぁい」

 カツキチの呻き声、会場のどよめき、杏子ちゃんは口に両手をあげて立ち上がっていた。床にこぼれてしまったタマゴ、もうお掃除するしかない。

「うーん、やっぱり無理か」

 メレンゲドラゴンは首を傾げたあと、鍋の様子を見に行った。

「ちょっとぉっ! ドラゴンさん!」とカツキチが立ち上がって何やかんや言う。もうタマゴない、さっきの最後の二個、こぼしちゃった、俺のせい? 誰のせい? どうすんの? たまごないよ?

 竜はどこ吹く風。

 鍋から一個、タマゴを取り出した。

 ゆでたまご、だ。

「こっち、メインだから。問題ない」

 カツキチと杏子ちゃん、同時にぐったり腰を下ろした。

 ドラゴンは我関せず、材料いっぱいあるところに行く。持ってきたのは薄力粉と食塩。別なボウルに粉ふるって、食塩入れて、水も入れて、軽く混ぜて、こねる。

 熟練の手つき、生地をこね続けた男のパワフルかつリズミカルな動作。

 杏子ちゃんは気をもむ。

「どういういつもり? イーストも熟成もない生地をこねて、何を企んでいるの?」

 うどん、薄力粉で。

 コシの強いうどんをドラゴンはこしらえている。

 メレンゲドラゴンは、ゆでたまご添えトマトカレーうどんを生み出そうとしている。それは理解できた杏子ちゃん。しかし勝算はあるのか。ゆでたまご一個、まさかその一個に何か秘策があるとでもいうの?

 杏子ちゃんの心配を場外に、コネコネしながら、竜はカツキチにこう言った。

「何見てんだよ、やることやったら、とっとと客席戻れ」

「……あ、はい」


 クッキング終了まで、残り1分。

 カテドラルの如き鐘の音が鳴り響く。鐘が鳴り止んだら終了だ。

 タイちゃん、オムレツ、だし巻き卵、パラパラ黄金炒飯、お野菜たっぷり卵スープ。神々しいほどにイエロー、完全無比なるスタンダード、まさに剛速球の直球勝負。

 うまい、確かに旨いだろう。ややオリジナリティに欠けてはいるものの、職人の技が冴える、丁寧かつ美しい逸品。

 すでに審査員側へと運ばれていた。

 かたや、メレンゲドラゴン。大胆不敵にして圧倒的なパワー勝負、しかし巧妙な変化球だ。このイベントのスポンサーの商品を使うあざとさ、超絶簡単レシピ、攪拌デモンストレーションからのタマゴ空中散歩、そこから薄力粉をこねまくった。出てきたのは、ゆでたまごがのったトマトカレーうどん。

 まぁ、会場は盛り上がったわけで。

 有言実行『ひっかきまわす』見事に達成されたわけで。

 だが、タマゴのお料理と呼ぶには--。

 杏子ちゃんも、タイちゃんも、審査員も同じことを呟いてしまった。

「あれでは勝てない」

 だが、鐘の音が鳴り響く会場で、密かに電子レンジからチーン♪ 杏子ちゃん、その音は聞き逃すはずもなく、立ち上がった。何がレンチンされたのか。

 メレンゲドラゴンの切り札、ここに炸裂、文字通りパッケージを裂き、皿の上のトマトカレーうどんに注がれた。

 レトルト『玉子丼』だ!

 そして、その傍らには、いつの間に作ってたんだ?

 ミルクセーキがおるではないかぁっ!

「メレンゲドラゴンラプソディ!」

 杏子ちゃんワールド、フルスロットル。

 両雄の作品、出そろった。



 審査結果、杏子ちゃんは女神になれませんでした。



「--デキレースってことはわかってんだよ、ダテに長くやってたわけじゃねぇからな」

「そんなぁ、竜さん。実は悔しいんでしょ?」

「誰が俺のことを『竜さん』だなんて呼んでいいって言ったんだ、カツキチ?」

「いいじゃないですかぁー、共に戦った仲ですよ? 戦友ですよ?」

「何が戦友だ、ボウル持ってただけじゃねぇか」

「そんなことより竜さん、カノジョ、女神になりそびれちまったじゃないですか? またチャレンジするんすかね?」

「知らん」

「六月。出場するかもしんないっすよ? 六月はケーキっすよ? メレンゲドラゴン、大活躍?」

「やらん」

「またまたそんなこと言ってぇー」

「お前、やれ。教えてやっから」

「やですよぉ、そんなの。俺は食べる専門がいいんです。そういえば、あのカレーうどん。レトルトじゃないほうを食ってみたいもんですね……お願いしますっ!」

「無理だな」

「なんでですかぁー!?」

「カレーも玉子丼も作ったことないぜ。自慢じゃないが」

「え?」

「炊飯器で米を炊いたこともないからな。あのうどんもゆでたまごも、その場の思い付きでやったんだ。レトルトのライス、忘れちゃってたし。あれには参ったな」

「会場に、炊き立てゴハン、準備されてたじゃないですか! うどんもありましたよっ!」

「知らねーよ、そんな難しいこと」

「まったく、なんなんすか……あ、そうだ! どうして泡だて器を床に叩きつけたんです?」

「カドが立つといけねぇからだ」

 カツキチはきょとんとしていた。

 その数秒後、どこからともなく泡だて器がドラゴンめがけて飛んできた。それは竜の後頭部にゴッツンした。彼はそのまま去っていった。

 主を失った泡だて器が、鈍い色を放っていた。

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杏子とカレーと泡だて器 @candy13on @candy13on

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