第2話 初めて会った日
きっと、スタンリーは覚えていないだろう。
初めて出会った日のことを。
王立図書館で会ったのは二年前のことだが、実はスタンリーとはもっと前に出会っている。
ミシェルが八歳の時だった。
王都はその日、お祭りの真っ最中で、人でごった返していた。
ミシェルもそのお祭りに来ていたのだが、親と繋いでいた手がいつの間にか外れて、見事に迷子になった。泣きそうになりながらも街をうろうろしていると、どこをどう歩いたのか暗い裏路地に入ってしまっていた。
そこにはガラの悪い大人がいて、ミシェルを見てニヤリと笑いながら近づいてくる。
「なんだぁ、迷子かぁ?」
「髪は焦げた茶色だが、ツラは悪くねぇなぁ」
ミシェルは、ヒッと声にならない声を上げた。
どう見ても、『助けてあげよう』という顔ではなかった。
ただ怖くて怖くて、逃げ出したくても足がすくんでしまって動けない。
「イイトコロに連れて行ってやるよ」
太くて毛むくじゃらの手に、ガシッと腕を掴まれて背筋が凍った。
誰か助けてと叫びたいのに、声が出ない。ぶんぶんと首を横に振ったが、そんなものは抵抗にすらならなかった。
「貴族の子じゃなさそうだ。身代金は取れそうにねぇぞ」
「売っ払っちまった方が早ぇな」
「い、や……」
「ここに来たのが運の尽きだ。諦めな」
男にぐいと引っ張られたミシェルは、強制的に連れて行かれる。
子どもながらに未来に絶望した瞬間、その人は現れた。
「お前ら、何をしている!! その子をどうするつもりだ!」
それは、まだ二十歳のスタンリーだった。目だけで助けてと訴えると彼は剣を抜き、宵闇に閃光が走り抜けたかのように、一瞬で二人を剣の柄で殴り倒していた。
「泣かずによく頑張った。怖かったな。もう大丈夫だ」
剣を納めたスタンリーが、ミシェルに笑顔を見せてくれる。そのオリーブグリーンの瞳が優しく細められて。
ミシェルはその目を見たの瞬間、張り詰めていた糸が切れたように大泣きして、スタンリーに抱きついた。
スタンリーの少しぎこちない手が、ミシェルの頭を優しく撫でてくれたのを覚えている。
ミシェルはそのあと、若い金髪の騎士に引き渡されて母親のところに連れて行ってもらった。
「さっき、助けてくれた人のお名前は……」
金髪の騎士にそう聞くと、「スタンリーだよ」と教えてくれた。
その時からミシェルのヒーローは、スタンリーただ一人だ。
スタンリーは街の警備騎士から、すごいスピードで出世しているようだった。彼の名前は王都でどんどん有名になっていく。そしてついには副団長となり、爵位をもらうまでになっていた。
スタンリーがいると聞いて見に行ったりすることもあったが、声を掛けることなどできず、ただただ遠くなっていく存在の彼を眺めるだけ。
ミシェルが王立図書館で働くようになるころには、団長の椅子に一番近い男と言われていた。
そんな時、スタンリーが王立図書館へやってきたのだ。
スタンリーの好みそうな本を選ぶたび、どんどんと仲良くなっている気がした。
彼の優しい笑みは、いつもミシェルの心を貫いていく。
好きだ、という思いが溢れる。
しかし、手を伸ばせばすぐそこにいるというのに、触れることは叶わない。
今以上に物理的距離を縮めるには、一体どうしたらいいのだろうか。
図書館で彼に会えるのは、週に一度か二度。
たまに街を巡回中のスタンリーに会った時には、周りには気づかれないほどの笑顔を見せてくれる。
その度に、ミシェルは心の中でキャーーと叫んだ。
生き生きと仕事をしている彼の姿は輝いていていた。赤と白を基調とした騎士服に大きな手、テキパキと指示を飛ばしている姿を見ると、それだけでミシェルはとろけてしまいそうになる。
スタンリー様、ご結婚はされてないのよね……
良い人はいるのかしら……
聞いてどうするものでもない。
恋人がいないと知ったところで、自分が立候補できるはずもない。
けど、スタンリーに恋人がいるかもしれないと思うだけで、気がおかしくなりそうだ。
結局我慢しきれなくなったミシェルは、次に図書館に現れたとき、思い切って聞いてみた。
「スタンリー様には、恋人はいらっしゃいますか?」
「恋人?」
ぱちぱちと目を瞬かせるスタンリーを見て、ストレートに言いすぎたただろうかと顔が熱くなる。
「あ、いえ、ちょっと気になっただけで! そりゃ、いますよねぇ。強くて優しくてかっこいい、副団長様ですものね!」
「いや、今はいないよ。最近は縁遠い話だな」
ミシェルは思わず喜んでしまいそうになる顔を必死に抑えて、神妙な顔に塗り替えた。
「そ、そうなんですか……さみしい、ですね? あ、こんなこと言っちゃダメか」
「はは、気にするな。さみしいやつに見られていてもおかしくない」
「恋人を、作られるつもりはないんですか?」
「俺はモテないからな」
「そ、そんなことないです!」
ミシェルはバンッとカウンターを叩いて立ち上がった。
「スタンリー様は男らしくって、かっこよくって、優しくて、キラキラ光線がすごくて、素敵な人です!!」
「キラキラ光線?」
「それ、それですぅ」
「これ?」
スタンリーは片眉を下げながら、オリーブグリーンの瞳を細めて笑っている。
ミシェルはその瞳に何度やられたかしれない。
「ありがとう、少し自信を持てそうだよ」
「自信、なかったんですか?」
「こればっかりはな。剣一辺倒で生きてきたから、こういうことに疎いんだ。前の彼女もそれで怒らせて別れてしまった」
「そ、そんなこと気にする必要ないですよ! もしも私なら、絶対そんなことで別れたりしませんから!」
いらないことを口走ってしまった気がして、耳が熱くなる。
けれど、スタンリーに驚いた様子も動揺した様子も見られなかった。
「ミシェルを射止めた男は、きっと幸せになるだろうな」
「私が射止めたい人は、ただ一人です」
そう、まっすぐスタンリーに告げた瞬間、隣から「すみません、返したいんですけど……」とおずおず来館者がやってきた。
スタンリーは「おっとすまない。じゃあ」と平常運転で帰っていく。
伝わっているのかいないのか。
どちらにしても、興味がないからあっさりと帰ったのだろう。
私なんか、眼中にないんだなぁ……
そう思うと、泣きそうになった。
射止められるわけがないとわかっていたのに、恋人はいないと聞いて、つい夢を見てしまった。
そしてうっかりと見てしまった夢が甘すぎて幸せすぎて、俄然叶えたくなったのだ。
やるだけやって、ダメだった時にはすっぱり諦めるんだ!
きっと、その方が後悔は少ないはず。
ミシェルはそう考えて、少しずつ行動に移すことにした。
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