第二部 第10章―6
ぐにゃと、踏み出した足が予期せず地面に取られた。杖の先端に灯したルーモでは先を見通すこともできない。まるで闇が光を食らっているかのようだった。
――ここが、泉……?
ハルヒコはアルバロの指し示した場所へやって来た。傍らにはカナの姿もある。
ミスリルの杖を高くかざす。わずかにルーモで照らされる範囲が広がったが、嘆きの泉の全容をうかがい知ることは到底かなわない。
――いや……。
これが本当に泉なのだろうか――。
精霊の女王が生まれる場所と、麗しい説明文で飾られていた。だが、ハルヒコにはどうしても、嘆きの泉という名称からくるイメージと目の前に広がる光景とを――と言っても、ほとんど足元と手の届くような範囲でしかなかったが――頭の中で一致させることができなかった。
ルーモに照らされた地面は、ぬかるんだ粘土質の土で覆われ、雑草のひとつも生えていない。何かが腐ったような臭気も微かに感じとれる。とても泉と呼ばれる情景にはそぐわない。
――場所を間違えたんじゃないだろうか……。
ハルヒコはあらためてルーモの詠唱を試みた。杖の先端に複数の光球が生じていく。ハルヒコはそれらをフラーモのように――火球を飛ばすように――眼前に広がる闇に向けて撃ち放った。
光球は三方に分かれて地面を照らしていく。その光跡をたどって、ハルヒコはようやく嘆きの泉の全容を捉えることができた。結果、理解する。
――やっぱり、ここは泉なんかじゃない……。
そんな美しい響きとは無縁の様相を呈していた。醜悪な有様を恥ずかしげもなく、さらけ出していた。
沼地だ――。
しかも、ひどくおどろおどろしいと形容するのがふさわしい。
沼のいたる所で、ごぽごぽっと時おりあぶくが弾けとんでいた。底に沈んだ動物の死骸からわき出た腐臭の泡だろう。底なし沼と言われても誰も疑わない。
――こんなところで精霊の女王が生まれるのか……。
すべてのものが朽ちはて、命がその最期にたどり着くような、こんな悲しい場所で。
だが一方で、アルバロの言っていた女王の成り立ちを思い返せば納得のいく光景であったかもしれない。
はたして、アルバロは精霊の女王の悲しき運命をどう語ったのであったか――。
森を統べる精霊は、カナをやがて精霊の女王になる者とのたまった。また、この嘆きの泉で新たな女王が生まれるとも。
当然、ハルヒコは混乱した。
『……いったい、それはどういう……。私にはその話を上手く理解できないのですが……』
『彼女は、淀んだ大地に、澱んだ心が寄り集まって生まれてくるのです。それゆえ、その本質は不浄さの根源として、この世に顕現することになりましょう』
ハルヒコはさらに頭を抱えた。
『すみません……私にはあなたが何を言っているのかが分からない……。もう少し、かみ砕いて説明してもらえないでしょうか』
アルバロは感情に含みを持たせることもなく、淡々と語り続けた。
『あなたは、すでに知っているのですよ。彼女が産みおとされたとき、この世界にいったい何が起こるのかを。不浄さは結晶となり、病いの種となり、この世に病いを流行らせます――』
ハルヒコの背中をぞくっと何かが走った。確かに自分はそのことをよく知っている。それどころか関係者として深く関わってしまったのではなかったか。
このアクラ国で起きた、かつての悲劇。数万人の命が疫病によって奪われてしまった。
数百年の後に、踊りが誰よりも好きだった少女の魂は異世界から来た魔導士と邂逅し、ようやく天へと召されていったのだ。
『あのような疫病が、またこの世界に流行るというのですか!』
『女王が生まれればそうなるでしょう。彼女はただ存在するだけで多くの命をこの世から奪っていく。失われていく魂たちから、本当の愛を教えられるそのときまで……』
ハルヒコの頭はますます混乱していった。
――命を奪い、愛を知る……。
およそパズルにもなりえない矛盾だらけの事実が並べられていく。しかも、話はまだそこで終わりではなかったのだ。
『女王は世界を渡ります――』
――!
『あなた方が元いた世界も無関係ではいられない……』
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