第6話 赤桜会の男

 ここ朱桜市には、街の名前と同じ名を持つ朱桜神社があり、表の政(まつりごと)には大抵の場合、関わり合いがあるとされている。そして表と言う言い方をする以上、裏と呼ばれる存在も当然あるわけで。朱桜市においては、それが赤桜会とされている。

 簡略的に言えば、ヤクザと言っても構わない存在で、この街に住む人間は、あまりその単語や話題を使わないようにしている。

 何時何処で、そこの人間、もしくはそれに近い人間が聴いているのか判らないからだ。当然、警察は何か遭ったら駆け付けてくれる。だが大抵の場合、何か遭った後では遅いのだ。

 赤桜会は他の組と同じく、昔ほどの力が無い。年々強化される法律と警察の包囲網によって、身動きがとり辛くなっているのだ。

 ただそうは言っても、赤桜会の人間に一般人が狙われたら、一溜りもない。だから人々は、自然とその話題に触れないようにしている。

 そして、俺が何故、そんなことを思っているのかと言うと。今、その赤桜会の事務所に居るからだ。……ナマと一緒に。

 経緯はこうだ。朱桜神社を後にした俺はナマに連れられ、すぐ近くにある事務所を訪問した。何の事務所か説明もないまま奥の席まで通されてしまい、目前にはスキンヘッドでいかにもお高そうな黒いスーツを着た、大柄の男がどっしりと座っている。これが現状だ。

「お久しぶりっす、お嬢。どうぞ座って下せえ」

 スキンヘッドの男は目じりを下げ、にこやかが過ぎるほどに笑みを浮かべた。そして視線を俺に合わすと、面倒臭そうに、

「あんたもボウっと突っ立ってないで、座ったらどうです?」

「あっはい、有難うございます」

 返事をするや否や、急いで座る俺。

 ——怖い怖い怖い——

 これは本物(モノホン)に間違いない。下手に逆らうと、命に係わる気がする。何で俺は、こんな場所に来てしまったんだ?

 そうだ、ナマだ。どうしてこいつは歓迎されているんだ? いや、それは百歩譲って良いとして、何故俺を連れて来た?

「本当に久しぶりやな、泰蔵(たいぞう)さん。一昨年の夏祭り以来やったっけ?」

 スキンヘッドの男とは顔馴染みらしく、ナマに臆する様子はない。お嬢と呼ばれた辺り、そこそこ知った仲なんだろうとは思うが。

 そして俺はと言うと、正直に言って驚いている。ナマにこんな知人が居るとは、今の今まで知らなかったからな。

「そうっすね。去年も今年も、夏祭りが休止になりやしたから。——おいっ客人やぞ! ボケっとしとらんと、茶くらい持ってこいや!」

 泰蔵さんと呼ばれた男に怒鳴られた男が、飛ぶように消えて行った。怖すぎるだろ、この人。ナマとは親しげだが、どういう繋がりがあるってんだ?

 かくいう俺は、トイレに行きたくなっている。生ビール三杯の利尿効果が今になってやってきたのと、泰蔵さんの怒鳴り声に、文字通りチビりそうになったからだ。

「あのう……」

 静々と右手を挙げた。どうなるか知らんが、トイレを我慢出来そうにない。

「何ですかい?」

 泰蔵さんが、俺を睨む。ナマとの会話を遮るなと言わんばかりに……。俺だって来たくて来たわけじゃないんだがな。まぁそれは禁句だろう。今、ナマを責めるわけにはいかない。今現在、俺の命を握っているのは他でもない、彼女なのだから。

「おトイレを、お借りしてもお宜しいでしょうか?」

 緊張のあまり、オカしな敬語を使ってしまう俺。ナマはと言うと、笑いを堪えている。誰の所為でこうなったと思ってんだ、この女は?

「朝からビールを飲んだからやろ? 泰蔵さん。貸してやってくれへんかな?」

「お天道様が登りきる前から酒ですかい。あまり感心しやせんが。おいっ案内してやれ」

「助かります」

 と席を立ち、後ろで様子を窺っていた顔色の悪い長髪の男に付いて行こうとすると、背中越しに泰蔵さんの声が響いた。

「まさかとは思いやすが、女一人置いて逃げようなんて考えちゃいませんかい?」

「ま、まさか……そこまで考えが及んでいませんでした」

 返事をしてハッとする。そうだな。そこまでは考えてなかった。よくよく考えれば、ナマを放置して帰ってもいいはずなのにだ。俺が付き合う必要なんてないんだからな。

 取り敢えず、案内されるままトイレに入ると、ウォシュレット付きの便座が一つ。立ったままですると汚してしまいそうなので、止む無くズボンを下ろし、便座に座る。

《表の朱桜神社と裏の赤桜会。この二つは、奇妙な共存関係にあると言っても過言ではない》

 そんな記事を昔に見たことが有ったな。何年前だか忘れたが、書いたのは確か今の編集長で、まだその時は編集長になっていなかったはず。内容までは忘れてしまったが、記事の見出しが全てを語っていたように思う。

 だとすると、ナマと赤桜会に繋がりがあったとしても、おかしくはない。おかしくはないのだが、せめて前もって教えてもらって居たら、多少の心構えができたのかもしれない。

 そう考えると、自然と怒りが湧いてきた。確かきっかけは『鬼神様が盗まれた』と、ナマが俺に協力を求めたから。

 そう、そうだ。そもそも俺は、自主的に手伝いたいなどと言った覚えはない。だったら、少しは配慮とかしろよ。何で寄りにもよって赤桜会の事務所なんだ? 言葉の使い方を間違うと、命が無くなってしまう可能性だってあるんだぞ!

 と、用が済んだな。レバーを引いて流し、外に出る。

 トイレ横の洗面台で手を洗い、左胸にしまっていたハンカチで手を拭く。すると、俺をここまで案内してくれた顔色の悪い男が、

「ヤクザの家でスッキリしてんじゃねーぞ。小便以外のモノも出してきたんじゃねーだろな!」

 と、よく解らない絡み方をされた。この事務所に居る限り、きっと何をしても同じ言われようをするんだろうな。

「すみません」

 何に対してかはともかく、この場では謝罪をした。理不尽極まりないことだが、今はそれが、自分の身を守るために一番効果的に違いないからだ。

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