流転方陣
るいは、意識の世界にいた。
上も下も分からない、どこまでも続く暗闇の世界。そこに佇むのは、当然るいひとりだ。
陰祷師は普段、内なる妖怪を己の支配下に置いている。そのため、意識や身体の主導権を宿主が譲渡しない限り、妖怪の意識が表に出てくることは基本ない。
そして今、るいは一時的にだが、剛濫にその主導権を譲渡していた。
これからるいが使おうとしている術、その準備が完了するまでの時間を、彼に稼いでもらうために。
るいは眼を閉じると、意識を集中し、墓地に漂う霊脈を探った。
霊脈は、霊的なもの。それ故に、肉眼で捉えることができず、特殊な修行を積まなければ、感じ取ることもできない。
しかし、るいにはそれができた。今やそれができるのも、るいを含めほんの一握りしかいない。
そして、今から使おうとしている術を扱えるのも、今となってはーー
流れ感じよ、理を。
捉えて掴め、そして御せよ。
その力、即ち『流転』なりーー
修行時代、何度も恩師から言われた言葉が、脳裏を過ぎる。そして、るいは霊脈を捉えた。
ーーあった……
霊脈は、剛濫が戦っている位置から、少し離れた所にあった。多少距離はあるようだが、この程度なら術の範疇だ。
『臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前ーー』
るいは霊脈を中心に、周囲に九字の印を刻んでいく。そして、最後の印を結び終えると、九つの印を起点とした方陣が形成された。
『よしっーー剛濫!』
「ようやくか!いけ坊主!ぶちかませぇ!!」
その瞬間、るいの瞳は紅から再び黒へと変わった。
眼前には、こちらへ迫る蛇女の姿。この距離、この位置なら、いける!
「ヲン!」
るいの叫び声と同時に、方陣が光を放ち始め、蛇女の動きが止まった。
突然の事態に、蛇女はなんとか動こうと悶えるも、まるで金縛りにでもあったかのように、身体を動かすことができない。
対象は捉えた。ここからは、完全な力比べだ。
“全の理を楔とし 森羅万象は流転する
器は地へと 命は天へと
あらゆる流れは流転する
邪なる者 我は乞う
破邪の楔を標とし
流転の先へ 流れんことを
水面を総べし紅蓮華よ
流れ導け 彼岸の岸へ”
そして、言霊を紡いだるいは、刀を勢いよく地面に突き立て、唱えた。
「流転方陣 “彼岸流艶”!」
その掛け声と同時に、方陣から放たれた眩い光が、墓地を覆った。
その光の中で、蛇女は必死に抵抗を試みるも、方陣に力を奪われ、思うように動くことができない。
それでもなんとか抗おうと、もがき苦しむ蛇女。そんな彼女を逃すまいと、るいは方陣に更なる力を込める。
それから、どれほどの攻防が続いたのか。
やがて蛇女の姿は、断末魔のような悲鳴とともに、方陣の光の中へと消え去っていった。
方陣の光が完全に消えた後、るいは被っていたフードとマスクを外し、大きく息を吐いた。
流転方陣 “彼岸流艶”。彼の愛刀、彼岸流艶に刻まれた、るいの切り札といえる術。
彼岸流艶は、平安の時代、陰陽師によって鍛えられたといわれる刀。その刀本体にも強い陽の力が宿っているのだが、この刀の真の力は、そこに刻まれた術そのものにある。
彼岸流艶は、自らを楔として、怨念を霊脈へ流す力を持つ。
この力によって霊脈へと流された怨念は、そのまま流れの先、彼岸へと送られる。
流転方陣は、その性質を利用することで、此岸に巣食う怨念や妖怪を、強制的彼岸へ流すことが可能なのだ。
とはいえ、当然欠点もある。
まず、相手に術を破られないようにするため、対象をある程度弱らせなければならない。
霊脈を利用した術の為、周囲に霊脈の流れる場所でなければ使えない。
陣の形成に時間がかかる。
そして、術を維持するために、かなりの集中と気力が必要。
その為、今回のような状況で使用する場合は、十分な援護が必然となってくる。
るいが一時的に剛濫と入れ替わったのも、これが理由だった。
色々と想定外なことはあったが、これでもう蛇女の犠牲者が増えることはないだろう。
念のため、周囲の被害状況も確認してみるが、目視で見る限り、地面が少し焼け焦げ程度だ。このくらいなら、協会に後処理を任せても問題なさそうだ。
こちらには、色々と問題がありそうだが……。
あれから鬼化がさらに進行した影響か、るいの容姿はほぼ別人になっていた。
整えられていた髪は背中付近まで伸び、首筋は所々灰色の鱗が皮膚を覆っていた。爪や歯も鋭く尖り、それが異形さを引き立てる形となっている。
とはいえ、こうなることは事前に分かっていたことだ。それに鬼化が起きてしまっても、きちんと浄化させすれば、時間とともに自然と元の姿に戻るのだ。
この状態ではしばらくかかってしまうだろうが、今は人目もないはず。問題はないだろう。
ただ、装束の袖が所々破れているのは、別の要因のせいなのだが。
『しかし、今回は随分とやられたな』
「……半分は、豪快過ぎる剛濫が原因だと思うけど?」
『何をいうか。元はといえば、あの程度で鬼化なぞしおった坊主のせいではないか』
片方がああいえば、もう片方がこういう。憎まれ口の応酬。しかしどちらも事実であり、どちらも正しい。
「つまり、今回はお相子、かな」
そういって口元を緩めるるいに、剛濫は豪快な笑みで答える。
人目の届かぬ闇夜の死闘は、こうして幕を閉じたのだった。
死闘を終えてしばらく経った頃、小休止をしていたるいが、小さく背伸びをした。
「さて、妖怪も祓い終えたことだし、協会の人が来るまで、墓地のお清めも終わらせておかないと」
『おいおい、本気か坊主? まだ本調子ではないだろう』
「まあ、そうだけど……」
引き止めようとする、剛濫の気持ちもわかる。
妖怪を祓ったとはいえ、墓地には未だにたくさんの怨念が巣食っていた。更には興円寺のように、霊脈を通じて近隣の霊場にも影響が出始めている。
その点を考えると、るいとしては、霊脈本体に影響が及ぶ前に、これを対処をしておきたかった。
しかし今のるいは、先の戦闘で疲弊している上、鬼化もしている状態だ。
鬼化はいわば、半分妖怪のような状態。当然、通常に比べて怨念の影響も受けやすくなる。
彼がお清め中に怨念の影響を受けてしまう危険性は、十分にあった。
『どうせ協会の者たちが来るのだ。そっちに任せた方が良いんじゃないか? 』
「心配してくれてありがとう、剛濫。でも、そうはいかないよ。元々は、僕が自分から首を突っ込んだ仕事だし」
『しかしだな……』
「それにさ」
『?』
「何事も前向きに、でしょ? 剛濫」
坊主、それは前向きの使い方を間違えているぞ。と、剛濫は心の奥底で突っ込んでしう。
確かに、『何事も前向きに楽しく』が剛濫の信条だ。しかしるいは、時折その信条を変な所で発動させる。
単に根が純粋だからなのだろうか……。こうなると、もう意見を曲げないだろう。
剛濫から、小さなため息が漏れた。
そんなことなど露知らず、了解してくれたと判断したるいは、手持ちの道具を確認し終え、お清めに回ろうと歩き始めた。
だが、次の瞬間。
「!!」
突如として、かつてない衝動に襲われ、るいは頭を抑えた。
全身の血が沸騰したような、身体中から湧き出る衝動に、意識が飛びそうになる。
これは、間違いなく鬼化の進行だ。しかも、これまで彼が経験したことのない規模の。
だがおかしい。蛇女は祓い、元凶は絶った。それに、先程まではなんの兆候もなかったはず。
なのに、どうして鬼化が止まらない。
襲いくる衝動にどうにか抗おうとする。しかし、激しい動悸と頭痛で、次第に意識が遠のいていくのを感じた。
『おい坊主! どうした!? しっかりせんか!』
遠くから、心配そうに叫ぶ剛濫の声が聞こえて来る。しかし、最早それに応えることすら、るいにはできなかった。
やがて、全ての視界が漆黒に染まりーー
どうしてーー
るいの意識は、そこで途切れた。
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