剛濫の憂い
秋葉鈴香。
秋葉神社の神主、秋葉俊彦の一人娘。
陰陽師を父に持つも、陰陽術の才には恵まれず、父俊彦の方針から祈祷師の修行も受けていない。
性格は、一言で表すとすれば、小悪魔のような人。しかしその一方で、父譲りの高い包容力を持つ。
鬼化した僕を全く恐れない、とても不思議な人――
依頼場所である祠のある社へ向かうバスの中、るいはちらりと隣に座る鈴香に視線を向けた。
あの後、結局鈴香の勢いに負けたるいは、お清め中は自身の指示に従う事を条件に、同行を許した。
その後依頼主にも電話で事情を説明し、無事承諾をもらうことができたので、今こうして隣にいるわけなのだが――
『しかし、まさかあの姉ちゃんが同行を申し出るとはな』
――僕も驚いたよ。鈴香さんが僕の仕事に同行するなんて、初めて興円寺の仕事を受けた時以来、一度もなかったから
『何か、思い当たる事はないのか?』
――それが、全く
実際、この状況に一番困惑しているのは、るい自身なのだ。
最初は、お札の件が原因かとも一瞬考えたが、それはすぐに選択肢から消えた。
確かに鈴香はお札について、あまり良く思っていない。
できるなら使って欲しくはない、という本心も知っている。
だがこのお札がなければ、るいがどうなるのか。
その光景も、鈴香は一度目の当たりにしていた。
故に快く思ってはいないが、一方で必要なものだとも理解しているのだ。
『この際、姉ちゃんに直接聞いてみてはどうだ? 存外、素直に答えてくれるやもしれんぞ』
――そうはいかないよ。もしそれが言いにくいことだったなら、気まずくなる
『だがな、坊主――』
――剛濫
るいの一言に、剛濫の言葉は遮られる。
――鈴香さんのことだから、きっと何かあるんだよ。だから、これ以上詮索するのはやめよう。……この程度のことで、迷惑は掛けたくないよ
結局るいのその言葉に、剛濫は押し黙るしかなかった。
いつも誰かの気持ち優先し、自分の本音は押し殺す。
誰かが傷つくくらいなら、自分ひとりが傷つけば良い。
そしてそれが一番平和な解決策だと、るいは考えている。
当然、本人にその自覚はない。
だが一方で、るいが鈴香や俊彦と未だ家族に成り切れていない原因が、正にこれだった。
家族になりたいと本心では願っているのに、一方で距離感が掴めず、結果相手の気持ちに配慮しすぎて、行動を躊躇い自身を押し殺す。
――正直、見ていられん
現状のもどかしさに、思わずため息が漏れた。
剛濫自身、共に在る者としてこの現状をどうにかしてやりたい。
るいとて、剛濫が相手なら、自分の意思をはっきり言えるのだ。
ならば、きっと些細なきっかけさえあれば、鈴香達に対しても剛濫の時と同様に、自分の意思をきちんと言えるようになるはずなのである。
――此度の縁が、そのきっかけとなれば良いのだがな……
剛濫は暗き空間を見上げながら、そう願うのだった。
目的地近くでバスを降りると、停留所では今回の依頼主が迎えにきてくれていた。
依頼者の名は
彼は協会からの委託を受けて、件の社を管理している地元の有志らしい。ちなみに普段は、工務店を営んでいるのだそうだ。
無人の霊場は、通常近隣の霊場に務める神主や住職が、それぞれ管理をしている。
しかし、それらの手が回らない小さな霊場は、知己のある有志に管理が委託されることが多いのだ。
実際彼も、昔は祈祷師の修行をしたことがあり、穢れ程度であれば、それなりに感知できるのだという。
社の管理も、その縁で行っているそうだ。
「それはすごいですね」
「とはいえ、結局それ以上の才は伸ばせず、祈祷も簡単なお清めを齧った程度ですよ」
そう言いながら、欅田は苦笑する。
しかしその祈祷の術を取得するにも、相応の修練が必要となる。
故に、術があるだけでも貴重なのだ。
「それで欅田さん。今回の依頼についてですが、改めて仔細を伺っても?」
「ええ。あれは、ちょうど二週間前になります」
そういうと、欅田は移動しながら、詳細を教えてくれた。
事の発端は2週間前。住宅街の片隅に古くから立つ社に祀られていた御神体が、盗難に遭った。
御神体は古い神鏡で、江戸時代からあの社に祀られていた代物だったという。
警察による現場検証も行われ、被害届も受理された。
その後しばらくは、特に変わった様子もなかったのだが、ある日、いつものように社の様子を見に行くと、境内に悍ましい量の穢れが溢れていたとのことだ。
「それは、妙ですね」
るいは首を傾げた。
御神体は、穢れの浄化装置であり、旅立つ霊たちの道標だ。
当然それがなくなれば、自然と穢れは溜まり、怨念も増える訳だが――
「通常、御神体が無くなってから、穢れや怨念の影響が出始めるまで、数週間の期間を要します。無論、全く影響がないというわけではありませんが」
「影響が出ていない期間中も、穢れが溜まっていくから?」
鈴香の問いに、るいは頷く。
「ですが今回の場合、御神体が無くなってから異変が起こるまで、数日しか経っていない。伺っている規模から考えても、あり得ないことです」
「つまり、今回の異変には、何か別の要因が絡んでいると?」
「恐らく、そうでしょうね」
欅田は不安を露わにした。
御神体の喪失に、数日で起きた異変。そして、祈祷師が対処できない規模の穢れの量。
その場合、真っ先に浮かぶのは、妖怪の類だが――
『その可能性は低いだろうな』
答えたのは剛濫だった。
――やっぱり、そう思う?
『妖の類であれば、力を取り戻さんとする過程で、何かしらの痕跡が残るはず。だが話を聞く限り、そういった類の事件は起きていないと見える』
るいは欅田に確認すべく、口を開く。
「欅田さん。盗難事件から異変が起こるまでの間に、何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと、ですか?」
「はい。例えば、殺人事件が起きたとか、怪異が出ただとか」
「いえ。そういった類のものは、特にありませんでしたね」
蛇女事件の際は、御神体の封印から解き放たれた妖怪が、妖力を取り戻すために人を襲い、巷では吸血鬼殺人事件として噂になった。
しかし今回は、そういった類の事件は起きていない。
となると、やはり妖怪が糸を引いているという線は、限りなく低いだろうか。
すると、欅田が何かを思い出すように「そういえば……」と口を開いた。
「幼い頃に、社を管理していた先代から聞いた話なのですが」
「はい」
「祠の神鏡には、悪しき獣が僧正によって封じられたという逸話があったとか――」
「……」
その瞬間、るいの脚が止まった。
「るい君……?」
突然のことに、鈴香は心配そうにるいの顔を覗き込む。
見開いた瞳に、開いたままの唇。その表情は、明らかに驚愕のそれだった。
祠の御神体、悪しき獣、僧正――
るいの中で、それらが一本の線へと繋がる。
「……欅田さん、地図はありますか? できれば、紙媒体の」
「え、ええ。それなら持っていますが……」
そういうと、欅田は鞄から持参していた地図をるいに差し出す。
落ち着きを取り戻したるいは、それを受け取ると懐から自身のスマホ取り出し、何かと見比べ始めた。
「それは……?」
「四百年前の江戸全体を記した地図です。協会のデータベースから拝借しました」
そこには、明らかに古い時代のものと思しき資料の画像が写っていた。加えて画像の上から、いくつかの箇所に赤色で「×」と印がついている。
『やはり、そういうことか』
剛濫も、どうやら気付いたようだ。
るいは頷くと、ひとつの確信を彼らに告げた。
「その社は、守護結界の楔となっていた場所のようです」
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