うちの幽霊くん 昼の先輩と夜の君
崎浦和希
0.できないことをできるって言わないこと!
隣に座った半透明の男の子は、美鈴のパジャマ姿が直視できないらしく、微妙に視線をそらして床を見ていた。美鈴のベッドを背もたれにして床に座り、半透明なのにマットレスをすり抜けることもなく、膝を抱えた姿勢で軽く寄りかかっている。大学進学を機に始まった一人暮らしも一年が過ぎ、すっかり見慣れた美鈴の部屋で丸くなる彼は、透けてさえいなければどこから見ても普通の、少し恥ずかしがり屋の同世代の男の子だった。
「ねえ、そんなにあからさまに気まずそうにされると、私がおかしいみたいじゃない」
「いや……おかしくない? 男の前でそんな」
「女の子の一人暮らしに不法侵入しているやつが何か言ってる」
「これは不可抗力なんだって! 俺だって、なんで自分がここにいるのか、……自分が誰かだって、わからないんだ」
そう言って抱えた膝に頬を埋める男の子の顔は、いつもぼさぼさの髪で半分まで隠れていて、口もとが見えないと表情もわからなくなる。でも半透明、つまりは魂のようなものがむき出しだからなのか、落ち込んでいるのはひしひしと伝わってきた。
「それが困るのよね……」
「悪いとは思ってるよ」
「もういいよ、それは。でもパジャマ着てるくらいで気まずくなるのはいい加減やめない? 自分ちなのに私までなんか落ち着かないから」
「……努力はする」
いかにも自信なさげにうなだれてしまう彼を見ていると、「普通のパジャマなんて色気ないな」と呆れていた前の彼氏と比べて、あまりに慎み深くてかわいく思えてくる。こいつは美鈴の部屋を突然事故物件にした挙げ句、その後も夜な夜な現れる幽霊なのに、だ。
この幽霊が美鈴の部屋に現れたのは、春の終わりだった。何の前触れもなく、帰宅したら玄関にいた。
名前も、死因も、美鈴の部屋に突然現れた理由も、何ひとつわからない。本人に一切の記憶がないのである。だから成仏させる方法もわからないまま、何度ともに夜を過ごしただろう。
「……前の彼氏が言ったんだけどさ」
初めのころは幽霊の記憶を戻して成仏させる、という目的で交わしていた会話は、今やたいした内容もなく、夜ごとの雑談と化している。
季節外れの幽霊だった。怪談と言えば夏が相場だろうに、今は梅雨直前。開け放した窓から少し湿った風が吹き込む、丑三つ時。宵っ張りの美鈴でも、レポートの期日前でなければ滅多にこんな時間まで起きていない。
幽霊が出現するまでは、初の一人暮らしで多少の自堕落はあれど、まだマシな生活をしていた。
「それって俺なんかが聞いていい話?」
「ちょうどいいよ。ほかに話す相手いないし、こんなこと」
美鈴は持っていた麦茶のグラスをちゃぶ台に置いた。ぽつんと置かれたひとつだけのグラスがなんとなく寂しい、なんて思いたくない。
以前は、彼氏の分のコーラのグラスが並んでいた。でも、今となりにいる幽霊はグラスを持つこともできない。まして飲み食いはなおさらだった。美鈴が除霊のために塩を流し込もうとして、ただ床を掃除する羽目になったのはそう昔の話ではない。
「ある芸人がアイドルに言ったんだって。全国、あちこちで日を空けずイベントやって、それに全部来てくれるようなのは旦那さんや彼氏じゃなくて、ファンくらいだって。だからファンを大切にしなさいって話なんだけど」
「追っかけって彼氏とか彼女作ってる暇なさそう」
「理解ある……って言っても、まあ休みの日に会おうと思っても相手がアイドル追って居ないんじゃ難しいでしょうね。そうじゃなくて」
美鈴は背をベッドにもたれさせたまま首だけで天井を仰いだ。シーリングライトがやけにまぶしい。真夜中でも目は冴えていたが、体は眠ろうとしているのかもしれない。
この夜は、なんとなくまだ寝たくなかった。
「こういうなんでもない夜に、意味もなく電話してくだらない長話に付き合ってくれるのは、ファンじゃなくて彼氏だろ、って」
「ファンだったらものすごく喜ぶだろ。付き合ってくれるんじゃない? ダメか、スキャンダル一直線だもんな」
「だろうね。で、私はその話に納得はしたけど、彼氏に電話はしなかった」
「なんで?」
「べつに話すこと思いつかなかったし。向こうに合わせて講義取ったり、昼休みも会ったりして、顔を合わせてると話すこと色々あったけど」
首を戻してため息をつく。隣の幽霊が膝から顔を上げてこちらを見ているのが見えた。目元は相変わらず見えないけれど、視線を感じる。半透明の瞳は、いったいどんなものなのだろう。疑問に思っても、髪に触れようとしたところですり抜けるだけだから、知ることはできない。
「話題を探して電話するのって難しいよ」
今度は美鈴のほうが膝に口元を埋めてつぶやくと、幽霊は「そうかなあ」とのんきな口調で言った。こんな幽霊でも簡単にできるようなことを自分はうまくできないのかと落ち込みかけたところで、幽霊は少し不満そうに続ける。
「その彼氏の話って、つまり君に電話してほしかったってことだろ。自分からすればいいのに、わがまま言うよな」
「わがまま?」
「だろ? 向こうから電話来たことあった?」
「まあ、何か用事があるときにはね。でもほとんどメッセージ」
「で、君も同じ感じだった」
「そうね」
美鈴の答えを聞いて、幽霊は伸ばす背骨もないのに膝の前で両手を組んで、ぐっと腕を前に引っ張った。音もしないが、幽霊本人的には体が凝った感覚でもあるのだろうか。彼が無意味そうなストレッチをしているあいだに、美鈴は話を進めた。
「電話してほしかった、って、彼女に対しては普通の感じだとは思ったよ。それで素直に電話してやるような可愛げがなかったから振られたのかなって」
「電話してほしい気持ちは俺もわかるけど」
「生きてたころのこと、何か思い出した?」
「全然。ただふとそう思っただけ」
幽霊は素っ気なく言った。それより次に発した言葉のほうに感情が乗っていて、言いたかったことが何なのかわかりやすかった。
「電話してくれなかったから振ったって、かなり酷くない?」
「たぶん、それだけじゃなかったけどね。付き合ってて楽しいとは思っても、すごく夢中になったとかじゃなかったし」
夢中になるほど好きだったら、それこそ夜中でも何でも、話したいことが思い浮かんだのかもしれない。四六時中相手のことを考えてしまって、かたときも離れたくない恋の話はフィクションでも珍しくない。ただ、現実にそうかと言われると、美鈴は首をひねらずにいられなかった。
「それこそアイドルの追っかけあたりの話でたまに聞くような、すっごく好きでたまらなくて、みたいな感覚、私にはわからないんだよなあ」
「俺もああいうのは……そういう人が実際にいるのはなんとなく知ってるけど、自分では現実感がないな。……でも……、誰かのことがすごく好きで、自分のものに、っていうとちょっと違うけど、彼女になってほしい? ほかの人より特別にしてほしい……? なんか、そういう気持ちはわかる、と思う」
幽霊は自分の中にある気持ちを探すように、少し戸惑うようすを見せた。透けているくせに中身は見えないのはまったく不便だな、と美鈴は思った。
「彼女とか彼氏ってだけで特別ではあるよね」
「そうだな。けど、彼女って言うのにもなんかしっくり来ないような……、付き合ってるって事実より、……あ、その子が誰かと楽しそうに話してるとき、俺も話したいなって思うやつ。当たり前に名前呼んで、ほかの人より嬉しそうに笑ってくれるとか。そうしてくれたらいいのになあってあこがれる気持ち」
「それって付き合ってるっていうか、片思いじゃない? それがあなたの未練?」
「……どうだろう。今、なんかそう思っただけ」
「ふうん。……名前、は呼んでたし、ほかの人より親しくって、たぶん、してた。足りなかったのかな」
「それは俺にはわからないけどさ、わりとわがままじゃない?」
どこの誰かも知れない幽霊に慰められている。幽霊にそのつもりがあるのかどうかは知れないが、美鈴は誰にも言えなかった痛みが、少し引いていくのを感じた。
『付き合っててもつまんない』
別れた彼氏に未練はないが、別れぎわに言われた一言は、それから美鈴に小さな棘のような痛みを与えていた。それほど気になるわけじゃない、でもいつまでもささやかに痛くはあって、それが腹立たしくもある。誰かに愚痴って吐き出せたらすっきりするのかもしれないが、あんまりなことを言われたような、言われた自分が情けないような、どちらともつかない気分で、親友にも言えていない。
「……少なくとも、俺なら、夜に話がしたかったら、自分から電話するけど……」
美鈴は隣で美鈴のパジャマ姿から目をそらした幽霊を横目に見た。
「無理じゃない? そういうことできるタイプじゃなさそう。微妙な片思いしてたっぽいこと言ってたし」
「俺もそこのとこよくわかんないけど、電話する、……たぶん」
「それができる人間って遠くから片思いしてなくて、さっさと告白してる気がする。……それで振られたのが未練? だったらちょっと怖いんだけど」
「いや、そんなストーカーみたいな……」
「わからないんでしょ」
「そうだけど、俺、そんなふうに見える?」
「……。片思いしてて、それが未練になって成仏できないタイプって言われたらわかる」
幽霊はなにやら言葉にならない何かを低く呻きながらまた額のあたりを膝にぶつけた。全身が透けているのに、そこは通り抜けないのだな、と妙なことに感心しつつ幽霊の仕草を眺めていると、彼は少しだけ顔をこちらに向けた。相変わらず目元はくしゃくしゃに寝癖のついた髪で隠れていて、ほんのり青白い唇しか見えない。その唇がややためらいがちに薄くひらく。
「でもさあ、もし俺が、誰かに片思いしてて、未練になってるとしたら」
透けているくせに顔を隠す黒っぽい髪の奥から、たしかな視線を感じた。言いたいことがわかって、止めようとしたけれど遅かった。
「待っ」
「一番可能性が高いのは、君、じゃん」
「……わかった。片思いが未練の可能性は捨てよう」
「自分で言い出したことなのに」
「だって、困るよ」
幽霊と恋なんて、不毛すぎる。叶ったとたんに成仏されたら、残された美鈴はどうしたらいいのだ。
「普通の失恋よりだいぶタチが悪い」
「俺がいなくなったあとは、ちょっとした思い出にしてくれていいから」
「嫌だってば」
どうしてこいつも、美鈴に棘を残していこうとするのだろう。
美鈴は普通の恋がしたい。普通のお付き合い、普通のキャンパスライフ、普通の人生。まわりのみんなが当たり前にやっている、それと同じがいい。ただ平凡がいいと思っているわけでは決してなくて、そうして過ごしている友人たちが楽しそうだからだ。
特別なものなんていらなくて、普通にやっていけたら、きっと幸せなのだと思う。
「だいたい私、あなたのこと全ッ然知らないし、見たこともない」
「今から知ってくれたらいいんじゃないかな」
「知り合いでもないのにどこから片思いしたのよ、って言いたかったんだけど」
「知り合いじゃなくても片思いはできるじゃん」
「まあ……」
それはそうだ。直接話したこともない相手に恋をするなんて、そのへんのどこにでも転がっている。でもそれは、美鈴にはわからない感覚だった。
「私は知らない人には恋をしないタイプ。っていうか、わかんない。よく知らないのに、何がいいの?」
「んー。俺も記憶がないから何とも言えないけど、雰囲気とか、ちょっと噂を聞いたりとかして、想像するんじゃない?」
「それでイメージが違ったら想像と違うって言うわけ?」
「どうかな……。イメージと違っても、楽しかったらそれはそれでよくない?」
「それは理想にすぎないと思う」
「えー、俺は、最初の印象と違うけど、楽しいけどな、今」
「楽しんでないで成仏してよ……」
うなだれながらも、本当にこの幽霊に成仏してほしいと思っているのか、美鈴は自分の気持ちに自信が持てなかった。
半分は確かに思っている。けれどこの幽霊が消えたあと、天井からの白いライトだけが照らすこの部屋のことを思いうかべると、妙に寒々しく思えた。
「なんで私がこんなことに……」
「珍しい経験だって、滅多にないと思ってさ」
「そりゃああなたは未練が消えたら成仏するだけなんだから、それでいいだろうけど」
もし、美鈴が本当にこの幽霊を好きになって、奇妙な恋人になって、それで置いていかれたら、寂しいでは終わらない気がした。
きっと、生きているうちに会いたかったとか、終わりがわかっているのに好きになりたくなかったとか、どうしようもない後悔を引きずる羽目になる。
きれいな思い出にはならない。彼を思い出すとき、取り返しのつかない苦い思いもともに思い出すだろう。
今でさえ、成仏して消えてしまったあとのことを考えるのを少し避けている自分を、美鈴は自覚していた。
「嫌だよ。彼氏を作るなら普通の人がいい。普通の人を好きになりたい」
「普通って何? 君の前の彼氏って普通じゃなくない?」
「それはどうか私にはわかんないけど、少なくとも幽霊よりは普通だよ」
「電話してくれない~って彼女を振る女々しい奴が?」
「あなたは電話したくても諦めて寝るタイプでしょ。で、未練で幽霊になった。どう考えてもあなたのほうが普通じゃないから」
「俺の未練を認めたね」
「仮定の話」
夜が更けてゆく。気怠くて、口から出る言葉の意味をはっきりとはわかっていなかった。思ったままがこぼれ落ちる。
「なんでうまくできないのかなあ」
「次いけば? 初めての彼氏だったんだろ」
「彼氏はそうだけど、なんか、私いろんなことうまくできないんだよね。友だちといるのは楽しくても、あとからあの会話ちょっと失敗したなって思ったり、うまく噛み合わなかったり。普通のことを、普通にできてる自信があんまりない」
「俺とは普通に話してると思うけど」
「あなたはもう死んでるし、べつに何話してもいいやって思えるから、なんか楽ではある」
「そうやって、あんまり頑張らないでいいんじゃない? いつももさ」
美鈴は、一瞬言葉に詰まった。頑張っているつもりはなかった。でも、言われてみればいつも気を張っていたような気がした。
だけど、そうしないともっと失敗して後悔すると思うのだ。
顔をしかめた美鈴に、幽霊は解を得たとでもいうように、ふと夜に似つかわしくない明るい声で言った。
「そういう話ができるのが、彼氏じゃない?」
横を向くと、幽霊の半透明の体が、ライトを受けて薄青く光っているのが見える。陰湿さや、化けて出るというおどろおどろしさとは無縁の、きれいに透き通った姿だった。
「彼氏みたいなのにこそ、可愛く見られたいって思うものじゃない?」
「化けの皮ってどうせ剥がれるものだし」
「化けて出てる奴が何か言ってる」
「俺はどこも皮かぶってないよ」
「そうね。全部透けてるもんね」
言いながら、幽霊って不思議だ、と美鈴は思った。絵でしか見たことのなかったときには何とも思わなかったが、隣で全部透けているのを見ると違和感がある。
まず、どこまで透き通っても骨や内臓は見えない。服を着ていて、服の下が見えることもない。透けてさえいなければ、生きた人間と変わらない。
なのに、綺麗だ。
ぼさぼさの髪が目を覆い隠しているし、着ているのもゆるいスウェットで、どう見てもだらけた姿なのに、神秘的で得がたいものに思えた。
オカルトというくくりで言えば、神秘であるのは単なる事実に過ぎないが。
「ずっと一緒にいるなら、気取らなくていい相手じゃないと無理だよ」
「そのゆるだぼの姿、説得力あるね」
美鈴が指摘すると、幽霊は自分の腕を持ち上げて、オーバーサイズぎみで手のひら半分まである袖や、座っている状態では足のつま先までかかるスウェットの裾を眺めた。
「俺、何やったらこんな格好で死んだんだろう……」
「血みどろとか、何かはみ出てるとかよりずっとマシだけどさ。うちにそんなの出てたらこんなふうに話してないし、絶対寝れない」
「よかったね、俺がきれいな死体で。最近いつも寝落ちてるし」
「あーあ、床で落ちたときくらい、ベッドに上げてくれたら便利だったんだけど」
眠気が迫ってくる。このままだと明日もまた床で目覚めて痛い思いをする予感がした美鈴は、這うようにしてベッドに上がった。寝ころぶと、幽霊はマットレスのふちにひじをついて美鈴を眺めていた。
シングルベッドなので、当然、距離が近い。でも、もう慣れた。
パジャマ姿では目をそらす幽霊は、当初は美鈴に近づくのもおそるおそるだった。それが今や、パジャマはまだダメでも距離は平気になったようだ。
「君が寝てしまうと暇なんだよな」
「成仏する方法でも探しててよ……」
「未練を晴らせば成仏できるかもしれない」
「ほかを当たってくださーい」
美鈴は、寝返りをうって背を向けるようなことをしなかった。枕元に置いているリモコンで部屋の電気を消し、暗い中でもうっすら光っている青白い幽霊と目を合わせる。
「……未練になって、成仏できなくなるくらいなら、告白すればよかったのに」
眠くてあまり頭が回っていないのは自分でもわかっていた。
だから、未練になるほど誰かに想われて、熱心な告白を受ける自分など想像もできないのに、心にもないことを軽く言えた。
「……できるのなら、たぶん、そうしてたよ」
幽霊は思い出せない記憶をたどるかのように、薄くひらいた唇からそっと言った。暗くてもぼんやり光るから、彼の表情は美鈴にもよく見える。
「……電話番号を知ってたら電話したよ」
「諦めて寝るタイプでしょ」
「……したよ」
眠りに落ちながら、もしそんな電話がかかってきていたら、自分はどうしていただろう、と美鈴は考えた。告白に応えて、そして今ごろ、死んでしまった彼氏を偲んで寂しい思いをしていたのだろうか。
「でも離れるのが嫌で、やっぱり成仏できなかったかもしれない」
「……完全な背後霊ね……」
言葉は半分くらい夜に溶けていた。これ以上はもう意識を保っていられない。目を閉じたら、怪談の恒例とは違って、幽霊の気配はわからなくなる。成仏してと言いながら、知らないうちに消えてしまうのは嫌だと思う自分がいるのを、美鈴はもう知っていた。
離れるのが嫌で成仏できないなら、今この状態から付き合ったとして、彼は消えないのではないだろうか。
消えるときが来るとしたら、美鈴に愛想を尽かしたときかもしれない。
「……どっちも嫌な感じ」
「なに?」
「ちょっと思うことがあっただけ。明日二限からだったな。あーあ、夜更かしはさせるくせに、目覚ましにはならないんだから」
「朝まで、ずっといられるなら……朝だけじゃなくて、昼もできるなら、楽しいだろうなって、俺も思うよ」
「たのしんでないでじょうぶつしなよ……」
半分寝かかって、あやふやな発音になった美鈴の言葉に対し、幽霊はしばらく何も言わなかった。
静けさが美鈴を本当の眠りに落とそうとする。その間際、彼はこれからの夜をひとりで過ごさなければならない寂しさを滲ませる声音でささやいた。
「……おやすみ、ミリンさん」
ミリン。字面から間違えられることの多い、美鈴の名前。
それをこの幽霊が正しく呼んだことだけが、彼に関する唯一の手がかりだった。
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