ファンタスティック虎太郎と僕

犬鳴つかさ

ファンタスティック虎太郎と僕

 文化祭の出し物を見て回っていると『死ぬほど面白い館』というのがあったので、興味本位で入ってみることにした。


 薄暗い観客席は段々になっていて、一番下にある舞台だけが申し訳程度のスポットライトを当てられている。


 適当な椅子に座ってパンフレットを見直したが、どこの組の出し物なのかわからなかった。だが、愉快犯のような集団がゲリラ的に行なっているものにしてはヤケに設備がしっかりしている。


「悪いな、隣いいかい?」


 いつの間にか、左隣で知らない中年男性が片手で謝りながら立っていた。ボサボサの髪に無精髭、そしてくたびれた薄いコートを着ている。ベルトの装飾だけがやけにギラギラしていて、かえって下品な印象を受けた。


 僕は、どもりながら反射的に「いいですよ」と答えてしまってから後悔した。席がほとんどスカスカなのに、どうしてわざわざ僕の隣に座るのか。危ない人じゃないと、いいんだけど。


「俺のこと知ってる?」


 危ない人だった。馴れ馴れしく話しかけてくる男に対し、身の危険を感じながら僕はおそるおそる答える。


「ええっと……どこかでお会いしましたか?」


 昔の友人の親御さんかもしれないという微かな期待を込めながら尋ねる。


「いやぁー、やっぱ知らねぇかぁ。ごめんなぁ」


 男は僕の問いには答えず、唇を尖らせながらため息を吐く。もし、彼がタバコを吸っていたなら煙がぴゅうっ、立ち上っていただろうと思われる勢いだった。


 少しの沈黙が流れた。いつの間にか前方に見える観客席がチラホラと埋まり始めている。僕たちが座っていたのは最後列だった。


「……俺な、売れない芸人なのよ」


 結局、男は語り始める。聞いて欲しいのか、欲しくないのかどっちなんだ。


「何回かテレビ出たこともあんだぜ。マイナーなネタ番組だったけどな。ホントに知らない? ファンタスティック虎太郎とらたろう


 変に話を合わせて深く突っ込まれるのも嫌だから、僕は正直に知らないと言った。


「やっぱ知らないかー……」


 男……ファンタスティック虎太郎なる人物は、もう一度ため息を吐く。およそコメディアンとは思えない陰気さだ。こういう芸風……ということは流石にないか。


「俺さ、今迷ってんのよ。ホーコーセーってヤツ? だからまぁ、こんなとこにまで来て、見るだけ見てみようかなと思ったわけ。本当に面白いなら、いいんだが」


 知らないよ。あなたの事情も、存在も。館の見せ物は、まだ始まらないんだろうか。


「ま、お互い苦労するよな、って話だ……おっ、そろそろか」


 気づくと観客席は、いっぱいになっていた。一介の高校生の出し物にこんなに人が集まるものだろうか。それにこの人たちは、いつ会場に入ってきたのか。


 観客席がいっそう暗くなるのと引き換えに、舞台にはより強く光が注がれる。


 そこには一人の子どもが立っていた。誰かの弟が友情出演でもしているのだろうか。


『ま、待ってー』


 男の子は転がるサッカーボールを追いかける。すると、何もないところで転んでしまった。彼は顔を上げて少しの間、呆然ぼうぜんとしていたが痛みに気づいたためか大声で泣き始めた。


 舞台の後ろにかかっているスクリーンにも泣き顔のアップが映される。大口を開けて叫ぶ彼の前歯は折れていた。


 フフフフ、と前の方の席から男の笑い声が聞こえた。不謹慎なヤツもいたものだ。どう考えても事故だろうに。その男の子の顔が小さいころの僕にどことなく似ていたせいか、ひどく不快な気分になった。


 まさか笑っていないだろうな、と思って虎太郎の方に目を向けたが、観客席の闇は思いのほか濃く、彼の表情はうかがえない。


 舞台の照明がいったん切られ、次に明かりが灯ると制服を着た中学生くらいの集団がこちらに背を向けて何やらモゾモゾ動いていた。何かを踏んづけているような仕草と、時々漏れるうめき声。最初は気づかなかったが、よく見ると倒れている男の子が一人いた。イジメの場面を切り取っているかのようだった。


 数人の男性の笑い声にあはははは、と女性の声も混じる。効果音ではない。観客席から聞こえてくる。なんなんだ、さっきから。劇だとしても、笑う場面じゃないだろう。


 リーダー格らしき男が一つ蹴りを入れてから、集団が去る。倒れていた男の子は起き上がり、腫れ上がった顔のまま呟く。


『……雑魚どもが』


 どっ、と笑い声が会場を包む。雑魚はお前だろうが、とでも言いたげなあざけりが蔓延まんえんする。頭が真っ白になりそうだった。あの顔は──。


 照明が明滅し、場面が変わる。


『ごめんね、ごめんね。あんな人と結婚しちゃったから……』


『母さんは悪くないよ。僕、高校卒業したら働くからさ。そしたらクソ親父のいないところで暮らそう』


 母さんが力無く頷く。今こうして見ると、僕の言葉はちゃんと届いてなどいなかったのだろう。


 また照明が消え、再び点灯する。舞台には転がった椅子と天を仰ぐ僕。その視線の先には首を吊った──。


 ぎゃはははは、いひひひひ。狂ったような笑い声の中で、僕もまた狂いそうだった。


 やめろ、笑うな。


「僕の人生を──笑うなッ!」


 会場全体が、明るくなる。舞台の上の僕も、母の遺体も、観客も、みんな、みんな青白い顔で僕を見つめていた。


「あ……」


 確信した。役者も、観客も、人間じゃない。人でなしという意味じゃなく、この世のものではない。そのことを肌で感じ取った僕は怖気付おじけづいて言葉がでなくなる。


 その様子を見たからだろう。観客たちがまた笑い出す。彼らだけでなく舞台の上の僕も、母も。怖くて、悔しくて、僕は──。


「──くだらねえ」


 僕のすぐ隣で声が聞こえた。


 ファンタスティック虎太郎。


 彼だけは、僕ではなく観客と舞台に向かって冷めた視線を投げていることに、この時初めて気づいた。


「スベり倒してるぜ、てめえら」


 虎太郎が立ち上がり、僕の頭に手を置く。


「いい機会だ。少年にも、てめえらにも教えといてやる。たとえ俺みたいな面白くないヤツでも……


 周りにいた観客たちが笑いながら僕たちに向かって飛びかかる。もうダメだ。殺され……。


「──変身」


 暖炉に揺らめく火の周りのように柔らかく、暖かい空気が僕を包む。知らず知らずのうちに閉じていた目を開けると、襲いかかってきた観客たちは燃える火のような何かをまとってのたうち回っていた。


Faaaaaantasticファァァァァァンタスティック!」


 虎太郎のベルトから機械音声と陽気な外国人を混ぜたような声が聞こえ、バックルが目まぐるしく回転する。


 次の瞬間には、虎柄のスーツと鎧を折衷せっちゅうしたような衣装に彼は身を包んでいた。そして、仮面越しからでもわかるような優しい視線を僕へと注ぐ。


「俺は、ファンタスティック虎太郎。お前の、過去も、未来も、絶対に笑わせねぇ!」




「俗に言う陰陽師おんみょうじみたいなヤツなのよ、俺」


 陰陽師? どちらかと言うと──というか、どう見ても──いや、言うまい。


 外に出ると、すでに夕方になっていて『死ぬほど面白い館』は跡形も無かった。どうして今まで気づかなかったんだろう。ここは校庭だ。地下施設なんて作れるはずがない。


「本当は芸事に専念したいんだが、家の関係でな。こうやって慈善事業で悪霊払うわけ。少年、最近気が滅入ってたんだろ? だから、ああいうヤツらのエサになりかけたわけだ」


 よかったな、俺がいて。と彼はまたワシャワシャと僕の頭を撫でる。実際、感謝はしているけど、こういうのはやめて欲しい。


「で、でも、お礼に何をすれば……」


「おー、真面目だなぁ少年。そんならお言葉に甘えて一つ」


「ぼ、僕にできることにしていただけると助かります」


「そんならさ──笑ってくれよ」


 そんなことでいいのか? 僕は拍子抜けした。


「慈善事業だ、っつったろ。スマイル0円。いい言葉だ。笑顔には金で買えない価値がある」


 こうですか、と僕は表情筋を動かしてみる。自然でない笑顔は意外と難しい。


「オッケー、そんならとっておきのギャグを披露してやろう」


 ファッ、ファ、ファファファファファンタスティッ〜〜ク、と言う間延びした声を出しながら虎太郎はクネクネと踊る。全く面白くない。


 いつもの僕なら、きっと表情も感情も少しだって動かなかったろう。でも、今踊っているこの人が、僕を助けてくれた陰陽師だと思い出すと何だか不思議な笑いがこみ上げてくる。


 僕は馬鹿馬鹿しくなって叫んだ。


「……くっだらねー!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ファンタスティック虎太郎と僕 犬鳴つかさ @wanwano_shiba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ