仲直りはごはんのあとで

綾束 乙@4/25書籍2冊同時発売!

もぉやだ、動きたくない


「づっかれたぁ……」


 残業で重い体を引きずるようにワンルームのドアをくぐり、マスクを捨てて、洗面台で手洗いうがい、マスクより上の部分だけの手抜き化粧を洗い流す。


 化粧を落としてストッキングを脱ぐと、今日も仕事が終わったんだという解放感がじわじわと湧いてくる。


 いや、このご時世、みっちり仕事があるのはありがたいことだけどさ。残業代だって出るけどさ。


 あーっ、もう急に仕事持ってきやがった課長めムカつく~っ! ちゃんと情報は課員にも下ろしとけっての!


 お気に入りのもふもふの部屋着に着替えて完全におうちモードになった瞬間、電池が切れた。


「もぉやだ、動きたくない……」


 一人用の小さなコタツに突っ伏し、独りごちる。


 天板冷たい。身体重い。服脱ぎ散らかしたままだけど畳むのめんどくさい。


 おなかすいた。

 でも動きたくない。


 シンクしたの戸棚には五日前に大量買いしたカップラーメンが眠ってる。けど。


「あ~……。身体が野菜を求めてる……」


 もうやだ。カップ麺飽きた。

 いや、飽きてはないけど、いま身体が求めてるのはソレジャナイ。


 私がいま欲しいのは……。


 ぴんぽ~ん。


 ぐるぐると負のスパイラルに陥りかけた思考を遮るかのように、間の抜けたインターホンの音が鳴る。


 うん? 私は通販とか頼んだ記憶ないんだけど……。陽斗はるとの荷物かな?


 ごく自然にそう考え、脳内で呟いた名前に自分で傷つく。

 五日前、ケンカして出て行った三年つき合った彼氏。


 ぴんぽ~ん。


 固まって動けないでいる私を急かすかのように、もう一度インターホンが鳴る。


 重い身体を引きずるように立ち上がり、インターホンの通話ボタンを押した途端。


椰子やこ、俺。……入ってもいい?」


 聞こえてきたのは、陽斗の声だった。



   ◇   ◇   ◇



「……入るも何も、鍵持ってるでしょ」


 告げた瞬間、後悔する。


 どうしていつも、こんな風に可愛げのない言い方しかできないんだろう。


「持ってるけどさ。でも、ここは本来は椰子の部屋だから……」


 変なところで生真面目な陽斗らしい言葉。


「よかったら、入れてくれないか? 夕飯の材料買ってきたんだ」


 エコバックを持ち上げたんだろう。インターホンの向こうでかさりと音がする。


「今週は残業が入って忙しいって言ってただろ? それとも、もう外で食べてきた?」


「……まだ食べてない」


 ごはんのことを考えた途端、陽斗に飼いならされた胃袋が反応して、くぅ、と鳴る。


 さすがに聞こえていたわけじゃないだろうけど、ドアの向こうの陽斗がほっと息をついた音が聞こえた。


「それなら、よかったら作らせてよ。できるだけ椰子のリクエストに応えるからさ」


「じゃあ野菜」

 考える前に言葉が口をついて出る。


「野菜いっぱいの、あったかいごはんが食べたい」


「うん。任せて」


 弾んだ声。声しか聞こえないのに、陽斗の笑顔がありありと目に浮かぶ。

 それだけで目が潤みそうになって、私はごまかすように足早にドアへ向かった。


 がちゃりとドアを開けた先に立っていたのはいつも通りの陽斗で。


 去年、一緒に買いに行ったグレーのダウン。実家の母親から送られてきた荷物に入ってたんだという使い古したエコバッグからは、ほうれん草の濃い緑とニラが元気よく顔を出している。


 けど。


「……今日も寒いね」

「うん。早く入って」


 陽斗はいつものように「ただいま」とは言わない。

 だから私も意地でも「おかえり」なんて言わない。


「佐々木くんと何かあったの?」


 五日間、陽斗が出て行った先は知っている。


 佐々木くんは私にとっては大学のゼミの同期で、陽斗にとっては会社の同期で、私と陽斗がつきあうきっかけにもなった共通の友人だ。


「陽斗がフリーになったら俺が陽斗に嫁になってもらう!」


 とふだんから本気なんだか冗談なんだかわからないことを言ってる佐々木くんが、家事万能な陽斗をそうそう追い出すとは思えないんだけど……。


「いや、まあ……」


 あいまいに言葉を濁した陽斗が、ほんの数歩の短い廊下を通って部屋の中を見た途端、「あ!」と声を上げる。


「椰子! 服、また脱ぎっぱなし……」


「さっき帰ってきたばっかりなの! 片づける前に陽斗が来た、から……」


 いつもの注意にいつもの言い訳。でも、途中で語尾が消えたのは、これがもういつもじゃないとわかってるから。


「うん……。片づけて待ってて。すぐ作るから」


 エコバッグを手に狭いキッチンに向かった陽斗が、冷蔵庫を見てふたたび悲鳴を上げる。


「食材がまんま残ってる!」


「……忙しくて作ってる暇なんてなかったの」


 嘘じゃない。……半分は。


 平日は残業で疲れて作る気なんて湧かなかったし、休日も作る気なんて起きなかった。


 料理下手の私が作っても、陽斗のごはんのおいしさの十分の一にも満たないし。


「うわー。奮発して買い込んでくるんじゃなかった……。とりあえず、冷蔵庫の中のものから使おう……」


「陽斗……」

「うん?」


「……何でもない」


 ごめん、と反射的に出かけた言葉を飲み込む。


 私からは絶対、謝ったりしない。いまのだって陽斗にじゃなくて、食材に悪いなと思っただけだし。


「まあ、ゆっくりしててよ。あらかじめ作って持ってきたのもあるけど、小一時間くらいかかると思うし」


「うん……」


 キッチンから振り返らずに告げられた言葉に頷き、コタツに入り直す。


 あー、やば。あったか……。

 冬のコタツってダメ人間製造機……。


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