ライムと真珠

肥後妙子

第1話 こだわりのサンドイッチ

 僕が短編ミステリーの名手であるウタドリ先生の秘書を、住み込みで務めるようになってから早くも半年がたった。秘書といっても雑用係に近い。電話の応対やメールの管理などもするけど、休息のためのお茶とお茶菓子を用意したり、朝、昼、晩の食事を作ったり、家政婦さんと秘書を足して割ったような仕事をしていてそれなりに大変だ。

 でも、お給料はなかなかいいし、先生も温和な人柄で食事の好みも別にうるさいわけでは無いから順調に仕事をこなす日々が続いていた。


 そう、食事の支度は楽といえば楽だ。朝食は丸い小さなミルクパン一個にゆで卵とカフェオレと決まっているし、晩御飯は魚中心の和食で時々お肉をお出しすればまず満足していただける。ただ晩御飯にはお米が食べたいとのこと。

 そして昼食。昼食は必ずサンドイッチだ。飲み物は紅茶。

 具は至極シンプル。ハムかスモークサーモンを使うのだが、その動物性食品の下に、ベビーリーフミックスをひとつかみ、先生に教えられた刻んだラッキョウとラッキョウの漬け汁少しを入れたライム果汁入りのドレッシングで和えた簡単なサラダを挟んで出来上がりなのだ。

「ラッキョウを入れるんですか?」

「そう。ピクルスのようなものさ」

 入れてみると思ったより美味しかった。西洋のピクルスより少し甘みが強いが、そこはライム果汁を多めに入れて中和するのがコツだ。

 僕が働き始める前は、ウタドリ先生自らこのサンドイッチを作っていたとのこと。


 今日の昼食時に、なんとなく僕は言葉に出した。

「先生、そのサンドイッチ随分お好きなんですねえ」

 ウタドリ先生はちょっとキョトンとした顔をしてサンドイッチを持ったまま僕を観たけどすぐに困ったように微笑んだ。

「うーん、まあ好きは好きだけどね。酸味のあるものは好きだし」

そういってウタドリ先生は伏し目がちにモグモグとサンドイッチを食べたのだった。

「さて、原稿も無事に仕上がったし、今日は私はゆっくりするとしよう」

「お茶のおかわり入れますよ」

「ありがとう」


 仕事が一段落すると、先生はラジオの音楽番組を聞きながらぼんやりするのがお好きなのだ。僕は先生の使った食器を洗った後、自分の分のサンドイッチをパクつくのだった。飲み物はミルクティーだった。

 今のソファに座って台所の僕に背中を見せたまま、先生が話し出した。

「私がそのサンドイッチを作り始めたのは君くらいの年頃だったな。いやもうちょっと若かったなあ」

「はい?えっそんな昔から?」

僕は口をモゴモゴさせながら答えた。ミルクティーを一口含んでみる。ウタドリ先生は還暦を過ぎた口ひげも髪も灰色の老紳士だ。それに対して僕はまだ二十六歳だ。


「黒ツグミパイの歌を知っているかね?」

「ああ、マザーグース」

「そうそう。私は大学生だったころ、夏休みに新幹線を利用したんだ。そこで黒ツグミの歌について話している声を確かに聴いた……様な気がする、んだけどね」

「ミステリアスな話ですか?好きだなあ僕、そういうの」

「それは良かった。では話すから聴いてほしいな。そのサンドイッチとも関係がある話だよ」


「あの頃の新幹線は顔が現在の新幹線の流線形の顔と違って丸顔寄りで可愛かったな。一人旅のために早起きをしたので、飛ぶように後ろへ行く窓の景色を見ながら私はうつらうつらし始めた。その時黒ツグミの話をしている声が聞こえたんだ」


 大学生時代のウタドリ先生は半分眠りながら聞き耳を立てていたとのこと。マザーグースの話が唐突に聞こえてきたので眠いながらも好奇心をそそられたのだろう。


 声は、若い女性の二人組らしかった。


「黒ツグミのパイは歌うんですってね。食べるために作ったのに歌っているのでは食べられないわ」

「黒ツグミならまだいいわよ。日本ではムクドリの言い伝えがあるのよ」

「どんな言い伝え?」

「ムクドリの千羽に一羽は毒があるのよ」

「まあ、怖いわ。食べたら大変ね」

「言い伝えよ。本当では無くってよ」

「怖いわ」

「では、楽しい話をしましょう」

「どんな?」

「真珠の話よ」

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