そして縁は結ばれる

 それからしばらく剛濫と会話をしていると、不意に病室の扉からノック音がした。

 一瞬義父が訪ねてきたのかと思ったが、彼は夕刻に顔を出すと先ほど鈴香が言っていた。もしかして、鈴香が忘れ物でもしたのだろうか。

「どうぞ」とるいが声を掛けると、その扉がゆっくりと開かれる。そこにいたのは、なんと美空だった。

「こ、こんにちわぁ……」

「あれ、お姉さん。どうして」 

「あ、うん。君がここに入院しているって、協会の人に教えてもらってね。ずっと気になってたから、学校の帰りに寄ってみたの」

 そういって遠慮気味に話す美空は、確かに制服姿だ。

「そうだったんだ。あ、そんなところで立ち話もなんだし、どうぞ」

 るいの言葉に促され、美空は病室へと入る。そしてそのまま、近くの椅子へと腰を下ろした。

「体調の方は、もう良いの?」

「うん。怪我とかもないから、明日には退院できるって」

「そっか。よかった」

 美空はホッと胸を撫で下ろす。

「そういえば鈴……姉さんから聞いたよ。なんか僕が倒れた後、色々お世話になっちゃったみたいで」

「気にしないで。君の忠告を聞かずに帰らなかったのは私だし。それに、倒れた恩人を放置するできる程、私だって薄情じゃないわよ」

「でも、元はと言えば、僕の不注意で巻き込んじゃった訳だしさ」

「それだって、不用意にお寺へ入った私にも責任があるわよ。それに君は、あの蛇から私を助けてくれた。だからお相子よ」

 そういって、明るく笑いかけてくる美空。

 あのような目にあったというのに、あの姿を見たというのに。彼女は臆するどころか、ただ真っ直ぐにこちらへ誠意を向けている。

 そこには、るいが恐れる恐怖や奇異など、微塵もなかった。

『きっと大丈夫よ、ね?』

 先刻、鈴香に言われた言葉が、脳裏を過ぎる。

 ーーうん。そうだね、鈴香さん

 るいは心の中でそう呟くと、微笑む美空に笑みを浮かべた。


 それからしばらく、たわいもない談笑をしていると、不意に美空が疑問を口にした。

「そういえば、あの蛇って結局なんだったんだろう?」

「あの蛇って、君を襲ったやつのこと?」

 るいの問いかけに、美空が頷く。

 協会に保護された後、自分の身に起きた出来事について、協会から簡単な説明は受けていた。しかし、あの蛇については結局教えてもらえなかった為、帰ってからも気になっていたのだ。

「あれは呪詛といって、妖怪の使い魔なんだ。基本的には主人に連なる姿を取るから、今回はそれが蛇だったって感じかな」

「へえー。あ、じゃあ君が祓ったっていう妖怪も、蛇みたいな奴だったの?」

「んー、そうだなぁ……」

 これ以上詳しく説明して良いものか、るいは少し悩んだ。

 妖怪について教えること自体は、特に罰則があるわけではない。過去には、妖怪絡みの事件をきっかけに、祈祷師や陰陽師を志した者もいると聞く。

 巻き込まれた以上、関わったことについて知る権利はあるだろう。しかし妖怪の事象には、ほとんどの場合で死が絡んでくる。関わり合いを持たずに済むなら、それに越したことはないはずだ。

 とは思うものの……

 るいは、ちらりと美空を見た。

 きらきらと眼を輝かせながら、こちらを見つめる好奇心の眼差し。

 ――まだかな? 早く早く!

 そう、視線で訴えられている気がする。

 ……これは、途中でやめたら、後が怖いかもしれない。

 るいは困ったように肩をすくめると、そのまま話を続けることにした。

「……君を襲った妖怪の名前は、蛇女。文献によっては濡れ女ともいわれてる、蛇の妖怪だよ」

「それって、どんな妖怪なの?」

「そうだね。古来から怨みを持ったり、溺れ死んだ女性が転じた妖怪とされていて、水辺に近づいた者を襲って喰らうっていわれてる」

 その瞬間、美空の表情が固まる。

「……喰うってもしかして、食べるの……?」

「種類にもよるけど、基本はね」

 その言葉に、美空の顔からさっと血の気が引いていくのがわかった。

 これは、言わない方が良かっただろうか。

「ごめん、脅す気はなかったんだ。確かに昔なら肝を冷やすことだけど、今の時代では妖怪に遭遇すること自体稀だから」

「そ、そうなんだ……」

 それを聞いて、ホッと胸を撫で下ろす美空に、るいも安堵する。

 配慮が足りなかった。いくら稀といっても、彼女は昨日その稀な事態に遭ったばかりだ。

 もしあの時、自分があそこにいなかったら。そう考えると、恐怖することなど目に見えていたというのに。

 正直なところ、るい自身も一般人に妖怪の話をすることは滅多になかった。今度からは、もっと相手への配慮を心がけようと反省した。

「あれ? でもその蛇女って妖怪は、水辺に現れるんだよね? だったらどうして、あのお寺にいたんだろう」

「それについては、概ね検討がついてるよ」

「本当?」

「うん。あのお寺にあった御神木、覚えてる?」

「それって、落雷で焼け落ちたっていう?」

 その問いに、るいが頷く。

「あの御神木には、数百年前にある妖怪が封じられたっていう記録があったんだ。どういう経緯で封じられたのかは教えられないけど、今回その御神木が焼け落ちてしまったことで、その封印が解けてしまったんだと思う」

「そうなんだ……」

 あの木に悪い妖怪が封じられているという逸話は、美空も以前から知っていた。経緯を教えられないというのも、きっと秘匿にしなければならないような出来事があったためだろう。

 美空としては気になるところだが、これ以上の詮索は彼にも迷惑をかけてしまう。ならば、ここは大人しく引き下がるべきだろう。

 少し残念そうにする美空。そんな彼女の顔が面白くて、るいは思わず笑ってしまうのだった。



 病室に差し込む陽光が少し西へ傾きだした頃、美空が暇を告げた。

「そうだ。今度、助けてくれたお礼にお菓子を作ってくるよ」

「え、良いの?」

「もちろん。それに私、こうみえてお菓子作り得意なのよ」

 そういって自慢げに語る美空。実の所、るいも甘とかんいものが好物なので、この申し出は素直に嬉しい。

 ところが次の瞬間、何かを思い出したのか、美空が「あ……」とバツの悪そうな声を漏らした。

「どうかしたの?」

「そういえば君、明日退院だったよね……」

 そういえばそうだった。

 退院してしまえば、彼女がお礼を渡す機会がなくなってしまう。そのことを失念していた。

 しかし、せっかくの厚意をこのまま無駄にしてしまうのは、るいとしてもなんだか忍びない。

 ――そうだ!

 るいは「ちょっと待ってて」といって、き出しから紙とペンを取り出すと、紙に何かを書き記しそれを美空に渡した。

「これ、僕の家の住所と連絡先。もしまた霊とか妖怪絡みで困ったことがあったら、いつでも相談してよ」

「ありがとう。それにしても、陰陽師って除霊とかもするんだ」

「正確にはお清めかな。除霊とは少し違うけど、似たようなことはできるかな」

 その言葉に、美空は「へえー」と感心した様子をみせた。

「それじゃ、近いうちにお礼を持って遊びに行くね。えっと……」

「……るい。秋葉るいだよ」

「るい君、ね。それじゃるい君、また近いうちにね」

 そういって病室を後にしようとするも、大事なことを思い出し、立ち止まった。

 一番大切なことを、まだ言っていなかったのだ。

「私は春野美空だよ。本当に、助けてくれてありがとう。またね、るい君」

 そして美空は踵を返すと、笑顔を向けるるいに背を向け、今度こそ病室を後にして行った。



 美空が帰り、また病室でひとりとなったるい。そこには、先程までの賑やかさが嘘の様に静寂な時が流れていた。

『しかし、賑やかな嬢ちゃんだったな』

 剛濫の言葉に、思わず苦笑いが浮かぶ。

 確かに彼の言う通り、美空は明るくて賑やかな人だった。同じ年頃の人達は、彼女のような人が多いのだろうか。

 るいは、鈴香以外の同年代と交流したことがあまりない。そのせいか、楽しい時間ではあったけれど、慣れないことをしたせいで、少し疲れた気がする。

『しかし、会ったばかりの女子おなごに好かれるとはな。ついに坊主も、モテ期が到来したか?』

「そんな訳ないでしょ」

 からかってくる剛濫を軽くあしらい、るいら窓の外へ視線を向ける。


 世界には、見えない流れ、理がある。

 その移ろう流れに身を委ねた時、流れは出会いという新たな縁をもたらす。

 この穏やかに過ぎゆく日々の中で、果てしてこの縁が、この先自分にどんな流れをもたらすのだろうか。


 それはきっと、穏やかなのに何処か賑やかな、楽しい日々になる気がする。

 そんな訪れるであろうまだ見ぬ日々に、るいは少し心を躍らせるのだった。

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