記憶に残らない村で 記憶に残る味を知る

宿木 柊花

第1話

 冒険者は希望を胸に、はじまりの村から一つ二つ村を経てここへたどり着く。

 王都や魔王城への道程の中間でもなければ目立つ施設があるわけでもない。

 特筆すべき要素が何一つないどこにでもある平和な村である。

 ここは村。




 その村で一番安い酒場にきた。


 金欠なのだ。


 食事を頼んで数分、喧騒の中を飛び交うビール樽を華麗に避けながらウエイトレスはスープを一滴もこぼすことなく運んできた。

「ありがとう」

「言葉よりチップがほしいわ」

 ごめんよ、そう答えるとウエイトレスは無言でニッコリ微笑んだ。目は笑っていない。


 凸凹デコボコとした古いテーブルに具沢山のスープ【ケンチー】と細長い【うどん】と呼ばれるものが出てきた。

 匂いだけで腹の虫が暴れまわる。

 スープは多種多様な野菜やキノコが見受けられ、スープよりも具の方が多いという腹持ちの良さそうな料理だ。

 それにしても食べきれるのか不安になる量だ。これでいて肉や魚が具材に入っていないとは驚きだ。

【うどん】というのは料理名。これは遠い昔に召喚された【ニホンジン】が故郷の味を食べたい、と国を滅ぼす勢いで暴れた結果できた料理と伝えられている。王都では忌まわしき料理としてタブーとされる。

 辺境の地でも王都でも食べられないこの中途半端な村だからこそ食べられる逸品。


 湯気を肺で食すとその美味しさに胃腸が盛大に唸りをあげた。

「いただきます」

 濃い琥珀色のスープを一口。独特な香りと塩味を野菜の甘いエキスが包み込んでいる。

 この独特な香りは【ニホンジン】がもたらした【ダシ】というものらしい。

 その昔、乾燥させた魚の半身が忘れられて倉庫の端で白カビをまとっていたのを見た【ニホンジン】が細かく砕いて作り出したという。

 不思議と懐かしい気持ちになる香りだ。

 ゴロゴロとした野菜はよく煮込まれていて舌で潰れる柔らかさ。噛めば野菜から優しいスープが溢れだして溺れそうになる。


【うどん】を一本摘まむ。小麦粉と水を練ったものとは思えない弾力に少し警戒する。

 小麦粉と言えば練って焼くもの。パン。焼き色がないということは焼いていないという事で、生なのだろうか?

 小麦粉の生は消化に悪くてお腹に悪いと、おばあちゃんが言っていたな。

 大丈夫なのだろうか。白く紐のような物が果たして本当に食べ物なのか、いまだに信じられない。よく見ると半透明をしている。

「焼き色がないけどではないよな?」

「大丈夫よ、それは茹でてあるの」

 どこからともなく現れたウエイトレスが答えてくれた。手には大量の空のジョッキや大皿を持っている。大変繁盛しているようだ。客の顔触れもいつの間にか入れ替わっていた。

「いただきます」

 意を決して、ちゅるん。

 信じられないほどもっちりとした歯応え、噛めば噛むほど小麦の香りと旨味が広がっていく。喉越しが滑らかだ。

あんちゃんそれ初めてか? スープにそのヒモを入れてみろ、うっめーぞ」

 酔っぱらいに絡まれた……。

 ただスープとも合いそうだ、とは思う。


 スープに【うどん】を数本取り、浸す。スープをまとうと一変し、妖艶に輝きだす。

 とぅるん!

 これはなんと言えば良いんだ。

 スープが絡んでお互いに美味しさを引き立てあっている。スープは小麦粉の甘味でよりまろやかで甘くなり、【うどん】はスープの複雑な味わいで小麦粉の風味を増している。

「うまい」

 その一言に尽きる。


 それからは無心だった。周りの目も気にせずに食らいつく。

 スープの具材を半分くらい食べた頃、丸まったうどんを一つ入れてほぐす。ほぐれたうどんはよく見ると太さはバラバラでそれがまた歯応えの違いを生んで、うまい。

 服が汚れるとか考える間もなく思いっきり啜った。暴れるうどんが頬を叩いても気にならなかった。


 気付けば器は空になり、あんなにあったスープも何も残っていない。自分の食欲が恐ろしくなった。

 はち切れんばかりに膨らんだ腹を撫でながらウエイトレスを呼ぶ。

「いくらですか?」

 ウエイトレスは酔っぱらいからのセクハラの手を避けながら踊るようにやって来た。

「チップはアリ?ナシ?」

 満面の笑みだが、目が金のマークだった。

 ごめんよ、と言って銭袋をひっくり返す。なけなしの銅貨と銀貨が数枚転がり、仕上げに埃が落ちた。

 ウエイトレスは舌打ちして銅貨数枚を持って行く。安すぎないかと不安になる。

「足りるの?」

 と聞いたがウエイトレスは振り返ることなく店の奥に消えていった。


 店を出ると久しぶりに故郷に帰りたくなった。

 これは【ダシ】のせいなのか。

 それとも、どの村にも似ているこの村のせいなのか。

 早く帰っておばあちゃん特製の干し魚料理が食べたい。今はただそれだけを願う。


 故郷に帰ったらこの村の【うどん】の話をしよう。

 野菜やキノコで溢れんばかりのスープで練って伸ばした【うどん】を茹でて食べる。練った小麦粉がモチモチしていることを故郷の人々は誰もまだ知らないだろうな。干し魚の端切れが本当に美味しい【ダシ】になることをおばあちゃんに教えてあげよう。

「あー、楽しみだ」

 言いたいことをメモして村を出る。



 ここは村。


 どこでもありそうで、どこでもない。

 村を出るとこの村の事を忘れてしまう。

 思い出すにはまたこの村に来なければならない。想起するためのスイッチはどこにでもある。

 しかしそれは他の村の記憶をも想起させ混在し、決して浮上しない。


 故にことになる。

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