自殺計画手帳
@pranium
第1話
私の友人の裕子は、変わった子だった。
流行りものや遊びには興味を示さない。一日中、図鑑や小説をひたすら読み漁って、クラスメイトと話さずに静かにしている。黒い長髪のかわいらしい容姿であったが、いつも俯いて自分の世界に入り、何かしらを考えていた。
偏った性格をして、こだわりが強いことがあったが、基本的に純粋で素直ないい子だった。私はそんなところに惹かれていたのかもしれない。
私と彼女はお互いを唯一の友人としていて、放課後には二人で校舎を散策するのが日課だった。
その日は、柔らかい春の雨の日だった。
「ねえ、詩乃。」
誰もいない廊下で、彼女が小さい口を開く。
「わたし、もうやることないかな。」
「やること?」
いつものことだった。彼女はこういうふわふわした抽象的なことを好んだ。彼女は私の何百倍も物事を知っている。故に彼女は、自分の頭の中の考え全てを伝えることを面倒くさがって、感覚的な、主語の無いつぶやきをする癖があった。
そういえば、少し前、彼女に聞いたことがあった。知識をある一定量持ってしまうと、すべてがつまらなくなるらしい。
何かをしようとすると、持っている知識たちが予想を組み上げ始める。それが、あまりにも精巧に完成されてしまうため、楽しさの量を可視化できてしまうのだという。その楽しさの量は、決まって当初の予想よりも少ない。この繰り返しを経て、彼女は何かをすることや、感情を出すことを億劫に思うようになってしまった。
「わたしね、楽しくなりたいの。いっぱい。」
「そ、そうなの?カラオケでも行く?」
私はいつものことながら、彼女が透き通る声で変なことを言う状況に多少困惑しながらも、遊びに誘ってみた。
「だから、明日、自殺するの。」
「え?!」
私は最初、聞き間違いかと思ったが、すぐに本当だと分かった。純粋な彼女は絶対にこういう嘘はつかない。
「え、本気?明日?えっ?えっ?なんで?!」
私は急な暴露にパニックになっていた。
「ねえ詩乃。もう、遊び終わっちゃった。大学も合格したし、もう決めた。」
彼女が小さな手帳を開き、中を見せてきた。そこには、明日の13:00に”死ぬ”とだけ書かれていた。彼女は淡々と言う。
「場所は体育倉庫ね。ロープで首吊るから、詩乃、練習手伝って。」
「そんなの……嫌だよ。私……!!」
「そっちの教室でやろ。」
彼女は懐からロープを取り、教室の中に入った。あまりのことにあっけにとられていたが、私もあわてて彼女の後をついていった。
この学校の教室は、黒板の前のスペースが一段上がったステージのようになっている。彼女のような背低い子が黒板の上に手が届かないことを受けて、木製の横に広めのステージを置いているのだ。
彼女はその台に腰掛け、スマホを横にして、動画サイトで輪っかの結び方を見て、それの練習をし始めていた。
読者の方々は、私を最低の薄情者と思うかもしれないが、意外にも私は、一緒に動画を見てロープの結び方を勉強し始めたのである。当然、私は彼女には死んでほしくないし、死ねば大いに泣いて悲しむだろう。実際、私は先ほどまで心の中では止めようとしていたし、そのために教室に追いかけてきた。
しかし彼女が動画サイトを見ているところを見ると、明日起こることに全くの現実感を見出すことができなかった。いつものように、彼女と数学を解いてみたり、小説の読後感を話し合ったりすることの一環にしか見えないのである。私は唯一の友人を失う前日であるというのに、彼女の当然のような態度に影響され、日常の延長を始めてしまったのだ。
雨は激しさを増し、雷鳴が聞こえてきた。私は立ち上がって、半開きになっている窓を閉め、施錠した。私は振り返って聞く。
「輪っかできた?」
「できたけど……、多分ほどけちゃうな。」
「ちょっと貸してみ。」
私は裕子から輪っかになっているロープを預かった。それを思い切り引っ張ると、ズルズルと緩んでいってしまった。
「もう、力ないんだから~、これじゃあ全然死ねないよ。」
私は彼女の隣に座ると、動画を見ながら手本を見せるように結んでいった。
「ほら、たぶんここが逆なんだよ。」
……一体、このときの私は何をしているのだろうか。彼女には絶対に死んでほしくないのに、彼女の自殺が成功するように、親身に手を貸しているのである。
私はそれまで、彼女の希望にはなるべく応えるようにしていた。彼女が川で泳ぎたいと言えば川に連れて行ったし、将棋がやりたいと言えば夜まで付き合った。
それは決して彼女に気を使って合わせていたのではなかった。彼女が言う突拍子もないアイデアを、私は心から面白く感じていたし、彼女に着いていけば必ず楽しい体験が待っているという実績と信頼のあってのことだった。
おそらく私の脳は一種の狂いを起こしていた。今回についても、それと一緒だろうと誤認してしまっていたのかもしれない。だからこそ、ロープ結びをただの遊びの一部かであるように扱ってしまったのだろう。
いつの間にか、教室は大雨の轟音と、異様な薄暗さを持って、異界の空気を匂わせ始めた。私たちは、そんなスプラッターホラーのような教室で、笑いながら自殺の練習をしてしまっていたのである。
「裕子、今日うち泊まってく?誰もいないし。」
「でも……雨だし……いいの?。」
彼女は明日死ぬというのに、私への迷惑について心配していた。
「制服なんかはなんとかなるよ!お風呂も用意するからさ!」
こうして私は、彼女を直接家に招いた。
今思うと、私はなんと残酷なのだろうと思う。これによって裕子とその両親にとっては、今朝が最後の面会となってしまったのである。その時私がそれに気づいていれば、ためらって遠慮したかもしれない。どちらにしろこの時の私は、異常な心理状態であったために正常な判断ができなかった。
家に上がって荷物を置くと、せっかくだからと、私は裕子と一緒に風呂に入った。
初めて一緒に入って気が付いたが、彼女の身体は白く神秘的で、きめ細やかで傷の一つも見当たらなかった。この誰にも汚されていない身体を、彼女は明日、首への圧迫をもって捨てようとしているのである。
「そういえば、なんで死んじゃうの?」
私は今更、当然の疑問を投げた。裕子は入念に身体を洗いながら、ふわふわと答えた。
「わたし、嘘きらい。高校からは、特に嘘ばっかり。大学行ったら1人。楽しいの、もう終わった。」
裕子らしい答えだった。私はこれだけで理解できてしまった。
まず彼女は、いうなれば正直至上主義者である。どんな耳障り良い言葉も、善良な行動も、裏の意図が入るならば、彼女にとっては何の価値もない。嘘をつかれていることや、気を使われていることに不快感を覚えるのと一緒で、この世の中は彼女を苦しめる虚偽の言動にあふれている。この前、確かそんなことを言っていた気がする。
彼女によると、私にはその不快感が無いのだそうだ。高校を卒業すると、頭の悪い私は別の大学に行く。頭の良い彼女は、先生や親から上のランクへの受験を半ば強制されていた。その頭の良さ故に、その後の人生の展開を完全に予想出来てしまったのだろう。
そんなことを考えていると、彼女は申し訳なさそうに口を開いた。
「詩乃……、ここでおしっこしていい?」
「別にいいよ。シャワーで流せばいいし。」
読者の方々には理解しかねるかもしれないが、これは私たちの間柄では、不思議ではない。彼女は尿意さえも、あまり我慢したがらない。そして私も彼女の粗相については、本気で”別にいい”と思っている。
もし、ここで私が一つでも嫌な顔をして、尚且つ「いいよ。」と言えば、彼女はここから出て行ってしまうだろう。それはおそらく嘘だからである。ここでは、彼女の正直至上主義と、私のアブノーマルとも言える価値観ががっちりとかみ合って、関係性の歯車を回している。
裕子は泡泡の身体で、座ったまま放尿を始めた。浴槽の壁にぶつかった飛沫が、彼女の下半身の泡を洗い流している。
私は飛び散る尿を見ながら、明日から彼女が居ないことを考え、物思いに耽っていた。
風呂から出て、ゲームなどをしていると、もう11時になっていた。一緒の布団に入ると、話は自然と明日のことになった。
「あと半日だね。……ほんとにやるの?」
私はこんな感じで軽く聞いてみた。
「うん。」
「なんで明日なの?」
「なんとなく。決めた。遠いほど、しんどい。」
「私ひとりになっちゃうじゃん。ずるいよ。」
「……。」
「裕子ほどじゃないけど、私も変わってるからさ。絶対友達新しくできないよ。」
「……。」
「そうだ。他人が嫌ならうちに住んじゃいなよ。学校も行かなくても大丈夫だよ。」
「……。ありがとう、詩乃、眠い。寝ていい?」
私は自分が熱くなってしまっていることに気が付いた。私の気持ちに偽りがないことは間違いない。だが、生きてくれと言う私は、彼女に対してどれだけ責任を取ることができるだろうか。彼女は生き続ける限り、退屈な生活と嘘による苦痛を強いられる。死なないでくれと無責任に言う私は何者なのだろうか。
そんなことを考えていると、私と裕子は眠りに落ちてしまっていた。
翌朝には雨は止んでいて、白い朝日が差していた。二人でおにぎりを作ってから、私と裕子は家を出た。私は、彼女を学校に連れて行かなければ死なないで済むかなとも思ったが、結局はいつもの流れで、惰性的な成り行きによって学校に向かっていた。
登校中は、私から昨日の風呂でのことやゲームのことをたくさん話した。彼女は退屈そうにうなずいて、地面に生える草や、空を見ながら歩いていた。
教室に着いて授業が始まると、私はやはり落ち着いて授業を受けた。いつも通りノートをとって、小テストを受ける。少し向こうに見える裕子も、普通に授業を受けていた。
それから昼休みまではあっという間だった。約束の13時が、今に来るか今に来るかと思うと、時計の秒針が無限大に加速しているように見え、いつの間にか12時を指していた。
時間があと1時間を切ると、私はさすがに冷や汗を流し始めた。目の前で黙っておにぎりを食べている唯一無二の親友は、1時間後には死体になっているのである。私は彼女と作ったおにぎりのラップをめくるが、どうしても口をつけることができなかった。
裕子はおにぎりを食べると席を立ち、ロープを持って体育倉庫へ移動を始めた。ついにそれが始まろうとしている。
私はいつも昼ご飯を食べていた席に座ったまま、動くことができなかった。いざその為の行動が始まると、恐ろしい現実味が私の心を覆いつくしてしまった。
ここで彼女に着いていけば、私は彼女の死に立ち会うことになる。私は、彼女の死ぬ姿を見たくない。大好きな裕子のその瞬間なんて見ることはできない。しかしもう裕子は行ってしまった。ここで座っていると、もう生涯彼女に会うことはできないだろう。
私は頭が空っぽのまま、教室から飛び出した。体育倉庫まで走っている間、そこのドアを開けたときに彼女の死体がぶら下がっていたらどうしようと考えるが、答えは見つからなかった。
体育倉庫のドアを勢いよく開けると、裕子が脚立を立てていた。天井近くに積みあがった荷物の間からはロープがぶら下がり、人の頭ほどの円環を作っている。
「裕子!!死んじゃ嫌だ!!」
「……」
涙で良く見えないが、彼女が脚立を上り始めたのが分かった。
「ねえ!私をひとりにしないでよ!」
「……詩乃。そんなに嫌なの?」
裕子は淡々とロープに手をかける。
「嫌に……決まってるでしょ……!」
「……止めないの?」
彼女が脚立を蹴るのと、私が駆け出すのは同時だった。
私は、裕子を後ろから抱いた状態で倒れていた。
私には、裕子の自殺が成功したのか、失敗したのかはわかっていない。こうやって彼女を抱きかかえていることに、喜びと安心を感じていた。
私も彼女も、あれからずっと動いていない。翻弄され尽くした私の時間感覚は、流れた時間が10秒なのか、はたまた10年なのか、それを推し量ることはできない。
私はこの体育倉庫が、世界から時空間的に切り離されている感覚さえも覚えた。その証拠というのはどこにも在りはしないのだが、この止まってしまった空間は、恐らく何物にも干渉できないという確信があった。
裕子の髪からは、彼女の匂いと私のシャンプーの匂いがしている。
次第に、私と彼女の境界は曖昧さを持ち始める。
頭の中で彼女の声が聞こえた気がした。
私は、ごめんね、とつぶやいて、彼女と一つになっていった。
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