被造物たちの宇宙 光速のリヴァイアサン

@euoni

プロローグ 暗い宇宙の闇の中

 長命者、ジェイムスン視点。


 基本的に宇宙とは暗いものだ。仮に可視光線で満ちている空間があっても、それを反射する物体が無ければ暗黒と同じ。太陽のコロナの中に突っ込みでもすれば明るい宇宙が見られるかもしれないが、それは同時にこの世からのお別れにもなるだろう。


 我はそれをやろうとした事はあるのだが、この身に宿る忌々しい同居人に止められた。


 因果の糸を断ち切って、我の乗る宇宙船アタラクシアは暗い宇宙の中に復帰した。

 超空間航行中の外は暗くない。かといって明るいわけでもない。明るさなどという言葉が意味をなくす、人間の認識の外の空間が広がっている。そこに見えるものは人によって違うらしい。

 我?

 我は最初から見なかった。

 我が見たところで地獄のような光景が見えるだけだろうから。


 我の家であるアタラクシアは全長およそ1キロメートルの棒状の主船体をリング型の人工重力ブロックが取り巻く、長期間の航行を前提とした宇宙船だ。

 この船は今、喜んでいるだろうか?

 アタラクシアが建造されたのは300年ほど昔のことになるが、この船はそれから一度たりとも超光速航行を行っていない。今回が初めてだ。建造が決まった直後に我が買い入れ、死蔵してきた。我の自宅として太陽系内の移動にのみ使って、この世の理に反することはさせなかった。


 我の裏の顔は非合法の星間結社ヴァントラルの幹部であるからな。

 ヴァントラルは人類の宇宙進出に反対する結社だ、と公式には表明している。事実としては通常の星間移動、光子ロケットなり何なりを使った宇宙進出には反対していないがな。


 超光速での移動。

 これがいけない。


 超光速での移動とは本来、移動ではないのだ。

 原因があって結果がある。超空間航行はこれを壊す。全ての基準である光速を否定し、別の場所へただ出現する。

 こんな移動があるものか。これは新たな宇宙、新たな歴史の創造だ。昔からよく言われるタイムパラドクスというやつの空間版だな。100光年先に移動したとして、それが本当に100光年先へ行ったのかそうでないのかは、元の位置にいる者には100年経ってみないと分からない。

 そして、その100年が経過した後、矛盾が生じたという記録は実際にある。


 それは100年ではなくわずか5年、5光年先の星に行ってきたオオバヤシ丸という船のことだった。なんという事もなく往復してきた船だが、5年後に向こうの星から電波が届いた。通信のためのものではなく星系内の放送だった。それによるとオオバヤシ丸はデブリと衝突して爆発四散したそうだ。

 オオバヤシ丸はどこへ行って来たのか?

 こちらにあるオオバヤシ丸は何なのか?

 ちなみに、オオバヤシ丸とその乗員はあちらの星へは二度と行こうとはしなかった。


 超光速での移動とは移動ではない。少なくともまともな移動ではない。強いて言うならば平行世界への移動であるというのが識者たちの結論だった。


 我々ヴァントラルの者は、もう少し別の意見を持っているがな。


 昔から言われるタイムマシンと同じだ。超空間航行は使用するたびに矛盾を生じ、新たな並行世界を創っているのだ。

 我々はそれを神から直接に聞かされている。


 なんだ、引いているのか?


 厳密に言えば「神としか表現できないような、物理法則にとらわれない不可思議な超知性体から聞かされた」といった所か。

 彼らは実在する。

 そもそも、超空間航行機関そのものが彼らからもたらされた物だ。

 贈り物として過ぎた物だと考え直したのか、それとも元から別の一派なのか、我らヴァントラルに対しては機関の棄却を求めて来ているが。


 時空を自在に操る彼らにとっても平行世界が増えすぎる事は嬉しいことではないのだろう。

 我はそう思っている。


 長々と話してきたな。

 名乗りもせずに話し続けるのもなんだ。我の名は。

 生まれた時に付けられた名前など捨てた。もう忘れてしまった。

 最近はジェイムスンと名乗っている。古い古いおとぎ話の中の人類滅亡後も生き続ける永遠の旅人の名前だ。


 我はアタラクシアのブリッジから永遠の夜である宇宙を眺める。

 そこから我の手に、我の手の役目をしている物に視線を移す。

 それは金属光沢に覆われた触手だ。この中には本物の肉色の触手が入っている。胴体に当たる物は金属製の樽のような形状。移動用の足も本体を見たくないので全て金属で覆っている。


 我は長命者だ。

 かつて永遠の生命を望み、それを手にしたと思った者。あるいはそれの成れの果てだ。


 かつて超空間航行機関がもたらされた頃、人類の元に届いたのはそれだけではなかった。

 人体の中に入りその生命を維持することができる共生体。人類が生み出したナノマシンよりもはるかに高性能なそれは所有者に永遠の命を約束するはずだった。

 彼らと人類の協定の内容は3つ。


「共生体は宿主の生命を可能な限り維持すること」

「共生体は生命の維持に関わらないかぎり、宿主の思考と行動を尊重すること」

「共生体は人類の種の繁栄に協力すること」


 この3つが維持される限り、共生体は人類と共に生きることができる。

 最後の項目は必要ないように思えるかもしれないが、子供が生まれなくなることで人類が緩やかな滅亡を迎えるのを避けるための処置だな。


 最初の2、300年の間は何の問題もなかった。

 しかし、その後、長命者の中に精神を病み自我を喪失する者が出始めた。

 人間の精神はそんなに長い時を生きるように出来ていないから、などと説明する者もいる。だが、我の意見は違う。単純にハードウェアとしての脳の耐用年限の問題だろう。宿主の思考を尊重する共生体は脳に手をつけることが出来なかった。


 で、彼らは学習した。

 脳に手をつけないでいても、宿主の思考と行動は壊れていく。なら同一の人格が保たれるように積極的に脳を改良していくべきだ。

 そして脳を改良してしまったら、身体の他の部分を改造することに抵抗などなくなる。


 人間の脆弱な身体を喪失し、人間の姿をなくす長命者が続出した。

 我もその一人だ。

 脳も改良されてしまったので狂う事もできず、触手の塊の化け物として生きていくしかない。共生体は宿主の生存を最優先するので自分から命を絶つことすら出来ないのだ。


 もう乾いた笑いしか出てこない。

 その笑いも自前の声帯で出している訳ではないがな。


「ジェイムスン様」


 我に呼びかけてきた者がいる。この場所にいる我に声をかけられる者など神以外には一人しか居ない。この船の船長を任せているイモムシだ。


 ああ、本当にイモムシだぞ。

 我がこの姿だというのに真っ当な人間の姿をした者を周りに置くなど耐え難い。遺伝子操作で人間の脳を持ったイモムシを培養させた。

 腹立たしいのは生まれた時からこの姿でいるため、本人がイモムシであることを一向に不幸だと思っていない事だな。手足が二本ずつしかない姿よりも吸盤付きの足が多数あって糸まで吐ける姿の方が便利だと本気で言い切っている。

 そこは「いつか人間に成りたい」と足掻き続けるべきだろうが。


 我が答えずにいると、イモムシはまったく気にせずに言葉を続けた。


「ご覧のとおり超空間からの復帰に成功しました。現在位置は測定中ですが、予定から大きな変動はない模様です」


 断りなく我の見ているモニターを操作する。

 視点がグルリと動いた。

 視界の大半を木星型の巨大ガス惑星が占拠する。予定通りならばこれが今回の目的地、惑星ブラウだ。


「座標を間違えていたなどと言ったら怒りますよ。実は太陽系から動いておらず、これがただの木星だったなどと言ったらね」

「大赤斑っぽいものが二つ見えますから木星でないのは確実です。……現地のビーコンを確認。ここはジール太陽系内、ブラウ惑星系です」

「よろしい」


 我は触手をひらひらさせる。

 名前を借りているお伽噺の主人公にちなんで触手の一本に銃を溶接しておいたが、もっとクラシカルな外見の銃にした方がいいだろうか?

 ま、どうでも良いが。


「例の物はここからでも観測出来ますか?」

「はい、神様の計画はここでも順調なようです。この惑星系の者たちが気づいている様子はありません。もうしばらくは気づかないままでしょう」

「油断してはいけませんよ。神託によればここでの作戦には不都合が生じる可能性が高いのです。先行したチームの行動はどうなっていますか?」

「外宇宙からの侵攻に気づかせないための陽動作戦ですね。彼らは惑星ブラウ上での襲撃作戦を選択したようです。ご存知の通り、この惑星は宇宙船が燃料や推進剤を補給するための中継地になっており、ガスフライヤーと呼ばれる大型宇宙機がブラウから水素やヘリウムを採取、運搬しています。このガスフライヤーに対して戦闘用強化人間4名による襲撃を行います」

「外宇宙とは反対方向に目を向けさせるという意味では悪くありませんが、どうせならば人口密集地帯でもっと重要な施設を攻撃させたほうが良くありませんか?」

「それを私に言われても困りますが、彼らは重要施設への攻撃には戦力が足りないと感じたようです。ガスフライヤーへの襲撃は単純な撃墜だけではなく、宇宙機内部への侵入・乗っ取りを想定。最終的にはガスフライヤーを自身の整備補給基地に突っ込ませる予定です」


 希望的観測に満ちたずいぶんと都合が良すぎる作戦だと我には思える。

 が、所詮は陽動作戦。作戦が最後まで遂行される必要はないと思えばこれで十分かもしれない。


 今回の作戦の主力は我々ではない。

 我々など脇役と名乗るのもおこがましい端役にすぎない。主力は神の直属の何者か。何百年、何千年という時間を使ってやってくる怪物だ。


 神は人類の持つ全ての超空間航行機関とその製造施設の破棄を決断された。

 いや、それを行う怪物は観測によれば千年・万年の昔に出発している。それを思えばこの事態は人類に超空間航行機関がもたらされる前から予定されていた事になる。

 神は全てを予見して予測通りに動いているのか、それとも過去に遡って行動することができるのか。どちらであるのかは、それこそ神ならぬ身には予想する事も出来ない。


 とは言え、その神の能力も完璧ではないことが他ならぬ神自身の神託により明らかにされた。


「念のため確認しますが、今のところで不都合の兆候はありますか?」

「先行部隊の作戦は順調に開始されています。……あ。いや、これは」

「不明瞭な発言はやめなさい」

「申し訳ありません。ガスフライヤーを襲撃しているのが第11オーガチームであることを発見してしまいまして」

「なんだトォ」


 我の家でもあるこの船、アタラクシアは別名「百鬼夜行の船」などと呼ばれる。

 我の望みにより人間の姿をした乗員を一切受け入れていないことからついた名だが、この船がおおむね人間の姿をした連中を住ませた時期が一度だけある。


 オーガどもだ。

 正式名称は戦闘用強化人間タイプO。

 一般の人間よりも大柄で筋肉が発達しており、額に小さなツノがある。遺伝子改造とナノマシンの投与により原種の人間より遥かに高い身体能力を発揮するが、我から見ればあんなのは人間にしか分類できない。


 組織からの要請でオーガどもの育成にこの船を一時的に貸していたのだ。

 ほんの3年ほどの時間だったが、悪夢のような日々であった。

 あいつらはどこへでも入り込む。

 まだ小さい身体と苦痛への耐性で、いくらなんでも不可能だと思われたところへも侵入してきた。真空に対しても一定の耐性があるため、どうかすると生身のまま宇宙空間を渡って移動したりも……。

 特に第11オーガチームに所属していた特異体3号、個体名ロッサ・ウォーガードには苦労させられた。別のチームのオーガを始末されたり、この船を撃沈されそうになったり。


「あの特異体があそこに居るのか?」

「はい、ですがご安心ください。今回、アレの被害に遭うのは我々ではありません」

「そうならば良いがな。正直、神託にあったこの星系の不確定要素とはアレのことであっても不思議ではない」

「いや、いくらアレでもそこまでは」

「無い、と言い切れるか?」

「たぶん無い、と」


 イモムシは小さな前脚をワチャワチャと動かした。


「あー、また何やら」

「今度はなんだ?」

「特異体3号ではありませんが、異常事態です。彼らが襲撃をかける対象のガスフライヤー『アキツ』は現在、過去に惑星ブラウで遭難した宇宙船『ビークル』の回収作業中だそうです」

「ガス惑星の上で回収作業って、あり得るのですか?」

「詳しい報告は入っていません」


 常識では考えられない何かが起こっていることはわかる。

 そして、より大きな問題として「宇宙船ビークル」の回収作業中だという表現がある。

 今日では「宇宙船」と「宇宙機」は明確に区別されている。

 宇宙機は真空・無重力の世界を移動する機械全般に使用される。

 それに対して、宇宙船は恒星間の移動ができる物に限定して使われる言葉だ。過去に試作された「世代宇宙船」なども「宇宙船」の範囲に入るが、そういった例外を除けばほぼ超空間航行が可能な物のみが「宇宙船」と呼ばれる。


 神が超空間航行機関を全て破棄すると決めたタイミングで過去に失われたと思われていた宇宙船が一隻発見された、だと?

 我は声を張り上げる。


「シャレも冗談も一切抜きで、第11オーガチームとその攻撃対象に対する情報収集に全力をあげなさい」

「了解しました」


 さて、鬼が出るか蛇が出るか。

 鬼がいるのは既に確定だが。


 我はもう大きくなっているはずの少年の顔を思い浮かべる。何をしでかすが解らない、エネルギーに満ちた顔を。

 そして外を見る。

 暗い宇宙ではなく、ガス惑星の明るい昼の面がそこにあった。


「フン」


 全てを闇に染め上げるべきだ。

 我はそのためにここに居る。

 我が超光速宇宙船アタラクシアに乗ってここへ来たのはそのためだ。


 神の使いであるあの怪物ならば我を殺してくれるはずだから。

 自殺ができない我の最後の希望よ、早くここへ来たれ。

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