第12話 前に進むため

「わだじにみりょぐなんでないんでずーー!! わだじはただの平民で、ずだんりーざんがら見ると、赤ぢゃんみだいな存在だっだんでずー!」

「マスター、これアルコール入ってた?」

「いえ、ただのオレンジジュースですよ」


 告白を盛大に無視されたその夜、ミシェルはウィルフレッドに誘われてバーカウンターの前で突っ伏していた。

 この世の全てが灰色に見える。耳で揺れるペリドットが、重く痛く感じる。

 それでも外さないのは、未練からだ。


「うう……身の程知らずだってわかってたけど……」

「いやぁ、そんなことないよ。スタンリーだって、ミシェルちゃんのこと気にしてたはずなんだけどなぁ」

「それはきっと、私が子どもみたいな大人だから、かまってくれてただけです……」


 びえええ、とそれこそ子どものような声が出てきて、涙がぼろぼろと落ちてくる。

 きっともう、今までのように出かけたり、お互いの家に行くこともなくなってしまうのだ。それを考えると苦しくて悲しくて、ひっくひっく勝手に喉が鳴ってしまう。


「マスター、やっぱこれお酒じゃないの?」

「違いますって」


 ウィルフレッドは店の主人とそんな会話をしたあと、あきれたようにミシェルを見下ろしている。


「スタンリーのどこがそんなによかったの」

「全部ですよ! 宵闇のような雰囲気も、優しく細められるオリーブグリーンの瞳も、困ったように頬を掻く姿も、悪者に凄んだ時の迫力も強さも、全部です!!」

「なるほど、確かにねぇ」

「うう、もう私、明日からどう生きていいのかわからない……」

「大袈裟だなぁ」

「大袈裟なんかじゃないです……」


 ふえ、とまた涙が出てきてしまう。

 人は大好きな人に振られた時、一体どうやって元の自分に戻っているのだろうか。ミシェルにはわからない。


「好きな人に振られてさ、そんなに大泣きできるミシェルちゃんが羨ましいよ」

「なんですかそれ、イヤミですかー!」

「違うって。それだけ人を好きになれたってことだろ? すてきじゃない」

「でも、振られたら意味ないですっ」


 ミシェルはグラスの残りのオレンジジュースをぐびぐびと飲み干すと、だんっとカウンターに戻す。

 ウィルフレッドはマスターと視線を合わせて目を広げあった後、困ったよう眉を下げた。


「うーん、慰めにはならないかもしれないけど、これも人生の通過点のひとつだよ」

「通過点なんかじゃないです……もう一生、スタンリーさん以外を好きになんてなれないから……」

「つらい恋を忘れるなら、新しい恋をするのが一番ですよ」


 そう言いながらマスターは新しいジュースを出してくれた。

 ミシェルはそのグラスのかく汗をじっと見つめる。


「新しい恋なんて……」

「お隣にいるウィルフレッド様なんていかがですか? 女性の扱いがわかっておいでですよ」

「ちょ、マスター、勝手に僕を勧めないでよ?!」

「ウィルフレッドさんはイヤです」

「ほら、振られちゃったじゃん!!」


 マスターはくすくすと笑っていて、ふてくされるウィルフレッドを見たミシェルも、思わず笑みを漏らしてしまった。


「まぁいいけどね。ミシェルちゃんは僕のことなんか眼中にないってこと、昔からわかってるよ」

「昔から……?」

「ミシェルちゃんがスタンリーのことを好きになったのは、十二年前に拐われそうになった時、スタンリーが助けたのがきっかけなんでしょ?」

「なんで知ってるんですか?!」

「ひどいなぁ、僕もその場にいたんだよ。幼い君を家に送り届けたのは僕だ。あれが初任務だったから、よく覚えてる」

「へぇ、ウィルフレッドさんもいたんですね。全然記憶にないです」

「だろうね。君は八歳だったっていうのに、もう女の目でスタンリーしか見てなかったから」


 はは、と笑いながら、ウィルフレッドはポンとミシェルの背中を叩いた。

 そんな頃から、スタンリーに恋していたのがバレていたのかと思うと、恥ずかしくなる。


「たぶんね、スタンリーはあの時の子がミシェルちゃんだって気づいてないと思うよ。言った?」

「いえ、スタンリーさんはいろんなことがあっただろうから、私の事件のことなんて覚えてないだろうし」

「言ってみなよ。あの頃から好きでしたー、って」

「言って、どうなるっていうんですか」

「どれだけ好きだったかは、伝わるんじゃない? あんな通りすがりに声をかけるんじゃなくてて、ちゃあんと目を見て告白してあげなよ。今までの君の想いが、あの一言で全てスタンリーに伝わっているとは、僕には思えないんだ」


 ウィルフレッドの言葉に、ミシェルはグラスをぎゅっと握りしめながら頷いた。

 言われてみれば、良い告白とは言えなかった。きれいにしてもらって、今日中に告白したいと思い立つといてもたってもいられなくなってしまったのだ。衝動的、と言い換えて相違ない。

 あんな陰から飛び出すように躍り出て驚かし、付き合っての一言では、言われた方も引いてしまっただろう。きれいにしてもらっていたからと、調子に乗っていたことは認めざるを得なかった。


「それにほら、ミシェルちゃんがめちゃくちゃきれいになってたから、びっくりして逃げちゃったのかもしれないでしょ!」

「そんな慰め、いらないですー!」

「なんにせよ、がんばってみなよ。今からスタンリーがここにくるから」

「……は?」


 目をこれでもかというくらいこじ開けてウィルフレッドを見ると、彼はふわふわ笑っている。


「仕事が終わったら、このバーで飲んでるから来いって言っておいたんだよ。もうそろそろくるんじゃないかなー」

「ええー!!?」

「ちゃんと気持ちを伝える、良いチャンスだろ?」

「いやいやいや、気持ちの準備が……! 言ってもどうせ振られるだけし!」

「だから、スタンリーの言葉できっちりと振られておいでよ。それじゃないとミシェルちゃん、いつまで経っても前に進めないじゃない」

「そりゃ、だって、でも……」

「僕のためにも頼むよ。ミシェルちゃんが振られたら、僕にいっぱい慰めさせて?」


 背の高いウィルフレッドの金髪が、ミシェルに目線を合わすと同時にさらりと揺れた。そこから覗き見える瞳は、どこか寂しげにミシェルに訴えてくる。その甘い顔立ちに相まって色気は倍増していて、息を飲んだ。

 けれども、心臓が高鳴るのはやはりスタンリーだ。ウィルフレッドでは、ドキドキしたり顔が熱くなったりはしない。

 真っ直ぐに向けられるウィルフレッドの瞳を見ていたら、扉のベルが来客を知らせる音色を奏でていた。

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